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第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。

1-17 1/10の不運

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 扉を開けて入った時、母の寝台の横に佇むその後ろ姿に思わず声が出た。

 大好きだった桃李タオリーと似た茶色の長い髪の毛。しかし纏っている衣は若草色。振り向いた時、優し気な雰囲気に一瞬喜びそうになった。

 けれども、違った。
 よく似ていたが、その笑みはどこか含みがあり、何か企んでいそうな印象だった。

 藍玉ランユーはあからさまにがっかりした表情を自分が浮かべていたことに、まったく気付かない。碧雲ビーユンも同じように目を瞠っていたが、藍玉ランユーよりも早く"偽物"だと気付いて、侵入者に対して問いかける。

 その青年は母である夜鈴イーリンが蟲に侵されていると言う。蠱毒。強力な呪詛のことで、人界では使用するモノによって異なるが、蛇や百足ムカデ、蛙などの百虫を使う。

 他にも犬や猫を使って犬神や猫鬼といった、動物を使う呪術もある。蠱毒と言っても蟲とは限らないのがこの呪術の特徴。

 魔界では魔蟲と呼ばれる、何種類かの蟲をひとつの壺に入れる。数日おいて殺し合わせ生き残った一匹は神霊となるのでそれを祀り、この毒を使って相手に害を与える。

 症状はさまざまあるらしいが、いずれも最終的には死ぬ可能性が非常に高い、厄介な呪術なのだ。用意するのも手間と時間がかかるので、そんな呪詛を行うには余程の恨みがなければ、やろうと思わないだろう。

「では、私と勝負をしましょう。あなたたちふたりの内どちらかが勝てば、私があらゆる手を使ってこの蟲を解毒すると誓います。ひとつだけ了承して欲しいのは、この蠱毒を解毒するにはかなり時間がかかりるということ。なんなら何年もかけないと完全に消し去るのは難しいと、そのことは今はっきりと言わせていただきます」

「信用できない。貴様が偽りを言っている可能性もある」

 碧雲ビーユンは怪訝そうに翠雪ツェイシュエを睨み、そう言い切る。まあ、そうでしょうねと翠雪ツェイシュエはくすりと笑う。

「あなたも鬼なら、わかるでしょう?私たちはなぜ鬼などになってしまったのか。死ぬ直前まで、なにかに強く執着していた者が酷い死に方をすると、鬼になりやすいといいます。私は元々道士でしたが、まあ、色々あって今は鬼谷の谷主に。あなたも、どういうわけか魔界の皇子の従者になっている」

「それとこれと、どういう関係が?鬼同士だから信用しろとでも?」

「従者が主の意見を無視して要求を蹴るとは、よっぽどご立派な立場なんですね」

 なっ!?とますます碧雲ビーユンの眉間に皺が寄ってしまう。確かに言っていることは正論だった。先程主である藍玉ランユーが要求を呑むと言ったのに、それを否定しているようなものだ。

碧雲ビーユン、母上の体調は倒れた時から全然よくなっていない。このひとは嘘を言っていないと僕は思う。ねえ、話の続きをしよう。あなたが勝ったら僕たちはなにをすればいいの?」

 藍玉ランユーが大人の対応で逸れてしまった話を元に戻す。こうなると、碧雲ビーユンはぐっと言いたいことを堪えるしかない。

(そもそも、なんでこの者はここにいるんだ?本来なら捕らえて罰するのが筋だろう!妃嬪ひひん様になにかしていないという確証もない)

 なにより、どうして目の前の侵入者の方が偉そうなのか!

「その前に、ひとつ伺いたいことがあります。あなたは何番目の皇子ですか?」

「僕?僕は第七皇子で、名は藍玉ランユー。こっちの怖い顔してるのが護衛官の碧雲ビーユンだよ」

 指を差して、にっと笑う藍玉ランユーに対して、碧雲ビーユンはもはや呆れてなにも言えなかった。自分が怖い顔をしているのは、この状況のせいである。護衛官としての仕事をしているだけなのに、そんな風に言われるのは心外だった。

(第七皇子といえば······あの、噂の。噂とはやはり噂に過ぎないということですね。この子はどうみても、ただの"落ちこぼれの駄目皇子"ではないでしょうに)

 魔王候補は三人いると聞く。第一皇子、第四皇子、そして第七皇子。第一皇子は聡明で魔王に一番近い優秀な皇子。第四皇子は人界、魔界共に騒がせる狂人と聞く。鬼界でも要注意人物として、近寄らない関わらないが共通の見解である。

 第七皇子といえば、そんなふたりの皇子とは劣る、なんの力もない期待外れの皇子と、ある意味その名が知れ渡っている存在。

(やはり私は、運が良い)

 藍玉ランユーを見つめ、口元を隠していた大扇を閉じて衣の袖に納め、代わりに何かを掴んで取り出して、ふたりの前に差し出す。

「手合わせと本来なら言いたいところですが、あまり騒いで事を荒立てたくはありません。なので、これを使って勝負をしましょう」

 手の平を開くと、そこにはふたつの賽子サイコロがあった。藍玉ランユー碧雲ビーユンが止めるのも聞かずに、すたすたと翠雪ツェイシュエの方へと行ってしまう。慌てて碧雲ビーユンはその後を追う。

「賽子でやる勝負?」

「はい。私は運が良いので、自分が得意なもので勝負させていただきます。その代わり、そちらはどちらが私に勝っても、同等の勝ちという条件付きですから、悪くないでしょう?」

 うーんと藍玉ランユーは腰に手を当てて、首を傾げる。なにか気になることでもあるのだろう。じっと賽子を見下ろしていた。

「あなたの運って、どのくらい良いの?」

「まあ、十回やって九回は勝つ自信があります。一割の不運ですが、こちらはひとり、そちらはふたりいるのですから、勝負を最大十回とすればどちらが勝つかはやはり運次第となります。単純に考えれば、九回目までに私より良い目を出せたら、あなたたちの勝ちです」

 仮に九回目まで翠雪ツェイシュエが勝ち続ければ、確率的に十回目は負ける。だがその一割の不運が十回中どの回で起こるかは予想できない。なので、得意とは言っているが、本当に運任せの勝負となる。

 勝利の条件は、九回目までに翠雪ツェイシュエより良い目を出すこと。九回目まで良い目が出なければ、藍玉ランユーたちの負けとなる。仮に九回目が引き分けだった場合は、十回目をして決着をつけることになった。

「じゃあ、碧雲ビーユンからやって!僕は横で視ている・・・・ことにするよ」

「は?本当にやる気ですか、」

 馬鹿馬鹿しいという、引きつった顔で碧雲ビーユン翠雪ツェイシュエの方に視線を向ける。翡翠色の瞳と瑪瑙色の瞳が重なる。

「怖いんですかぁ?護衛官殿。あ、安心してください。私はあくまで運だけで勝負します。そちらは出来うる手段を以て挑んで構いませんよ。実力が出せなかったせいと言って、後で恨まれるのは御免ですから」

 賽子を人差し指と中指と薬指で器用に掴み、にっこりと笑みを浮かべた鬼谷の谷主は、純粋に勝負を楽しむ青年に見えた。

 翠雪ツェイシュエは部屋に設置されている丸い机と高価そうな黒い椅子に先に腰掛け、手招きする。碧雲ビーユンは嘆息し、仕方なくその正面に座った。

「お先にどうぞ。賽子を転がして、より大きい目を出した方が勝ちですよ?」

「馬鹿にするな。それくらい俺にもわかる!」

 まあまあと藍玉ランユー碧雲ビーユンの肩をぽんぽんと叩き、落ち着いてと宥める。

 これに勝てなかった場合、自分たちで夜鈴イーリンの今の状態を探らなくてはならなくなる。

 それはつまり、他の妃たちを疑うということになる。確実に彼女らはそれを不服として、大王に訴える事だろうし、口裏を合わせるのも容易いだろう。蠱毒の知識を今から頭に叩き込むよりも、目の前の頼みの綱を手繰り寄せた方が何倍も良い。

「では、勝負」

 翠雪ツェイシュエの合図と共に、碧雲ビーユンが握っていた賽子を転がすように投げる。

 賭博の手練れであれば、ある程度技術で良い目を出せるらしいが、そんな才能が彼にあるとは思えないし、誰も思わないだろう。賭け事など一度もやったことのない堅物なのだ。

 息を呑んでじっと見守る中、転がった賽子がやがてぴたりと目を出す。

「四と三ですね。まあまあ良い目です」

 褒めているようで、それ以上の目を出す自信があるのか「まあまあ」と言って、翠雪ツェイシュエは笑みを浮かべる。どこか妖艶なそれに、碧雲ビーユンは思わず圧倒されてしまう。

 躊躇うことなく細い指先が賽子を転がす。ふたりが見守る中、ころころと転がった賽子が止まる。

「五と六!すごい十一だ!」

藍玉ランユー様は、いったいどっちの味方なんですか!」

 藍玉ランユーが楽しそうに弾んだ声で賽子の目を称えると、碧雲ビーユンが思わず突っ込みを入れた。そして、ふたり、はっと口を覆う。夜鈴イーリンが眠っていることに気付いたのだろう。

 そして賽の目勝負は、五回目を終えたところで藍玉ランユーと交代となる。つまりはこの勝負、言わなくてもわかるだろう。

 碧雲ビーユンは「くだらない!」と言ったが、藍玉ランユーは興味津々だった。

「さあ、僕と勝負だよ」

 一応敵であるはずの翠雪ツェイシュエに対して、いつもの人懐っこい笑みを向け、藍玉ランユーは賽子を握り締めた右の拳を突き出す。


 残り四回、引き分ければ五回。
 運命を分ける、勝負の賽は投げられた――――。


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