堕ちた神と同胞(はらから)たちの話

鳳天狼しま

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第一部

サイドストーリー・グライドとレビィの章

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「アタシは女じゃないわ、でも今までこうして生きてきた、ならもう、これでいいんじゃないかなって」
最期のアークスの言葉を思い出しながら、グライドはその墓前に花を手向ける。
国家お抱えのスパイと言うその職種に違わず、アークスは気高い人間だった。
グライドは男だ女だという価値観を抜きにしても、彼の人のそんな所を深く尊敬していたし、またとても好意的に思っていた。
胸のロケットペンダントの中には、在りし日のアークスの写真が入っていた。

***

時は二十年前、グライドが十六歳の頃。
物心ついた頃から、国家お抱えの暗殺者の家系で育ったグライドは、その日も闇ギルドの取り引きの返り道だった。
街ですれ違うのは、変哲のない一般的な生活をするであろう国民たち。
一方でグライドは生まれた時から”そういう人生”しか知らなかったし、また幼い頃から暗殺術を叩き込まれてきた自分には、そういう生き方しかないであろうと、どこかで割り切っていた。
しかしそれでも、父母からかねがね言われていた事がただひとつあった。
「私たちの仕事は明るみに出ない、明るみに出てはいけない仕事だが、これだけは覚えておいてくれ。私たちの仕事は”誰かの救いになる”仕事だ。暗殺術がもたらすのは、標的の強制的な死だけではない。それに関わる人々の人生もまた、悪くも良くも左右される。お前はそんな仕事をしていくんだ」
”時には死が誰かの救いになることだってある”
グライドがそんな父の言葉を実感することになるのは、この時からすればまだ遥か未来のことであった。

グライドは程なく、路地裏のひとり住まいの静かな部屋にたどり着く。
共に暮らしていた両親は暗殺仕事の返り討ちにあい命を落としていた。
自分たちの仕事の業の深さを思い知りつつも、グライドは真実この生活以外知らなかった。
地下ストックからおもむろにワインを取り出そうと床の扉を開ける。
この世界の成人年齢は十八歳だが、グライドは齢十六にして酒の味を覚えてしまっていた。
仕事の後など胸の奥がモヤモヤして落ち着かない日は、決まってワインを一瓶消費するのがルーティンだった。
「まずったな、ストック切らしてたんだった」
今日買い足すつもりでいたのをすっかり忘れていたのを思い出したグライドは、今日受け取ったばかりの報酬を手に酒屋へ向かった。

グライドは未成年ではあったが、俗に言う老け顔と言うやつで、酒をやるにも煙草をやるにも不自由しない外見だった。
見慣れた店主の居る酒屋へ入ると、ふわりといい香りが漂ってくる。
誘われるように視線を向ければ、薄紅の髪色でグライド程に背の高い人物が居た。
「ワンケースちょうだい、お代はいつものとこに領収書お願いね」
”そういや今日は新しい銘柄のワインの解禁日だったな”
思い立って店主に問うと、今ほど買っていった客で最後のストックだったと言う。
「さっきの薄紅の髪の人だよ、ワンケース買って行かれたからね、運が良ければ一瓶くらいは譲ってくれるかもしれないが……」
「分かった、ありがとよ!」
店主の言葉で店を出たグライドは先程の薄紅の髪の人物の後を追いかけた。
「ちょっと、そこのあんた、良かったら一瓶分けてくれねぇか?お代は倍出すからよ」
声に振り向いたのは、中性的な風貌からはやや意外な、きりりとした面差しの青年だった。
グライドよりも四つほど年上だろうか。
先程買ったワンケースのワインを軽々と手にしていた事からしても、明らかに男性だった。
「あら、このワイン欲しいの?ていうか、あんたまだ未成年じゃない?アタシ一応官僚なんだけど」
げっ、という顔をしたグライドに、中性的な青年はどこか悪戯な笑みでふふっと笑って言った。
「でもまぁ、いいわ、口止め料ってことで、ちょっと付き合いなさい」
「えっ」
言われるまま青年の後を着いていくと、大通りに面した高級マンションの一室に着いた。
「入って、今日は一人で飲みたくない気分だったから」
言われるまま入ると、部屋の奥中央にある暖炉の上には年代物のワインの空き瓶が沢山並んでいた。
彼もまた酒好きな人間である事が伺い知れた。
「凄いな、これだけの数を……」
「でしょ?なかなかこうして他人に見せる事も無いから、そう言われるとなんだか嬉しいわ」
キッチンからコルク抜きとワイングラスを一対持ってきた青年は、それらをテーブルの上に並べるとグライドに手招きした。
「あんた、アタシと同じ裏稼業の人間でしょ?」
「……!?どうしてそれを」
「雰囲気と立ち振る舞いで分かったわ。あとその歳で酒に溺れてるなんて、ろくな人生の人間じゃないって事も」
「……ご最もで」
青年と並んで椅子に座ったグライドは”アタシと同じ”という言葉がふと気にかかったが、あえて問い返さなかった。
それはこの先、敵か味方か、どちらになる人間か分からないという事もあっただろう。
官僚で裏稼業とくれば、この荒廃したご時世、今後どこかで鉢合わせる事も無いとは言いきれない。
互いの仕事環境を不用意に侵さぬのが、このひと時の縁を貰ったリターンであるとグライドは考えた。
「ありがとう、今日はアンタがどういう人間であれ、独り身のアタシと飲んでくれる事に感謝するわ」
「こっちこそ、未成年飲酒の片棒担がせて悪いな」
「本当よ、官僚に何させてくれてんのよ」
はははと、和やかな空気が流れる。
何だかんだあれど、グライドは見ず知らずの他人と酒を交わす時の、この独特な空気感が好きだった。
生まれ育った環境、仕事環境の独特さも理由にあっただろう。
人の温かさや情に触れていたいと、願う気持ちがどこかにあった。
”裏稼業をしている奴らはみんなそうだ、どこか寂しげな目をしてる”
グライドのような裏稼業をしている人間は、プライベートまで深く親しむ人間を作れない。
この青年も恐らく同じ部類の人間なのだろうと思われた。
”だからこそこいつも俺のプライベートに関して問わないんだろう”
そう思うと、これから敵になるやもしれぬ相手であるのに、不思議とどこか落ち着ける雰囲気のある青年だった。
「何かつまめるものが欲しいわね、ちょっと待ってて」
そう言って戻ってきた青年がテーブルの上に出してきたのは、大ぶりな燻製肉だった。
「さすがは官僚様だな、つまみも良い物食ってる」
「いつもは月に一回だけなんだけど、今日はアンタが居るから、特別」
そう言ってまた悪戯に微笑んだ青年は、唯一己の名を明かしてくれた。
「アークス、あたしの名前よ」
「アークスさんか、おれはグライド、よろしくな」
この後どういった形で再会するかも分からぬのだから、よろしくというのは少々違う気もしたが、グライドはこのアークスという青年の纏う気楽な雰囲気が、不思議と居心地が良かった。
グライドもどちらかと言えば気楽に物事を考えて行動する方だったため、波長が合ったのだろう。
何より酒の好みも合う。
一時とはいえ、友人として接して良い人間に間違いは無かった。

「今日はありがと、アタシみたいな変な奴に捕まる前に、早く帰りなさいよ」
「はいはい」
まるで旧年来の友人のように別れを告げたグライドは、久しぶりに穏やかな気持ちで帰路についた。

***

それから一ヶ月程が経ったある日、グライドの元へ暗殺の依頼が入った。
標的者だと言われた者の写真を目にして、グライドは瞬時にその人物を思い出した。

「アークス、あたしの名前よ」

あの日の青年の表情と写真の面差しが重なった。
どこから見ても女の風貌に化けていたが、暗殺者ゆえの目利きか、グライドはすぐに分かった。
「こいつを、殺せばいいんだな」
いつかこんな日が来るとは予想はしていた。
じわりと苦い感情が心を支配して行くのを感じたが、それが生きる生業であった以上、グライドに断る道は無かった。
”あいつも同じ裏稼業に生きる人間だ。それなら、こういう最期が来る事だってきっと予想はついてる”
そう言い聞かせて、グライドは言われた指定の場所へと向かった。
指定された場所へ着くと、同業だと言う男二人が待っていた。
風貌の拙さからして、おそらくグライドよりも経験の浅い暗殺者だろうと思われた。
「オレはグリオス、この隣の旦那がレビィ、よろしくな」
グリオスと名乗った男は目深に被った帽子で顔は伺い知れなかったが、レビィと名乗った不死鳥羽のピアスの青年は、同性のグライドの目から見てもとても整った顔立ちをしていた。
どこぞの貴族や王族だと言っても違和感のないような気品も感じられるから不思議だった。

暗殺は深夜に決行された。
鴉も路地裏の猫も寝静まった深夜二時。
見覚えのある通りを抜けて、入った覚えのある高級マンションに向かう。
音を立てずに窓ガラスをくり抜いたグリオスが、カチリと静かに鍵を開ける。
突入すると、あの日酒を酌み交わした暖炉とテーブルセットがあった。
コレクションのワインボトルの数は格段に増えていて、アークスが変わらず酒好きな生活を送っていた事が伺い知れた。
「何をしているんです、行きますよ」
背後のレビィに静かに声を掛けられはっとしたグライドは、心の中でアークスに逃げてくれと願いながら、寝室のドアを開けた。
「……!」
寝室はもぬけの殻だった。
開け放たれた窓には赤染めのシルクのカーテンがはためいていた。
「探しましょう、逃がしてはなりません」
グライドの心中など知らぬレビィとグリオスは、逃げたアークスを探すべく再び窓を抜けて行った。

最早アークスを逃がす腹積もりで彼を探していたグライドは、通り過ぎようとした塔の中階段に見覚えのある薄紅色の髪の後ろ姿を見つけ、すぐさま後を追った。
たどり着いたのは、星空の見渡せる塔の最上階だった。
長いブラウンのコートを纏った、女の風貌をした後ろ姿。
後ろ髪は初めて会った頃よりも幾分伸びており、三つ編みにされた薄紅の髪がテールのように靡いていた。
「アークス!」
天井もない吹きさらしの屋上で、グライドはその名を呼んだ。
振り返ったアークスは「久しぶりね」と、あの日のような悪戯な微笑みで迎えた。
「何となく思ってたわ、いつかこんな日が来るんじゃないかって」
どこか悟ったような目をしたアークスは、「あんたに殺されるなら、それも悪くないかもね」と笑った。
”今ならまだ逃げられる”
そう言おうとしたグライドだったが、アークスの眼差しを見てその考えは変わった。
覚悟を宿した戦う男の目。
グライドが幾度も目にしてきた、戦ってきた相手たちと同じ眼差しだった。
殺るか殺られるか。
武器を手にしたのは同時だった。
グライドの手にした銃を、アークスの懐から飛び出した鞭が弾き飛ばす。
もう一方の手にした、棘付きの茨の様なナイフがグライドに襲い掛かる。
馬乗りになったアークスは、グライドの首にナイフを突き付けると、冷めた表情で己の身の上を明かした。
「ここに来てるならもうご存知とは思うけど、アタシは中央都市政府で国家スパイをしてるわ。アンタが後暗い身の上の人間だとは思ってたけど、まさか暗殺者だったとはね」
「……どうしてさっきあんな事を言った……!死んでも良いだなんて」
「……アタシが守ってたのは奴隷狩りを許してた政府、幾度となく子供たちの人生が地獄に落ちるのを見過ごして来たのよ」
そう言ったアークスの表情には、化粧で隠されてはいたが、長い合悩んできたらしき眉間の皺の跡が薄らと見えた。
「アタシはスパイの家系に生まれて、あんたはそういう人生に生まれて、これは運命だったのかしらね」
頼りない孤月の照らす星空の下、泣き出しそうに歪んだ中性的なアークスの表情が、グライドの心にこれまでになく痛々しく突き刺さった。
次の瞬間、アークスの手からグライドの手に握り込まされたナイフが、彼の身を貫いた。
「……!!!」
グライドの手に伝い落ちる、まだ命の温度を持った生暖かい紅。
幾度もその手に銃を持ち、命を屠ってきたはずだと言うのに、いざ我が身でそれを感じ取るととても恐ろしく感じられた。
「馬鹿野郎!なんで……!」
「政府が必ずしも正しいとは限らないわ、そういう奴ばかりじゃないとも知ってるけど、信頼出来る仲間も居ないアタシには、こういうやり方しか出来なかった」
「……てめぇ……」
「アタシは女じゃないわ、でも今までこうして生きてきた、ならもう……これでいいんじゃないかなって」
そう言ったアークスは、己の内ポケットから小さな黒表紙の手帳を取り出すと、グライドに手渡した。
「形見に、受け取ってちょうだい、優しい暗殺者さん」
相変わらず悪戯っぽく微笑んだアークスは、その言葉を最後に事切れた。
己の身にもたれかかった彼の体を受け止めたグライドは、はじめての親友の最後を、静かに受け入れていた。

その後合流したグライドとレビィたちはアークスの死亡を依頼元へ届け出た。
アークスから託された手帳をひとり持ち帰ったグライドは、ワインに口をつけながら、血に汚れた表紙を静かに開いた。
一番始めのページに貼り付けられていたのは、子供たちの奴隷解放を掲げる賞金稼ぎ、”ソルティドッグ”の報道の切り抜きだった。
次のページには土地名と拠点名と部屋番号が書かれており、”いつか親愛なるあなたへ届きますように”と書かれていた。
裏取引きのギルドで何度か聞いたことがあった、奴隷商人が出入りしているという噂の拠点だった。
おそらくここに、攫われた子供たちが捕らわれて居るという、アークスなりのメッセージなのだろう。
「親愛なるあなたへ、か…分かったぜ、必ず届ける」
アークス殺害の依頼を受けた日、受け取った写真。
女性の身なりをしたその写真を収めたロケットペンダントに、グライドはそっと語り掛けた。

それから一月程経って、グライドの耳にも子供たちの奴隷解放の報が次々と入ってきた。
グライドがアークスから託された情報を、ソルティドッグ宛に託したものが功を奏したのだろう。
「お前の志は確かに繋いだぜ、ゆっくり休みな」
辛い環境にあっても気高い志しを失わなかった親友の墓へ、グライドは最初の花束を手向けた。
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