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第五章 欲望
5-25 赦さない
しおりを挟む領域結界を展開し、黒い狼の姿で駆け抜けてきた逢魔は、一瞬にして人の形に戻る。途中、金虎の公子と姮娥の娘とすれ違ったが、かまっている余裕はなかった。一緒に駆けて来た少陰も同じだろう。
一方的に顔見知りである姮娥の少女を一瞥し、逢魔の領域結界の中に入った。
少陰は白虎の姿を解き、十歳くらいの少女の姿に変化する。肩の辺りで切り揃えられた真っ白な髪の中に、左右ひと房だけ黒い髪が混じり、頭の天辺の白いふさふさの猫耳が、ぴくぴくと反応していた。
指先が見えないくらいの袖の長い白装束を纏う少陰は、首に付いた赤い紐飾りにぶら下がっている金色の鈴をぎゅっと握り締める。
「········なんということじゃ。これでは迂闊に手が出せぬ」
目の前の光景は、最悪以外の言葉が見つからない。白を基調とした神子装束を纏う無明は、ふらふらと身体を揺らしながら、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
「華守、お主、どうするつもりなんじゃ?まさか神子とやり合うつもりじゃなかろうな?」
「金虎の少年の力を使えばいいんじゃないの?さっきすれ違ったよ?」
ここに来るまで、無明が宝具の力で操られているとは知らなかったふたりは、この事態に戸惑う。
白帝堂で待機していたのだが、宝玉が突然ひび割れ、そのまま砕ける様を目の当たりにし、慌ててこちらにやって来たのだ。
ただならぬ事態になっていることは察したが、まさかこんなことになっているとは、夢にも思わなかった。宝玉が砕けた今、一刻も早く白虎の加護をこの地に齎さなければ、いよいよ大変なことになる。
抑えていた陰の気や穢れがこの地を覆い、取り返しのつかないことになる前に、無明を正気に戻さないといけない。後回しにしてしまったことを、今更ながら後悔する。
「病鬼は特級の妖鬼、梟の変化能力による惑わしだった。実際は疫病ではなく、呪い。傀儡になった百人以上の民にかけられた術と、四天の陣を広範囲で無効化したため、今の竜虎には無理だろう」
「これも奴の策の内ってことかな。選択肢を与えているようで、実は一択しかないっていう、」
人の心理を利用した常に盤石なその策に、この数ヶ月、何度翻弄されたことだろう。その中でもこれは、最悪の事態と言えよう。考えている内に、無明はもう数歩先という距離にいた。
瞳に光はないが、口許は優し気に微笑んでいる。まるで人形のように美しいその姿に、思わず息を呑む。その手には天響が握られており、横笛の先に飾られた赤い紐飾りがゆらりと揺れ、そのまま唇に当てられる。
嫌な予感がして、逢魔は少陰の手を掴み、そのまま抱き上げて後ろに飛んだ。白笶は逆に無明の方へと手を伸ばす。
その瞬間、甲高い笛の音が響き渡る。
「師父!」
思わず昔の呼び方で叫んだことに、逢魔は気付かない。それくらい、今は余裕がなかった。
笛の音が響いたその時、白笶の身体が地面に沈んだ。同時に地面が陥没し、その周りに砕けた欠片たちが、重力に逆らうように宙に浮かんでいた。
かはっと圧迫された身体が軋んで、内側からなにかが砕けた音がし、衝動的に血を吐き出す。大きな岩に、圧し潰され続けるかのように加えられる重力に、白笶でさえも四肢を動かせず、辛うじて地面に手を付き耐えていた。
(どうする?無明を傷付けることなく、白笶を救う方法、)
逢魔は、少陰を地面に降ろし、腰に差していた黒竹の横笛を手に取る。琥珀の玉飾りが付いたその横笛をじっと見つめて、頷く。
「どうするつもりじゃ?まさか、神子に邪曲を使うのではあるまいな?」
少陰は逢魔と無明を交互に見て、焦ったように声をかける。
「少陰姐さん、白虎の姿になってくれる?俺を乗せて、俺の足になってくれない?」
「それはかまわぬが······なにか良い手を思い付いたのか?」
まあね、と逢魔は少し困った表情で言う。よし、と少陰は宙返りをし、くるりと回って変化する。すると、大きな白と黒の模様の白い虎が目の前に現れた。逢魔は素早く白虎に跨り、口許に黒竹の横笛を当てる。
『姐さん、無明の気をこちらに逸らす。適当に走り回って』
『よし、まかせるのじゃ!』
頭の中に直接語りかけるように、ふたりだけで会話をする。
(使ったことないけど、あの譜術ならなんとかなるかも)
それは、幼い頃に始まりの神子が聴かせてくれた、いくつかの譜術の中にあったひとつ。無明に間接的に渡した、五枚の楽譜の中にある曲のひとつでもあった。
(譜術を反転させて相殺する。力を抑えれば、反動で無明が傷付くことはない、はず)
それは何とも奇妙な曲調だった。少陰は、下手くそで、滅茶苦茶な曲を奏でているかのようなその音に、耳をぴくぴくと動かさずにはいられない。
『おい、逢魔。お主、なんちゅう下手な笛を吹くのじゃ······耳が耐えられん』
『······こういう曲なんだよ、』
逢魔は苦笑を浮かべながら、続ける。
その効果があったのか、少しずつだが白笶が四肢に力を入れ、立ち上がろうと片膝を付くような体勢になっていた。
しかし、さらに甲高い音色が逢魔の音色を上書きするように鳴り響く。途端、白笶の身体が再び深く地面に沈み、同じくして足元の地面も抉れた。
身体の内側から齎される苦痛に、思わず顔を歪ませる。骨が砕け、臓器を痛めつけているのだろう。何度目かの血を吐き、拭う余裕すらなかった。
(無明、)
真っすぐに見つめた先に立つ、無感情で微笑む愛しい存在。
白笶は思わず目を瞠る。
微笑んでいるように見えた無明の瞳から、はらりと零れた一筋の涙に、底知れない感情が胸の中を渦巻いた。
――――――絶対に、赦さない。
白笶はゆっくりと地面に付いた両手に、陣を展開させる。逢魔の耳障りな曲が再び効果を取り戻したその瞬間に、その陣は地面に白い光を湛え、白笶の真下に広がっていく。
次の瞬間、辺りを眩い光が包み込み、同時に大きな衝撃音が響き渡った。
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