彩雲華胥

柚月なぎ

文字の大きさ
上 下
54 / 231
第二章 邂逅

2-24 邂逅

しおりを挟む


 冗談を言って、無明むみょうは唇に笛をそっとあて、息を吹き込む。そこから奏でられる音は低くも高くもなく、心地よい音色。優しく、穏やかなその曲調の中に、ひらひらと舞う花びらのように目まぐるしく音が行き交う。

 まるで桜の並木道の中にいるようだ。しばらく吹いていると、繭の上の方から外の空気か流れ込んできた。見上げてみれば、あの鬼蜘蛛の鋭い脚の爪の先が繭に突き刺さり、びりびりと破いているのが見えた。

 外に灯りがあるわけでもなく、その割れ目から見えたのはごつごつした鍾乳洞でできた天井と、仄かに光る蘚、張り巡らされた白い糸、そして、あの鬼蜘蛛の姿だった。無明むみょうは笛を奏でたまま、繭が完全に破かれるのを待つ。

 その後ろで片膝を立て、いつでも動ける体勢で白笶びゃくやが控えていた。

「なにそれ、どういうこと?」

 呆れたような少年の声は、信じられないという戸惑いも含んでおり、それは目の前で起こっている事と、外で起こっている事に対して同時に発せられていた。
 
 他の連中を始末するために送った黒蟷螂くろかまきりの気配が途絶え、目の前では言うことを聞かない無能な鬼蜘蛛が、笛の音が響いた途端動き出し、繭をその爪で裂き始めたのだ。

「なんでその笛でお前が言うこと聞くんだよ」

 文句を吐き捨て、繭が割れた先に現れたふたつの影を睨みつける。傀儡かいらいの妖獣は、あの言うことを聞かない鬼蜘蛛だけで他に手元にはおらず、どう考えてもこちらが不利だ。

 ふたりは糸の結界の先に黒衣を纏った背の低い者の存在を見つけ、それが一連の元凶だろうと悟る。

 声を聞く限り、少年のようだ。首には奇妙な形の笛を下げており、それが鬼蜘蛛を凶暴化させた蟲笛だろうと推測する。

「君は、一体、なに?」

 その気配は異様で、今まで遭ったことのないものだった。人ではなく、妖者でもなく、生きてもいないし死んでもいない。思わず口に出た言葉に、無明むみょうは自分でも驚いていた。

「お前なんかに教えてやる義理は、」

 途中まで口にして、黒い衣を頭から被っている少年は、言葉の勢いを失速させた。三人の間で違和感のある空気が生まれる。その違和感の意味は、少年が顔を上げて固まっていたからだ。

 我に返るように、その空気を破ったのも目の前の黒衣の少年だった。

「あははっ!そうか、あんただったのかっ!」

 しかも混乱しているのか、片手で顔を覆って叫びだす。それはどこか怒りを帯びており、無明むみょうは自分に向けられているのだとすぐに解った。

「だからか。鬼蜘蛛があんたに従うのは、あんたが、」

「関係ない」

「は?なんだよ、遮るなよ。白群びゃくぐんのお坊ちゃん」

 少年は覆っていた手を離し、そのまま腕を広げた。そして本来の目的を思い出す。ははっと笑って、蟲笛に手を伸ばすと、そのまま口元に近づけた。

「お前の持ってる玄武の宝玉は、俺がいただく!」

 白笶びゃくやは、無明むみょうの前に出て、両手に霊剣を出現させた。通常の霊剣よりも少し短い双剣で、その双剣を手にするなり目の前から消えた白笶びゃくや無明むみょうは思わず息を呑んだ。

 竜虎りゅうこもそうだが、霊剣を取り出す時は数秒の間がある。しかし、白笶びゃくやは一瞬にして双剣を構え、そのまま黒衣の少年の間合いまで詰め寄ったのだ。

「玄武の宝玉が狙いか」

 白笶びゃくやは蟲笛を吹かせないように、少しの暇も与えず攻撃をしかける。少年は手にしたままの蟲笛を吹けず、刃をギリギリでかわしながら後ろに飛んだ。

紅鏡こうきょうを出てからずっと感じていた視線は、お前か」

「だったらなに?ずっと遠くで観察してたから、お前の弱点がなにかもよーく知ってるよっ」

 白笶びゃくやの奥の無明むみょうに視線を移して、にやりと笑みを浮かべる。衣は顔を隠してはいるが、逆に口元はよく見えた。嫌な笑い方に、白笶びゃくやは少しだけ眉を寄せた。

「その女を狙えば、お前が動くとすぐに解ったからな。利用させてもらったのさ。予定外だったのは、自ら飛び出てきて俺の笛を遮り、まさか鬼蜘蛛をひれ伏せさせるなんて!」

「もしかしなくても俺のことを言ってるの?俺は男だよ」

 心外だとでも言うように、自分より背の低い黒装束の少年に向かって口を尖らせた。それとは対照的に、少年は一瞬耳を疑って固まり黙った。

「······は?ふざけるな!その恰好、どう見ても女だろう!」

「恰好で判断するなんて、失礼な子供だなぁ」

 むかっとあからさまに苛立って、子供のように癇癪を起こした少年は、その無明むみょうの言葉にさらに声を荒げた。

「まぎらわしい恰好をするな!誰が子供だ!俺はガキじゃない!」

「面倒な子だなぁ。じゃあ名前を教えてよ。そしたら、名前で呼んであげるから、」

「誰があんたなんかに教えるかっ!」

 自分を挟んで子供の喧嘩のように騒ぎ出したふたりに、白笶びゃくやは嘆息して首をふった。だが、おかげで先程少年が言いかけた言葉の先は、完全に忘れ去られたようだ。

 その隙にさらに一歩間合いを詰め、白笶びゃくやは少年の喉元に双剣の片方を突きつけた。

「大人しく捕まれば命までは取らない」

 凍てつくような灰色がかった青い双眸に、少年はちっと舌打ちをする。今更無駄に足掻いたところで、失態がどうにかなるとも思っていなかった。

「命などとうにない。だが、やることは山ほどある。今回は俺の負けだよ」

 ふんと鼻で笑い、少年は蟲笛から手を離し肩を竦めて、降参だとでも言うように両手を挙げる。ふたりはその様子に違和感を覚えた。案の定、にやりと口元を緩め、さらに黒い衣を大げさに翻す。

「だが、残念。捕まる気もない」

「待て」

 衣を掴もうと手を伸ばすが、それをすり抜けるようにくるりと回って後ろにさらに飛ぶと、闇の中に溶けるように姿を消して、ふたりの前から呆気なく去っていった。


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

いとしの生徒会長さま

もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……! しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

学園の天使は今日も嘘を吐く

まっちゃ
BL
「僕って何で生きてるんだろ、、、?」 家族に幼い頃からずっと暴言を言われ続け自己肯定感が低くなってしまい、生きる希望も持たなくなってしまった水無瀬瑠依(みなせるい)。高校生になり、全寮制の学園に入ると生徒会の会計になったが家族に暴言を言われたのがトラウマになっており素の自分を出すのが怖くなってしまい、嘘を吐くようになる ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿です。文がおかしいところが多々あると思いますが温かい目で見てくれると嬉しいです。

淫愛家族

箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。 事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。 二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。 だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった

たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」 大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

処理中です...