92 / 231
第四章 謀主
4-6 悔恨と憂慮
しおりを挟む紅鏡。金虎の別邸。
明け方近くに、遠く北の空に咲いた薄青に光る陣を見上げ、藍歌はひとり愕然としていた。この国の五大一族や術士たちにしてみれば、朗報でしかないあの希望の光は、藍歌にしてみれば絶望でしかなかったのだ。
光架の一族は誰もが知っている。神子の証である、特殊な痣。無明が生まれた時に、それは小さな身体に花でも咲いているかのように浮かんでいた。五枚の花びらが集まったかのような、そんな模様の痣だ。
それを見た藍歌はすぐにその痣を布で隠した。赤子を蝕む強い霊力は、宗主に頼んで特別な宝具で抑えることができた。そして何者にもなれないように、無明という名を付けた。もうひとつの名は、本人にだけ伝えてある。
「結局、守れなかったのね、私は」
神子になど、なって欲しくなかった。それは苦の始まりでしかないからだ。この十五年間、晦冥は何事もなく、かつての闇はもう消滅したのかもしれないと期待もしたが、結局、ただ神子が本当の意味で目覚めるのを待っていただけだったのだ。
「あのまま、ここに閉じ込めておけば良かったの?ううん、きっと、最初から、こうなる運命だったのね、」
ただ平穏に、無事に、生きていてくれれば良かったのに。
「こうなったのは、私が愚かにも罠を見抜けなかったせい」
すべては点と点で結ばれており、物事には意味がある。
(敵は、金虎の中に入り込んでいる、ということ)
あの日から、ずっと、この時を待っていたのだろう。無明が力を解放し、他の一族たちの前でその姿を晒した時から。いや、もっと前からかもしれない。生まれたその瞬間から、こうなることは決まっていたのだ。
「けれど、きっと、あの子なら、」
何者にもなれないということは、何者にもなれる可能性があるということ。そしてもうひとつの名が、無明に光を齎すだろう。
藍歌はゆっくりと瞼を閉じる。祈るように。
(どうか、あの子をお守りください)
眩しい光の欠片が東の空に顔を出す。あの光は希望か、それとも。
動き出した歯車を止めることなど、誰にもできないと知りながら。
****
碧水。白群の白家。別邸。
清婉はあの騒動の間、負傷した術士たちの手当てを手伝ったり、薬を調合したり、とにかく休む間もなく内弟子たちに混ざって働いていた。内弟子たちはまだ実践に参加することは許されておらず、皆、もどかしい想いを抱えてるようだった。
酷い怪我を負った者もいたが、それでも誰ひとり欠けることなく、碧水の民たちも無事だった。白冰はあの言葉通り、この地を守り切ったのだ。
そして、あの光の雨。美しい紋様の陣が藍色の空を照らした時、神様でも降りてくるのかと思った。
事実、あれはこの地の四神、玄武の陣だったと後で聞いた。従者である清婉でもそれくらいの知識はある。
この地は四神と黄龍によって守られていたが、神子が生まれなくなってからは、その恩恵を完全には受けられなくなったという事。
無明が舞った、あの四神奉納舞を目にした時、まるで天女のようだと清婉は心の底から思った。
(無明様の傍にいると、不思議な事ばかり起こる)
まさかあの陣まで彼の仕業だったらどうしようかとも思ったが、白冰が言うには、なぜ玄武の陣が現れたのかは解らないらしい。あの白冰がそういうのだから、そうなのだろう。
(もしかして、この地に神子様が通りがかって、助けてくれたのかも)
などと、清婉はひとりで納得していた。昼に近い時間になっても、ふたりはまだここに戻って来ていない。そろそろ昼餉の準備をしないといけないが、どうしてもふたりを出迎えたくて、借りている別邸で待っていたのだった。
何の気なしに扉を開けて渡り廊下に出ると、遠くからふたつの影が近づいて来るのが見えた。ぱっと明るい表情になった清婉は、思わず名を呼ぶ。
「竜虎様、無明様!おかえりなさいっ」
かけられた声に、竜虎と一緒に戻って来た無明が、こちらにぶんぶんと手を振っている。
「清婉、ただいまー!」
その声は、いつものように明るく、見たところ、ふたりとも目立つような大きな怪我もしていないようだった。衣はだいぶ汚れていたが。
「すまないが、こいつに何か食べさせてやってくれ。腹が減ったと連呼して、喧しくてしょうがない」
「はい、すぐにお持ちしますね!その間に衣を着替えておいてください。脱いだ衣はこの籠に入れておいてくださいね?まとめて洗濯しますから」
「はーい」
無明は右手を翳して返事をする。やれやれと疲れた顔で竜虎がその様子を見ていた。
あんな大変なことの後でも、彼らは遊んで帰って来たかのような何でもないという顔をしているので、清婉もまた気が楽になった。
なにも聞かず、なにも知らないふりをするのが、従者の心得だと両親が言った。故に、清婉はふたりに何かを問うのは止める。
そして早足で厨房へと向かうのだった。
0
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった
たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」
大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?

嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
学園の天使は今日も嘘を吐く
まっちゃ
BL
「僕って何で生きてるんだろ、、、?」
家族に幼い頃からずっと暴言を言われ続け自己肯定感が低くなってしまい、生きる希望も持たなくなってしまった水無瀬瑠依(みなせるい)。高校生になり、全寮制の学園に入ると生徒会の会計になったが家族に暴言を言われたのがトラウマになっており素の自分を出すのが怖くなってしまい、嘘を吐くようになる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿です。文がおかしいところが多々あると思いますが温かい目で見てくれると嬉しいです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる