隣の家

こじらせた処女

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突然頭上から降ってくる声にビックリしてまた、じゅわりと下着が濡れる。
「気分悪い?って君…隣の…」
「っ、ん、」
そういえば、みたことある気がする。よく家を出る時間が被って挨拶する人。
「こんな時間にどうしたの。しんどい?」
「っ、ぃ、」
一向に顔を上げない俺に違和感を抱いたのだろう。軽く叩いた背中の振動が辛い。
「っ、といれ、かして、ください、」
しゃがんで目線を合わせようとしてくるその人にバレる前に、咄嗟に口に出した。
「かぎ、なくて、」
「コンビニも、なくって、」
顔が熱い。恥ずかしすぎて泣きそう。中学生にもなってたいして親しくもない人に、こんなお願い。
「わかった。今青信号だから渡ろ。頑張れる?」
無理、動けない。ずっと波がきてる。もう、先っぽまで来てる。
「っ、ん゛、」
腰を浮かせて膝を曲げて、足をクロスさせたまま、押さえる手に力が入るように尻を思いっきり突き出して。滑稽って分かってる。でも、ここで全てをぶちまけるのが1番恥ずかしいって分かるから。
「もう少し頑張れ」

「っは、ぁ、」
一歩一歩が遅い。下を向いてるからこの人がどんな表情をしているか、分からないけど靴が見えるから一緒に歩いてくれているんだろう。
エレベーター、早く来いよ。急に歩くのをやめたらまた辛くて足踏みを繰り返してしまう。
「ぁ、でぅ、も、でる、」
出そうになってしゃがもうとすると、腕をグッと掴まれた。
「今座ったら立てんくなるぞ。もう少しだから」
「ぁ、や、だ、もれる、」
「漏れない。ほらエレベーターきた」
足を何回組み替えただろう。何回前を握り直しただろう。痛いぐらいに握りしめてるから、手の感覚がない。


「あ、おかえりーー」
「ごめんこの子トイレ連れたっげて」
「あ、さっきの…おいで、靴のままでいいから」
あ、この人。一緒に住んでたんだ。知らなかった。断った手前気まずい。それも小便我慢できなくなったからだなんて。前髪が降りていて、さっきよりもずっと幼い。シャンプーの匂い、する。キャラクターもののクマのエプロンも相まって本当に俺と同い年みたいだ。
「うわ服冷たっ、外寒かったでしょ…」
背中、さすらないでくれ。大きな波により一層出口を握りしめる。
「っっ、~、」
廊下なのに暖かい。他人の家の、嗅ぎ慣れない匂いなのに。夕飯の味噌汁と混ざって、何か。
「ぁっ、」
明らかに俺の家とは違う時間が流れている。埃ひとつない廊下で、暖房がついていないのに。
「ぅぁ、」
ジワリと前が緩んだ。
「ぁっ、っ、」
俺しか知らない。握りしめている手がどんどん濡れてるってこと。じゅわってあったまって、ズボンにゆっくりと広がっていく。
ズボンの中を通って何本もの水滴が水色の玄関マットに染み込んでいく。
「っ、ぁっ、」
足をクロスしたら逆にまた、出てく。腹に力を込めたらまた、水流が強くなる。
 動けない。動いたら、全部。
「あらら…もうここでしちゃいな」
しゅぃっ、しぃいいいいっ、
家主からの許しをもらってしまえば、体が耐えるのをやめた。返事よりも先にしっこが溢れてくる。押さえた手が水圧に負けた。
 おれ、小さい頃とおんなじ失敗してるじゃん。同じ玄関で、同じ格好で、同じようにちんちん押さえながら。ただ、ここはヒトん家で、あの時みたいにみっともなく泣いていない。そんで、あの時よりもずっとずっと恥ずかしくて、でも怒鳴られないことにホッとしている。
「よしよし、ぜーんぶぜんぶ出しちゃいな」
お腹、撫でられてる。ぼんやりした視界で、薬指に指輪をしている手が見える。
しゅいいいいいいっ、じゅぁあああああ…
マットが音を吸ってるから静か。あの時はびちゃびちゃ音立てて、うるさかったなぁ。目の前の惨劇を理解したくない頭がそんなことを勝手に考える。
しぃぃ…ちゅいぃ…
腹、めっちゃスッキリした。そんで、死にたいくらいに恥ずかしい。逃げたい。何も言わずに階段に走りたい。
「…さーせん、」
泣きたい気持ちを堪えて言った謝罪は自分でも驚くほどに震えていた。
「…べんしょう、します、」
これ、高かったらどうしよう。小便くらい管理しろよ自分。そもそも、部活の後済ませとけよ。家追い出される時だって、トイレぐらい行く時間あっただろ。
 あ、やばい、泣きそう。
「気にしない気にしない。やっすいやつだから。おいで、お風呂沸いてるから」
「っ、゛、」
喋れない、声出せない。息したら多分、こぼれる。

 瞬間、隣のドアが開く音がする。
「っんもーー、飲み過ぎだよぉ、」
酔っ払った母さんの声がする。
「酒のんだら勃たねえって嘘だったんだな、やっぱり麻子がきれいだから?」
「もぉやだぁっ、コンビニまで遠いんだからねぇ、」
陽気な声はエレベーターの到着と共に遠ざかっていく。最悪のタイミングでバレた。
「あれ、鍵なかったんじゃ…」
「晴、しっ。あんな雰囲気じゃ帰れねえだろ。…早よ来い。風邪引くぞ」
「…かあさん、今日だけ、なんです、いそがしかったから、…きのぉ、にくじゃが一緒にたべたし、だから、だから、」
喋れば喋るほど、裏目に出ている気がする。母さんのこと、悪く言わないで欲しい。今言われたら本当にしんどい。
「きょうは、たまたま、…」
泣くなよ自分。これじゃ本当に母さん悪者じゃん。どうしよう、家連れ戻されたら。母さんにネチネチ言う人達だったら。どっか通報されたら。
 母さんと暮らせなくなったら。
「ん、大丈夫。分かってるよ。お母さん大好きなんだね」
瞬間、心が溶けた。ひっきりなしに涙がこぼれて、裾で拭っても拭っても、拭っても。
「お風呂入ろっか。本当に風邪ひいちゃう」
とん、と腰を撫でられて、びちゃびちゃの手をひかれて。空気を読まない腹が鳴ってまた、恥ずかしい。聞こえただろうか。チラリとそちらを見ると目が合って、すぐさまそらした。
「ふふっ、お腹すいた?上がったらご飯も食べてきな。いっぱい作ったから」
何も聞かない。探ってこない。近所のババアみたいに明日の話のネタにもしないだろう。ただ、風呂を提供してくれて、ご飯まで。詮索されないのが安心する。
 味噌汁と、炊飯器の炊けた米の匂い。本当に景色がふわふわして、夢の中みたいだ。

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