彩雲華胥

柚月なぎ

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第四章 謀主

4-22 文に託した想い

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「ちょ、ちょっと待って。そういうのは慣れてないのでやめて欲しいんだけど」

 拝礼を終え、顔を上げた藍歌らんかは、首を傾げて見上げてくる。逢魔おうまは首を振って、珍しく焦っていた。

 無明むみょうからの命は、届け物を置いて来るだけ、というものだったのに、まさか本人に出くわすとは思いもしなかった。

鬼神きしん逢魔おうま様。私の話を聞いてくださいますか?」

 そんな逢魔おうまのことなど露知らず、藍歌らんかは小さく笑う。そして縁側に置かれた文と小袋に視線を落とす。
 どちらも手に取り、文を広げて少し悲し気な表情を浮かべる。

無明むみょうからね。あの子は、気付いてしまったのね。私が、あの子が神子みこの魂を持つ赤子だと知っていて、隠していたことに」

光架こうかの民の役目は"記録"すること。神子みこの証であるあの印に気付かない方が不自然だった。当然、俺の事も知っていて、知らないふりをしていたんだよね、あなたは」

 無明むみょうが生まれたばかりの頃、逢魔おうまは黒い狼の姿でこの邸に入り浸っていたのだ。もちろん、邪悪なものから無明むみょうを守るために。

 生まれたその瞬間から、強い霊力を持ち、それを狙った妖者が押し寄せてきた。それは宗主によって祓われたが、その後は逢魔おうまが領域結界を張って守っていた。

 藍歌らんかはその黒い狼が赤子の傍にいても、追い払うことはなかった。それが何者かを知っていたからだ。

「私は、あの子が普通の子として、平穏に生きてさえくれればいいと、愚かにも思っていたのです。ここで、ずっと一緒に笑っていられたら、それで良かったのに」

「ごめんさない。俺は、逆だったよ。俺は神子みこを取り戻したいと思ってた。記憶がないのは、なにかの手違いで、きっかけさえあれば戻ると」

 けれども間違っていた。

 最初から、そんなものは消え失せてしまっていた。あの日、晦冥かいめいの地で邪神を封じた日に、消滅したのだ。それでも。

「それでも、あなたの子は、神子みこだった」

 同じ言葉をくれた。同じ魂を持つ、違う存在。

 藍歌らんか逢魔おうまの髪に飾られた赤い髪紐を見つけて、目を細めた。

 今の逢魔おうまは細くて長い髪を後ろで三つ編みにしており、その先に蝶々結びで赤い髪紐を結んでいた。ずっと昔、神子みこと一緒にいた時にしていた髪形だった。

逢魔おうま様。どうか、あの子を、無明むみょうをお守りください」

「もちろん。それにね、神子みこの傍には華守はなもりもついてる。ついでに金虎きんこの公子と信頼できる従者も、ね」

 小首を傾げて逢魔おうまが言うと、シャランと耳を飾る銀の細長い飾りが涼しげな音を立てた。
 ふふっと藍歌らんかは安堵したように明るく笑みを浮かべる。それを見て、逢魔おうまもほっとする。

 無明むみょうによく似たその顔で悲しげな顔をされると、どうして良いか分からなくなる。気を取り直して、小袋を指差す。

「それは、お守りみたい。肌身離さず持っていて?紅鏡こうきょうは安全ではないから」

「やはり、この地に、この中に、······裏切り者がいるのですね」

「まだはっきりとはわからないけど、用心するに越したことはないよ」

 はい、と藍歌らんかは頷き、鶯色の可愛らしい小袋を胸元で握りしめた。自分がここにいることで、無明むみょうが窮地に陥らないかだけが心配だった。

逢魔おうま様、無明むみょうに伝えてもらえますか?私に何かあっても、あなたは、この国の神子みこであることを忘れないで、と」

「······わかった」

 本当は。
 本当は、そんなことを伝えたくはない。もしものことなど、不安にさせるだけだ。
 しかし、なにかあった時に揺らがないように、藍歌らんかは決意せざるを得なかった。自分の事など、置いて行けと。

 逢魔おうまが去った後、文にもう一度視線を落とす。文にはこう書かれていた。

 "――――母上、身体はもう回復しましたか?風邪など引いてませんか?俺は、碧水へきすいの地で元気にやってます。

 白群びゃくぐんの一族の人たちはみんな良い人たちばかりで、友達もたくさんできました。外の世界は見たことがないものばかりで、見るものすべてが珍しく、俺の好奇心を満たしてくれます。

 もう話は聞いているかもしれませんが、俺はどうやら神子みこだったようです。母上はきっと、知っていたんですよね。俺を守るために隠していた。
 そう、俺は思っています。

 あの邸での日々は、俺にとって幸せな時間でした。母上とふたりだけだった、あのなんでもない時間が、今はとても恋しいです。

 自分の使命なんてよく解らないけれど、俺は俺のやり方で、歩いて行きます。母上はどうか自分の身を、今以上に大事にしてください。俺の事は心配しなくても大丈夫。俺の隣にはものすごく頼りになる人たちがいるし、竜虎りゅうこ清婉せいえんもいる。

 母上から貰った真名と同じ名を、ある人が口にしました。それを聞いた時、俺は生まれた時から神子みこだったんだと知りました。何の記憶もないけれど、確かに俺は、神子みこだった。

 でも、母上が俺の母であることは間違いないし、変わることはない。ずっと、これから先も、俺の母上でいて欲しい。俺が帰る場所であって欲しい。だから、なにも悔やむことはないし、謝って欲しくもない。

 俺は、母上が大好きだし、この旅が終わったら、一緒にたくさん話をしたい。あの縁側で、笛と琴を奏でたい。それまで待っていて欲しい。

 必ず、ここに戻って来るから。"


 藍歌らんかは頬を伝う涙を拭うことも忘れて、文を丁寧に折り畳む。どうか、無事に戻って来て欲しい。その顔を見せて欲しい。その時が来たら、話したいことがたくさんあった。
 
 瞬く星々に願う。
 どうか、あの光が闇で覆われることがないように、と。
 
 
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