うそつきなのは恋のせい

浜芹 旬

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 恋人との待ち合わせの楽しさを黒川が思い出したのはつい半年程前、俊樹と付き合い始めてからのことだ。

 まだ待ち合わせ時間まで十分ほどあるが、きっと彼はもう来ているだろう。

 駅前を行き交う人の中に、見慣れた横顔を見つける。

 無意識に歩く速度が上がるのを抑えるために、意識してゆっくりと歩く。一回り以上年下の恋人に、余裕のないところを見せたくはない。

 駅ビルのショーウインドウに映る自分の姿を確認する。おかしなところはなさそうだ。

 俊樹までほんの五メートルほどの距離に来た時、彼が見知らぬ若い男と話をしているのに気づいた。

 二十代の後半。俊樹と同じくらいの年だろう。二人は親しげに談笑している。

 声をかけるべきか待つべきか、と立ち止まったところで、俊樹がこちらを振り向いた。

「あ、黒川さん」

 先程までも笑っていたはずなのに、こちらを向いた一瞬で、ぱっと表情が明るくなる。

 黒川の方も、自分の顔が綻ぶのが分かった。

「おまたせ。えっと、」

 黒川が俊樹の前に立つ男を見ると、彼はこんにちは、と言って黒川に会釈した。顔立ちはいたって平凡だが、真面目でおとなしそうな好青年だ。

「彼氏さん、ですかね」

 黒川はその言葉に驚いた。肯定して良いのかどうかわからず、俊樹の方を見る。

「そうだよ」

 俊樹が何でもないことのように答える。

「それはそれは、お邪魔しました。じゃあまたな、相良。デート楽しんで」

「うん。木山も元気でね」

 木山と呼ばれた青年は俊樹に手を振り、黒川の方にもう一度会釈して、雑踏の中に消えて行った。どこか微笑ましいやり取りに、頬が緩む。

「友達?」

 俊樹は頷いた。

「研究室の同期です」

「友達は知ってるんだ。その、なんて言うか」

 俊樹は言葉に詰まった黒川を見上げて微笑んだ。

「高校までは黙ってましたけど、大学では普通にカミングアウトしてました。別に嫌な思いとかしませんでしたよ」

「そっか、それなら良かった」

「表立って差別なんかしたら、そっちの方が顰蹙ですから」

「へえ。今はそんな感じなんだね」

 そう話しながらも、歩き出した俊樹は黒川と少し距離を取る。年の離れた友人か、親戚くらいに見える距離。

「うちの大学の校風なのかもしれませんけどね」

 良い時代になったということなのか、それなりに名の知れた国立大の学生ともなれば相応の処世術を身に着けているということなのか黒川には判断できなかったが、何にしても俊樹が幸福な大学生活を送っていたらしいというのは喜ばしいことだった。

「まあ、さっきのは元カレなんで、カミングアウトも何もないですけど」

 思いがけない言葉に、思わず足が止まる。俊樹も同じように自然に足を止めたので前を見ると、ちょうど信号が赤だった。

 黒川だって、別に自分が初めての恋人だなどと思っていたわけではないが、あまりにもこともなげに言われたその単語に衝撃を受けずにいられるほどできた人間ではない。さらに言えば、それを俊樹に知られたくないと思う程度に虚栄心もある。

「あ、そうなんだ。良い子そうだったね」

 我ながら矮小な人間だなと思いながら、のどかな昼下がりに似合わないどんよりとした感情を溶かさないように気を付けて、無難な言葉を返す。

 こんな嘘の余裕をいつまで続けられるものだろうか、と思いながら俊樹を見る。

 信号が青になって一足先に歩き出した俊樹の顔は、黒川からは見えなかった。
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