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第84話 その頃、アメイジング・コーポレーションでは……②

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 会社の昼休みが終わり、会議室に向かうと、既に和歌山工場の富田工場長が部下の岡本と共に直立姿勢で待っていた。

 西木社長が会議室に入ってきた瞬間、二人は示し合わせたかの様に頭を下げる。

「西木社長。ご報告が遅れてしまい大変申し訳ございませんでした!」
「申し訳ございませんでした!」

 富田工場長と岡本の言葉に、西木社長は一瞬、立ち止まるも、すぐにそれを無視し、何事もなかったかの様に椅子に腰を掛ける。

「それでは、これから事実確認を始める。えーっと、富沢君に岡島君だったかな?」
「社長。富田に岡本です」

 即座に訂正を促すと、西木社長はワザとらしく視線を富田工場長と岡本に向けた。

「ああ、そうだったな、富田に岡本か。うん? どうした。これから事実確認を始めるのになんで席に着かない。会議室に入る時、くだらん謝罪の言葉が聞こえてきた様な気がしたが、もしかして、それで済まそうとか、そんな小癪な考えを持っていたんじゃないだろうね? 十億円の粉飾決算だけど、とりあえず社長であるボクに謝って、もういいよという気分にさせたら有耶無耶にできるとか、この場を乗り切る事ができるとか、そんな訳のわからん事を考えていたんじゃないだろうね? うん。どうなんだ。ボクが質問しているんだから、何か言いたい事があるなら言ってみろよ」
「い、いえ、その様なつもりはまったくなく、私は真摯に……」
「真摯になんだね……。もし君に塩一つまみ程度の真摯な気持ちがあれば、もっと早く、事が大きくなる前に伝える事ができたんじゃないか?」

 真摯さの欠片もなく、パワハラで部下を抑えるだけ抑え付けて、我が物顔で振る舞う雇われ経営者である西木社長がよくそんな事を言えたものだと感心してしまうが、今、それを言葉にして出す訳にはいかない。

 口から出そうになる言葉を必死に抑えながら事の推移を見守る。

「そ、それは……」

 西木社長の言葉に富田工場長が言い淀む。
 しかし、このままでは事実確認がまったく進まない。
 その為、私は富田工場長に助け舟を出す事にした。

「まあまあ、このままでは話が進みません。西木社長のお怒りはごもっともですが、彼等の処遇については、社長が委員長を務める懲罰委員会で決定するとして、今は事実確認に移りましょう」

 助け舟どころか泥舟に強制乗船させてしまったが、西木社長の怒りを買い、今、沈んでしまわれるよりかは遥かにマシだ。
 というより、自責の念を抱いて貰いつつも自発的に、棚卸不正のカラクリを話して貰わねば困る。
 ただでさえ、こちらには時間がないのだ。万が一、自暴自棄になられて死なれても困るし、身を隠されては大変な事になる。

 金融商品取引法に基づく四半期報告書の法定提出期限は四十五日。
 そう。たった、一ヶ月半の間に四半期決算短信や報告書を作成し、監査法人から無限定適正意見を貰わなければならない。
 ただでさえ、タイトなスケジュールだというのに、こと粉飾決算の金額が十億円ともなると、監査とは別に第三者委員会を設置し、再発防止に真摯に向き合っている事を社外にアピールする必要もある。

 本来であれば自社で社内委員会を立ち上げ、会社に都合のいいストーリーを作りたい所だが、こればかりは無理だ。十億円もの粉飾決算ともなれば監査法人がNOを突きつけてくるだろう。

 そんな事を頭の隅で考えながら、西木社長の機嫌を伺うと、西木社長は富田工場長と岡本に目で座るよう指示を出す。

 その事を察した富田工場長と岡本は席に座るも、会議室内の空気は最悪だ。

「それでは、改めまして、和歌山工場で行われた棚卸資産の架空計上問題について事実確認を……」

 西木社長から議事進行のバトンを受け継ぐと、西木社長は眉間に皺を寄せながら富田工場長に視線を向けた。

「……事実確認は済んでいるから、君達はね。イエス・オア・ノーでボクの質問に答えてくれればいい」

 しかし、西木社長は引き継いだばかりのバトンを私から勝手に奪い取りマウントを取り始めた。

「そうだよな。石田君」

 しかし、西木社長がそう言うのであれば仕方がない。
 この会社では、西木社長が黒と言えば、それはすべて黒になる。

「はい。その通りです。富田工場長に岡本君。君達はね。西木社長の言う通り、これからイエス・オア・ノーで答えて下さい。それ以外はいりません。もう一度言います。イエスかノーかで答えて下さい」

 私がそう言うと、富田工場長がとんでもない形相を向けてくる。
 その形相はまるで、私の事を非難するかのような形相だった。

 だが、私には関係ない。
 西木社長の機嫌を損ねて損をするのは私だ。
 懲戒免職まっしぐらの富田工場長に睨まれた所でなんとも思わない。
 何なら、潔く逝ってくれとすら思う。

 人でなしと思われるかもしれないが、それが一番会社としての被害が少ない方法だ。例えそれが、経営者のパワハラに起因する不祥事だったとしても!

「それで、君は今回判明した棚卸資産の架空計上を不正だと認識していましたか?」

 イエスかノーかでそう問うと、富田工場長はそれ以外の言葉で架空計上を否定しようとする。

「い、いえ、それは……」

 弁解しようとする富田工場長に対して、私は一切の感情を見せず、ただ淡々とイエス・オア・ノーを迫る。

「イエス・オア・ノーで答えて下さい。何度も言いますが、それ以外の答えはいりません」

 そう言うと、富田工場長はしどろもどろになった。

「い、いや、ですから、その……」
「いや、そういうのはいいので、イエス・オア・ノーで答えて下さい」

 有無をいわせずそう言うと、富田工場長はただ「イエスです」とだけ呟いた。
 その言葉を聞いた瞬間、西木社長が、ほれ見た事かと憤りを顕わにする。

「イエスという事は、これが粉飾決算に当たると、会社に損害を与える事になるとわかっていてやっていたと、そういう事だろう!?」

 西木社長がそう激怒すると富田工場長は違うんですと首を横に振る。

 可哀想に……。

 富田工場長に粉飾をする動機はない。
 元々の発端も、数年前、西木社長が売れると判断した製品を会社判断で大量生産。そのすべてが工場に在庫として残された結果、製品が錆びて売り物にならなくなってしまった事に起因する。
 つまり、富田工場長に粉飾をする意図はまったくなく。単に、製造を命じた張本人である西木社長が怖くて錆びた製品在庫をひた隠しにしていただけである。

 もし、西木社長が苛烈で自尊心が無駄に高くなく、性格が捻くれていなければ、富田工場長も隠す事はしなかっただろう。
 しかし、私を含め、この会社に勤めている社員は全員知っている。
 会社にとって不都合な、それこそ、役員報酬に響きそうな内容を西木社長に報告した場合、どのような末路が待っているのかを……。

 色々と難癖を付けられて、ほぼ百パーセントの確率で懲戒解雇。
 解雇されなかったとしても、昇格の芽は摘まれ定年まで飼い殺しだ。

 社員がこの会社に居座らざるを得ない事情(例えば、子供が生まれたり、マイホームのローンを組んだばかり等)がある場合、それを人質に誰もが行きたがらない勤務先への転勤を命じたり、それを拒否するなら解雇をほのめかしたりもする。

「おい。石田君。君も何か言ったらどうだ」
「は、はい」

 まずい。完全に油断していた。
 とりあえず、今は西木社長の心証を悪くしないよう、加勢しなければ……。

「西木社長の仰る通りです。富田工場長。あなたがどう思うかはこの際、問題じゃないんですよ。外部から見て粉飾に当たるかどうかが問題なんです。あなたは、棚卸資産の架空計上を不正だと認識していたかどうかの問いかけに対し、『イエス』と答えましたよね? つまり、あなたはこの事が粉飾決算に当たると、会社に損害を与えるとわかった上で隠していましたと自白したも同然です。これはとんでもない事ですよ!」

 私がそう啖呵を切ると、西木社長も「まったくだ」と呟いた。

「まったく。嘆かわしいよ。工場長ともあろう者が、作った製品を錆びつかせ、あまつさえ粉飾決算に手を染めてまで隠蔽しようとするなんて……」
「「も、申し訳ございません!」」

 富田工場長と岡本が泣きそうな表情で頭を下げる。
 しかし、西木社長の怒りは収まらない。

「……君達はもしかしてボクの事を馬鹿にしてるのか?」
「い、いえ、そんな事は……」
「会社に十億円の損害を与えておいて、頭一つ下げれば済むと本気で思っているのか? 君達はひょうきんだな。うん?」
「…………」
「どうした。何か言えよ。それで、君達は会社に与えた十億円の損害をどうするつもりなんだ?」

 西木社長は『会社に与えた十億円の損害をどうするつもりだんだ』と言うが、実質、売れもしない製品を作らせ引き取らず、長期滞留し、その間に製品が錆びついてしまっただけで、責任の所在はすべて社長にある。
 しかし、その責任の矢は、西木社長の醸し出す『ボクは絶対に悪くない。悪いのはこいつ等だ』という絶対的自信に満ち溢れたオーラに曲げられ、富田工場長へと突き刺さった。

 更にここにいるのは、西木社長と人事権を握る管理本部長である私、そして、十億円の粉飾を行ってしまった負い目のある工場長と部下が一人。
 富田工場長には悪いが、余りに分が悪すぎる。

「……石田君。ボクは富田に何か難しい事を言ったか?」
「いえ、言っておりません」
「そうだよな。だったらなんでそれが富田君に伝わらないんだ? ボクは責任の所在をハッキリさせようとしただけだよな? もしかして、富田君は日本語がわからないんじゃないか? 石田君はどう思う?」

 いや、回答を返さないのは、その質問が普通に答えにくいものだからだと思います……。
 何故なら、それを認めた瞬間、十億円もの負債が身に降りかかってくる可能性があるのだから……。

 私自身、社長にそんな事を言われたら黙る自信がある。

「おそらく十億円の損害が身に降りかかってくる事を恐れて話せないのかと……」

 そう言うと西木社長は「ふんっ」と鼻を鳴らした。

「という事は何か? 富田君は十億円の損害を会社に与えておきながら、責任を取るつもりはないと、そういう事か?」

 西木社長の嫌らしい物言いに、富田工場長が悲壮感に満ちた表情を浮かべた。

「まったく、君はとんでもない事をしてくれたね! 先に言っておくけど、ボクは君の事を許すつもりはないから。必ず、十億円の損害を補填して貰うからそのつもりでいろよ」
「そ、そんな!?」

 それを聞いた富田工場長が西木社長の足にしがみつく。

「じ、十億円なんて無理です! そんな事をされたら私は……私はぁぁぁぁ!」
「私は、なんだ? 十億円の被害を会社に与えておいて、よくそんな事が言えるな、君は!」
「ううっ……ですが、ですがぁぁぁぁ……」
「ふんっ。君には自己破産してでも、責任を取って貰うからそのつもりでいろよ」
「そ、そんな……」

 富田工場長が頭をガックリ下げ、両手を床に付けながら涙を流す。
 流石の私も見てはいられない。

 珍しく助け舟を出そうとすると、西木社長が無表情のまま富田工場長に呟いた。

「……とはいえ、君に協力してもらわない事には粉飾決算の全容解明は難しいな。石田君はどうしたらいいと思う」

 西木社長にしては珍しい問いかけに、私の考えを述べる。

「では、粉飾決算解明の見返りに情状酌量の余地を与えてはいかがでしょうか」
「ふむ。情状酌量か……」

 希望の光が見えたのか、富田工場長が顔を上げる。
 顔を上げた富田工場長に対し、西木社長は憤然とした態度のまま呟いた。

「いいだろう。感謝しろよ。富田。自己破産したくなかったらちゃんとやれよ」

 そう言うと、西木社長は富田工場長を一瞥し、会議室を後にする。
 社長の思い掛けない言葉に私は唖然とした表情を浮かべた。

 ※西木社長は『ふむ。情状酌量か……』と呟いただけです。当然、富田工場長を許す気はまったくありません。
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