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第三章 氷楔
3-7 無明と麗寧
しおりを挟む竜虎は前日に用意してもらった、白群の弟子たちが纏う修練用の白い衣に袖を通す。剣術や体術の修練をするのに適した作りのその衣は、手足の先の部分が細く作られていて、試しに簡単な動作をしてみたが、かなり動きやすかった。
「これで準備は完了です」
着替えの手伝いを終え、清婉はぽんと肩を軽く叩いて合図をした。
「ああ。あれ、そういえばあいつはどこに行った?朝餉の後から姿を見ていない」
「無明様ならここに戻る前に夫人に引き留められて、どこかに連れて行かれたようです」
「······なんで夫人が?」
さあ?と清婉は首を傾げる。邸の中は安全だし、麗寧夫人はどうみても善人なので、無明が馬鹿をやっても笑ってくれる寛容さもありそうだ。竜虎は深く考えないことにした。
「じゃあ、行ってくる。無明が戻ったら、大人しくしてろと伝えてくれ。あいつは夕刻から白冰様の部屋で個別で教えてもらうらしいから、それまでに準備は整えてあげて欲しい」
「解りました。任せてください」
早い朝餉を終え、半刻も経たない内に修練が始まるのだ。邸から少し離れた山の方に、修練するための場所があるらしい。最低限の荷物を持ち、竜虎は別邸を後にした。
その頃、無明はなぜか麗寧夫人の部屋に連れて来られていた。豪華なものはなにひとつなく、綺麗に整えられたその部屋は、藍歌の部屋に似ていて、親近感を覚える。見回していると、夫人が円座を用意してくれて座るように促した。
「ふふ。一緒にお茶でもしながら、話し相手になってくれるかしら?」
「え?えっと、俺なんかでいいの?」
いいの、いいの、と夫人は笑みを浮かべたまま茶器を用意し始める。白い磁器の蓋付きの茶碗を無明の前に置きゆっくりとその蓋を開けると、花の蕾のようなものがふたつ入っていた。
「桃花の花茶よ。見てて?」
無明は言われたとおりに茶碗をじっと見つめていると、少しずつお湯の中でその桃色の蕾が開いていき最後には見事な桃花が花開いた。
「すごい!こんな綺麗なお茶、初めて見た!しかも甘い香りがするねっ」
「そうでしょう!私の実家から送られてきたのだけど、みんな忙しいから一緒にお茶してくれる人もいなくて。ここにいる間、あなたが付き合ってくれると嬉しいわ」
「俺も、夕刻まではなにもすることがないから、麗寧夫人が遊んでくれるとすごく嬉しい!」
本当!?と夫人は本当に嬉しそうに手をぽんと叩いて、どこからか持ってきた書物を机に数冊積み上げる。桃の花の甘い香りのする珍しい花茶をすすりながら、無明は首を傾げる。
「無明ちゃんは笛が得意と聞いたわ。これは色んな地から集めた楽譜集なの。私も琵琶を弾くから、一緒に合わせたいと思って」
「琵琶って琴とはまた違った楽器だよね?俺、絵図では見たことあるけど、実物は見たことないんだ」
興味津々な眼差しで楽譜集を眺めて、無明は腰に差していた横笛を手に取り、くるくると回す。その度に赤い飾り紐がゆらゆらと揺れて、どこか楽しげに見える。楽譜を捲り、ふとあることに気付く。
「これ、ただの楽譜じゃないみたい」
「え?どういうこと?」
逆に首を傾げて夫人は一緒に楽譜を覗き込む。薄青の透けた衣の中に白い上衣を纏っているが、襟がなく首から鎖骨辺りまでは肌が出ている。下裳は藍色で、赤い帯がよく映えて見えた。纏められた艶やかな黒髪に、薄桃色の蓮華の花が付いた簪をさしており、とてもよく似合っている。
碧水の市井にある大きな商家の生まれである夫人は、三十八歳ということだが、見た目はそれ以上にとても若く美しい。
二十歳の息子がいるとは到底思えないほどの肌艶の良さに、ふたりきりで部屋になどいろうものならば、普通の男ならば心を奪われるだろう。
だが、無明はまったくそんなことには興味はなく、目の前の楽譜集に夢中になっていた。ぱらぱらと楽譜集を捲り、うんうんと頷く。
「なんだろう?上手く言えないけど······この部分とか、あとこことか、なにか特別な術式が施されてるみたい」
楽譜の音階を指差して、無明は指摘する。夫人は「そうなの?」と初めて知ったかのように目を丸くする。
「霊力を込めなければ普通の楽譜だから、問題ないとは思うけど······あとでこの楽譜集、借りてもいい?」
「いいわよ。こんなものが役に立つなら、全部持っていって」
いいの?と明るい顔で見上げてくる無明が、夫人にはとても可愛らしいものに見えたようで、もちろん!と声を弾ませた。
見た目も少年というよりは少女のようで、今日は白群の内弟子が修練以外の時に纏う白い衣を纏っているが、少し大きかったのか袖で手が隠れてしまうようだ。
昨日と違い、長い黒髪を頭の天辺で赤い髪紐で括り、蝶結びをしている。それでも腰の辺りまであるので癖のある髪の毛の先がもう少しで床に付きそうだ。
「では、笛と琵琶は楽譜集を確認してから後日合わせましょう。今日はお話でもしましょうか」
「いいよ。じゃあ、じゃあ、碧水の都の話が聞きたい!絵は描ける?」
「武芸はまったくだけど、それ以外のものなら大概のことはできるわ」
「俺も!じゃあ一緒に地図を作ろうよ!修練がない日は白笶が都を案内してくれるって言ってたから、そこで見つけたモノをどんどん描き込んでいくのはどうかな?」
あら素敵!と夫人は目を輝かせる。ふたりは新しい遊びを見つけ、昼餉の時間まで仲良く肩を並べてお絵描きを楽しんだ。
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