うそつきなのは恋のせい

浜芹 旬

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その後

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 二十三時前に駅に着くと、俊樹は人気のない道を歩きだした。

 いつも週末は楽しいけれど、今日は特別気分が良い。酒の効果も加わって、スキップでもしたいような心持だったが、そうしないだけの理性はまだ残っていた。

『今日、やっぱりここに帰っておいでよ』

 その言葉を思い出すと、思わず口元が緩む。内心では元カレのことを気にしてくれていたのも嬉しかった。恋人の負の感情を願うなんて良くないことかもしれないが、人間そう美しくは生きられないものだ。

 マンションに着くと、弾むような足取りで階段を上る。少し火照った頬に、冷たい夜の空気が心地よい。

 静かな廊下を進んでドアの前に来ると、俊樹は一つ深呼吸をして鍵を差し込んだ。まだこの瞬間に慣れない。

 できるだけ音をたてないようにドアを開けた。リビングから光が漏れている。足音を立てないように廊下を進み、部屋の中をのぞく。

 黒川はソファに座って本を読んでいる。

 普段はかけない銀縁の眼鏡、テーブルに置かれたロックグラス、手元のハードカバー、ゆるく組まれた長い足、知的な眼差し。全てが完璧に調和して、まるで映画のワンシーンのようだ。

 しばしの間俊樹がその様子に見惚れていると、黒川が笑いながら顔を上げた。

「さっきからそこで何してるの。おかえり、思ってたより早かったね」

 俊樹は自分の視線に気づかれていたことが恥ずかしくなって、黒川から目を逸らした。

「主役の先輩が早々に出来上がっちゃって、一次会だけだったんです」

「なるほどね。じゃあ飲み足りないんじゃないの」

「そうかも」

 俊樹は黒川の意図を察して、グラスに水割りを作って黒川の隣に座った。

「楽しかった?」

「はい。結構久しぶりだったんで、皆と話せてよかったです。ああそう、木山が黒川さんのこと格好良いって言ってましたよ」

「なんかちょっと照れくさいね」

 困ったような黒川の珍しい表情に、俊樹はどこか得意げな笑みを返した。

「今日は早めに終わっちゃったから、また近いうちに集まろうって――」

 そこまで言って、俊樹ははっと黒川の顔を見上げた。

 黒川はそんな俊樹の様子を見て口元に笑みを浮かべると、俊樹の髪を撫でた。

「別に心配しなくても、止めたりしないよ。元カレなんていないってわかったからね」

 そこで俊樹は黒川が勘違いしている可能性に気づいた。訂正すべきかしないべきか。数秒の逡巡の後、正直に話すことに決めた。

「えっと、その、言い方が悪かったかもしれないんですけど、元カレ自体はいますよ。もちろん、その人との接点なんてもう何も無いし、当然今日の飲み会にはいませんでしたけど」

 黒川の顔には一瞬驚きの表情が浮かんだが、すぐに元の穏やかな顔に戻った。

「あ、ああ、そうなんだね」

 どんな人、と聞いてきたりはしない。俊樹にとってもあまり楽しい話題ではないから、今は黒川の心遣いが有難かった。それを伝える代わりに、俊樹は甘えるように黒川に身を預けた。

「心配しなくても、その人に道で声かけられたって無視しますよ」

「そうしてくれると嬉しい。じゃないと僕はもう死んでしまうかもしれない」

 黒川のおどけたような口調に、俊樹は笑みを返した。

「お風呂入ってきますね」

 俊樹はそう言って黒川を上目遣いに見上げた。黒川の唇が俊樹の額に触れる。

 土曜日の夜が明ける気配はまだない。
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