1 / 7
1話
しおりを挟む
ふと考えてみる。『こいつ』と俺の関係はいったいなんなのだろう。
物心がついたのはいつだったかなんて、はっきりとは覚えていない。だが、きっと最古の記憶がそれにあたるのだろう。
気がついた時からこいつは俺の隣にいた。家で遊んでいる記憶、幼稚園に通っている記憶、遠足に向かう記憶、小学校入学式の記憶、中学校時代での体育祭、修学旅行の記憶……とにかく、思い出すとキリがない。当たり前のように俺の隣で、笑って、怒って、泣いて。
家族というわけではない。別に血縁もないし、同じ家に住んでいるなんてこともない。一般的に言えば、友達にあたるのだろう。しかし、だからといってそんな簡単な言葉で片付けられるのはなんだか腹が立つ。
ちらりと視線を向けると、こいつは我が物顔で俺のベッドを占領し、読書にいそしんでいる。うつ伏せで枕に顎を乗せて、ゆらゆらと膝を伸ばしたり曲げたりしている。細長い指が動き、ページがめくられる。
外じゃ絶対に見られない光景だなと思う。こいつが世間体を気にしているのかどうなのかは知らないが、妙に外面はいい。目つきこそ悪いが、品行方正で生真面目。学生という身分故に強いられる学業においても、非常に優秀だ。たぶん、今のこいつの姿を見れば、大抵の人は驚くんじゃないかろうか。
「……なに?」
こちらの視線に気がついたのだろう。ただでさえ悪い目つきに加え、眉間のしわ。子供が見たら泣き出すのではないかという顔だ。しかも質が悪いことに、コイツは美人だ。そのせいで氷の刃を向けられている様な錯覚を受ける。
「お前、何しに来たの?」
しかしそれに恐れず、戦かず、率直な質問をぶつける。こいつが自室に上がり込んできたのは30分ほど前だ。もちろん会う約束などしていない。いきなり現れ、さも当然のように転がり込んで来たのだ。
「本を読みに来たのだが?」
「なんでうちで?」
こいつの手にあるのは我が蔵書から取ったものではなく、自分自身で持ち込んだものだ。
「何か問題でも?」
「いや、別にいいんだけどよ」
ならいいではないか、と視線が再び書面へと向かう。
レースのカーテン越しに、重苦しい曇天と降り付ける水滴が見える。どうしてこの大雨の中、いくら徒歩3分の距離とは言え、わざわざ俺の家で本を読もうなどいう考えに至ったのか理解できない。
ぱらりという紙のこすれる乾いた音が湿った雨音に混ざる。
本当に、こいつはなんなのだろう。横暴、とはちょっと違うが、自由気まますぎる気がする。普段の真面目なお前はどこに行ったと問いたい気持ちになるが、もしかしたらこれは真面目すぎる外面の反動なのかもしれない、だから仕方がないな、と考えてしまう分、俺も甘い。
なんとなく手を伸ばし、頭に触れてみる。一瞬、びくりとしたが、安心させるように撫でてみると、抵抗もなくそれを受け入れた。
癖の強く硬い髪質の俺とは違い、サラサラとしていて柔らかい絹糸のような指通しだ。それに何かいい香りがする。女子はなぜいつもいい匂いがするのだろうと小説や漫画の中で誰かが言っていたが、それはこんな香りなのだろうか。
「……芳佳」
凛とした口調で、こちらを見る。思わず、手が止まる。
「……学校には、行かないのか?」
押し黙る。学校はおろか、家から一歩も出なくなって、もうどれほどになるだろうか。両親の顔を見ることもほとんどない。視界の大半は髪でふさがれ、ぼさぼさとしている。後ろ髪も肩まで伸び、動くたびに首筋がこそばゆくなる。さすがに気持ち悪いため、シャワーは浴びているが、それでも不潔かつ不健康であることに変わりはないだろう。
「……いいだろ、べつに」
視線をそらす。こいつの真っ直ぐな視線が、突き刺さるようで痛かった。
「よくはない。いい加減にしないと、怒るぞ」
身体を起こし、ベッドサイドに腰掛ける。怒るぞ、という台詞の割に怒気は感じられず、どこか悲しげな口調だった。
「…………」
何も言わずに、膝を抱えると、小さくため息の音が聞こえた。
「また、明日も来る。だから……」
その先は告げず、室内は無音となり、一人残される。
薄暗い部屋で膝を抱え、虚空を凝視する。
いったいどうして俺は引きこもっているのだろうか。
どうしてこんな風になってしまったのだろうか。思い出そうとしても、答えは見つからない。
高校生になって、無事進級して、そこから何があったのか。何か、すごく怖いことが、現実から逃げたいことがあったはずだ。だから、今の俺がある。
雨音が強くなる。それが、ノイズのようでひどく不気味に聞こえる。
どうして、俺はここにいる。何があった。自問を繰り返す。しかし、やはり答えは見つからない。
「俺は……俺は……」
瞼を閉じ、頭を抱える。心臓の音が近くなり、ノイズが少し、弱まった気がした。
物心がついたのはいつだったかなんて、はっきりとは覚えていない。だが、きっと最古の記憶がそれにあたるのだろう。
気がついた時からこいつは俺の隣にいた。家で遊んでいる記憶、幼稚園に通っている記憶、遠足に向かう記憶、小学校入学式の記憶、中学校時代での体育祭、修学旅行の記憶……とにかく、思い出すとキリがない。当たり前のように俺の隣で、笑って、怒って、泣いて。
家族というわけではない。別に血縁もないし、同じ家に住んでいるなんてこともない。一般的に言えば、友達にあたるのだろう。しかし、だからといってそんな簡単な言葉で片付けられるのはなんだか腹が立つ。
ちらりと視線を向けると、こいつは我が物顔で俺のベッドを占領し、読書にいそしんでいる。うつ伏せで枕に顎を乗せて、ゆらゆらと膝を伸ばしたり曲げたりしている。細長い指が動き、ページがめくられる。
外じゃ絶対に見られない光景だなと思う。こいつが世間体を気にしているのかどうなのかは知らないが、妙に外面はいい。目つきこそ悪いが、品行方正で生真面目。学生という身分故に強いられる学業においても、非常に優秀だ。たぶん、今のこいつの姿を見れば、大抵の人は驚くんじゃないかろうか。
「……なに?」
こちらの視線に気がついたのだろう。ただでさえ悪い目つきに加え、眉間のしわ。子供が見たら泣き出すのではないかという顔だ。しかも質が悪いことに、コイツは美人だ。そのせいで氷の刃を向けられている様な錯覚を受ける。
「お前、何しに来たの?」
しかしそれに恐れず、戦かず、率直な質問をぶつける。こいつが自室に上がり込んできたのは30分ほど前だ。もちろん会う約束などしていない。いきなり現れ、さも当然のように転がり込んで来たのだ。
「本を読みに来たのだが?」
「なんでうちで?」
こいつの手にあるのは我が蔵書から取ったものではなく、自分自身で持ち込んだものだ。
「何か問題でも?」
「いや、別にいいんだけどよ」
ならいいではないか、と視線が再び書面へと向かう。
レースのカーテン越しに、重苦しい曇天と降り付ける水滴が見える。どうしてこの大雨の中、いくら徒歩3分の距離とは言え、わざわざ俺の家で本を読もうなどいう考えに至ったのか理解できない。
ぱらりという紙のこすれる乾いた音が湿った雨音に混ざる。
本当に、こいつはなんなのだろう。横暴、とはちょっと違うが、自由気まますぎる気がする。普段の真面目なお前はどこに行ったと問いたい気持ちになるが、もしかしたらこれは真面目すぎる外面の反動なのかもしれない、だから仕方がないな、と考えてしまう分、俺も甘い。
なんとなく手を伸ばし、頭に触れてみる。一瞬、びくりとしたが、安心させるように撫でてみると、抵抗もなくそれを受け入れた。
癖の強く硬い髪質の俺とは違い、サラサラとしていて柔らかい絹糸のような指通しだ。それに何かいい香りがする。女子はなぜいつもいい匂いがするのだろうと小説や漫画の中で誰かが言っていたが、それはこんな香りなのだろうか。
「……芳佳」
凛とした口調で、こちらを見る。思わず、手が止まる。
「……学校には、行かないのか?」
押し黙る。学校はおろか、家から一歩も出なくなって、もうどれほどになるだろうか。両親の顔を見ることもほとんどない。視界の大半は髪でふさがれ、ぼさぼさとしている。後ろ髪も肩まで伸び、動くたびに首筋がこそばゆくなる。さすがに気持ち悪いため、シャワーは浴びているが、それでも不潔かつ不健康であることに変わりはないだろう。
「……いいだろ、べつに」
視線をそらす。こいつの真っ直ぐな視線が、突き刺さるようで痛かった。
「よくはない。いい加減にしないと、怒るぞ」
身体を起こし、ベッドサイドに腰掛ける。怒るぞ、という台詞の割に怒気は感じられず、どこか悲しげな口調だった。
「…………」
何も言わずに、膝を抱えると、小さくため息の音が聞こえた。
「また、明日も来る。だから……」
その先は告げず、室内は無音となり、一人残される。
薄暗い部屋で膝を抱え、虚空を凝視する。
いったいどうして俺は引きこもっているのだろうか。
どうしてこんな風になってしまったのだろうか。思い出そうとしても、答えは見つからない。
高校生になって、無事進級して、そこから何があったのか。何か、すごく怖いことが、現実から逃げたいことがあったはずだ。だから、今の俺がある。
雨音が強くなる。それが、ノイズのようでひどく不気味に聞こえる。
どうして、俺はここにいる。何があった。自問を繰り返す。しかし、やはり答えは見つからない。
「俺は……俺は……」
瞼を閉じ、頭を抱える。心臓の音が近くなり、ノイズが少し、弱まった気がした。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説


初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

太陽に恋する花は口から出すには大きすぎる
きよひ
BL
片想い拗らせDK×親友を救おうと必死のDK
高校三年生の蒼井(あおい)は花吐き病を患っている。
花吐き病とは、片想いを拗らせると発症するという奇病だ。
親友の日向(ひゅうが)は蒼井の片想いの相手が自分だと知って、恋人ごっこを提案した。
両思いになるのを諦めている蒼井と、なんとしても両思いになりたい日向の行末は……。

残念でした。悪役令嬢です【BL】
渡辺 佐倉
BL
転生ものBL
この世界には前世の記憶を持った人間がたまにいる。
主人公の蒼士もその一人だ。
日々愛を囁いてくる男も同じ前世の記憶があるらしい。
だけど……。
同じ記憶があると言っても蒼士の前世は悪役令嬢だった。
エブリスタにも同じ内容で掲載中です。
当て馬系ヤンデレキャラになったら、思ったよりもツラかった件。
マツヲ。
BL
ふと気がつけば自分が知るBLゲームのなかの、当て馬系ヤンデレキャラになっていた。
いつでもポーカーフェイスのそのキャラクターを俺は嫌っていたはずなのに、その無表情の下にはこんなにも苦しい思いが隠されていたなんて……。
こういうはじまりの、ゲームのその後の世界で、手探り状態のまま徐々に受けとしての才能を開花させていく主人公のお話が読みたいな、という気持ちで書いたものです。
続編、ゆっくりとですが連載開始します。
「当て馬系ヤンデレキャラからの脱却を図ったら、スピンオフに突入していた件。」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/239008972/578503599)

火傷の跡と見えない孤独
リコ井
BL
顔に火傷の跡があるユナは人目を避けて、山奥でひとり暮らしていた。ある日、崖下で遭難者のヤナギを見つける。ヤナギは怪我のショックで一時的に目が見なくなっていた。ユナはヤナギを献身的に看病するが、二人の距離が近づくにつれ、もしヤナギが目が見えるようになり顔の火傷の跡を忌み嫌われたらどうしようとユナは怯えていた。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

王道にはしたくないので
八瑠璃
BL
国中殆どの金持ちの子息のみが通う、小中高一貫の超名門マンモス校〈朱鷺学園〉
幼少の頃からそこに通い、能力を高め他を率いてきた生徒会長こと鷹官 仁。前世知識から得た何れ来るとも知れぬ転校生に、平穏な日々と将来を潰されない為に日々努力を怠らず理想の会長となるべく努めてきた仁だったが、少々やり過ぎなせいでいつの間にか大変なことになっていた_____。
これは、やりすぎちまった超絶カリスマ生徒会長とそんな彼の周囲のお話である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる