彩雲華胥

柚月なぎ

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第三章 氷楔

3-22 今是昨非

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 夜が明け、日が出るまであと一刻いっときほどだろうか。
 氷楔ひょうせつの中はまだなんの変化もないようだ。この中で何が起きているかなど、知りようもないが、なんだか不安を覚える。

(早く戻って来て······そして、あの時みたいに、笑いかけて欲しい)

 無明むみょうが幼い頃、狼煙ろうえんはずっと傍で見守っていた。無明むみょうが危険に晒されたり、ひとりではどうにもならないような時に、目の前に現れて直接助けていた。

 その時は決まって、記憶に残らないように自分の事は頭の中から消して、けれども自分の中には、その時の出来事のすべてがしっかりと残っている。

(同じ顔で、同じ瞳で、同じ言葉で、あなたはいつも俺を救ってくれる)

 この金眼を綺麗だと褒めてくれた。こんな、忌々しい瞳を。

 記憶などないのに、あのひとと同じ言葉を紡いでくれる。あのひとではない、あのひとと同じ存在。

 ふと、狼煙ろうえんの瞳が伏せられる。どうしてもうひとりのあのひとは、ここにいないのだろう?

 きっと、誰よりもあのひとに逢いたいはず。

(······あんたが生きていたら、良かったのに)

 ここにいたら、良かったのに。そうしたら、また、昔みたいに――――――。

 そこまで考えて、狼煙ろうえんは首を振る。そんなことは、考えても無駄だと。だって、あのひとは、目の前で死んだ。

 どんなに強くてもひとの身体は脆く、死んだらもうどうにもならない。ましてや、何百年も生き永らえる存在でもない。

(なんでここにいるのが、よりにもよって、あの公子殿なんだ?) 

 無明むみょうの傍からほとんど離れず、必要以上に手を貸すその様子を、何度となく目にしてきた。その笑顔を、すべての表情を向けられても、ほとんど無反応なのが、特に気に入らない。

 まるで。

(あれ······?俺、今、なんて言おうとした?)

 神子みこの傍にいて、神子みこの言葉に頷くだけか、もしくはひと言ふた言しか返さない、つまらない男の姿がふと浮かんだ。

 まるで、あのひと、のようだ。

 狼煙ろうえんは今更ながら、あの公子が無明むみょうを助けたあの日からの記憶を、辿る。あの時も、あの時も、あの時も。

 彼は、無明むみょうになんと言っていたか。

 しかし、なぜそうだと伝えないのか。伝えたところで記憶がないから、無意味だと思ったのか。
 
 じゃあどうして、自分にはそれだと教えてくれなかったのか。最初に会ったのは、三年くらい前だった。ひとりであの渓谷に現れ、少年は自分に向かって何と言ったか。

「私と手合わせ願いたい。渓谷の妖鬼がどの程度かこの目で確かめたい」

 一応、仮にも特級の妖鬼と術士たちに謳われている自分に、そんなことを言う少年、というか、人間は初めてだった。

 もちろん少年が勝てるわけもなく、適当に相手をして帰ってもらおうと考えた。しかし、去り際に何と言ったと思う?

「次に会う時は、本気でかかって来い。手を抜かれても嬉しくない」

 汚れた頬を拭いながら、無表情な少年はふんと背を向けて去って行ったのだ。

 この時ばかりは、さすがの狼煙ろうえんも腹が立ったのを覚えている。こっちは気を利かせて手を抜いていたというのに、だ。

 もしかして、この何百年という月日の中、何度となく、違う姿で自分の前に現れた彼らは、あのひとだったのではないか?

 思い出してみれば、皆あんな感じの少年だったり青年だったり。とにかく無愛想な人間だったが、決まって手合わせを願い出た。

(なにそれ。なんで今更そんなことを俺は思い出している?)

 様々な推測が頭の中を急に駆け巡ったせいで、狼煙ろうえんは思わず頭を抱えてしゃがみ込む。自分が発した言葉の数々を思い起こしては、ただただ落ち込む。

 気付いてしまったことを言うべきなのか。気付いていないふりをすればいいのか。けれども気付いてしまえば、目で追わずにはいられなくなる。問い質したくなる。

 なぜ、あの時、何も教えてくれなかったのか、と。

神子みこ、俺はどうしたらいい?)

 狼煙ろうえんは、急になにかを思いついたかのように立ち上がり、氷楔ひょうせつに抱きつく。
 ふたりがどんな目で自分を見ているかなど、どうでもいい。

「早く目覚めて?俺が、この楔をぶち壊してしまう前に」

 祈るように呟いた声は、小さすぎて誰にも聞こえていないだろう。早く神子みこに逢いたい。一緒に話をしたい。触りたい。

 だって、あなたは俺の主だから――――。



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