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第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。

1-2 仙人に頼めばなんでも解決できるだろう、説。

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 手持ちの唯一の財産である林檎ひとつで、今日の宿を見つける。

 藍玉ランユ―のその突拍子もない発言に、ふたりはただ首を傾げていたのだが、その詳細を説明された後、なるほど、と感心した。

 主がやろうとしているのは、所謂、物々交換というやつだ。
 お互いが欲しいものを渡すことで交渉が成立し、自分たちにとって大したものでなくとも、相手にとっては必要なものであることが条件になる。

 だがしかし、この"ただの林檎"を、今すぐに欲しいと思う者がはたしているだろうか。ふたりの不安をよそに、藍玉ランユ―は自信満々なのである。

「じゃあこの林檎は、この中で一番運の良い翠雪ツェイシュエが持ってて」

「はあ····で、その辺りの屋台でも買える、何の変哲もないただの林檎を、一体誰が欲しがるというんです?」

 それは、と藍玉ランユ―が口を開くや否や、三人の前に上質な衣を纏った中年の男が現れ、翠雪ツェイシュエをまずはまじまじと眺め、それからその手の中の赤い実に目を止めた。

「道士様!いや、仙人様!どうか私にその林檎を譲ってはくれませんか?」

 白い道袍の上に若草色の衣を纏う彼は、見た目は若いが、その中性的で美しい容貌もあり、道士というよりそれを修めた仙人に見えなくもない。道士だとしても、有名な門派の師や道長どうちょうと言っても通じる風格を持っている。

「どうされたのですか?」

 すかさず藍玉ランユ―が、いつもの人懐っこい笑みを浮かべて訊ねる。身なりの良い男は、どこかの名家の公子のような雰囲気を持つ、若い青年に対して安心したのか、事情を話し始める。

「はい、実は、私の息子が数日前から原因不明の病に罹りまして、医者ではどうにも解決できず、祈祷師に頼んでみてもらったのです。そうしたら、その病は私の商売で損をした者がかけた、呪いのせいだと言われまして、」

「それでどうして林檎なんだ?」

 怪訝そうに碧雲ビーユンが訊ねると、眉を寄せた彼を怖いと思ったのか、男はびくっと肩を揺らした。よく見れば腰には剣を佩き、背中には弓を背負っており、秀麗な顔をしているが、逆らってはいけないような雰囲気があった。

 彼がこういった反応をされるのはいつものことで、他のふたりが人当たりが良さそうな顔をしている為、常に不機嫌そうな顔をしている彼は、より恐ろしく見えるのだろう。

「は、はい。その者が言うには、仙人様が手に持っているものならば、なんでも良いと。しかし仙人様などそうそう現れるわけもなく、途方に暮れていたところだったのです」

「そうだったんですか。もしよかったら、この仙人様から息子さんを診てもらうというのはどうです?その祈祷師さんの考えが本当かどうか、確かめる意味でも」

「え?いいのですか!?」

 翠雪ツェイシュエは男のその勢いに対して、思わず後退あとずさりしてしまう。

藍玉ランユ―!あの子、また適当なこと言って!) 

 そう心の中で訴える翠雪ツェイシュエを知ってか知らずか、藍玉ランユ―は男の後ろで舌を出した後、翠雪ツェイシュエに向かって両手を合わせ、「ごめんね」と口だけ動かして見せた。

 とりあえず林檎は男に渡し、三人は彼の後ろを付いて行く。市井しせいのある商業区から離れてしばらく歩くと、立派な邸の前に辿り着いた。

 どうやらこの辺りでも指折りの商家のようで、使用人や商売のために雇われた者たちも大勢いた。

 広い庭には商売の品が入っているのだろう、大小様々な箱が並べられており、男の話から、装飾品や布を扱う行商だということがわかった。

 通された客間も、三人くらいなら十分な広さで、ひと通りの家具も揃っているようだった。藍玉ランユ―たちは、それぞれ客間に添え付けられた高そうな椅子に腰かけ、男を待つことにした。

「今日の宿は、とりあえずなんとかなったかな。息子さんがその祈祷師の言うように本当に呪われていたら、成功報酬も貰えるかもね」

 逆にただの病であれば、自分たちにはどうすることもできない。

藍玉ランユ―、これは偶然?それとも必然?まさか、確信犯じゃないでしょう?商家の息子が原因不明の病なんて、そんな噂話、誰もしてませんでしたよね、」

「さあね、どうかな?僕は何も知らないよ」

 惚けているのか、やはり確信犯なのか、どちらなのかわからない言い回しで、藍玉ランユ―は肩を竦めた。考えてもしようがないだろう、と碧雲ビーユンは艶のある丸い机に頬杖を付いた。

「そういえば、あのひとが言っていたもうひとりの道士様って、どんなひとかな?」

 ここまでの道のりで、男は息子が病に倒れた後に邸を訪ねてきたという、道士の存在を明かしてくれた。祈祷師に呪われているせいだと言われたすぐ後に現れたので、少し疑いつつも、この邸に置いていたらしい。

 もし何か企みがあれば、近くに置いておいた方が良いと思ってのことだそうだ。商売の見極めが得意な商人特有の、勘みたいなものがあるのだろう。道士が言うには、邸全体になにか悪い気が流れているとのこと。

 その悪い気の原因を確かめるため、運が良ければ息子の病の原因を見つけるためにも、という理由で滞在しているそうだ。
 確かに少し胡散臭い気もする。

「いいですか、その道士がどの程度の力の持ち主かによって、俺たちがなんであるか・・・・・・も、わかってしまうかもしれないんですよ?」

「僕は大丈夫だけどね」

「私もまあ、大丈夫でしょうね」

 ふたりは"なんてことはない"という顔で、ひとり要らぬ心配をしている碧雲ビーユンの方を同時に見てくるので、ますます不機嫌になり、眉間に皺を寄せた。

「まあ、僕たちがなんであるか・・・・・・はいいとして、息子さんを助けられたらいいよね」

 それは本心からで、藍玉ランユ―は穏やかな笑みを浮かべて呟いた。それにはふたりともそれ以上なにも言うことはなく、各々くつろぎ始める。

 そんな中、こつこつと扉を叩く乾いた音と、中年の男の声が部屋に響く。


 開かれた扉の先には、この邸の主である男と、その横にもうひとり、白い道袍どうほうの上に黒い衣を纏った、冷淡そうな顔つきの青年が立っていた。


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