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3章 時を綴る
3-2
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松雲寮は木造集合住宅2階建てである。
その2号室、十畳一間、個室に厠在り、共同浴場在り。ここが六之介の住処となる。
壁は白く塗られた土壁。入口から左手には押入れがあり、中には購入し、配達を依頼した真新しい布団がきっちりと収められている。押入れの開け閉めを妨げないような位置に文机が置かれている。華也曰く、古ぼけたものであるらしいのだが、文豪が使うような簡素さが気に入っていた。またこじゃれたデザインのランプも置かれている。
その文机の隣には天井に届きそうな書棚が置かれた。中身はまだ何もないが、徐々に増えていくだろうから、この大きさでいい。
書棚名の隣には陶器でできた取っ手が特徴的な衣装箪笥。普段着は下段に、魔導官服は上段に入れると使いやすいだろう。
出入り口と向かい合うように、窓がある。落下防止用の柵の向こうには、御剣の中心部の景色が広がっている。この街の象徴である塔も然りである。夕闇にのまれつつある街並みは美しく、思わず息をのむ。
天井からは簡素な電傘がぶら下がっている。だらしなく垂れ下がった電源の紐が小さく揺れている。
「……ん、なかなか悪くない」
いや、それどころかかなり良い。
映画やドラマの時代劇で見てきた光景、まるでそのセットがそのまま自分のものになったような錯覚を受ける。元の時代と比べると、娯楽は少ないかもしれないが、それに対する未練はない。むしろ、これからの生活への期待が強まる。
部屋の真ん中に置かれた座布団に腰を下ろし、ぐるりと見渡す。
まだまだ生活するうえで足りないものはあるが、これから補充していけばいい。幸いにも雲雀からは三日の準備期間を言い渡されている。それだけあれば事足りるだろう。
こんこんこんと、玄関がノックされる。
返事をすると、そこにいたのは華也であった。
「六之介様、失礼いたします」
いかなるときも彼女の立ち振る舞いは丁寧だ。
「おー、いらっしゃ……へえ」
六之介は目を見張る。その姿は漆黒の魔導官服ではなく、桃色の矢絣に紺色の袴を身に纏っている。下ろされていた長髪は、軽く三つ編みにされている。今までは服装のせいか凛々しさが際立っていたが、これは何とも可愛らしい。
「いかがなさいました?」
何かおかしな格好をしてしまっただろうかと、自身の袖を持ち上げ確認している。
「初めてそんな格好見たけど、いやあ、べっぴんさんだね、似合うよ」
素直な感想を口にすると、華也はこれ以上ないほど嬉しそうに笑う。そして、ぺこりと頭を下げ、ありがとうございますと口にする。
見た目も性格も非の打ち所がない。その上、それが嫌味にならない魅力がある。まるでお伽噺に登場するお姫様のようだ。
「あ、六之介様、お夕食がまだですよね?」
「うん、そうだね。時間は……ああ、時計は買ってなかった」
日の傾き具合から見ても、18時を回ったあたりだろうか。
「明日買いに行きましょうね。ああ、それでよろしければ食事を作ろうと思うのですが、ご一緒にいかがでしょうか?」
「ぜひ」
即答である。
六之介は、たいていのことは人並みにこなすことができるが、何かに特化しているということはない。所謂、器用貧乏というものに近いだろう。そんな彼が苦手とする唯一の事柄が、料理であった。
「分かりました。共用台所の勝手も説明するので、いらっしゃってください」
「了解了解」
畳から立ち上がり、雛のようについていく。階段を下り、大家の居住区の隣を通り過ぎ、廊下を渡る。右手を見ると、かなりの広さのある和室があり、宴会でもこなせるような巨大な机が鎮座していた。
「ここは広間です。打ち上げや催し物が行われます」
「へえ、そんなものまで」
「共用の台所はこの先ですよ」
宴会などの際に、食事を迅速に運べるような配置になっているようで、台所と広間は目と鼻の先であった。
白色の暖簾をくぐると、一段下がった土間が現れる。草履が三組並べられており、適当に履く。
村の台所とは大きさも利便性も段違いである。竈は四つもあり、煉瓦のような素材できっちりと作られている。その隣には水道設備完備の洗い場がある。竹で作った水道管もどきではなく、きちんと金属でできている。手の届く範囲に食器棚に並んでおり、皿の数も豊富である。
この時代のシステムキッチンといったところか。
華也は、竹で組まれた籠に収まっていた紐で器用にたすき掛けをし、その上から割烹着を身に纏う。
「ええと、たしか……」
華也は脇にある四つの箱に手を伸ばす。大きさは彼女の身長より少し小さいくらいだ。金属の骨組みに厚い木の板が張られている。
それには四つの扉が設けられており、一番小さな扉を開く。すると、中には新聞紙で覆われた包みが一つ。そして内部よりひんやりとした空気があふれてくる。
「それって……」
「冷蔵庫ですよ」
ぱたんと閉じる。
「冷蔵庫あるの? え、どういう構造?」
大きな扉を開き、中身を覗く。ここには瓶が二本入っている。その奥に、何やら格子状の金属に覆われたものがあり、螺子で固定されていた。手を触れてみると、氷のように冷たく、なにやら吸い込んでいるようであった。
「そこは動力部ですよ」
くるまれていたのは魚だったようで、それを簡単に洗い流し、まな板の上でさばきだす。手慣れた、鮮やかなものであった。しかし、六之介はそれ以上に冷蔵庫に気を取られていた。
「動力部……中に一体何が……」
「詳しくは分かりませんけど、魔術具の一種だそうです。そこの端子から電気が来ていて、それが動力部内の起動式に作用して、周囲の熱を吸い取っているとか」
科学技術のレベルからしても、元の時代にある冷蔵庫のような技術ではないとは確信していたが、やはり魔術か。
「なるほど、この世界は科学技術の代わりに魔術を使うようにしているのだな」
自室にあるランプなども電球の部分にビー玉を二周り巨大にしたようなものが埋め込まれていた。内部構造は一切不明だったが、コンセントのようなものを繋ぎ、球面に触れると点灯する。その不可思議さに首をかしげざるを得なかった。
「六之介様は、苦手な食べ物はありますか?」
「いや、ないよ」
「かしこまりました」
鼻歌交じりに、てきぱきと手を動かす。一切淀みも迷いもない。
三枚におろした魚の切り身を焼く。じわじわと脂が滲み出る。室内が芳ばしい匂いに満ちていく。
「ご飯とかは? 研ごうか?」
「あ、いえ。今から炊くと時間がかかるので、朝のものを温めなおそうかなと」
「そう? じゃあ、竈の火おこしを……」
村での二年間、火起こしくらいはなんてことは無い。
竈に置かれた釜を見るとすでに、蓋が小さく揺れていた。同時進行していたらしい。
「ん?」
違和感を覚える。釜は熱を帯びている。現に今にも吹きこぼれそうにカタカタと揺れ、湯気が吹き出している。だというのに、竈に火はたかれていない。墨が静かに転がっているだけなのだ。
「華也ちゃん、これって」
「はい、こういう使い方もあるんですよ」
いたずらっ子のように笑って見せる。
これは異能である。彼女の温度変化の力で、火をたくことなく釜を加熱しているのだ。
「便利だなあ」
「そうなんですよ。火熨斗も楽ですし、夏だろうと冬だろうと関係ありませんからね」
「確かに、汎用性は高いかもしれないね……ところで、『ひのし』って何?」
「え? あの着物の皺などを伸ばすものですけど」
「ああ、アイロンね」
かたんと音がした。竈を見ると、釜から蒸気が吹き出していた。十分な熱が伝わり始めたようである。
「六之介様、食器の準備をしていただいてもよろしいですか?」
「はいよ、平皿と茶碗が2つでいいかな?」
「あと小皿も1つお願いいたします。作り置きですが、お漬物もありますので」
出来た嫁のようだな、と思いながら、食器を手に取る。箸はどれが誰のものか分からないため、伽耶に任せることにする。
お盆がすでに置かれており、そこに皿を並べる。伽耶はすかさず焼き魚、白菜の漬物、味噌汁を盛り付ける。
「ご飯はどのくらいになさりますか?」
「ん、おなか減ってるから多めで」
実に適当な注文であったが、さじ加減は丁度よかったようで、六之介は何も言わずに受け取った。
そのまま先ほど通り過ぎた広間の向かいにある食堂に入る。広間ほどではないが、ここも十分に広い。適当な場所に向かい合って座る。
「お箸を買い忘れてしまいましたね、明日買いましょう」
「そうだね」
客人用の箸を用いることになった。
「いただきますっと」
「はい、どうぞ召し上がれ」
まずは味噌汁を口にする。具材は豆腐と大根であり、出汁の良い香りがする。そういえば、こちらに来てから簡単な煮汁しか口にしていなかったことを思い出し、口にかき込む。
「ど、どうでしょうか?」
他人に食事を作る機会など初めてなのだろうか。緊張の眼差しを向けている。
具材は程よい大きさに切られており、味も軽く染みている。大根には芯もなく、ほろほろと崩れる。出汁もいい味をしており、味噌の風味を引き立てている。
久しぶりということもあるだろうが、十分過ぎるものだ。
「美味い」
「本当ですか! 良かった」
ほっと一息つく。
続いて、焼き魚を口にする。見た目では筋が目立ったが、そうではないことに気付く。内部に脂身が多く、濃厚な味わいをしている。軽く塩を振っただけの味付けだが、さっぱりとして丁度良い。大根おろしや柑橘類の風味なども合いそうだ。
「これ、なんていう魚?」
「ミナという魚ですよ」
聞き覚えはない。おそらくこの世界特有の魚なのであろう。
「気に入りましたか?」
「うん、凄くおいしい」
「ミナは出世魚なんですよ。ミナからホウリ、イワフになるんです。ただホウリ、イワフになると値段が跳ね上がってしまうので、ミナが一般的ですね」
「へえ、安いんだ、これで……」
十分すぎる味だ。これなら毎日でも食べたい。程よい脂身のせいか、一般的な魚であるようには思えない。
最後に漬物を口に放り込む。独特の風味と塩気の強さが食欲を増幅させる。触感もしっかりとした繊維質を感じられ、噛むたびにしゃきしゃきという音がする。後味はすっきりとしており、後引きである。
「……ねえ、華也ちゃん、もうレビューしなくていい?」
「れびゅう?」
「感想とか言わなくていい? 今はただ欲望の赴くままに行動したい」
「は、はあ、どうぞ?」
そこからは無言であった。ひたすら箸を顎を動かす。白米も炊飯器で炊くよりも粘り気があり、甘い。それが食欲を増幅させた。
結果的に三杯ほどお代わりをし、ミナは一切れしかなかったためそれっきりであったが、漬物は作り置きがなくなるほど、味噌汁は鍋を空にするほどいただいた。
「……正直すまんかった。食べ過ぎた」
漬物などは保存食であったかもしれないのに、完食してしまった。しかも、自分はただ飯食らいである。居候三杯目にはそっと出し、ではないが、遠慮をすべきであった。
という反省とは裏腹に、華也はこ喜色満面であり今にも踊りだしそうなほど上機嫌である。
「いえいえ、また作ればいいんですから~」
食器を並び洗う。生暖かい気候のため、肌を打つ水の冷たさが心地よかった。
「魔導官として給料出たら、何かお返しするよ」
「いいですよ、そんな。あんなに美味しそうに召し上がっていただけて、私もうれしかったので」
本心であろう。屈託のない笑顔は澄んでいる。
こちらがなんといっても彼女は断るだろう。ならば、こっそりと買っておけばいいか、などと考えながら、食器を乾いた布巾で磨く。
「お風呂も案内しないといけませんね」
食器を戻し、割烹着を脱ぐ。台所を出て、広間まで戻る。
ここは十字路の様になっており、台所へ向かうの廊下を北側廊下とすると、浴場は東側廊下、玄関は西側廊下、管理人室は南側廊下にあり、広間は北東、食堂は北西、物置は南東、管理人室は南西、実際はもっと複雑であるがこういった配置となっている。二階への階段は、玄関の正面にある。
「ここを左折すると、浴場です。男女は分かれていますので、注意してくださいね」
「字読めないから、どっちがどっちか教えて」
「左手の青い暖簾が男性ですよ」
間違いが起こらないように、しっかりと記憶しておく。
「入浴の際は、手ぬぐいとお着替えを忘れないでくださいね。あと必要であれば洗顔料などもですが、基本的には備わっております」
旅館やホテルと似たようなものだと判断し、首肯した。
「ふうう……」
肩までお湯につかり、身体をほぐす。運動不足ではないが、都会の空気に呑まれたのか、疲労感が強かった。
浴槽はヒノキのようなものであるらしく、どことなく甘い香りがする。ぼんやりとした照明は魔術によるものだろうか。明るすぎず、暗すぎない明度は眠気を誘う。
今のところ遭遇はしていないが、ここにはあと男性一人、女性二人の魔導官がいるそうだ。現在は任務で出払っているそうで、近々顔を合わせることになるだろう。
それと管理人とも出会っていない。真っ先に挨拶すべき存在だと思うのだが、ここは管理人の家でも何でもないため、訪れるのは三日に一度程度だという。なんと適当なと思ったが、仕事は的確にこなしてくれるのだという。
「それにしても、良い身分だよなあ」
他でもない自分自身に向けた言葉である。
ど田舎で適当に暮らしていたら、魔導官にスカウトされ、都会に住むことになり、なんやかんや魔導官になると決め、住処も決まり、美少女に食事を作ってもらえて、その上は手足が伸ばせる風呂で疲れを癒せる、と来た。明日にでも隕石が直撃して死ぬのではないかと不安になるほどだ。元の世界でも、ここまでの好待遇はなかった。
「…………」
湯船に頭までつかり、勢いよく立ち上がる。
いい気分であったのに、嫌なことを思い出した。
「元の世界、じゃないな。前の、だ」
そう、もう戻れないだろうし、戻ろうとも思わない世界だ。
どうしても比較してしまうのは致し方ないとしても、出来ることならば早く忘れ去りたい。
身体は十分に温まった。
脱衣室に戻り、寝巻用の着流しを羽織る。洗濯物は脇のかごに入れておくように言われたため、素直に従う。
火照った身体を手で仰ぎながら、自室へ戻る。ふと見た窓からは、半月が顔をのぞかせていた。
その2号室、十畳一間、個室に厠在り、共同浴場在り。ここが六之介の住処となる。
壁は白く塗られた土壁。入口から左手には押入れがあり、中には購入し、配達を依頼した真新しい布団がきっちりと収められている。押入れの開け閉めを妨げないような位置に文机が置かれている。華也曰く、古ぼけたものであるらしいのだが、文豪が使うような簡素さが気に入っていた。またこじゃれたデザインのランプも置かれている。
その文机の隣には天井に届きそうな書棚が置かれた。中身はまだ何もないが、徐々に増えていくだろうから、この大きさでいい。
書棚名の隣には陶器でできた取っ手が特徴的な衣装箪笥。普段着は下段に、魔導官服は上段に入れると使いやすいだろう。
出入り口と向かい合うように、窓がある。落下防止用の柵の向こうには、御剣の中心部の景色が広がっている。この街の象徴である塔も然りである。夕闇にのまれつつある街並みは美しく、思わず息をのむ。
天井からは簡素な電傘がぶら下がっている。だらしなく垂れ下がった電源の紐が小さく揺れている。
「……ん、なかなか悪くない」
いや、それどころかかなり良い。
映画やドラマの時代劇で見てきた光景、まるでそのセットがそのまま自分のものになったような錯覚を受ける。元の時代と比べると、娯楽は少ないかもしれないが、それに対する未練はない。むしろ、これからの生活への期待が強まる。
部屋の真ん中に置かれた座布団に腰を下ろし、ぐるりと見渡す。
まだまだ生活するうえで足りないものはあるが、これから補充していけばいい。幸いにも雲雀からは三日の準備期間を言い渡されている。それだけあれば事足りるだろう。
こんこんこんと、玄関がノックされる。
返事をすると、そこにいたのは華也であった。
「六之介様、失礼いたします」
いかなるときも彼女の立ち振る舞いは丁寧だ。
「おー、いらっしゃ……へえ」
六之介は目を見張る。その姿は漆黒の魔導官服ではなく、桃色の矢絣に紺色の袴を身に纏っている。下ろされていた長髪は、軽く三つ編みにされている。今までは服装のせいか凛々しさが際立っていたが、これは何とも可愛らしい。
「いかがなさいました?」
何かおかしな格好をしてしまっただろうかと、自身の袖を持ち上げ確認している。
「初めてそんな格好見たけど、いやあ、べっぴんさんだね、似合うよ」
素直な感想を口にすると、華也はこれ以上ないほど嬉しそうに笑う。そして、ぺこりと頭を下げ、ありがとうございますと口にする。
見た目も性格も非の打ち所がない。その上、それが嫌味にならない魅力がある。まるでお伽噺に登場するお姫様のようだ。
「あ、六之介様、お夕食がまだですよね?」
「うん、そうだね。時間は……ああ、時計は買ってなかった」
日の傾き具合から見ても、18時を回ったあたりだろうか。
「明日買いに行きましょうね。ああ、それでよろしければ食事を作ろうと思うのですが、ご一緒にいかがでしょうか?」
「ぜひ」
即答である。
六之介は、たいていのことは人並みにこなすことができるが、何かに特化しているということはない。所謂、器用貧乏というものに近いだろう。そんな彼が苦手とする唯一の事柄が、料理であった。
「分かりました。共用台所の勝手も説明するので、いらっしゃってください」
「了解了解」
畳から立ち上がり、雛のようについていく。階段を下り、大家の居住区の隣を通り過ぎ、廊下を渡る。右手を見ると、かなりの広さのある和室があり、宴会でもこなせるような巨大な机が鎮座していた。
「ここは広間です。打ち上げや催し物が行われます」
「へえ、そんなものまで」
「共用の台所はこの先ですよ」
宴会などの際に、食事を迅速に運べるような配置になっているようで、台所と広間は目と鼻の先であった。
白色の暖簾をくぐると、一段下がった土間が現れる。草履が三組並べられており、適当に履く。
村の台所とは大きさも利便性も段違いである。竈は四つもあり、煉瓦のような素材できっちりと作られている。その隣には水道設備完備の洗い場がある。竹で作った水道管もどきではなく、きちんと金属でできている。手の届く範囲に食器棚に並んでおり、皿の数も豊富である。
この時代のシステムキッチンといったところか。
華也は、竹で組まれた籠に収まっていた紐で器用にたすき掛けをし、その上から割烹着を身に纏う。
「ええと、たしか……」
華也は脇にある四つの箱に手を伸ばす。大きさは彼女の身長より少し小さいくらいだ。金属の骨組みに厚い木の板が張られている。
それには四つの扉が設けられており、一番小さな扉を開く。すると、中には新聞紙で覆われた包みが一つ。そして内部よりひんやりとした空気があふれてくる。
「それって……」
「冷蔵庫ですよ」
ぱたんと閉じる。
「冷蔵庫あるの? え、どういう構造?」
大きな扉を開き、中身を覗く。ここには瓶が二本入っている。その奥に、何やら格子状の金属に覆われたものがあり、螺子で固定されていた。手を触れてみると、氷のように冷たく、なにやら吸い込んでいるようであった。
「そこは動力部ですよ」
くるまれていたのは魚だったようで、それを簡単に洗い流し、まな板の上でさばきだす。手慣れた、鮮やかなものであった。しかし、六之介はそれ以上に冷蔵庫に気を取られていた。
「動力部……中に一体何が……」
「詳しくは分かりませんけど、魔術具の一種だそうです。そこの端子から電気が来ていて、それが動力部内の起動式に作用して、周囲の熱を吸い取っているとか」
科学技術のレベルからしても、元の時代にある冷蔵庫のような技術ではないとは確信していたが、やはり魔術か。
「なるほど、この世界は科学技術の代わりに魔術を使うようにしているのだな」
自室にあるランプなども電球の部分にビー玉を二周り巨大にしたようなものが埋め込まれていた。内部構造は一切不明だったが、コンセントのようなものを繋ぎ、球面に触れると点灯する。その不可思議さに首をかしげざるを得なかった。
「六之介様は、苦手な食べ物はありますか?」
「いや、ないよ」
「かしこまりました」
鼻歌交じりに、てきぱきと手を動かす。一切淀みも迷いもない。
三枚におろした魚の切り身を焼く。じわじわと脂が滲み出る。室内が芳ばしい匂いに満ちていく。
「ご飯とかは? 研ごうか?」
「あ、いえ。今から炊くと時間がかかるので、朝のものを温めなおそうかなと」
「そう? じゃあ、竈の火おこしを……」
村での二年間、火起こしくらいはなんてことは無い。
竈に置かれた釜を見るとすでに、蓋が小さく揺れていた。同時進行していたらしい。
「ん?」
違和感を覚える。釜は熱を帯びている。現に今にも吹きこぼれそうにカタカタと揺れ、湯気が吹き出している。だというのに、竈に火はたかれていない。墨が静かに転がっているだけなのだ。
「華也ちゃん、これって」
「はい、こういう使い方もあるんですよ」
いたずらっ子のように笑って見せる。
これは異能である。彼女の温度変化の力で、火をたくことなく釜を加熱しているのだ。
「便利だなあ」
「そうなんですよ。火熨斗も楽ですし、夏だろうと冬だろうと関係ありませんからね」
「確かに、汎用性は高いかもしれないね……ところで、『ひのし』って何?」
「え? あの着物の皺などを伸ばすものですけど」
「ああ、アイロンね」
かたんと音がした。竈を見ると、釜から蒸気が吹き出していた。十分な熱が伝わり始めたようである。
「六之介様、食器の準備をしていただいてもよろしいですか?」
「はいよ、平皿と茶碗が2つでいいかな?」
「あと小皿も1つお願いいたします。作り置きですが、お漬物もありますので」
出来た嫁のようだな、と思いながら、食器を手に取る。箸はどれが誰のものか分からないため、伽耶に任せることにする。
お盆がすでに置かれており、そこに皿を並べる。伽耶はすかさず焼き魚、白菜の漬物、味噌汁を盛り付ける。
「ご飯はどのくらいになさりますか?」
「ん、おなか減ってるから多めで」
実に適当な注文であったが、さじ加減は丁度よかったようで、六之介は何も言わずに受け取った。
そのまま先ほど通り過ぎた広間の向かいにある食堂に入る。広間ほどではないが、ここも十分に広い。適当な場所に向かい合って座る。
「お箸を買い忘れてしまいましたね、明日買いましょう」
「そうだね」
客人用の箸を用いることになった。
「いただきますっと」
「はい、どうぞ召し上がれ」
まずは味噌汁を口にする。具材は豆腐と大根であり、出汁の良い香りがする。そういえば、こちらに来てから簡単な煮汁しか口にしていなかったことを思い出し、口にかき込む。
「ど、どうでしょうか?」
他人に食事を作る機会など初めてなのだろうか。緊張の眼差しを向けている。
具材は程よい大きさに切られており、味も軽く染みている。大根には芯もなく、ほろほろと崩れる。出汁もいい味をしており、味噌の風味を引き立てている。
久しぶりということもあるだろうが、十分過ぎるものだ。
「美味い」
「本当ですか! 良かった」
ほっと一息つく。
続いて、焼き魚を口にする。見た目では筋が目立ったが、そうではないことに気付く。内部に脂身が多く、濃厚な味わいをしている。軽く塩を振っただけの味付けだが、さっぱりとして丁度良い。大根おろしや柑橘類の風味なども合いそうだ。
「これ、なんていう魚?」
「ミナという魚ですよ」
聞き覚えはない。おそらくこの世界特有の魚なのであろう。
「気に入りましたか?」
「うん、凄くおいしい」
「ミナは出世魚なんですよ。ミナからホウリ、イワフになるんです。ただホウリ、イワフになると値段が跳ね上がってしまうので、ミナが一般的ですね」
「へえ、安いんだ、これで……」
十分すぎる味だ。これなら毎日でも食べたい。程よい脂身のせいか、一般的な魚であるようには思えない。
最後に漬物を口に放り込む。独特の風味と塩気の強さが食欲を増幅させる。触感もしっかりとした繊維質を感じられ、噛むたびにしゃきしゃきという音がする。後味はすっきりとしており、後引きである。
「……ねえ、華也ちゃん、もうレビューしなくていい?」
「れびゅう?」
「感想とか言わなくていい? 今はただ欲望の赴くままに行動したい」
「は、はあ、どうぞ?」
そこからは無言であった。ひたすら箸を顎を動かす。白米も炊飯器で炊くよりも粘り気があり、甘い。それが食欲を増幅させた。
結果的に三杯ほどお代わりをし、ミナは一切れしかなかったためそれっきりであったが、漬物は作り置きがなくなるほど、味噌汁は鍋を空にするほどいただいた。
「……正直すまんかった。食べ過ぎた」
漬物などは保存食であったかもしれないのに、完食してしまった。しかも、自分はただ飯食らいである。居候三杯目にはそっと出し、ではないが、遠慮をすべきであった。
という反省とは裏腹に、華也はこ喜色満面であり今にも踊りだしそうなほど上機嫌である。
「いえいえ、また作ればいいんですから~」
食器を並び洗う。生暖かい気候のため、肌を打つ水の冷たさが心地よかった。
「魔導官として給料出たら、何かお返しするよ」
「いいですよ、そんな。あんなに美味しそうに召し上がっていただけて、私もうれしかったので」
本心であろう。屈託のない笑顔は澄んでいる。
こちらがなんといっても彼女は断るだろう。ならば、こっそりと買っておけばいいか、などと考えながら、食器を乾いた布巾で磨く。
「お風呂も案内しないといけませんね」
食器を戻し、割烹着を脱ぐ。台所を出て、広間まで戻る。
ここは十字路の様になっており、台所へ向かうの廊下を北側廊下とすると、浴場は東側廊下、玄関は西側廊下、管理人室は南側廊下にあり、広間は北東、食堂は北西、物置は南東、管理人室は南西、実際はもっと複雑であるがこういった配置となっている。二階への階段は、玄関の正面にある。
「ここを左折すると、浴場です。男女は分かれていますので、注意してくださいね」
「字読めないから、どっちがどっちか教えて」
「左手の青い暖簾が男性ですよ」
間違いが起こらないように、しっかりと記憶しておく。
「入浴の際は、手ぬぐいとお着替えを忘れないでくださいね。あと必要であれば洗顔料などもですが、基本的には備わっております」
旅館やホテルと似たようなものだと判断し、首肯した。
「ふうう……」
肩までお湯につかり、身体をほぐす。運動不足ではないが、都会の空気に呑まれたのか、疲労感が強かった。
浴槽はヒノキのようなものであるらしく、どことなく甘い香りがする。ぼんやりとした照明は魔術によるものだろうか。明るすぎず、暗すぎない明度は眠気を誘う。
今のところ遭遇はしていないが、ここにはあと男性一人、女性二人の魔導官がいるそうだ。現在は任務で出払っているそうで、近々顔を合わせることになるだろう。
それと管理人とも出会っていない。真っ先に挨拶すべき存在だと思うのだが、ここは管理人の家でも何でもないため、訪れるのは三日に一度程度だという。なんと適当なと思ったが、仕事は的確にこなしてくれるのだという。
「それにしても、良い身分だよなあ」
他でもない自分自身に向けた言葉である。
ど田舎で適当に暮らしていたら、魔導官にスカウトされ、都会に住むことになり、なんやかんや魔導官になると決め、住処も決まり、美少女に食事を作ってもらえて、その上は手足が伸ばせる風呂で疲れを癒せる、と来た。明日にでも隕石が直撃して死ぬのではないかと不安になるほどだ。元の世界でも、ここまでの好待遇はなかった。
「…………」
湯船に頭までつかり、勢いよく立ち上がる。
いい気分であったのに、嫌なことを思い出した。
「元の世界、じゃないな。前の、だ」
そう、もう戻れないだろうし、戻ろうとも思わない世界だ。
どうしても比較してしまうのは致し方ないとしても、出来ることならば早く忘れ去りたい。
身体は十分に温まった。
脱衣室に戻り、寝巻用の着流しを羽織る。洗濯物は脇のかごに入れておくように言われたため、素直に従う。
火照った身体を手で仰ぎながら、自室へ戻る。ふと見た窓からは、半月が顔をのぞかせていた。
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元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
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。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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