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 仕事から帰ってドアを開けると、なぜかソファの前で突っ立っている榊が居る。でも様子がおかしい。こちらを見ようともしないし、生きているか心配になるくらい動かない。
「榊…?」
肩に触れて顔を覗き込むと、びくりと全身が跳ねた。
「ご、め、なさ、っ、んっ、」
尋常じゃなく顔が白くて、呼吸もうまく出来ていないようで、そのまましゃがみ込んでしまう。
「榊!!どうしたの!?苦し?」
「べん、しょう、する、ごめ、なさい、」
弁償、その言葉が出てきた時、初めて彼のズボンの違和感に気づいた。
(濡れてる…)
ソファの上に乗せられている沢山のタオル。なんとなく、察した。
「やっちゃった?」
そう問いかけると、ハフハフと荒い呼吸をしながら、こくりと首が縦に振れる。
「片付け難しいよね、一緒にやろうか」
「む、り、おれ、わか、ない、」
「大丈夫大丈夫。とりあえず息吐いてみようね」
ゆっくりと背中をさすってやって、そう言って促してやると、案外すぐに安定した呼吸を見せてくれて安心した。
「落ち着いた?とりあえずシャワー行こっか」
「………」
「一緒に入る?」
「………」
力無くこちらを向いた榊の表情に驚いた。表情筋全てに力が入っていなくて、無表情。思わず触った頬は冷たくて、まだ白い。
「おいで、あったまろうね」
自分で歩けるようだ。手を引っ張って起こそうとする前に自分で立って、でも一人で風呂場に向かうことはせず、俺の足元をずっと見ている。
「こっち、ついておいで」
冷たい手を引くと、震えている。まるで怯えた子犬みたいだ。
脱衣所で俺が脱いでいる間も、ジッとしたまま動かない。ずっと下を向いたまま。
「脱がないの?」
そう問うてもギュッと怯えたように服の裾を握るだけ。
「脱がせるね」
濡れたズボンを下ろしても反応がない。いつもの榊ならこんなの自分でできると言って笑いながら振り払ってくるのに。
「はいばんざーい」
呼びかけは聞こえているみたいだ。ノロノロと腕が上がってすんなりと風呂に入る準備ができた。
「ここ座って。今日のお風呂、ここで終わらせちゃおっか」
椅子に腰掛けた榊の頭を濡らし、シャンプーを垂らす。わしゃわしゃと髪の擦れる音だけが響く。
「俺、怒ってないよ?それは分かる?」
こくりと頷く榊。でも、相変わらず黙ったまま。
「それなら良いよ。はい、流すよー」
体を洗ってもいい?と聞くと、静かに頷き、前も俺がやっていいの?と聞いても首を縦に振る。されるがままの人形みたいだ。
「ぁっ…」
久しく声が聞けたのは、俺が榊のお腹をボディーソープで撫でた時。突然全身が震えると同時に小さな声が上がる。
ちょろ…
石鹸まみれの性器の先から、水が垂れる。立っている榊の全身が硬直したかと思ったら、今度は足をモジモジとくねらせ始めた。
「ぁ…といれ、…」
急に来たのだろうか、さっきまでそんな素振り、見せなかったのに。しゃがんだ先に見える榊のお腹は確かに少し膨らんでいるけれど。
ギュッと前を押さえて、でも動くと耐えられなくなるのか、太ももだけスリ…と重ね合わせたまま固まってしまう。
「ここでしちゃいな。流したらいいだけだから」
力の入りきっていない手をのけて、腹筋の下の少し膨らんだ部分を柔く撫でてやる。
「っ、んっ、」
「ほら、シャワーで流してるから。ぜーんぶ力抜いて」
っしぃいいいいいいいい!!!
勢いよく飛び出したおしっこは、シャワーの水を突き抜けて、大きな放物線を描く。
「っは、んぁっ、」
気持ちよさそうな声をあげて、でも恥ずかしいのだろうか。耳が真っ赤で、顔も、肩も、ほんのりとピンクに染まっている。でも、さっきの蒼白な顔よりは全然いい。血色の良くなった顔色に、安心を覚えた。
そのまま性器の周りだけでなく、首や肩、背中、全身にシャワーを当てて泡を流していくと、元の滑らかな肌が露出していく。
「よし、綺麗になった。おしっこまだ残ってる?」
「…ない」
「ん。じゃあお風呂浸かっときな。俺もシャワーしちゃっていい?」
「ん…」


「あれ、もう上がるの?」
俺が頭を洗い終わったくらいのころ、ザバァと音が鳴って後ろを通ろうとする榊。
「熱い…から」
「そっか…一人で出来る?」
「うん…」
成人男性にその質問は要らなかっただろうか。でもさっきまでの様子を見た俺の身からすると、聞かずには居られない気持ちは分かるだろう。


気持ち早めに浴槽から出て、リビングへ向かうとソファの前でしゃがみ込んでいる榊が見える。
「榊?何してるの?」
「…お酢と水混ぜたやつ…これで吹きかけたら臭い、とれる、らしい…」
「そっか。一人でやってくれたんだ、ありがとね」
「…ねぇ、これ、捨てる?」
「え、別に良いんじゃない?気になるなら買い替えるけど…」
「やだ…これがいい、」
「そっか。…お腹空いたね、ご飯食べよっか」
「…っ、」
「榊?」
俯いて黙り込んでしまった榊の顔を見てギョッとする。目一杯に涙を溜めて、唇をギュッと噛んで、体を揺らすだけでポロリとこぼれ落ちそうなほどに不安定。
「どーしたのそんな顔して。何か悲しいことあった?」
「俺ね、今日、ごはん、つくってないの」
それは、綺麗に片付けられたキッチンを見ると一目瞭然だ。もしかしてそのことで負い目を感じているのだろうか。
「別に今から作れば良い話じゃん。それで泣いてるの?」
「せんたくも、してない、」
ヒク、と喉を引き攣らせたあと、言葉が続く。
「なにも、できなくて、からだ、動かなくって、おれ、変なの、きょう、3回もしたし、やっきょくいったけど、恥ずかしくて、買えなくって、」
どんどん声が濁って、最終的には泣き出してしまう。
 今までも大丈夫と言って笑っていたけれど、無理しているんだということは何となく察していた。いつもしっかりしていて、ニコニコしていて。休みの日も出勤時間と同じ日に起きて、乱れのない生活を送っている彼が今、地面に座り込んで子供のように泣きじゃくっている。
 後悔していた。朝、もっと早くに扉を開けて溜まっていたものを吐き出させてやるべきだった。責めるみたいに言うべきじゃ、なかった。昨日、無理矢理にでも呼び止めるべきだった。
 頭の中に押し寄せる後悔。俺は丸まった体を抱き上げて、背中を叩くことしか出来なかった。
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