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第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。
1-4 兄さんと呼ばせて!
しおりを挟む慶螢の病状は思わしくなく、たった数日でこれほど悪くなるものかと疑わしくも思う。
しかし聞けば元々持病はなかったということなので、医者が言うように原因不明の不治の病か、祈祷師の言うように呪いのせいと言われても、信じてしまうだろう。
暁狼は慶螢の容体を診るのは二度目だったが、最初に診た時よりもさらに悪化しているのがわかった。ずっと眠ったまま、気付いたら寿命が尽きてしまいそうな、そんな静けささえあった。
「どうですか?息子は、助かりますか?」
不安な眼差しと震える声は、商家の当主というより、息子を心配する親の心情だろう。紅玉は鳶色の眼を細め、黙ってその様子を見守っていた。
ここまで歩いて来る途中、この邸の至る所に陰の気配を感じた。道士が言うように、邸全体に何か呪詛のようなものが施されているのかもしれない。
よくない気が巡ることで、ひとは簡単にその影響を受けてしまうのだ。
運気が下がったり、それこそ病になったり、酷い時は死に魅入られることもあるだろう。呪詛だとすれば、媒介するものがいくつかあるはず。
「見立てた祈祷師は、それなりに名のある方だったようだな。だが仙人の持っている物を持って来いというのは、完全に匙を投げた証拠だろう」
仙人がその辺りを歩いている可能性などないに等しい。つまりは、無茶なことを言って希望だけ持たせ、見つからなかったら諦めろと言っているようなものだ。
「そんな······では、道士様たちならどうにかできますか?」
「やってみなければわからないが、まずはこの邸を見て回る許可をくれ。敷地内のあらゆる場所を探す必要がある」
その提案には紅玉も賛成だった。この邸に隠されているという事は、他の商家の恨みを買ったというよりは、内部の者たちの仕業と言っていいだろう。もしくは、競合の間者でも潜り込んでいるのか。
「······わかりました。あなた方を信じて、許可しましょう。使用人たちにはそのように言っておきます。なのでどうか、息子を、慶螢を、助けてやってください!」
必死に頭を下げて頼む趙螢の心情は、わからなくはない。妻である華夫人も、息子の看病疲れで伏せっているらしい。家族が不幸になるのは、この者にとって商売が傾くよりも辛いのだろう。
「約束はできないが、できる限りの事はする」
暁狼は表情は崩さず、あの冷淡な顔のまま頷くのだった。ひと通りのやり取りを見ていた紅玉は、顎に手を当てて何か考えるような素振りをする。
(うん。この道士様は、顔は怖いし態度も悪いけど、困っているひとには真摯で真面目。何か企んでるって感じじゃなさそう)
なにより彼の見立ては、自分と一致している。自作自演をしているのではないかとも思ったが、その可能性は低いだろう。
暁狼の後ろから覗き込むように、もう一度青白い顔で眠っている慶螢《チンイン》を観察する。
「あれ?ねえ、趙螢殿、彼の首の辺りにある黒い痣は、生まれつきのものですか?」
「え?どれです?」
紅玉が指差す先、衣に半分隠れている、左の首の付け根の辺りを近くで眺め、趙螢は首を傾げる。
それは染みのような黒い痣で、そんなに悪目立ちするほどではなかったが、紅玉は気になって訊ねたのだった。
「······いえ、こんな痣、なかったと思います。何か関係があるんでしょうか?」
「うーん。今までなかったモノなのだとしたら、気になるかも」
暁狼はその痣に関しては確かに気になっていたが、生まれつきのものだろうと決めつけていた。それを見逃さなかった紅玉に対して、少しだが関心を示す。
(仙人の弟子、かどうかはさておき、この坊ちゃんの眼は侮れないかもな)
その身に纏う派手な紅色の衣と育ちの良さそうな雰囲気から、後ろにいる紅玉のことを、世間知らずのどこかの名家の公子だろうと、勝手に思い込んでいた。実際そうなのかもしれないが、ただの"坊ちゃん"でないことは証明された。
「身体に現われる印には意味があることが多い。それも含めて調べることにする」
「よろしくお願いします。報酬ならいくらでも払います!」
「それは、解決してからの話だ。少なくとも俺は、金のためにやってるわけじゃない。息子が助かった時に、あんたが好きに決めてくれ」
へぇ、と紅玉は眼を細めて笑みを浮かべた。道士は妖魔や鬼を退治したり、こういう原因のわからない怪異を解決し、報酬を得えている。
中には彼のように野良の道士もいて、そういう輩は修行に耐えられず門派から離れた者が多い。中途半端な知識と力を利用して、高い報酬を騙し取る者も少なくないのだ。
「白先輩、いや、兄さん!あなたはすごいなっ」
「は?なんだ、急に、気持ち悪い」
兄さん、などと勝手に呼ばれ、暁狼は目に見えて嫌な顔をした。バシバシと後ろから肩を叩かれ、なんだか楽しそうにそんなことを言う年下の青年を、叩かれている方の右半分だけ身体を向けて、不審そうに見下ろす。
「僕、今日からあなたのこと、敬意を込めて"兄さん"って呼ぶことにするよ!」
その屈託のない純粋な笑みに圧され、暁狼はひと呼吸おいてから、元の冷淡な表情を作り、半分だけ向けていた身体を、完全に後ろに向けた。
そこには、小犬のように首を傾げて主人の指示を待つ、紅玉の姿があった。
振り向くまでは、「誰が兄さんだ!」とか「お前の兄じゃない!」とか、そんな返答をしようと思っていたのに、その顔を見たら、色々と気分が削がれてしまう。
「··········勝手にしろ」
やったー、と本人の許可を得た紅玉は、嬉しそうに笑みを浮かべる。そんな様子を見て、趙螢も自然と笑みが零れた。この数日、心配と不安ばかりで笑えていなかったことに気付く。
(······慶螢、きっとこの方たちが、お前を助けてくれるはずだ。だから、もう少しだけ辛抱してくれ)
そう、願わずにはいられなかった。
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