38 / 231
第二章 邂逅
2-8 あなたにだけ
しおりを挟む「やだね」
その時、後ろの腰の辺りからなにかがぶつかる音がからんと鳴った。ふたりに背を向けたままの格好で抱き上げられた無明は、肩越しにその音の正体を知る。
(黒竹の横笛?)
腰帯に斜めに差している黒い竹で作られた横笛の先には、藍色の紐と琥珀の玉飾りが付いていて、それが揺られて横笛にぶつかり、先ほどの音を鳴らしたようだ。
「あんたは嫌いだ」
子供みたいに口を尖らせて、けれども弾むような声音で鬼は吐き捨てる。無明は口を挟みたかったが、頭が追い付かずいつもの調子が出ないので、とりあえず大人しくしていることにした。
鬼の口調からして、白笶のことを知っているようだった。それは白笶も同じように思える。
以前に会ったことだあるのだろうか。
(そういえば、白笶公子も似たようなことを言っていた気がする)
今思えば、あの時のあの歯痒いような言葉の数々は、まるで自分を以前から知っていて、捜していたかのような口ぶりだった。
しかし肝心の無明は、まったく身に覚えがないのだ。やはりどちらも人違いをしているのではないかと思う。そうであれば、はっきりと伝えてあげないといけない。
「あ、あの!」
「なに?」
白笶の遠距離からの無数の攻撃を身軽に避けながら、余裕さえあるにこやかな表情で鬼は答える。
くるりと無明を抱いたまま空中で一回転をし、斜めに飛んで渓谷の歪な壁を蹴り、再び地面に着地する。そのすべての動作が、まるで曲芸師のように軽やかで見事な身のこなしである。
「俺から公子様に話をする。君は誰かと間違って俺を連れてきちゃっただけだって。誤解が解ければこんな戦いは無意味だし、俺は君や公子様のどちらが怪我をするのも嫌だよ」
鬼は少し考えて、うーんと斜め上に視線を向ける。それはどこか大袈裟な素振りにも見えたが、鬼に対して親近感が湧いた。
「俺は別にかまわないけど、あの公子殿が素直に応じるかな?」
「大丈夫。俺に任せて」
解った、と鬼は軽く言って、大きく頷いた。無明は鬼の腕に抱えられたまま、身体を捩って正面を向く。白笶が次の攻撃の態勢を整え、こちらを見据えている。
「俺は大丈夫。彼は誰かと間違って、俺を連れて来ちゃったみたいなんだ。危害を加えるつもりもないみたい。だからね、公子様。できれば、その武器を収めて欲しいんだけど······」
「············君は、」
唇を嚙み締めて、やっと絞り出した声でその先を言うのを躊躇う。氷の飛針を両手の指の間にそれぞれ四本ずつ構えたまま、こちらを見上げていた。その様子を眺め、はあと嘆息し、鬼は首を振った。
「やっぱり退く気はないみたいだよ?」
無明の耳の近くで内緒話でもするかのように囁く鬼は、やはりこの状況を楽しんでいるとしか思えない。
渓谷はお互いの姿が見えるか見えないかというほど暗くなっているはずなのに、鬼の周りは常に少し明るく感じる。
よく周りを見回してみれば、この谷底は枯れ井戸のように水の一滴もなく、渓谷に掛けられた吊り橋がかなり高い位置にあるため、普通の人間ならば降りることも登ることも不可能だろう。
「離れろと言った」
飛針を鬼と無明の間すれすれに飛ばし、白笶は忠告する。
「別にいいじゃない。このひとはあんたのものじゃないんだから」
やれやれと、呆れたように鬼はもっともらしいことを言って、白笶を挑発する。
「お前のものでもない」
「今は俺のものだよ、」
頬に軽く口づけをして、その行為に呆然としている無明を見て満足気に微笑んだ。竜虎に至っては白目をむいて立ち尽くしている。
「でもまあ、いいよ。困らせるつもりはなかったし、逢えて嬉しかったから」
ひらりと地面に足を付いて、白笶より少しだけ背の低い鬼は、抱きかかえていた腕を放し、無明の乱れた衣を丁寧に直す。
そしてそのまま白笶たちに堂々と背を向け、無明以外視界に入れずにじっと見つめてくる。
「いつでも呼んでくれてかまわない。あなたは俺の主だから、あなたが命じればなんでもするよ?文字通りなんでも、ね」
正面に立ち、腰を屈めて右手を取ると、手の甲に優しく口づけをして、上目遣いで鬼は瞬きを一度だけした。
「俺の名は、————。これはあなただけに捧げる名だよ。忘れないで?」
無明にだけ聞こえる声音でそう囁いて、鬼は蝋燭の火が消えるかのように闇の中に溶けた。
しん、となった暗闇の中で、三人はただお互いの視線を重ねて次の言葉が出てくるのを待つしかなかった。
0
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
学園の天使は今日も嘘を吐く
まっちゃ
BL
「僕って何で生きてるんだろ、、、?」
家族に幼い頃からずっと暴言を言われ続け自己肯定感が低くなってしまい、生きる希望も持たなくなってしまった水無瀬瑠依(みなせるい)。高校生になり、全寮制の学園に入ると生徒会の会計になったが家族に暴言を言われたのがトラウマになっており素の自分を出すのが怖くなってしまい、嘘を吐くようになる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿です。文がおかしいところが多々あると思いますが温かい目で見てくれると嬉しいです。

淫愛家族
箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。
事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。
二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。
だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった
たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」
大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる