彩雲華胥

柚月なぎ

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第一章 花轎

1-12 友として

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 あの宗主の突然の求婚により、宴は早々に切り上げられた。

 その夜、竜虎りゅうこはいつものように白笶びゃくやに稽古をつけてもらっていた。
 あんなことがあったというのに、白笶びゃくやはいつも通りちゃんと教えてくれる。しかし、どこか余裕がないように見えなくもない。
 気のせいかもしれないが。

 本当は稽古が始まる前に、あの話を聞いてもらおうと思っていたのだが、竜虎りゅうこは完全に機を逃してしまっていた。

「······今日は、これで終わりにする。ゆっくり休むといい」

「え?はい。ありがとうございました」

 少し物足りない気もするが、白笶びゃくやはそう言うと竜虎りゅうこに背を向けた。やはり、相談の件を完全に忘れられている。
 いつも通りだと思っていたのは、間違いかもしれない、と竜虎りゅうこは思い直す。
 思い切って、その背に声をかけた。

「師匠、いえ、白笶びゃくや公子、少しいいですか?」

 その呼びかけに、白笶びゃくやの足が止まる。そして身体半分振り向き、ゆっくりとその双眸がこちらに向けられた。その表情は、未だ竜虎りゅうこには上手く読み取れない。ただ、ひとつだけ解ることはある。

 今、彼は、とても焦っている、もしくは苛ついている、気がする。
 それもこれも、無明むみょうが悪いと、竜虎りゅうこは思っている。あのいつもの"人たらし"が、今の状況を招いたのだ。事もあろうか、この地、光焔こうえんの一族の宗主に求婚されたとあれば、大問題だ。

 とりあえず適当な場所に腰を掛け、ふたりは肩を並べて座る。

(う······慣れたと思ったのに、なんか気まずい)

 義弟である無明むみょうと師である白笶びゃくや。ふたりがどういう関係になっているか、そんなことは言わずもがな、だ。

 竜虎りゅうこはあの日、玉兎ぎょくとの宿での光景が思わず浮かび、首を振って散らす。朝陽が部屋に降り注ぐ中、同じ寝台で眠っているふたりの手首が、それぞれ赤い髪紐で一本で結ばれていて、不覚にも美しいと思ってしまったことを思い出す。

 後で白笶びゃくやになんとなく遠回しに聞いてみたのだが、あれは目覚めない自分と夢の中で繋がるために、無明むみょうが術を使ったらしい。

「あの宴でのこと、気にしてますよね?あいつ、誰とでも仲良くなるから、見てるこっちは気が気じゃないっていうか」

 本当の無明むみょうを知る、自分や白笶びゃくやにとって、なによりもその脆さが心配だった。

「俺、伯父上に一緒に来ないかって言われて、すぐに返事が返せなかったんです。紅鏡こうきょうに戻るまでは、どうしても無明むみょうの傍にいたいと思ってて。あいつが紅鏡こうきょうに戻った時、どんな扱いを受けるのか想像もできなくて」

 今までが今までだっただけに、手のひらを返したような態度を取られても、きっと無明むみょうは嬉しいとは思わないだろう。
 
 それに、神子みことして同じ地にずっと留まることはないのだ。いずれはまた旅立つ。その時も一緒に、とは竜虎りゅうこは願ってはいても叶わないと知っている。

「それで心配ないと確信が持てたら、白獅子である伯父上の許で各地を回りながら、今みたいに一族の問題をひとつずつ解決して回りたいって思ってるんです。その旅の中で、縁があればまたきっと逢えると、そう信じて」

 だから、もう、答えは決まっているのだ。

 今は、まだ、一緒にはいかない。
 でも、いつか、理想とする伯父のようになりたい、と。

「俺、まだまだ強くなれますよね?」

「ああ····まだ教え足りないほどだ」

 ふっと本当に少しだけ口元を緩めて、白笶びゃくやは微笑を浮かべる。その美しいさまに、竜虎りゅうこは不覚にも息を呑む。無明むみょうの前でしかそんな風に笑わない白笶びゃくやを知っているだけに、その破壊力は抜群だった。

(あいつ······よく、この顔を見て、いつも平気でいられるな)

 自分も、少しは彼に認められているという事だろうか。気を許してもらえているなら、嬉しいとさえ思う。
 こほん、と咳ばらいをして、竜虎りゅうこは本題に入る。

 自分の事は話したのですっきりしたし、言葉にしたことで、揺らいでいた心も決意を固められた。

 本題、それは、白笶びゃくやにとっての大問題の方、だ。

「それで、どうするつもりですか?あいつ、明日は朱雀の契約のために宗主とふたりで炎帝えんてい堂って所に行くんですよね?光焔こうえんの地下にあるっていう。ふたりだけで行かせて大丈夫なんですか?」

 炎帝えんてい堂がある地下は、の一族が持つ能力がないと先に進めないらしい。故に、かつての神子みこの契約の際も、華守はなもりは外で待っているしかなかった。

 白笶びゃくやはそれに関して、私情を挟む気はなく、ただ、確かに心配ではあった。その心配は、蓉緋ゆうひのことではなく、朱雀、老陽ろうようの方にある。

「あそこには朱雀、老陽ろうよう様がいる。無明むみょうが心配だ」

「え?どういう?蓉緋ゆうひ宗主のことじゃなくて?」

「······蓉緋ゆうひ殿は、まだマシだ。その比ではない」

「え?あれ以上········逢魔おうまくらいってこと、」

 あの距離感も十分におかしいが。

「······それどころでは、ない。神子みことわかれば、あの方は無明むみょうを、」

 そこまで言って、青ざめる白笶びゃくやを見て、竜虎りゅうこは想像するのが怖くなった。

「と、とにかく、師匠から無明むみょうに言ってやってください!へらへらせずに、隙を見せずに、真面目に、やれと!それで、自分以外の人間に変に気を持たせるなと!自分だけ見てろ!って。これは、弟子としてではなく、あいつの義兄としてでもなく、友としての助言です!」

「········う、うん?」

 突然、肩をがっしりと掴んで捲し立てる竜虎りゅうこの勢いに圧され、白笶びゃくやは無表情ながらも動揺し、ゆっくりと頷くのだった。

 竜虎りゅうこは言いたいことを言ってすっきりし、ひとり立ち上がると、珊瑚宮のある方へと駆けて行った。

「········友?」

 残された白笶びゃくやは灯篭の明かりの下、空を見上げる。闇空には三日月が浮かんでいた。昼の蒸し暑さは消え、今は丁度良いくらいだ。満点の星空は澄んでおり、岩壁がなければずっと先まで見えていた事だろう。

「私だけを········見て欲しい、」

 ぽつり、と竜虎りゅうこ無明むみょうに言えと言った言葉を呟いてみる。そんな言葉を、宵藍しょうらんにさえ言ったことはない。彼はよく自分に言っていたが。正直、彼しか見ていなかったので、どうしてそんなことを言うのか不思議だった······。

「君も、あの時、こういう気持ちだったのか?」

 ぐっと胸元を強く握り締める。薄青の羽織の下に纏う、白い上衣が皺で歪んだ。
 この気持ちは、なんと言えばいいのか、この辺りが痛くなる。

「君って、神子みこのこと?」

 後ろから聞こえてきたその声に、白笶びゃくやはゆっくりと振り向く。月の光と灯篭の橙色の光が混じって、いつもよりも顔色が良く見える。

「········無明むみょう?」

 そこには、腕を後ろに回し、白笶びゃくやの右の肩越しに、覗き込むように腰を屈めて立つ無明むみょうがいた。自分の顔の近くにあるその笑みは、どこまでも美しく、どこまでも儚かった。



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