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第一章 花轎
1-16 老陽
しおりを挟む――――時は昨晩に遡る。
光焔の地。緋の一族の住まう宮の真下。地下に広がる、岩漿洞の奥深く。到底普通の人間が来ることは叶わないその洞の突き当りにあるのが、朱雀、老陽が身を置く炎帝堂である。
逢魔は涼しい顔でそこに降り立つと、堂の周りに張られている結界を無視して中へと入った。神子の眷属である逢魔にとって、まったく意味を持たないその結界は、あくまでこの堂を隠すための結界であった。
その先にある堂は鉄の扉で閉ざされていたが、逢魔はそれを片手で難なく開ける。扉の先に待っていたのは、二十代後半くらいの色白で妖艶な顔立ちの、朱色の瞳の青年だった。
白い髪紐で緩く結んだ、背中の真ん中から先の部分だけ明るい朱色をした細く長い黒髪。右耳から下がっている白と赤の羽根飾りが目立つ。
裾の長い白い衣に腰帯は黒色で、金の糸で鳳凰が悠々と羽ばたいている模様が描かれた、臙脂色の羽織を纏っていた。
彼こそが、この光焔の地を守護する四神、朱雀である。
「老陽兄さん、お久しぶり」
逢魔の軽い調子の挨拶に、老陽はゆっくりと振り返る。
「なんだ、逢魔か。神子は一緒じゃないのかい?」
「見ての通りだよ、」
肩を竦めて、逢魔は老陽の方へ歩を進める。相変わらず全体的に目がチカチカする色合いの彼は、残念そうに「はあ、」と嘆息する。
「麗しい私の神子に逢える日を、どんなに待ち望んだことか」
「老陽兄さんにひとつ提案があって来たんだ」
老陽の台詞を完全無視して、逢魔は自分の要件を伝える。
「今回の神子は、みんなから聞いてると思うけど昔の記憶がほとんどないんだ。最初の太陰兄さんの時の契約で、前の神子から色々教えてもらったみたいだけど、まっさらな状態なんだ。だから、最初の印象って大事だと思わない?」
逢魔はにこやかに軽い口調でそう言った。それに対して、老陽は顎に手を当て、首を傾げている。
「私の神子が、私に対してどう思うか、ということかな?」
「そう。老陽兄さんは、顔はすごく良いじゃない?背も高くて格好良いし、声だって素敵だ。でも、少し困った癖がある」
遠回しに貶したり褒めたりしながら、逢魔は話を続ける。老陽はふむと考える。困った癖とはなにか、自分では解っていないのだろう。
「今の神子は、その癖に対してあんまり免疫がないから、それをしちゃうと兄さん、たぶん嫌われちゃうかも」
「嫌われる?この私が?私の神子に?」
あんたのじゃないけどね、と逢魔は心の中で毒づくが、あえてにっこりと笑みを浮かべた。
「そうだよ。兄さんは、神子に嫌われたい?好かれたい?」
「もちろん、好かれたいに決まっている」
「じゃあ、俺のお願い、聞いてくれるよね?」
「神子のためならば、」
逢魔はにやりと笑みを浮かべ、それから老陽に手招きをする。老陽は逢魔の方へ耳を寄せ、ひそひそと囁かれる声に頷きながらその提案を呑み込む。
「俺も一緒に兄さんのお手伝いをしてあげるから、安心して任せてよ」
「さすが逢魔、君は賢い子だ」
老陽はそう言って、満足げに微笑むのだった。
******
炎帝堂がある岩漿洞へと続く地下への入口は、緋の宗主がいないと開かない扉の先にある。蓉緋はここに来るのは四度目で、一度目は宗主になった二年前、二度目はつい最近奉納祭のために宝玉を持ち出し、三度目はそれを戻した際だった。
腰に下げている透き通った朱色の玉佩を手に取り扉の窪みに翳すと、ぴったりとその窪みの形にはまった。途端、大きな音と共に、目の前の天井まである鉄の扉がゆっくりと外側へ開かれて行く。その隙間からすでに熱気が漏れ出し、無明は一瞬息が止まりそうになった。
そ、と肩を抱き寄せられ、蓉緋のすぐ傍に立つと、不思議なことに先程までの熱気が全く感じられなくなった。
「俺から離れない方が良い。吸い込んだ熱で喉が焼けて死ぬ」
玉佩を腰に下げ直し、蓉緋は無明にそう言い聞かせる。これは脅しでも冗談でもなく、本当に危険なため、いつになく真剣な眼差しだった。
半分だけ開いた扉の先へ足を進める。扉の先はまったく別世界だった。岩漿洞と言うだけあって、全体的にごつごつした岩場が広がっていて、扉から真っすぐに伸びた道以外道はなく、その両端に流れるどろどろの赤く光る岩漿に、珍しく無明は怖いと思った。
「間違っても触れないことだ。骨になりたくなかったらな」
蓉緋は無明の肩を抱いたまま、再びゆっくりと歩き出す。
「蓉緋様、ひとつ聞いてもいい?」
歩きながら、無明は視線だけ蓉緋の方をちらりと向ける。
何を聞きたい?と蓉緋は優し気に眼を細めた。
「どうして宗主になろうと思ったの?白鷺様に頼まれたから?」
「なんでそう思う?」
「うーん。なんだか不思議で」
首を傾げる無明に、蓉緋はふっと口元を緩める。
「君になら、教えてやってもいい。だが俺のことを知りたいなら、それに相応しい見返りが必要だ。たとえば······」
「たとえば?」
「俺にも君と同じものを見せて欲しい」
それはとても抽象的すぎて、無明はますます首を傾げる。同じものを見せて欲しいとは、どういうことなのか。
「そうだな、神子である君のその眼には四神の姿が見えると聞く。俺は自分の眼で見たモノしか信じない性質だから、この地を守護している朱雀サマとやらをぜひ見てみたい」
「老陽様を?でも、俺も初めて会うんだ。仲良くなれたらお願いしてみるよ、」
お願いして、神子以外に見えるようにできるのかはわからないけれど、きっとできそうな気がする。
「じゃあ、約束」
蓉緋は右手の小指を立てて、無明の前に差し出す。
「うん、約束!」
無明は何の躊躇いもなく、その指に自分の小指を絡ませた。その少しの疑いもない素直な笑顔に、蓉緋は自分からしておいて固まってしまう。いつまでも放れない指に無明が首を傾げるまで、ただじっと飽きもせずに見つめていた。
こんな子供じみた約束を、本気でしてくれる者など、今までいなかった。
胸の辺りがじんわりとあたたかくなるような、そんな優しいなにかが、蓉緋には理解できずにいた。
けれども、繋いだその指は、確かに――――。
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