彩雲華胥

柚月なぎ

文字の大きさ
上 下
46 / 231
第二章 邂逅

2-16 見えざる敵の狙い

しおりを挟む


 その行動にその場にいた誰もが驚く。同時に、鬼蜘蛛の眼の黒い部分が無明むみょうを認識すると、耳を劈くような奇声を上げて牽制した。

「君をこんな風にしたのは、誰?」

 横笛をくるりと器用に取り出して、口元に運ぶ。

(あれは、蟲笛だった········この妖獣を操るだけの霊力を持った誰かが、何かの目的のために村ひとつを呑み込ませた)

 その音色はどこまでも穏やかで、優しいものだった。複雑な音色ではないが、どこか懐かしさを感じる曲調。

 鬼蜘蛛は今にも襲いかかりそうだった体勢から、縮こまるように脚を躰の方へ寄せて、無明むみょうの前に顔を伏せるように前屈みになると、まるでお辞儀でもしているかのような格好になった。

(蟲笛の音を中和すれば、きっと、この妖獣は元の知性を取り戻せるはず)

 白冰はくひょう白笶びゃくや無明むみょうの行動に目を瞠った。離れていたため、いつでも援護できるようにはしていたが、まさか鬼蜘蛛の正面に自ら飛び出るなど、無謀すぎる。

(しかし、彼は一体どれだけの霊力を秘めているんだ?妖獣を倒せるものは各一族に数人はいるだろう。だが制御できる者など、この世に何人いるか)

 扇を片手に白冰はくひょうは隙間から無明むみょうを覗き見る。その笛の音は見事で、この周りの凄惨な光景さえ忘れてしまいそうになる。

 鬼蜘蛛が完全に殺気を無くしたかと思われたその時、無明むみょうは顔を歪めて奏でていた横笛を口元から外し、そのまま両耳を塞ぐ。

 酷い頭痛と耳鳴りが無明むみょうを襲う。先ほどよりずっと耳障りで甲高い音が頭の中で鳴り響く。

 周りにはやはりなにも聞こえておらず、無明むみょうが急に耳を塞いで蹲ったように見えていた。

「危ないっ!!」

 鬼蜘蛛が狂ったように暴れ出し、無明むみょうに向かって先端が鋭い前脚を振り翳す。耳を塞いで眼をぎゅっと閉じていた無明むみょうは身動きが取れずにいた。

 振り翳された前脚は勢いそのままに、蹲った無明むみょうの背中に向かって落とされる。

 その瞬間、大きな音と共に土煙が立ち、辺りが見えなくなった。

無明むみょう!!」

 赤く染まった異様な空と、目の前の土煙に竜虎りゅうこは不安を覚える。なぜなら鬼蜘蛛の姿だけでなく、周りにいるはずの者たちの姿さえ見えない。

 風が吹き、空へと舞い上がる。

 白冰はくひょうが起こした風が土煙をすべてその場から吹き飛ばすと、鬼蜘蛛の姿は跡形もなくなっていた。

「これ、血の痕?」

 代わりに残されていたのは、飛び散った血痕だけだった。竜虎りゅうこは青褪めた表情を浮かべ、その血痕の前に座り込む。

「早く、追いかけないと!」

「落ち着いて。大丈夫、白笶びゃくやも一緒のはず。この血はたぶん、白笶びゃくやのものだろう」

「だったらなおさらでしょう!自分の弟が心配じゃないんですかっ」

 落ち着きはらっている白冰はくひょうに、竜虎りゅうこは立ち上がって掴みかかる。

 失礼だとかそんなことを考えている余裕はなかった。鬼蜘蛛が巣に連れて行けば、餌として喰らわれることを意味する。

 しかも一方は負傷していて、一方は調子が悪い状態。どう考えても不利だ。

「だから、私たちは冷静に見極める必要がある」

 冷ややかなその眼差しに、竜虎りゅうこはぞくりと背筋が寒くなった。当たり前だ。心配でないはずがない。一方的に見えたが、白冰はくひょう白笶びゃくやを溺愛していた。

「おそらく、妖獣を操っている者がいる。私たちには聞こえなかったが、無明むみょうには聞こえていた音。制御していたはずの鬼蜘蛛が急に暴れ出したのも、関係しているんだろうね」

 口元を扇で覆い、その青い瞳を崖の方へと向ける。位置を把握でき、機会を逃さずに号令をかけれる場所。

 村の北西にあるあの崖が最適な場所だろう。この村は都に行くために必ず通る村。狙われたのは自分たちである可能性が高い。

 竜虎りゅうこたちが同行することは直前に決まったことで、誰も予想していなかった。

 村をひとつ潰してでも手に入れたかったモノ。

「父上、玄武のぎょく白笶びゃくやが持っていたのでは?」

「狙いはやはりそれか······」

 白漣はくれん宗主は嘆息する。

無明むみょう殿を狙えば、白笶びゃくやが動くと確信して、画策された可能性がある」

 だが、そんなことを誰が予想するだろう。ずっと監視でもしていなければ解らない事。

 それに白笶びゃくやが玉を所持していなければできない計画だ。それを企てた者は、かなり柔軟な頭の持ち主だろう。

 自分や白冰はくひょうが持っていたら、違った策を取っていたはずだ。

「とにかく、先程と状況が変わった今、逆に動くのは危険だ。夜になればこの辺りも妖者共がうろつき始める。今、この場所は鬼蜘蛛の領域で、他の者たちは近づけないはず。火を熾して朝を待とう」

 もどかしい気持ちをそれぞれ抱え、夜を迎える。鬼蜘蛛が生きている限り、蜘蛛の糸に触れるのは危険なため、亡骸を弔う事すらできない。

 貼り付けられたままの多くの亡骸たちに祈りを捧げながら、灯った炎を前に安堵する。

「鬼蜘蛛は痕跡を残して地を進むから、捜すのは難しいことじゃない。それに、獲物はすぐには喰らわないし、仮に操られているなら、目的を果たすまでは無暗に殺したりはしないだろう」

 先程までの冷たい眼はそこにはなかったが、声音は淡々としており、白冰はくひょうが話しながら何を考えているのか計り知れなかった。

 竜虎りゅうこはあれから何も言わず、ひとり心の中で考えていた。

(一体、なにが起きてるんだ?晦冥崗かいめいこうのあの陣といい、あの鬼蜘蛛といい、あいつは必要以上に巻き込まれすぎだっ)

 まるで、何かの始まりのように次々に降りかかって来る出来事に、頭が整理しきれないでいた。どうしてそのすべてに、自分たちは関わってしまっているのか。
 

 見えない何かに無理やり引きずられるように。
 底なし沼に片足を突っ込んでいる気分だった。


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

いとしの生徒会長さま

もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……! しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった

たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」 大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?

嫌われ者の長男

りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

学園の天使は今日も嘘を吐く

まっちゃ
BL
「僕って何で生きてるんだろ、、、?」 家族に幼い頃からずっと暴言を言われ続け自己肯定感が低くなってしまい、生きる希望も持たなくなってしまった水無瀬瑠依(みなせるい)。高校生になり、全寮制の学園に入ると生徒会の会計になったが家族に暴言を言われたのがトラウマになっており素の自分を出すのが怖くなってしまい、嘘を吐くようになる ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿です。文がおかしいところが多々あると思いますが温かい目で見てくれると嬉しいです。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

処理中です...