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第二章 鳳凰
2-28 揺るがぬ想い
しおりを挟む鳳凰が去ってもなお、鳴り止まない歓声の中、豊緋は目の前で起こった出来事に対し、思考が上手く働かない状態で、呆然と目の前の者を見上げていた。朱雀の神子。名ばかりの道具。その価値は宗主になった時点で無くなる消えモノ。
豊緋の中では今、周囲の音が消え、目の前は真っ白で、そこに在るのはあの花嫁衣裳を纏った神子だけだった。翡翠色の大きな瞳。可愛らしさの中に美しさを秘めたその容貌は、この地では珍しい。金の糸で描かれた鳳凰と美しい花の模様の赤い羽織が否が応でも目に入る。
「鳳凰の儀はこれでお終い」
その意味を、豊緋は理解できていなかった。朱雀の神子は白獅子と蓉緋にそれぞれ視線だけ向け、その意を汲んだふたりが前に出た。
「皆、聞いてくれ。この地の朱雀の守護が再び戻った。彼の地で眠っていた神子が今生にて転生し、本来の鳳凰の儀が行われたのだ。以降、この鳳凰の儀は宗主を決めるという間違った儀式を改め、本来のあるべき姿に戻す」
蓉緋の声が舞台に響く。その内容は民たちにとって喜ばしいことで、一族の者たちにとってはそれぞれに想うところがあった。
「他の一族は世襲制でその直系の者の中から継承されるが、緋の一族はそれに該当する者がいない。故に本来のあるべき姿、つまり朱雀に認められし存在が宗主となる。その証を、先程の朱雀の顕現の際、ここにいる蓉緋が賜った」
虎斗がその横で蓉緋の右腕を捲り、そこに在る赤い入れ墨のような炎の印を見せる。これは、蓉緋にも知らされていなかったことで、一番驚いていたのは彼自身だった。
(いつの間に····?)
古き伝承、この国の事細かな記録や歴史を知るのも白獅子となる者の役目で、虎斗はそれを知っていた。今回の鳳凰の儀において、蓉緋が相応しいのは間違いなく、本当に史実通り印があるかどうかは運任せだった。
(証がなければ、説得力に欠ける演説になるところだった。まあ、一か八かだったけれど、どうやら正しかったようだ)
あの神秘的な朱雀の降臨によって、その直前までのびていた者たちも今は目を覚ましており、その現実を思い知らされる。この地の守護聖獣が認めた者を、いったい誰が咎められようか。
彼らの中で、蓉緋はただ気に食わないという理由だけで反目していただけに、今更手のひらを返すようなこともできない。
そんな中、内心動揺していた蓉緋がいつもの調子を取り戻すと、掴まれていた腕を虎斗から解放し、すぅと息を吐いた。
「俺は、この地を豊かにしたい。平等にしたい。皆が普通に暮らせるようにしたい。そして民を守るために在る本来の形に、一族の意識を戻したいと思っている」
無明は豊緋の様子を視界に入れながら、蓉緋の言葉を聞いていた。
蓉緋の願い。それは本当にささやかなものなのに、この地では夢のような願いだった。
この二年で少しずつだがそうなるように努力してきた。しかし、いくら蓉緋たちがそうしようとも、他の者たちが違う方向を向いていたら叶うものも叶わない。それをひとつにまとめるのも宗主の役目だが、たった二年ではやはり難しかった。
「だから信じて欲しい。俺たちは変わる。皆の期待を裏切らない。そのためにも、俺も皆の話を聞く。俺が間違ったことをしたら、皆で正して欲しい。俺たちは良くも悪くも、この緋の一族の血で繋がっている。どうか俺に、皆の力を貸して欲しい」
その場に跪き、蓉緋は拱手礼をして頭を下げた。その姿に、場外に座り込んでいた者たちは呆気にとられる。まさかあの蓉緋が自分たちに頭を下げるなんて、夢でも見ているのか。それくらい、印象的な姿だった。
「蓉緋様に従います」
花緋はその傍らに片膝を付き、迷いのない瞳で淡々とした声でそう言った。それはいつも通りの彼だったが、どこか晴れた表情をしており、対峙したことによってよりその気持ちが高まったのだろう。
「····俺も、少しくらいなら貸してやってもいいぜ」
蓉緋にやられた者たちのひとりが、ふんと横を向いて言い捨てる。それに続くように、俺も、俺もだ、と次々に声が重なっていき、やがてその熱い想いが民たちにも伝わり、再び歓声が上がった。
それくらい、蓉緋の言葉や行動は、皆の心になにか訴えるものがあったのだろう。
それに対して、豊緋はゆっくりと首を振り、ぶつぶつとなにか呟き出す。その大きく見開いた眼はどこか狂気に満ちていた。
無明は他の者たちが蓉緋に注目している中、その姿を目の当たりにし、悲し気な表情で様子を見守るに留まる。
(それが正解。あなたがそいつになにかしてあげる義理はないし、たぶん届かない)
逢魔が横で肩を竦め、嘆息する。それはわかっているのだが、これを解決しなければ、結局は同じことが起こるだろう。
どうしたものかと模索していた無明の想いとは反して、豊緋の姿がその場から消える。
「豊緋さんがいない····逢魔、わかる?」
逢魔はすぐに無明の問いに応じる。そしてその視線はある場所へと向けられた。
(あいつ、なにをする気だ?)
あの一瞬の隙に、豊緋は紅宮の者たちが座る席の方へと向かっていた。姚泉と眼が合う。逢魔は怪訝そうに眼を細め、その行動がなにを意味するのかをすぐに察する。
観衆の誰もが舞台に集中する中、短い女の悲鳴が響く。それに気付いた者がさらに驚いた声を上げ、周囲の視線が一斉にある場所へと注がれた。
「姚泉様!」
「駄目よ、離れていなさい」
でも! と側近の宮女、桃色の上衣下裳を纏った白桃が動揺した声で叫ぶ。姚泉は冷静な声で皆に近付かないように指示し、自分が置かれている状況にさえ余裕の表情で構えていた。
「ぜんぶ、この女のせいだ! 女狐が!」
姚泉の首を片腕で絞め、もう片方の手に握りしめた刃物を目の前に翳して見せる。逢魔はこの状況が不思議でならなかった。
あの姚泉が後ろを簡単にとらせるとは思えない。それに彼女が気付かなかったわけがないのに、なぜこんなことになっているのか。
(まさか、馬鹿なこと考えてるんじゃないよな?)
眼が合ったままの姚泉の唇が、ふっと笑みを浮かべた。
「俺は、この女に唆されたんだ! 俺は悪くない! 悪いのはこの女だっ」
もはや豊緋の言い分など誰も信用しないだろう。しかし、姚泉はくすくすと笑い出し、周りの者たちは困惑する。
「姚泉様、なにをする気なの?」
「豊緋が、じゃなくて?」
不安そうに無明が呟く。その横にはいつの間にか蓉緋がおり、眉を顰めていた。この状況はどう見ても豊緋が姚泉に八つ当たりをし、亡き者にしようとしているようにしか見えなかった。
(俺が、誰も傷付けないで、って言ったから?)
そう思っていた無明の心を見透かすように、姚泉は動かせる範囲で小さく首を振った。
そんな無明たちをよそに、民たちが豊緋に対して非難の声を浴びせる。もちろんそんなものに心が揺れるようなことはなく、錯乱している豊緋は狂ったように笑い出す。
「あはは! よく見ていろ! この女は人間じゃない、女狐でもない! 人間を殺し喰う恐ろしい妖鬼なんだ! 俺がこの手で証明してやる!」
振り翳していた刃物が、勢いよく姚泉の首を切り裂いた。飛び散った赤に、宮女や周りの者たちが悲鳴を上げる。
「姚泉様! 姚泉様になんてこと!」
泣き叫びながら無謀にも飛びかかろうとしていた宮女に、姚泉を投げ捨てた豊緋が腰に佩いていた刀剣を抜いて返り討ちにしようとしたその時、手の中の刀剣が両腕ごと後ろへ飛んでいく姿が自身の目に入った。
ぼたぼたと地面に零れ落ちていく鮮血に、周囲の者たちも思わず目を覆っている。動揺した豊緋は真っ青な顔で叫び声を上げた。
「ぎゃあぁああ! 腕! 俺の····俺のっ」
そして目の前で血の付いた刃を振る花緋を見た途端、豊緋の蟀谷に青筋がはしる。
「あの妖鬼の存在を赦すのか! お前も! 蓉緋も! これで終わりだっ」
「いい加減にしろ。その眼でよく見て見ろ。どこに妖鬼がいる? お前が斬り捨てた者がなにかもわからないのか?」
凍るような眼差しと冷たい声で、花緋は倒れている姚泉を見るように視線を向ける。そこには水溜まりでもできたかのように広がる血に塗れた、ひとの姿のままの姚泉が横たわっていた。
「馬鹿な····そんなはず······がっ!?」
妖鬼は弱るか死ぬと本来の姿を現す。しかしそこで絶命している女は、いつまでもあの美しい女のままだった。
目の前の事実に呆然としている中、頬に強い衝撃がはしり、豊緋はそのまま後ろに倒れ込む。
目の前に立ち塞がるその者は恨みに満ちた目で拳を握り締め、足元に落ちていた刃物を震える指でゆっくりと拾い上げた。
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