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第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。
1-23 ようこそ、鬼谷へ
しおりを挟む黑蝶殿に陣を敷き火を放った後、法具の大扇に法力を込めて突風を起こした。
用意した三体の死体は、本物と大差ないくらいよくできた傀儡人形。そして予め用意していた霊道を開き、翠雪が先頭になって三人を導く。
その後に続くように、最低限の荷物を持った藍玉と夜鈴を背負った碧雲が続く。
「本当に、これで良かったんですか?あの美しい庭も燃やしてしまって、」
「いいのです。手入れをする者がいなければ、結局はみんな枯れてしまう。それに、心残りはない方が良いのです」
翠雪は首だけ向けて夜鈴に訊ね、夜鈴はそれに対して小さく笑みを浮かべた。
どこか悲しげにも見えたが、その決意が固いということも読み取れた。
「もう、魔界には戻らない。そう、僕たちは決めたんだ」
そうですか、と翠雪は嘆息する。
「夜鈴様の蠱毒を解毒するのが先だ。あまりご無理はさせられないし、谷主であるお前の邸ならそれなりに整えられているだろう?しばらくの間世話になるにはちょうど良いのではないか?」
「あの邸は、ひとが生活するにはおそらく狭いと思いますよ?」
は?と碧雲は眉を顰める。仮にも鬼谷の谷主。鬼谷の中で一番立派なはずだろう、と首を傾げる。
「まあ、行けばわかりますよ」
苦笑いを浮かべ、翠雪は肩を竦めた。
霊道は真っ暗で、どこを歩いているかさえあやふやになる。油断すると平衡感覚も鈍るのだが、翠雪が灯している唯一の道標である緑色の鬼火がゆらゆらと先を照らす。
黑蝶殿に繋げていた入口はすでに閉じてきたので、誰かが霊道を見つけて入って来ることはない。
そもそも、あの炎の中へ飛び込む者もいないだろう。せっかく被害を建物と庭だけに留めたのに、そうなれば無駄な努力になってしまう。
「翠雪さんが僕の所に遊びに来てくれなかったら、こんな計画思い付かなかったよ!」
「確かに、お互い利益は得ましたね」
ふふ、と楽し気に笑い、右手に大扇、左手に鬼火を宿した翠雪は答える。
藍玉は翠雪の肩くらいまでの背で、そうやって並んだ後ろ姿だけ見れば、亡くなった桃李と一緒にいた時とそっくりだった。
和やかに会話をしているふたりを見つめながら、碧雲は眼を細める。
(藍玉様は翠雪を信用しきっているが、まだ数回しか会っていない奴をそこまで慕うのは、やはり桃李様に似ているからだろう)
故に、少し怖いとも思う。
また、同じようなことが起きたら、もう本当に折れてしまうのではないかと思う。
(鬼谷に身を置いて、この事を大王様が知ったら······今度は鬼谷があの村と同じ目に遭う可能性だってある。ひとではなくとも、ひとだった者たちだ。目立った行動は控えた方が良いだろう)
とくかく、まずは夜鈴の蠱毒の解毒を最優先とし、後の事は後で考えればよい。しかし、鬼界に魔族がいても問題ないのだろうか?
「碧雲、あなたには苦労をかけます。あともう少しだけ、私たちに付き合ってくれますか?」
「いいえ。俺は、なにがあろうと藍玉様に仕えると決めてます。もう少し、などと他人行儀なことを言わないでください。あの日から、俺の生きる理由はただひとつ。おふたりをお守りすること、なんですから」
ありがとうございます、と夜鈴は微笑む。その笑みは背負っている碧雲には見えなかったが、肩口がくすぐったかった。
そんなやり取りをしている内に、やがて暗闇の先にぽつんと白い光が見えた。
「ようこそ、鬼谷へ」
眩しい光が視界いっぱいに広がったその後、戻って来た景色に藍玉は思わず声を上げた。
霊道を抜けた先、そこは鬼谷の中でも一番の賑わいを誇る場所。多くの屋台が並び、狭い路を行き交う鬼たち。
鬼たちは大小さまざまな姿をしているが、身体は人間だった時と一緒なのだろう。
皆、顔を奇妙なお面や面紗、動物の頭の皮などで覆っており、素顔を見せている者は誰ひとりいなかった。
それがこの、奇怪だが愉快な雰囲気に拍車をかけているようだ。
赤と青の鬼火が灯る灯篭や提灯が連なる光景は、まるでお祭りのよう。その賑やかしい雰囲気に、藍玉は興味津々の眼差しで、きょろきょろと右へ左へと視線を泳がせる。
「すごい!見ているだけでもすごく楽しい!」
「藍玉様、お待ちください!あんまりはしゃぐと迷子になりますよ!」
ひとりでどんどん前に行ってしまおうとする藍玉を引き留めるが、目の前の楽しいものに夢中で、碧雲の言葉など届いていないようだ。
「翠雪さん、すごいよ!この鬼谷は、あなたが作ったんでしょ?」
「私の事は、翠雪と呼んでくれて構いませんよ。なにせ、あなたは私の主なんですから。谷主の座はいらないとしても、そこは譲れません。勝負に勝った者を主とするのは、鬼谷の決まりですから」
「主かぁ······僕は主よりも、やっぱり友達の方がいいな」
大扇でゆったりと扇ぎながら、宿していた緑色の鬼火を消すと、翠雪は藍玉に言い聞かせる。
あの賽子の勝負の後、翠雪は藍玉の従者になることを誓った。
それは鬼谷の掟だと諭されたので、仕方なく主従の関係に関しては承諾したのだが、谷主の座には興味がなかったので断ったのだ。
あくまでも"鬼谷の谷主"と"魔界の皇子"の間で結ばれた友好条約的な形に落ち着いた。
「では友としてのお願い、と言ったら叶えてくれますか?私もあなたに"様"はつけません。それならいいでしょう?」
「わかった!翠雪、改めてよろしくね!」
はい、とにっこりと微笑んだ翠雪。それを見ていた鬼たちが急にざわざわと騒ぎ出す。
(谷主と一緒にいる子供は誰だ?)
(もしかして、あれが谷主を負かしたっていう噂の、魔界の皇子か!?まだ子供じゃないか!)
(いや、そんなことより······、)
(((俺たちの谷主のあの笑顔を見たか!?超絶可愛いすぎるだろ――――!!!)))
鬼たちは、はわわ!と口を両手で覆って、皆が各々のお面や被り物の裏側で、幸せそうな表情を浮かべていた。
「なんだ?なんだか殺気が、」
そのなんともいえない鬼たちの反応を、殺気と勘違いした碧雲が眉を顰める。
「ああ、彼らの事は放っておいていいですよ。頭がおかしいのはいつものことです。さ、行きますよ。あそこが私の邸です」
言って、冷めた表情で鬼たちの心の声を一蹴し、翠雪はその先に見える立派な赤い柱の建物を大扇で指した。
そこに立つ邸は思っていた以上に立派で大きな建物だった。魔界の大王の宮殿ほどではないが、藍玉たちが住んでいた宮殿よりもずっと大きかった。
四人は屋台が左右に並ぶ路を行く。崖と崖の間に作られた市を通り抜ける際、先程まで路幅にほとんど隙間なくぎゅうぎゅうに行き交っていた鬼たちが、谷主の姿を見るなり一斉にそれぞれ左右の端に寄った。
もう慣れた光景なのか、翠雪は特に何か言うでもなく、自分のために作られた路を歩いて行く。鬼たちの息の合った行動に、藍玉はやはり興味があるようだった。
「すごく慕われてるんだね、翠雪は」
「ああ、気持ち悪いですよね。すみませんが、邸に着くまで我慢してくださいね」
んん?と藍玉は思っていたのと違った反応が返って来たので、不思議そうに首を傾げる。
翠雪のその笑みは、まるで笑顔が張り付いた感情のない仮面のようだった。
(彼らに悪気はないんでしょうが、本当に無理。私をなんだと思っているんでしょう。どうせまた変な妄想でもしてるんですよ、)
はあぁあと深い溜息を吐き出し、少し猫背気味に翠雪は前を歩くのだった。
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