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第二十話 偽りと真実と ※注

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 何度もその身体を貪るように抱いた。数え切れないほど自分のものを受け入れ続けたせいで、少しほぐすだけで簡単に奥へと導かれる。

 喘ぎ声を押し殺すように、歪めた顔さえ愛おしい。時折、たまらず漏れる吐息が耳元をくすぐった。そのなんともいえない表情に魅入られる。これを恋や愛とよんではいけない気がする。罪や罰に近い、そんな背徳感。

 最初の頃とは違う。純粋に愛し合っていたあの頃がまるで夢のようだ。愛しているのは自分だけなのだと思い知る。こんなにも愛おしいのに、伝わらないのはなぜか。

 そんな歪んだ想いを吐き出すように、何度も何度も君を犯す。これはもう、ただの行為。お互いに処理をするだけの、愛のない交わり。それでも、手放したくはないのだと。どうしたら伝わるのか。

 いつから君の心は離れてしまったのか。知りたくもない現実と、終わらない夢の中で。今夜も君を抱くことで、ぽっかりと穴の空いた心が満たされるのを感じながら。
 

******


 剥き出しになっていた生白い肌を隠すように、ゆっくりと衣を直していく。そこには生々しいほどに鮮やかに浮かぶ紅や紫の痕がいくつかあったが、衣で隠れる場所にだけつけられていた。

 全体的に細い後ろ姿を見つめながら、その真意を考えていた。自分の気持ちはずっと伝えてきたつもりだった。それをこの者がどう受け取ろうが、かまわなかった。

 いつからか重荷が増え、精神的に限界を超えていることを知った。そんな時でさえ、この者の存在は安らぎで、支えで、自分を保つための唯一の糸だった。あの日、疑念を自分にぶつけてきた時から、なんとなくだが感じていたこと。この関係は、始まりから間違いだったのかもしれない。

 自分が隠している大きな秘密を、探ろうとしているのは気付いていた。しかしその秘密は、この者が考えていることとはおそらく違う。どこまで知っているのかは知らないが、勘違いをしているのはわかった。それを利用して自分の欲を満たすことに、罪悪感は当然ある。だが、この気持ちは間違いなく本物で、初めてその姿を目にした時から、言葉を交わした瞬間から、それは形を成していた。

 これが、品行方正で聖人君子などと勝手に思われている自分の本性なのだと、自身を嘲笑う。数年の間、もう何度となくその身体を抱き、唇を重ねている。繋がっている身体とは逆に、少しずつすれ違う心。すべてわかっていたことだった。

 それでもこの時だけは自分のものになっているという優越感と、絶対に語ることのない真実を胸に秘めたまま、いつもの偽りの笑みですべてを覆い隠す。二年前のあの出来事が、弁解のしようがない誤解が、よりその溝を深める結果となった。

 疑念を向けられているのは、わかっている。
 それでも。

翠雪ツェイシュエ、君にはいつも感謝している。君の存在にいつも救われている。君がいつか心変わりをしたとしても、責めるつもりもない」

「心変わりなど····私はあなたのことを心から慕っています。でなければこんなこと、何年も続けたりしません。あなたも変わらず、同じ気持ちでいてくれたなら嬉しいです」

 なんともいえない表情でこちらを見下ろし、翠雪ツェイシュエは微笑む。横になったまま、その作られた笑みを見つめて満足する。

(君が傍にいてくれるだけで、本当は良かった。今の君が私のことなど見ていないことは、ずっと前から知っている)

 それでも。
 何度も。何度も。
 繰り返し伝える。
 感謝している、と。

 それを聞いて、翠雪ツェイシュエも同じように罪悪感を抱いていることを知っている。彼は自分を慕う気持ちを利用して、真実に近付こうとしているのだ。お互いに、利用し合い、騙し合い、偽りの愛の言葉を紡ぐ。気付いていないとでも思っているのだろうか。そいういうところは、やはり子供のままなのだ。

「······では、もう行きます」

 衣を整え終わった翠雪ツェイシュエが寝台から立ち上がろうとした時、上半身を起こした風獅フォンシーは、まだ寝台の上に置かれたままの白く細い指に手を重ねる。その突然の行為に対して、予想していなかったのだろう。冷たいその指先は、戸惑うように一瞬だけ強張った。

「この十年間、ずっと閉関していた弟が近い内に戻ってくる。できるだけ彼には関わらないようにすること。何か言われたら、必ず私に相談して欲しい」

「どういう意味ですか?」

 翡翠の瞳を細めて、不思議そうに翠雪ツェイシュエが訊ねる。そのままの意味だよ、と風獅フォンシーは微笑を浮かべて誤魔化した。

「他意はないよ。君が心配なだけだ」

 これは嘘偽りのない言葉。弟の存在は、風獅フォンシーにとって悩みの種でもある。それが今になって戻ってくるとなれば、ここまで築いてきたものがすべて無に帰す可能性もあるだろう。翠雪ツェイシュエは余計なことは訊かずに、ただ頷いた。解放された手に安堵の色を見せつつも、別れ際に触れるだけの口付けを自ら交わした。

「····では、また近い内に」

 ぱたん、と扉が閉まるまで見送り、風獅フォンシーはゆっくりと衣を纏う。夜が明けるまではまだ時間があったが、余韻に浸っている時間はなく、掌門しょうもんとしての仮面で自身を飾る。こうであるべき。こうでなくてはならない。幼い頃からずっと自分自身を縛っているもの。

『お前はいずれ、この門派を率いる長となるべき存在だ。誰からも慕われ、弱き者を守り、正しい道を進め』

 しかしそんな父の最期の言葉は、自分への期待や切望ではなく。恐怖に満ちた眼差しと、忠告。その時はなんのことか理解できなかった。その後に起こった出来事によって、その意味を思い知ることになる。

『絶対に、騙されるな····あれは、怪物だ······っ』

 あの言葉が、耳から離れない。

『守ってくれ····私の友を、その妻と子を····あの秘伝書を······あやつに渡してはならない····っ』

 そんなことはあり得ない。そんなことにはならない。そう信じていながらも、確かめるために口実を作ってその場所へと向かう。そこで目にしたもの。裏切り。すべてあの日から狂い出したのだ。

 蟀谷こめかみを押さえながら、風獅フォンシーは顔を歪める。すべて知っている。なぜそんなことをしたのかも、全部。あの仮面のような笑みで皆を偽り、自分を偽り、平気な顔で嘘を付く。まるで本当のことを言うように自然に嘘を吐き出す、怪物。

 風獅フォンシーはひとり、ある決意をする。真実をその口から語らせる。それが、彼らへのせめてもの償い。この数年間、そのための準備を整えて来た。掌門しょうもんという肩書を背負い、いつものように皆の想う自身を演じる。誰にも気付かれない。気付く者もいない。本当の自分の心は、弱く脆い泥のようだ。だからこそ、唯一の存在が必要だった。

 卑怯で臆病な、情けない自分。力だけ強くても、能力だけあっても、意味がないことを思い知る。器でないと何度も周りに言われてきた。それでもここまで門派を大きくし、ついには五大門派に名を連ねるほどとなった。

 すべては父の願いだったが、いつしかそれは自分のものとなった。

「父上、私は必ず成し遂げてみせます」

 そして、守ってみせる。
 今度こそ、絶対に奪わせない。

 風獅フォンシーはまっすぐに前を見つめ、扉に手をかけた。


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