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第300話 嵌められた溝渕エンターテイメント

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 溝渕エンターテインメントの社長室。
 そこには、リモコンを片手に握り締め、ニュースを愕然とした表情でガン見する現社長、溝渕一心の姿があった。

「――な、何だこれは……何なんだこれは……!」

 テレビに映り記者会見をしているのは、溝渕エンターテインメントの看板タレントである矢崎絵里と売り出し中の若手タレント、水野美嘉の二人。

 溝渕は大いに混乱していた。

「一体、何が起こっている……なんで、矢崎と水野が会見なんて……」

 しかも、会見内容があまりに酷い。
 すぐに会見を止めさせなければ……いや、ここで変に止めては逆に目立つ。
 会見を止める事はできない。
 それに数年前に亡くなった親父が、矢崎と水野に性加害行為を行なっていた?
 あの親父がか?? そんな馬鹿な……。

 確かに、芸能界にはそういった類いの黒い噂はいくらでもある。
 かつては興行などを巡る枕営業・性接待が常態化。俳優のスケジュールを押さえる為、映画会社やプロデューサーが女性を用意して枕営業で接待する事が横行していたし、それをタレントが週刊誌に暴露し、泥沼訴訟となったケースも知っている。
 他の事務所で極稀に、オーディション面接者に対して、合格を交換条件に猥褻行為を強要し、逮捕された代表者がいるという話も聞くが、溝渕エンターテインメントの方針はタレント第一主義。
 そういった芸能界の慣習が嫌さに親父が立ち上げた事務所で、タレントが自分の個性をいかんなく発揮できる様、最大限のサポートを行うのが、事務所のモットーだ。そのような事が起きぬよう所属タレントを守る為、細心の注意を払っていたが、まさか親父がそんな事をしていたとは……。
 事実確認をしようにも、親父は数年前に死んでいる。実際にあった事なのかどうかを確認する術もない。
 一方で、被害を受けたと告白するタレントが二人いるのも事実。これから増える可能性もあると示唆しているが、どちらも人気のあるタレントだ。話題性もあり、先ほどから事務所にかかってくる電話が止まらない。

 スマホの画面に映るニュースサイトに視線を落とすと、そこには『溝渕氏は、性加害する対象を常に求める捕食者』といった記事や『芸能界の公然の秘密、溝渕氏の性加害』といった見出しが並んでいる。コメント欄も非難一色。

『現社長の一心氏も、溝渕慶太が性加害していた噂位は聞いた事がある筈』
『実の父親とはいえ、一心氏が溝渕慶太氏に対する監視・監督義務を果たしていればこんな事にはならなかった。一心氏は溝渕慶太氏から引き継いだ株すべてを譲渡し、事務所を去るべきだ』

 まだまだ沢山あるが、日本中のすべての人が敵に回ってしまったかの様な絶望感を感じる。
 中には、矢崎と水野のファンと思わしき人からの殺害予告や事務所の放火予告なんてものもある。

 殺人と放火予告については警察に相談するとして、何か対策を取らなければ、数十年続いてきた事務所が私の代で終わってしまう。
 落ち着く為、席に着き、すっかり温くなった珈琲を一啜りすると、ドアをノックする音が聞こえてくる。

「――社長。今、よろしいでしょうか?」

 ドアノブをガチャリと鳴らし、遠慮なく社長室に入ってきたのは、この事務所の副社長である瀬戸内野心。前社長が存命の頃からこの事務所を支えてきてくれたブレーンだ。

「ああ、瀬戸内か。大変な事になったな……」

 前代表が自社のタレントに対して性加害を行っていたなんて、今になっても信じられないが、矢崎と水野が嘘であのような会見を開く筈がない。
 何せ、矢崎と水野はうちの事務所の看板タレント。CMにも引っ張りだこで、既に映画やドラマの撮影、バラエティー番組の出演も決まっている。
 その二人が、自身のタレント生命を賭けてまで告発に踏み切ったのだ。
 二人がそう言うなら、それが事実なのだろう。

 頭を抱えていると、瀬戸内が私のデスクの前まで歩いてくる。

「――社長、『大変な事になったな』ではありません。こうなった以上、事務所としても対応せざるを得ません。突然の事態にタレント達も動揺しています」
「……そうか……そうだよな」

 動揺しているのは、何も私だけではない。

「早急に所属する全タレントから……」

『事情を聴き、他にも性被害に遭ったタレントがいないか調べよう』そう言おうとすると、瀬戸内が被せる様に声を上げる。

「――いけません社長。まさかとは思いますが、社長自ら所属するタレントに性加害に遭った者がいないかどうか直接確認しようと考えている訳ではありませんよね?」

 瀬戸内が珍しく真顔だ。確かに、これはナイーブな問題だが、うちの親父が関わっている。社長として謝罪し、直接、被害の実態を確かめるのはそんなに拙い事だろうか?

「駄目か? 対策を立てる為には、早急に被害状況を確認する必要があると思うのだが……」

 呟く様にそう言うと、瀬戸内はため息を吐き首を振る。

「――社長は被害者の気持ちをまったく理解していない……いいですか? あなたの父親がタレントに性加害を加えていたかも知れないんですよ? そんなあなたが聞き込みをすれば、タレントはどう感じると思います? 加害者の息子であるあなたに本当の事なんて言える訳がないじゃありませんか……」
「ううっ!」

 た、確かに、瀬戸内の言う通りだ。

「そうだな……なら、どうしたらいい。外部専門家によるケアや窓口を設置するにしても、私が選任したとなれば……」
「――私にお任せ下さい。確かに外部専門家によるケアや窓口の設置なども必要でしょうが、それよりも先に一企業としてやるべき事があります」

 な、何だそれは……。

「や、やるべき事……? それは社長として所属タレントに謝罪するより先にやるべき事なのか?」
「はい。その通りです」

 瀬戸内は人差し指を立てると、私に言い聞かせる様に言う。

「――性加害は重大な人権侵害。特にこれは故溝渕慶太氏により長年行われていた大規模性加害事件です。本当は相談して欲しかった所ですが、所属タレントがタレント生命を賭けて記者会見を開き、性加害を告白した以上、当事務所としては早急に、第三者委員会を設置し、本件の原因究明及び再発防止策の立案、社会的信頼の回復を図る必要があります」
「第三者委員会か……」

 第三者委員会とは、企業が不祥事を起こした際に、原因究明や再発防止策の検討等を目的として設置される経営陣などの企業内部から独立した機関。
 確かに、外部の有識者を中心に構成された第三者委員会を設置し、公平・公正な立場から提言して貰う事で、世間に真摯な姿勢を示す事ができる。

「……だが、外部の有識者を中心に構成ともなると、コントロールが効かない。万が一、こちらに不利となる提言をされたらどうするつもりだ?」

 不利な提言をされれば、社会的信頼を回復する所か、事務所自体が終わる。所属しているタレントだって……権利問題もあり簡単に移籍すればいいという話でもない。
 既に社会は告発したタレント二人に対して同情的だ。証言だけで証拠が一切出てきていないにも拘らず、完全に事務所が悪い事になっている。

「――例えそうだとしても、それが第三者委員会の提言である以上、甘受するべきです。しかし、ご安心下さい。知り合いに第三者委員会経験のある弁護士がいます。独立した第三者といっても費用の支払いは事務所が行うのです。完全に独立した第三者という訳ではありません。ある程度、こちらの言い分も聞いて貰える筈です。それに、彼女等の言う事が真実かどうかも現時点では判断が付きません」

 確かにその通りだ。性加害したとされる親父は数年前に亡くなった故人。被害に遭ったという彼女等の証言以外、確認できるものが何もないのも事実。

「……わかった。第三者委員会の手配を頼む」
「はい。タレントへの説明は私にお任せ下さい。それと、マスコミから記者会見実施の要望が来ています。注目度も高く、避けて通る事は……」
「そうだな……メンバーが確定次第、マスコミに、第三者委員会を立ち上げた旨を報告。第三者員会の調査結果及び再発防止策の提言を受け、適切に対応を進めていく旨、伝えるとしよう」

 第三者委員会がどんな調査報告書を出してくるかは分からないが、少なくない金を出して調査して貰うんだ。エビデンスなしに被害者の意見すべてを鵜呑みするそんな恥知らずな調査結果は出してこないだろう。ただ、被害者から意見を聞いてレポートに纏めるだけなら小学生にでもできる。
 どのように調査するのかは分からないが、やるなら何があったのかを徹底的に調査し、提言して欲しいものだ。第三者委員会の調査報告書は世間を納得させる為のもの。信頼回復を図る為にも、忖度することなく徹底的に調査して欲しい所である。

「それでは、早急に、第三者委員会の手配とプレスリリースを行います」
「ああ、頼んだぞ……」

 瀬戸内が部屋から出て行くのを見届けると、私は事務所の行く末に頭を抱えこんだ。

 ◇◆◇

「ふっ……馬鹿な奴だ……」

 社長室を出た溝渕エンターテインメントの副社長、瀬戸内野心は、事務所の社長である溝渕一心が第三者委員会を受け入れた事を受けてほくそ笑む。

「私が彼女達と繋がっているとも知らずに……これで、あの馬鹿社長もお終いだ」

 そう呟くと私は、被害を訴えた張本人、矢崎絵里に対して、彼女を支援する団体が推薦してきた弁護士に第三者委員会の委員選任の依頼メールを出す。

 前社長である溝渕慶太に引き抜かれ、事務所で働く事、四十年……。
 これまで事務所に最大限の利益を齎す為、奔走してきた。
 にも拘らず、与えられたポジションは肩書だけの副社長……。
 これまで、身を粉にして事務所の為に立ち回ってきたというのに、受け取ったのは名ばかりの肩書だけだ。年収も五千万円ほど貰っているが、副社長が貰う報酬としては微々たるもの……。

 数日前、普段通り仕事をしていると、事務所の看板タレントである矢崎絵里から一本の電話があった。
 内容は当然、今回の件について……初めは、矢崎の事を止めようと思った。
 しかし、話を聞いている内に、もう駄目だと悟った。
 売り出し中のタレント数名が被害を訴えるのだ。内容が内容だけに事務所がいくら否定しようと、社会は彼女達の味方をする。
 何より、私は彼女に弱味を握られている。だからこそ、私は彼女に協力する事にした。
 丁度、私も役員定年を迎える。
 今、責任を取ったという体で辞めれば、役員慰労金も支給されるし、彼女達が新しく立ち上げる財団法人の理事の一人として雇い入れてくれるよう確約も取ってある。
 辞め時という奴だ。

 この数十年、私は事務所に最大限の利益を齎す為に尽力した。
 もう十分だろう。そろそろ、私自身の幸せを追いかけてもいい筈だ。
 例え、それが冤罪・・であったとしても、私の弱味を暴露されるより遥かにマシというもの……。

 心の中で、そう呟くと、瀬戸内は黒い笑みを浮かべた。

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 次回は2023年10月17日AM7時更新となります。
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