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「ついに今日かー…」
 荷物は新居に送り届けた。とは言っても送ったのは本棚と、ベッドと、着替えと、クマのぬいぐるみ。すっからかんで広く感じる。
 綾瀬専用のお茶碗とか、お箸とか、コップとかはお願いしてここに置いてもらうことにした。だって嫌だったから。この食器たちに「秋葉くん」との思い出を追加させたくはないっていう女々しいワガママだ。
 綾瀬が帰ってきた時、食器が無かったら困るでしょ?という言い訳は苦しかっただろうか。俺って実は重い奴なんじゃなかろうか。

「せんせー!!できたー、食べよ?」
2人では少し狭いテーブルには、唐揚げ、卵焼き、味噌汁、サラダ…。色とりどりの料理がズラリと並んでいる。
「朝なのにこんなに食べれないよ…」
「ごめん…張り切りすぎた…まあ余ったら冷凍しとくからさ。夜ご飯の一品とかにしてよ」
「ありがと、食べよっか」
いただきます、明日からは1人で言わなきゃいけないのか。



「じゃあね先生」
「ん、いつでもおいでね」
「…っ、」
「綾瀬?」
秋葉くんとの待ち合わせ、遅れるよ?そう言うも、返事がない。
「まあさ、めちゃくちゃ遠いわけじゃないんだし…」
「先生にはさ、いっぱいいーっぱい、感謝してるの」
急に出した綾瀬の声は、少し掠れている。緊張の現れだろうか。
「俺が熱出した時も、心細かった時も、寝るの怖かった時も。俺が寝るまでずっとずっと頭撫でてくれて、大丈夫って、いっぱい言ってくれて、ね、…だからね、」
 ありがとうございました。
90度の綺麗なお辞儀。ああ、一つの節目なんだ。綾瀬の成長を、見れた。さっきまで寂しかったのに、今は。今だけは少し、嬉しい。
 親じゃないけど少しだけ、卒業式に来る保護者の気持ちがわかった気がした。


「ほら綾瀬、涙拭かないと。秋葉くん、びっくりしちゃうよ?」
「っ、だってぇ…」
しゃがんで綾瀬と目を合わせて、タオルで涙を拭う。もう少し、綾瀬がドアの向こうに行くまでは。俺は「大人」を演じよう。ちゃんと、送り出そう。
「ほらほら、さっきのカッコいい綾瀬はどうしたの!!背中、シャキッとする!!」
ドン、と喝を入れるように叩くと、痛いと呻く声。
「じゃあね先生、お世話になりました」
ドアが開く。お幸せに、ずっとずっと言おうと温めていた言葉を飲み込んだ。最後まで吹っ切れてないな、俺。
「行ってらっしゃい」
また、ただいまって言ってほしい。半年後でも、1年後でも、それ以上でも良いから。たまには戻ってきて、食卓を囲みたい。そんな私情だらけの思いを込めた、一言。
「…行ってきます!!」
元気な声が玄関に響いた。ドアが閉まった。やっぱり寂しい。
「俺も婚活…するかなぁ…」
静かになったリビング。机も1人じゃ広すぎる。俺も、綾瀬に学ばされていたんだなぁ。
 窓を開けて、大きく伸びをする。憎たらしい程に青い空はきっと、彼らの始まりを素敵なものにしてくれるだろう。


 また、元気な声でただいまって聞かせてね。
 おかえりって言わせてね。



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