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第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。
1-12 それぞれの思惑
しおりを挟む「父上が、僕に言ったんだ」
あの時、耳元で聞こえてきた言葉。
そして都合よく足元に転がって来た、細い鉄の針のような、モノ。
『それで、お前の碧雲を守りなさい』
大王が囁いた言葉は、暗くてよく状況がわからない中で間者の前に立ち塞がった碧雲が、危険な目に遭うのではないかという不安を、藍玉に与えた。
「たぶんそのひと言で、僕は無意識に魔眼の力を使ったんだ。本当によく、憶えてないんだけど。気付いたら母上に抱きしめられてて······頭もぼんやりしてた」
幼い藍玉の口から語られた衝撃的な"仮定"に、碧雲は言葉を失った。それが本当なら、その力を試すためだけに宴の席で間者を殺させた、大王の思考を疑いたくなる。
あの寸鉄は、間者の喉元を的確に貫き、言葉ひとつ語らせないまま即死させたのだ。大王がやったとばかり思っていた碧雲の脳裏に、あの時の光景が浮かんだ。
自分が罰を受けると頭を下げた時に、上機嫌に笑った大王が妃嬪に対して言い放った言葉の意味。
『罰だと?なんの罰を受けるつもりだ?妃嬪、俺はお前たちを守ったあやつに、なんの罰を与えれば良いと思う?』
あれは、牽制だったのではないか?
それを確かめる機会を図らずとも与えてしまった自分の行動に、碧雲は拳を握り締める。
本来の大王の計画は、おそらくこうだろう。間者が予め用意されていた者だったのだとしたら、夜鈴を狙わせ、藍玉に自身の意思で魔眼の力を使わせるという筋書き。
しかし、その計画は碧雲が予想外の行動をとったことによって、一旦破綻する。大王はすぐさまそれを逆手に取って、力を使うように促したのだ。
「父上は、僕に認めさせたいんだと思う。力があるなら使え。兄上たちを蹴落として、一位になれと。でもそれは、僕も母上も望んでいない。もし兄上たちにこの力の事がバレたら、どうなるか······」
間違いなく、近い内権力争いに巻き込まれるだろう。まだ幼いうちに亡き者にしようと動き出すかもしれない。そうなれば真っ先に狙われるのは、身内である。
藍玉は幼いながらにそのことを理解しており、夜鈴もまたそうならないように今まで行動してきたはずだ。
神童と呼ばれていた第七皇子が、一変、駄目皇子なのでは?と思われるような行動をとり始めたのは、そういう理由があってのこと。
今の内からその印象を周りに与えておけば、後々成長した時には誰もが認める"駄目皇子"の完成というわけだ。
「よく、わかりました。もう、大丈夫です」
そ、と自分の腰の辺りまでしかない幼い皇子の頭に手を置き、安心させるように精一杯の優しい声音で呟く。
普段が普段なだけにこういうのは正直苦手だったが、それでも主に対して忠実な従者は、子供をあやすように頭を撫でる。
ぎゅっと強く握られた小さな手によって、腰に巻いた白い布が皺を寄せた。
「俺が、なにがなんでもおふたりを守ります。だから、あなたはあなたの思うように振る舞ってください。俺もなるべく、いつものようにそれに対して応対します。それでいいですか?」
「うん。ありがとう、碧雲」
向けられた満面の笑みに安堵して、碧雲も自然と口元が緩んだ。
「さ、ではまずはこれからやって来る桃李様に対して、どういう対応をしていくか話し合いましょう」
はーい!と元気を取り戻した藍玉が、その提案に対して子供らしく返事をする。
赤い瞳が輝きを取り戻したのを確認すると、その手を取って碧雲は歩き出す。本来、主と従者がする行動ではないが、それが許されている。
それくらい、信頼を得ていた。裏切るなど、考えられない。命を懸けてでも、守ると決めた存在。生きる意味。どこまでもついて行くと心に誓った。
それがたとえ、どんな道であろうとも。
******
第五皇子、名を桃李。十八歳くらいの見目麗しい青年だが、その何倍も生きている。魔族は見た目と実年齢がまったく一致しないのはよくあることで、魔力の強さによっても変わってくる。
ちなみに老師と呼ばれる者たちは、何千年も生き永らえている魔界の重鎮である。それに比べれば皇子たちはやはりまだ子供であり、藍玉は赤子のようなものだった。
「藍玉、遊びに来たよ」
にこにこと笑みを浮かべて黑蝶殿にやって来た桃李は、白い衣の上に薄桃色の羽織を纏っており、長い薄茶の髪は上の方だけ銀の冠で括って、それ以外は背中に垂らしていた。琥珀色の目の端には紅が飾られていて、背も他の兄たちよりは低いので、美しい女性のようにも見える。
「桃李兄上、先日はありがとうございました」
礼儀正しく腕を前で囲い、頭を下げた藍玉に対して、桃李もまた同じように腕を囲って、丁寧に挨拶を交わす。
「誕生日おめでとう。私からの贈り物は、気に入ってもらえた?」
「はい、いつも身に付けてるんです。この琥珀の玉飾りの付いた紅色の髪紐、」
言って、くるりと兄に背を向け、肩まで伸びた黒髪を括っている髪紐を見せる。それは本音で、藍玉にとって桃李は優しい兄であり、兄たちの中で唯一、日常的な会話が成り立つ存在なのだ。
「ふふ。それより聞いたよ?あの温厚な老師を怒らせたんだって?君、どんな悪戯をしたの?」
「へへ。兄上に教えてもらった紙人形で蠍を作って、書物にこっそり挟んでおいたんだ。それでね、書物を開いた時にびっくりさせちゃったみたい!」
その時の老師の様子を、手振り素振りで楽しそうに話す藍玉に対して、相槌を打ちながら桃李は聞いていた。
遅れて入ってきた宮女たちは、運んで来た茶器や菓子を手際よく丸い机の上に並べると、邪魔をしないようにすっと出て行った。
他愛のない会話をしているふたりは、仲の良い兄弟にしか見えない。だが、他の兄たちがこんな風にお互いに会話をすることはまずない。気さくな桃李でさえ、他の兄弟たちとは一線を引いていた。
(第五皇子様だけは、信用してもいいのかもしれない。藍玉様の力になってくれるなら、心強い)
魔王候補の兄たちに比べて魔力は劣るが、彼は博識で人あたりも好く、周りの評判も良い。なにより争いを嫌う、という点でも共通するものがあった。以後、この関係は数年変わらず続くことになる。
しかし、藍玉が十歳になった時、またもや予期せぬ出来事が起こってしまう。それをきっかけにして、少しずつ歯車が狂い始める。
まるでそうなるように、初めから仕組まれていたかのように。
一度坂を転がり出した石は、止まることを知らなかった――――。
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