1 / 6
1
しおりを挟む
恋人との待ち合わせの楽しさを黒川が思い出したのはつい半年程前、俊樹と付き合い始めてからのことだ。
まだ待ち合わせ時間まで十分ほどあるが、きっと彼はもう来ているだろう。
駅前を行き交う人の中に、見慣れた横顔を見つける。
無意識に歩く速度が上がるのを抑えるために、意識してゆっくりと歩く。一回り以上年下の恋人に、余裕のないところを見せたくはない。
駅ビルのショーウインドウに映る自分の姿を確認する。おかしなところはなさそうだ。
俊樹までほんの五メートルほどの距離に来た時、彼が見知らぬ若い男と話をしているのに気づいた。
二十代の後半。俊樹と同じくらいの年だろう。二人は親しげに談笑している。
声をかけるべきか待つべきか、と立ち止まったところで、俊樹がこちらを振り向いた。
「あ、黒川さん」
先程までも笑っていたはずなのに、こちらを向いた一瞬で、ぱっと表情が明るくなる。
黒川の方も、自分の顔が綻ぶのが分かった。
「おまたせ。えっと、」
黒川が俊樹の前に立つ男を見ると、彼はこんにちは、と言って黒川に会釈した。顔立ちはいたって平凡だが、真面目でおとなしそうな好青年だ。
「彼氏さん、ですかね」
黒川はその言葉に驚いた。肯定して良いのかどうかわからず、俊樹の方を見る。
「そうだよ」
俊樹が何でもないことのように答える。
「それはそれは、お邪魔しました。じゃあまたな、相良。デート楽しんで」
「うん。木山も元気でね」
木山と呼ばれた青年は俊樹に手を振り、黒川の方にもう一度会釈して、雑踏の中に消えて行った。どこか微笑ましいやり取りに、頬が緩む。
「友達?」
俊樹は頷いた。
「研究室の同期です」
「友達は知ってるんだ。その、なんて言うか」
俊樹は言葉に詰まった黒川を見上げて微笑んだ。
「高校までは黙ってましたけど、大学では普通にカミングアウトしてました。別に嫌な思いとかしませんでしたよ」
「そっか、それなら良かった」
「表立って差別なんかしたら、そっちの方が顰蹙ですから」
「へえ。今はそんな感じなんだね」
そう話しながらも、歩き出した俊樹は黒川と少し距離を取る。年の離れた友人か、親戚くらいに見える距離。
「うちの大学の校風なのかもしれませんけどね」
良い時代になったということなのか、それなりに名の知れた国立大の学生ともなれば相応の処世術を身に着けているということなのか黒川には判断できなかったが、何にしても俊樹が幸福な大学生活を送っていたらしいというのは喜ばしいことだった。
「まあ、さっきのは元カレなんで、カミングアウトも何もないですけど」
思いがけない言葉に、思わず足が止まる。俊樹も同じように自然に足を止めたので前を見ると、ちょうど信号が赤だった。
黒川だって、別に自分が初めての恋人だなどと思っていたわけではないが、あまりにもこともなげに言われたその単語に衝撃を受けずにいられるほどできた人間ではない。さらに言えば、それを俊樹に知られたくないと思う程度に虚栄心もある。
「あ、そうなんだ。良い子そうだったね」
我ながら矮小な人間だなと思いながら、のどかな昼下がりに似合わないどんよりとした感情を溶かさないように気を付けて、無難な言葉を返す。
こんな嘘の余裕をいつまで続けられるものだろうか、と思いながら俊樹を見る。
信号が青になって一足先に歩き出した俊樹の顔は、黒川からは見えなかった。
まだ待ち合わせ時間まで十分ほどあるが、きっと彼はもう来ているだろう。
駅前を行き交う人の中に、見慣れた横顔を見つける。
無意識に歩く速度が上がるのを抑えるために、意識してゆっくりと歩く。一回り以上年下の恋人に、余裕のないところを見せたくはない。
駅ビルのショーウインドウに映る自分の姿を確認する。おかしなところはなさそうだ。
俊樹までほんの五メートルほどの距離に来た時、彼が見知らぬ若い男と話をしているのに気づいた。
二十代の後半。俊樹と同じくらいの年だろう。二人は親しげに談笑している。
声をかけるべきか待つべきか、と立ち止まったところで、俊樹がこちらを振り向いた。
「あ、黒川さん」
先程までも笑っていたはずなのに、こちらを向いた一瞬で、ぱっと表情が明るくなる。
黒川の方も、自分の顔が綻ぶのが分かった。
「おまたせ。えっと、」
黒川が俊樹の前に立つ男を見ると、彼はこんにちは、と言って黒川に会釈した。顔立ちはいたって平凡だが、真面目でおとなしそうな好青年だ。
「彼氏さん、ですかね」
黒川はその言葉に驚いた。肯定して良いのかどうかわからず、俊樹の方を見る。
「そうだよ」
俊樹が何でもないことのように答える。
「それはそれは、お邪魔しました。じゃあまたな、相良。デート楽しんで」
「うん。木山も元気でね」
木山と呼ばれた青年は俊樹に手を振り、黒川の方にもう一度会釈して、雑踏の中に消えて行った。どこか微笑ましいやり取りに、頬が緩む。
「友達?」
俊樹は頷いた。
「研究室の同期です」
「友達は知ってるんだ。その、なんて言うか」
俊樹は言葉に詰まった黒川を見上げて微笑んだ。
「高校までは黙ってましたけど、大学では普通にカミングアウトしてました。別に嫌な思いとかしませんでしたよ」
「そっか、それなら良かった」
「表立って差別なんかしたら、そっちの方が顰蹙ですから」
「へえ。今はそんな感じなんだね」
そう話しながらも、歩き出した俊樹は黒川と少し距離を取る。年の離れた友人か、親戚くらいに見える距離。
「うちの大学の校風なのかもしれませんけどね」
良い時代になったということなのか、それなりに名の知れた国立大の学生ともなれば相応の処世術を身に着けているということなのか黒川には判断できなかったが、何にしても俊樹が幸福な大学生活を送っていたらしいというのは喜ばしいことだった。
「まあ、さっきのは元カレなんで、カミングアウトも何もないですけど」
思いがけない言葉に、思わず足が止まる。俊樹も同じように自然に足を止めたので前を見ると、ちょうど信号が赤だった。
黒川だって、別に自分が初めての恋人だなどと思っていたわけではないが、あまりにもこともなげに言われたその単語に衝撃を受けずにいられるほどできた人間ではない。さらに言えば、それを俊樹に知られたくないと思う程度に虚栄心もある。
「あ、そうなんだ。良い子そうだったね」
我ながら矮小な人間だなと思いながら、のどかな昼下がりに似合わないどんよりとした感情を溶かさないように気を付けて、無難な言葉を返す。
こんな嘘の余裕をいつまで続けられるものだろうか、と思いながら俊樹を見る。
信号が青になって一足先に歩き出した俊樹の顔は、黒川からは見えなかった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
【Rain】-溺愛の攻め×ツンツン&素直じゃない受け-
悠里
BL
雨の日の静かな幸せ♡がRainのテーマです。ほっこりしたい時にぜひ♡
本編は完結済み。
この2人のなれそめを書いた番外編を、不定期で続けています(^^)
こちらは、ツンツンした素直じゃない、人間不信な類に、どうやって浩人が近づいていったか。出逢い編です♡
書き始めたら楽しくなってしまい、本編より長くなりそうです(^-^;
こんな高校時代を過ぎたら、Rainみたいになるのね♡と、楽しんで頂けたら。
待っていたのは恋する季節
冴月希衣@商業BL販売中
BL
恋の芽吹きのきっかけは失恋?【癒し系なごみキャラ×強気モテメン】
「別れてほしいの」
「あー、はいはい。了解! 別れよう。じゃあな」
日高雪白。大手クレジットカード会社の営業企画部所属。二十二歳。
相手から告白されて付き合い始めたのに別れ話を切り出してくるのは必ず女性側から。彼なりに大事にしているつもりでも必ずその結末を迎える理不尽ルートだが、相手が罪悪感を抱かないよう、わざと冷たく返事をしている。
そんな雪白が傷心を愚痴る相手はたった一人。親友、小日向蒼海。
癒し系なごみキャラに強気モテメンが弱みを見せる時、親友同士の関係に思いがけない変化が……。
表紙は香月ららさん(@lala_kotubu)
◆本文、画像の無断転載禁止◆
Reproducing all or any part of the contents is prohibited without the author's permission.

デコボコな僕ら
天渡清華
BL
スター文具入社2年目の宮本樹は、小柄・顔に自信がない・交際経験なしでコンプレックスだらけ。高身長・イケメン・実家がセレブ(?)でその上優しい同期の大沼清文に内定式で一目惚れしたが、コンプレックスゆえに仲のいい同期以上になれずにいた。
そんな2人がグズグズしながらもくっつくまでのお話です。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

交錯する群像劇(週4更新)
妖狐🦊🐯
BL
今宵もどこかのお屋敷では人と人による駆け引きが行われている
無垢と無知の織りなす非情な企み
女同士の見えない主従関係
男同士の禁断の関係
解決してはまた現れて
伸びすぎたそれぞれの糸はやがて複雑に絡み合い
引き合っては千切れ、時には強く結ばれた関係となる
そんな数々のキャラクターから織りなす群像劇を
とくとご覧あれ
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる