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第二章 邂逅
2-16 見えざる敵の狙い
しおりを挟むその行動にその場にいた誰もが驚く。同時に、鬼蜘蛛の眼の黒い部分が無明を認識すると、耳を劈くような奇声を上げて牽制した。
「君をこんな風にしたのは、誰?」
横笛をくるりと器用に取り出して、口元に運ぶ。
(あれは、蟲笛だった········この妖獣を操るだけの霊力を持った誰かが、何かの目的のために村ひとつを呑み込ませた)
その音色はどこまでも穏やかで、優しいものだった。複雑な音色ではないが、どこか懐かしさを感じる曲調。
鬼蜘蛛は今にも襲いかかりそうだった体勢から、縮こまるように脚を躰の方へ寄せて、無明の前に顔を伏せるように前屈みになると、まるでお辞儀でもしているかのような格好になった。
(蟲笛の音を中和すれば、きっと、この妖獣は元の知性を取り戻せるはず)
白冰と白笶は無明の行動に目を瞠った。離れていたため、いつでも援護できるようにはしていたが、まさか鬼蜘蛛の正面に自ら飛び出るなど、無謀すぎる。
(しかし、彼は一体どれだけの霊力を秘めているんだ?妖獣を倒せるものは各一族に数人はいるだろう。だが制御できる者など、この世に何人いるか)
扇を片手に白冰は隙間から無明を覗き見る。その笛の音は見事で、この周りの凄惨な光景さえ忘れてしまいそうになる。
鬼蜘蛛が完全に殺気を無くしたかと思われたその時、無明は顔を歪めて奏でていた横笛を口元から外し、そのまま両耳を塞ぐ。
酷い頭痛と耳鳴りが無明を襲う。先ほどよりずっと耳障りで甲高い音が頭の中で鳴り響く。
周りにはやはりなにも聞こえておらず、無明が急に耳を塞いで蹲ったように見えていた。
「危ないっ!!」
鬼蜘蛛が狂ったように暴れ出し、無明に向かって先端が鋭い前脚を振り翳す。耳を塞いで眼をぎゅっと閉じていた無明は身動きが取れずにいた。
振り翳された前脚は勢いそのままに、蹲った無明の背中に向かって落とされる。
その瞬間、大きな音と共に土煙が立ち、辺りが見えなくなった。
「無明!!」
赤く染まった異様な空と、目の前の土煙に竜虎は不安を覚える。なぜなら鬼蜘蛛の姿だけでなく、周りにいるはずの者たちの姿さえ見えない。
風が吹き、空へと舞い上がる。
白冰が起こした風が土煙をすべてその場から吹き飛ばすと、鬼蜘蛛の姿は跡形もなくなっていた。
「これ、血の痕?」
代わりに残されていたのは、飛び散った血痕だけだった。竜虎は青褪めた表情を浮かべ、その血痕の前に座り込む。
「早く、追いかけないと!」
「落ち着いて。大丈夫、白笶も一緒のはず。この血はたぶん、白笶のものだろう」
「だったらなおさらでしょう!自分の弟が心配じゃないんですかっ」
落ち着きはらっている白冰に、竜虎は立ち上がって掴みかかる。
失礼だとかそんなことを考えている余裕はなかった。鬼蜘蛛が巣に連れて行けば、餌として喰らわれることを意味する。
しかも一方は負傷していて、一方は調子が悪い状態。どう考えても不利だ。
「だから、私たちは冷静に見極める必要がある」
冷ややかなその眼差しに、竜虎はぞくりと背筋が寒くなった。当たり前だ。心配でないはずがない。一方的に見えたが、白冰は白笶を溺愛していた。
「おそらく、妖獣を操っている者がいる。私たちには聞こえなかったが、無明には聞こえていた音。制御していたはずの鬼蜘蛛が急に暴れ出したのも、関係しているんだろうね」
口元を扇で覆い、その青い瞳を崖の方へと向ける。位置を把握でき、機会を逃さずに号令をかけれる場所。
村の北西にあるあの崖が最適な場所だろう。この村は都に行くために必ず通る村。狙われたのは自分たちである可能性が高い。
竜虎たちが同行することは直前に決まったことで、誰も予想していなかった。
村をひとつ潰してでも手に入れたかったモノ。
「父上、玄武の玉は白笶が持っていたのでは?」
「狙いはやはりそれか······」
白漣宗主は嘆息する。
「無明殿を狙えば、白笶が動くと確信して、画策された可能性がある」
だが、そんなことを誰が予想するだろう。ずっと監視でもしていなければ解らない事。
それに白笶が玉を所持していなければできない計画だ。それを企てた者は、かなり柔軟な頭の持ち主だろう。
自分や白冰が持っていたら、違った策を取っていたはずだ。
「とにかく、先程と状況が変わった今、逆に動くのは危険だ。夜になればこの辺りも妖者共がうろつき始める。今、この場所は鬼蜘蛛の領域で、他の者たちは近づけないはず。火を熾して朝を待とう」
もどかしい気持ちをそれぞれ抱え、夜を迎える。鬼蜘蛛が生きている限り、蜘蛛の糸に触れるのは危険なため、亡骸を弔う事すらできない。
貼り付けられたままの多くの亡骸たちに祈りを捧げながら、灯った炎を前に安堵する。
「鬼蜘蛛は痕跡を残して地を進むから、捜すのは難しいことじゃない。それに、獲物はすぐには喰らわないし、仮に操られているなら、目的を果たすまでは無暗に殺したりはしないだろう」
先程までの冷たい眼はそこにはなかったが、声音は淡々としており、白冰が話しながら何を考えているのか計り知れなかった。
竜虎はあれから何も言わず、ひとり心の中で考えていた。
(一体、なにが起きてるんだ?晦冥崗のあの陣といい、あの鬼蜘蛛といい、あいつは必要以上に巻き込まれすぎだっ)
まるで、何かの始まりのように次々に降りかかって来る出来事に、頭が整理しきれないでいた。どうしてそのすべてに、自分たちは関わってしまっているのか。
見えない何かに無理やり引きずられるように。
底なし沼に片足を突っ込んでいる気分だった。
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