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第二十七話 花冠
しおりを挟む翌日、朝から外が賑やかしく、すでに起きていた氷鷹が丸い机に頬杖を付いて、木枠の窓からその様子を眺めていた。まだ夜が明ける前だが、日々の習慣からか風獅も少し遅れて目を覚ます。
清風はふたりが起きた時にはもう部屋におらず、氷鷹が頬杖を付いたまま、「おはよう、兄さん」とこちらに顔を向けて挨拶をした。
「ほら、昨日言ってた退魔師の家族が帰って来たみたい。父上は先に挨拶に行ったよ。俺たちも行ってみる?」
「そうだな。数日世話になる身だし、顔を合わせることもあるだろうから、こちらから挨拶に行くのが正しい」
風獅は内心気になっていた。退魔師とは主に魔族や魔物と戦う者たちで、その多くは祖先からの血筋。道士と違い、独自の道を行く者たち。道士の最終目標は、魔族や怪異と戦い人々を救うことで功徳を得、天界へと飛昇し、不老不死の仙となることだった。だが、誰しもがなれるものではなく、資格と資質を持ち合わせた者のみがそこに辿り着けるという。
退魔師の目的はこの世の魔を祓うこと。それ以上の目的はなく、しかしそれは永遠に終わらない戦いでもあった。
「退魔師、興味ある?」
氷鷹がいつものように人懐っこい笑みを浮かべてこちらを見上げ、訊ねてくる。確かに興味はあった。だがそれは"退魔師"にではなく、別のものに対してだったため、風獅は曖昧に頷いた。
「じゃあ、いこっか」
椅子から立ち上がり、氷鷹は風獅の横に並んで扉を指差す。外からは大人たちの声に混じって子供の声がふたつ聞こえてきた。ふたりは同時に左右の扉に手をかけ、そっと押す。まだ薄暗い外の気配の先に、集まっている人影が見える。
昨日顔合わせをした母屋の前で、数人の大人たちが談笑を交わしていた。蒼迦と翠霧、それから清風の他に、白い上衣の上に袖のない深緋色の長い上衣を纏い、黒い下衣を穿いた若い男女がいた。こちらに気付いた彼らに向かって、風獅と氷鷹は一旦足を止めて拱手礼をし、頭を下げた。
「おはよう。この子たちはさっき話していた清風の息子さんたちよ」
「はじめまして、芽紗よ。こっちは夫の天藍。あと、この子は私たちの息子の天雨。少しの間だけどよろしくね、ふたりとも」
「風獅です。こちらは私の弟で、」
「氷鷹です」
明るく元気そうな芽紗の横に立つ天藍は、彼女とは真逆で表情がほとんど変わらない不愛想な男で、秀麗な面立ちのせいかどこか冷たくも見える。そしてその真ん中でこちらを見上げてくる少年は、顔は父親によく似ていたが、表情は母親のように豊かだった。
「お兄さんたち、おじさんの息子さんって本当? 全然似てないね!」
子どもの素直な反応に、清風は再び落ち込む。あはは、と蒼迦は無邪気に笑うが、ひとのことだと思って····と、じとりと細目をして清風は無言で訴えるしかない。
「君、面白い子だね。いくつ?」
氷鷹はくすくすと笑いながら、その場にしゃがんで天雨に訊ねる。
「六歳! お兄さんは?」
「え? 俺? 俺は十八だよ。ねえ、良かったらこの辺りを案内してくれる?」
天雨は天藍の方を見上げて、その問いに対する答えを求めているようだった。幼い少年にとって、彼の父の言葉が絶対なのだろう。天藍は意外にもその顔に小さく笑みを浮かべて、言葉はないが承諾の意を表した。どうやらああ見えて子どもには甘いようだ。
「君も一緒に案内してくれる?」
氷鷹は、蒼迦の後ろに隠れるように顔を覗かせていた翠雪にも声をかける。翠雪はきゅっと蒼迦の衣を握り締め、正面にいる天雨にちらちらと視線を送っているようだった。
「ごめんね、この子人見知りで。まだ君たちに慣れていないだけだから」
「ふふ。でも天雨が一緒ならいいんだもんね?」
「ち、違うもん! 一緒がいいのは天雨の方で、私じゃないもん」
翠霧がよしよしと頭を撫でて片目を閉じ揶揄うように問いかけ、それに対して翠雪はむぅと頬を膨らませる。
「じゃあ、翠雪も一緒に行こ?」
天雨がそれを聞いて一歩前に出ると、半分隠れたままの翠雪に小さな手を差し出した。躊躇いながらもおずおずとその手に自分の手を乗せ、同時に天雨が自分の方へと引き寄せる。
「お兄さんたちも! 早く早くっ」
はいはい、と氷鷹は立ち上がり、風獅に目配せをする。手を繋いで前を歩くふたりを追うように、足を向けた。氷鷹はなにか、気付いたのだろうか。でなければあんな提案はしないだろう。
風獅は気持ちを悟られないように、ゆっくりと歩き出すのだった。
******
結界に囲まれた範囲といってもかなりの広さがあり、案内役の天雨の横で翠雪も少しずつだが笑顔を見せるようになる。それはとても可愛らしく、警戒心が解け始めた証拠だった。
「翠雪はすごいんだよ! いつも難しい本をたくさん読んでて、蒼迦さんたちのお手伝いをいっぱいしてるんだ!」
「違うよ? 天雨の方がすごいよ? おじさんたちと一緒に悪者を退治してるの」
「そうなんだ。ふたりともすごいね」
氷鷹は手慣れた様子で子供たちと戯れていた。そういうところは彼の得意とするところで、風獅はただ後ろで三人を見守ることに努める。
「ここはね、俺たちの秘密の場所なんだ。父さんも母さんもおじさんたちも知らない場所。お兄さんたちは特別!」
「きれいな場所だけど、すごくあぶない場所でもあるから、気を付けてね?」
翠雪が心配そうに風獅たちを見上げてくる。確かに、小さな子供だけで来るには危ない場所だろう。ここは、白や黄、赤や橙の色とりどりの花が咲き乱れる美しい花畑が広がっている、山の頂の端の辺りだった。
その先端はもはや空しかなく、下を覗けば随分と遠い場所に木々が広がっていた。その合間に飛び出た岩肌があり、それを上手く辿れば降りることも可能だろう。普通の人間には難しいかもしれないが、自分たちには不可能ではなさそうだ。
昇る太陽を眺めながら、しばらく時間を忘れて目の前に広がる光景を眺めていた。この感情を誤魔化すために、見ていた。こんな感情、悍ましいだけだ。少なくとも、普通ではない。ぼんやりと佇んでいると、氷鷹が子どもたちを連れて隣にやって来た。
「兄さん、そろそろ戻ろう。この子たち、お腹空いたみたい」
ここに来る頃にはすでに夜は明け、陽が昇っていた。今は昼前くらいだろうか。氷鷹の足元で天雨と翠雪がなにか言いたげにこちらを見上げてくる。ただ彼らを見守っていた自分と違い、一緒に遊んでいた氷鷹に懐くのは当然だろう。
「えっと、お兄さんのこと、風獅兄さんって呼んでいい? 氷鷹兄さんはいいよって」
「ああ、もちろんかまわないよ」
天雨はそれを聞いて明るい表情を浮かべ、翠雪と顔を見合わせてこくりと頷いた。今度は翠雪がなにかを隠すように手を後ろに回したまま風獅の前にやって来ると、大きな翡翠の瞳を細めて笑みを浮かべた。
「これ、風獅兄さんに、」
後ろに回していた手を前に出し両手でそっとそれを掴み直す。翠雪が風獅に向けて差し出したもの、それは色とりどりの花を編んで作られた花冠だった。まだ摘んだばかりの花々は仄かに甘い香りが漂う。
花冠を手に微笑む翠雪は幼さの中にも美しさを併せ持ち、風獅はぼんやりとただそれを見つめていた。翠雪は自分を見下ろしたまま動かない風獅を不思議そうに見上げ、それから不安そうに氷鷹の方を振り向く。
「····もしかして、めいわく? いらない?」
どうやら盛大に勘違いをしているようだ。氷鷹は頬を掻きながら苦笑を浮かべ、今にも泣き出しそうな翠雪の肩に手を置いた。その手には同じように花々で編まれた腕輪が飾られている。
「ああ、ええっと、大丈夫だよ。嬉しすぎてちょっと驚いてるだけだから。ね? そうでしょ兄さん、早く受け取ってあげなよ」
ようやく我に返った風獅は、状況を察してその場に片膝を付き、翠雪を見上げた。
「····すまない。あまりにも綺麗だったから、ぼんやりしていたようだ。もし良かったら、その花冠を私に貰えないかな?」
「はい、どうぞ。おともだちの証です」
言って、手渡された花冠。その時から、始まっていたのかもしれない。いや、もっと前だ。あの時、白い花畑の中で空を見上げていた儚くも美しい花。その無垢な花は、今もなお、この手の中で清らかに咲いている。
どんなに穢されようとも、あの時のまま。愛しい無垢な花のまま、確かにここに在るのだ。
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