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私と父
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私は糸橋青花(いとはし あおか)。
私の家族は普通ではない。ただ何が普通かは難しい時代だ。
私が過ごしてきた幼少期から成人するまでに、世界は凄く寛大になった気がする。少数派の思考や状況も認めることが美しく正しいという風潮が加速した時代に私は成長したから、これが普通だと断定することは難しいけど、現時点では多数派ではない。
私の家族では母が働きに出て、仕事に融通のきく父が家事をする。授業参観や三者面談にも基本的に父が参加し、休みの日に遅く起きてくるのは母である。
そして、母とは血のつながりがあるけど、父とは血のつながりはない。
私が物心つく前に母は離婚し、私が小学校に入学する前に、父と再婚した。
父との関係は初めはぎこちなかったと思うけど、幼かったからすぐに違和感はなくなった気がする。
初めて「パパ」と呼んだのは、ゆりかもめに乗って行ったお台場のイベント。買ってもらったばかりのアイスクリームを私は不注意で落としてしまった。
その時の虚無感が1番古い心の動きの記憶な気がする。お腹の中から何かが湧き上がり、嫌な脈打ちが心臓の方へ上がって、泣き出しそうになった瞬間。「もう一つ買おうか」と父は言った。
湧き上がってきた何かはフワッと消え、私は初めて父を「パパ」と呼んだ。
本当の父親…というものは覚えていないけど、それに違わぬ関係で、その後の幼少期は進んでいった。
小学校高学年になった頃、突然父に2人だけでお出かけに誘われた。休日に出かける時は家族みんなで出かけることが多かったため少し驚いた。
東京では桜の開花宣言が出され、満開を今か今かと急かす国民の期待に応えるように太陽は奮起し、季節外れの暖かい日だった。
数分感覚で止まる山手線に乗って、その日、父はあまり喋らなかった。
目的地はないのか、父は一向にどの駅にも降りようとしなかった。何か不気味さのようなものを感じ、結局電車を降りるきっかけは私の「トイレ行きたい」だった。
大きな駅に降り、トイレを済ませた私と父は近くの喫茶店に入った。
茶色とクリーム色に合わせられた店内と漂う大人の苦い香りは今でも印象に残ってる。
私は大きなパフェとクリームソーダを頼んだ。普段だったら「ちゃんとしたご飯を食べて、その後に…」と注意をする父は迷った挙句、同じパフェを頼んだ。
そして父は「話があるんだ」と切り出した。父の性格を思えばあれは多分、パフェが来るまでに切り出そう。と自分の中で決めていたのかもしれない。
「お父さんは、青花の本当のお父さんじゃないんだ」
そう切り出した。私は知っていたから「で?」と返したかったけど、父の表情を見たらそうは言えなかった。まるでずっと嘘をついていた人のようなバツの悪い顔だった。だからずっと電車を降りられなかったのだと分かった。
「これから青花はどんどん大人になっていく、その中で反抗期も来るかもしれない。その時、青花は身近な人を少し傷つけたいと思うかもしれない。その時に多分『このこと』が大きく関係する。ただどんな時にも忘れないでほしい。お父さんは誰よりも青花が大好きで、大切に思って育ててきた。その時はこの思いを思い出せないかもしれないけど、青花からどんなに傷つけられても、お父さんのこの思いは変わらないから、もし思い出したら、また一緒に電車に乗ろう」
思い返せば小学生には難しい話だった。でも愛されていると、その長い話と父の涙が出そうな目で伝わった。
「分かった」
私は小学生らしく短く返したと思う。
父は大きな荷物を下ろしたように肩の力が抜け、2人で運ばれてきた大きなパフェを食べた。普段真面目な父がどう食べるか戸惑いながらパフェを食べる姿に、私は可笑しくてたまらなかった。
中学生の真ん中らへんに、父の忠告通りに私にも反抗期がきた。
夜遅くまで友達とファミレスで飲み食いし、家に帰って用意されている父が作った夕ご飯は毎回食べなかった。父はそれを次の日の朝自分で食べ、私たちの朝ごはんは新しいものを用意した。
お弁当も毎朝用意してくれたが、友達と買い食いした日には手をつけなかった日も多くあった。それでも、次の日にはまたお弁当が用意されていた。
母はそんな私をその都度注意したが、父はやんわり話を逸らせた。そんなトゲトゲした私を周りがサラリと交わすような日々の中でも、ついに大きな『こと』が起きた。
きっかけは私が何の連絡もなく友達の家に泊まり、家に帰らなかったことだった。父と母は私が玄関のドアを開けた途端に廊下から歩いてきた。
「どこにいたんだ?」
ここでも父は怒鳴り声をあげそうな母を制し、低いトーンで私との対話を試みた。
「ごめんなさい。友達の家に泊まってた」そう言えば、きっと「気をつけなさい」と父が言って、ことは治っていたかもしれない。
しかし、反抗期の私は、怒られることにも、諭されることにも反発したかった。
「別にどこでもいいじゃん」
口に出した言葉がどんなに理不尽かは自分でも分かっていた。それでも出してしまうのが反抗期だ。
「どこでもいいわけないだろ?携帯も繋がらなくて、もう少しで捜索届を出そうかと話していたところだったんだぞ」
「は?バカじゃないの。そんな恥ずかしいことしないでよ」
「恥ずかしいことじゃないだろ?自分の娘の居場所が分からないのは親にとって…」
「自分の娘じゃないでしょ!!」
口に出した言葉は、さっきとは比べ物にならないほど鋭利で、自分の喉さえも傷だらけになったようだった。それでも引けない。
「本当の父親でもないくせに、いちいち口出し…」
その時、母の平手打ちで私の口は塞がれた。
反抗心と罪悪感で私はそのまま玄関を飛び出した。
いくあてもなく京王線の電車に乗っていた。思い出していたのは小学生の時の父とのあの会話だ。
父の言った通り『このこと』という持つ肢の部分も刃物である事柄を振り回してしまった。
父は明らかに傷ついていた。でもそれを見せまいとする表情だった。
後悔していた、でも素直に謝ることも出来そうにない私は、揺れる電車の壁に身を委ねて、視界に入ってこない外の景色を眺めていた。
降り立った八王子駅は出発した駅よりも2、3度低い気温で、うっすら雪が降っていた。
自分の気持ちがわからなくて、傷つけた側のはずなのに、自分の心が痛過ぎて、雪で濡れたローファーをロータリーで滑らせながら泣いていた。
太ももに落ちる雪は刺すように冷たく、せめてもの私への非難のように感じた。
結局また夜遅くに家に帰った。母はもう寝ている時間だったけど、ドアを開けると父がまた廊下から歩いてきた。誰かが近づくにつれて、また段々と私はトゲトゲになっていく。
父を見えないかのように家に上がり、自室の2階に上がろうとした時、父は一言だけ「夕ご飯あるから、食べなさい」と言った。
高校生になったら反抗期は過ぎ、私のトゲトゲは取れていた。しかし、私はあれ以来「お父さん」と呼ばなくなっていた。そう呼ぶとあの時を思い出すし、思い出させてしまうと思ったから。ぎこちない関係が幼少期以来、再開されていた。
そんな中で、三者面談の予定が入った。いつも通り、父が来た。私はすでに希望の大学を決めていたので、時間は大幅に余った。
「学校での娘はどうでしょう?」
父が娘と呼んだのも久しぶりに聞いた。でも当たり前か、私が「お父さん」と呼ぶより機会は圧倒的に少ないはずだ。
帰りは父と久しぶりに並んで電車に乗った。吊り革を掴む手が近くに見えた。以前見た時よりも私は背が高くなっていた。そのせいで少し荒れ気味の父の手がよく見えた。
「何か、食べていくか?」
話しかけられた瞬間に窓の外に目線をズラし、私は思い切って言った。
「あの、喫茶店」
ちょうど電車のドアが閉まった。
父は初めに驚いた表情を浮かべた後、すぐに笑った。
「乗る前に言えよな」
全く見当違いの電車から降りて、茶色とクリーム色の喫茶店へ向かった。
昼過ぎの店内は人もまばらで、あの時と同じ席が空いていた。あの時と同じように向かい合った。
「5年以上前か」
「あの時のお父さん、不気味だった」
久しぶりに呼んだ「お父さん」は自然と言えたと思う。
「緊張してたからな」
「あの通りになったね」
「傷ついたなー」
父は笑いながら言ったが、本心だろう。
「ごめんね」
「いいんだよ。約束通り、また電車に乗れたからな」
パフェはあの頃よりも一回り小さくなっていた。でも、カラフルなフルーツが増えて、写真映えするようにより華やかになっていた。初めて、ちゃんと時の流れを感じた。
大学生も残りわずか、なんとか希望の職種の就職も決まり、卒業を期に私は一人暮らしをすることになった。
物件も絞り込み、内見に行く日、父も付き添ってくれた。
「すっかり真冬だな」
「昼でも息が白いね」
ホームで並んで電車を待ちながら、お互い縮こまっていた。
「たまには帰ってこいよ。母さんが心配する」
「帰ってくるよ。そんなに遠くないんだから」
「だからだよ。そこまで距離がないと余計に帰ってこなくなるもんだ」
「さみしいの?」
「母さんがな」
父の照れを隠すようにアナウンスが鳴り、電車のドアはぴったり目の前に止まった。
空いている車内は悠々と座ることができ、温かい座面は冷えた体に優しかった。あっという間に昼の太陽から夕方の太陽へと変わるこの時期は、ノスタルジックになるもので、たくさんの思い出を共にした電車の車窓からの太陽はそれをより加速させた。
目的の駅に着いた頃、父は頭を前に傾げ、眠っていた。子供の頃は私が起こされる側だったのに、と、まさか父がしてくれたようにおぶって降りることはできないので揺すって起こした。
そして…。
「だからさっき行っておきなさいって言ったでしょう」
私は小さな手を引いてトイレへと急ぐ。
「ほら、ちゃんと手を洗って。オッケー?よし、じゃ、行こう」
「ママ、私やる!」
「はいはい、ここ入れて」
改札にチケットを入れる作業を娘にやらせ、抱っこしたまま停車している電車へと歩く。
「ママー。輪っか。輪っか」
私は一度おろした娘を再び抱っこし、吊り革を握らせた。
「満足した?」
「なに?これ」
娘は今、なにこれ星人だ。
「なんだと思う?」
「んー、シャボン玉のやつ!」
「ブブー。電車が揺れた時に掴まるの」
「届かないよ?」
「すぐ届くようになるよ」
ドアが閉まり、静かな揺れと共に電車は発進した。娘はキョロキョロと周りの人や移りゆく景色の青々とした木々をまんまるな瞳に映していた。
この子もこれから、電車と共にたくさんの思い出と感情を手にしてゆくのだろう。そのうちのどれくらいを共にできるのかな?
「ねえ、おじいちゃんてどんな人?」
窓が少しだけ空いている電車はやわらかい風が吹き抜けて、思わず深呼吸をした。
今日のこの時だって、大事な思い出だ。
【完】
私の家族は普通ではない。ただ何が普通かは難しい時代だ。
私が過ごしてきた幼少期から成人するまでに、世界は凄く寛大になった気がする。少数派の思考や状況も認めることが美しく正しいという風潮が加速した時代に私は成長したから、これが普通だと断定することは難しいけど、現時点では多数派ではない。
私の家族では母が働きに出て、仕事に融通のきく父が家事をする。授業参観や三者面談にも基本的に父が参加し、休みの日に遅く起きてくるのは母である。
そして、母とは血のつながりがあるけど、父とは血のつながりはない。
私が物心つく前に母は離婚し、私が小学校に入学する前に、父と再婚した。
父との関係は初めはぎこちなかったと思うけど、幼かったからすぐに違和感はなくなった気がする。
初めて「パパ」と呼んだのは、ゆりかもめに乗って行ったお台場のイベント。買ってもらったばかりのアイスクリームを私は不注意で落としてしまった。
その時の虚無感が1番古い心の動きの記憶な気がする。お腹の中から何かが湧き上がり、嫌な脈打ちが心臓の方へ上がって、泣き出しそうになった瞬間。「もう一つ買おうか」と父は言った。
湧き上がってきた何かはフワッと消え、私は初めて父を「パパ」と呼んだ。
本当の父親…というものは覚えていないけど、それに違わぬ関係で、その後の幼少期は進んでいった。
小学校高学年になった頃、突然父に2人だけでお出かけに誘われた。休日に出かける時は家族みんなで出かけることが多かったため少し驚いた。
東京では桜の開花宣言が出され、満開を今か今かと急かす国民の期待に応えるように太陽は奮起し、季節外れの暖かい日だった。
数分感覚で止まる山手線に乗って、その日、父はあまり喋らなかった。
目的地はないのか、父は一向にどの駅にも降りようとしなかった。何か不気味さのようなものを感じ、結局電車を降りるきっかけは私の「トイレ行きたい」だった。
大きな駅に降り、トイレを済ませた私と父は近くの喫茶店に入った。
茶色とクリーム色に合わせられた店内と漂う大人の苦い香りは今でも印象に残ってる。
私は大きなパフェとクリームソーダを頼んだ。普段だったら「ちゃんとしたご飯を食べて、その後に…」と注意をする父は迷った挙句、同じパフェを頼んだ。
そして父は「話があるんだ」と切り出した。父の性格を思えばあれは多分、パフェが来るまでに切り出そう。と自分の中で決めていたのかもしれない。
「お父さんは、青花の本当のお父さんじゃないんだ」
そう切り出した。私は知っていたから「で?」と返したかったけど、父の表情を見たらそうは言えなかった。まるでずっと嘘をついていた人のようなバツの悪い顔だった。だからずっと電車を降りられなかったのだと分かった。
「これから青花はどんどん大人になっていく、その中で反抗期も来るかもしれない。その時、青花は身近な人を少し傷つけたいと思うかもしれない。その時に多分『このこと』が大きく関係する。ただどんな時にも忘れないでほしい。お父さんは誰よりも青花が大好きで、大切に思って育ててきた。その時はこの思いを思い出せないかもしれないけど、青花からどんなに傷つけられても、お父さんのこの思いは変わらないから、もし思い出したら、また一緒に電車に乗ろう」
思い返せば小学生には難しい話だった。でも愛されていると、その長い話と父の涙が出そうな目で伝わった。
「分かった」
私は小学生らしく短く返したと思う。
父は大きな荷物を下ろしたように肩の力が抜け、2人で運ばれてきた大きなパフェを食べた。普段真面目な父がどう食べるか戸惑いながらパフェを食べる姿に、私は可笑しくてたまらなかった。
中学生の真ん中らへんに、父の忠告通りに私にも反抗期がきた。
夜遅くまで友達とファミレスで飲み食いし、家に帰って用意されている父が作った夕ご飯は毎回食べなかった。父はそれを次の日の朝自分で食べ、私たちの朝ごはんは新しいものを用意した。
お弁当も毎朝用意してくれたが、友達と買い食いした日には手をつけなかった日も多くあった。それでも、次の日にはまたお弁当が用意されていた。
母はそんな私をその都度注意したが、父はやんわり話を逸らせた。そんなトゲトゲした私を周りがサラリと交わすような日々の中でも、ついに大きな『こと』が起きた。
きっかけは私が何の連絡もなく友達の家に泊まり、家に帰らなかったことだった。父と母は私が玄関のドアを開けた途端に廊下から歩いてきた。
「どこにいたんだ?」
ここでも父は怒鳴り声をあげそうな母を制し、低いトーンで私との対話を試みた。
「ごめんなさい。友達の家に泊まってた」そう言えば、きっと「気をつけなさい」と父が言って、ことは治っていたかもしれない。
しかし、反抗期の私は、怒られることにも、諭されることにも反発したかった。
「別にどこでもいいじゃん」
口に出した言葉がどんなに理不尽かは自分でも分かっていた。それでも出してしまうのが反抗期だ。
「どこでもいいわけないだろ?携帯も繋がらなくて、もう少しで捜索届を出そうかと話していたところだったんだぞ」
「は?バカじゃないの。そんな恥ずかしいことしないでよ」
「恥ずかしいことじゃないだろ?自分の娘の居場所が分からないのは親にとって…」
「自分の娘じゃないでしょ!!」
口に出した言葉は、さっきとは比べ物にならないほど鋭利で、自分の喉さえも傷だらけになったようだった。それでも引けない。
「本当の父親でもないくせに、いちいち口出し…」
その時、母の平手打ちで私の口は塞がれた。
反抗心と罪悪感で私はそのまま玄関を飛び出した。
いくあてもなく京王線の電車に乗っていた。思い出していたのは小学生の時の父とのあの会話だ。
父の言った通り『このこと』という持つ肢の部分も刃物である事柄を振り回してしまった。
父は明らかに傷ついていた。でもそれを見せまいとする表情だった。
後悔していた、でも素直に謝ることも出来そうにない私は、揺れる電車の壁に身を委ねて、視界に入ってこない外の景色を眺めていた。
降り立った八王子駅は出発した駅よりも2、3度低い気温で、うっすら雪が降っていた。
自分の気持ちがわからなくて、傷つけた側のはずなのに、自分の心が痛過ぎて、雪で濡れたローファーをロータリーで滑らせながら泣いていた。
太ももに落ちる雪は刺すように冷たく、せめてもの私への非難のように感じた。
結局また夜遅くに家に帰った。母はもう寝ている時間だったけど、ドアを開けると父がまた廊下から歩いてきた。誰かが近づくにつれて、また段々と私はトゲトゲになっていく。
父を見えないかのように家に上がり、自室の2階に上がろうとした時、父は一言だけ「夕ご飯あるから、食べなさい」と言った。
高校生になったら反抗期は過ぎ、私のトゲトゲは取れていた。しかし、私はあれ以来「お父さん」と呼ばなくなっていた。そう呼ぶとあの時を思い出すし、思い出させてしまうと思ったから。ぎこちない関係が幼少期以来、再開されていた。
そんな中で、三者面談の予定が入った。いつも通り、父が来た。私はすでに希望の大学を決めていたので、時間は大幅に余った。
「学校での娘はどうでしょう?」
父が娘と呼んだのも久しぶりに聞いた。でも当たり前か、私が「お父さん」と呼ぶより機会は圧倒的に少ないはずだ。
帰りは父と久しぶりに並んで電車に乗った。吊り革を掴む手が近くに見えた。以前見た時よりも私は背が高くなっていた。そのせいで少し荒れ気味の父の手がよく見えた。
「何か、食べていくか?」
話しかけられた瞬間に窓の外に目線をズラし、私は思い切って言った。
「あの、喫茶店」
ちょうど電車のドアが閉まった。
父は初めに驚いた表情を浮かべた後、すぐに笑った。
「乗る前に言えよな」
全く見当違いの電車から降りて、茶色とクリーム色の喫茶店へ向かった。
昼過ぎの店内は人もまばらで、あの時と同じ席が空いていた。あの時と同じように向かい合った。
「5年以上前か」
「あの時のお父さん、不気味だった」
久しぶりに呼んだ「お父さん」は自然と言えたと思う。
「緊張してたからな」
「あの通りになったね」
「傷ついたなー」
父は笑いながら言ったが、本心だろう。
「ごめんね」
「いいんだよ。約束通り、また電車に乗れたからな」
パフェはあの頃よりも一回り小さくなっていた。でも、カラフルなフルーツが増えて、写真映えするようにより華やかになっていた。初めて、ちゃんと時の流れを感じた。
大学生も残りわずか、なんとか希望の職種の就職も決まり、卒業を期に私は一人暮らしをすることになった。
物件も絞り込み、内見に行く日、父も付き添ってくれた。
「すっかり真冬だな」
「昼でも息が白いね」
ホームで並んで電車を待ちながら、お互い縮こまっていた。
「たまには帰ってこいよ。母さんが心配する」
「帰ってくるよ。そんなに遠くないんだから」
「だからだよ。そこまで距離がないと余計に帰ってこなくなるもんだ」
「さみしいの?」
「母さんがな」
父の照れを隠すようにアナウンスが鳴り、電車のドアはぴったり目の前に止まった。
空いている車内は悠々と座ることができ、温かい座面は冷えた体に優しかった。あっという間に昼の太陽から夕方の太陽へと変わるこの時期は、ノスタルジックになるもので、たくさんの思い出を共にした電車の車窓からの太陽はそれをより加速させた。
目的の駅に着いた頃、父は頭を前に傾げ、眠っていた。子供の頃は私が起こされる側だったのに、と、まさか父がしてくれたようにおぶって降りることはできないので揺すって起こした。
そして…。
「だからさっき行っておきなさいって言ったでしょう」
私は小さな手を引いてトイレへと急ぐ。
「ほら、ちゃんと手を洗って。オッケー?よし、じゃ、行こう」
「ママ、私やる!」
「はいはい、ここ入れて」
改札にチケットを入れる作業を娘にやらせ、抱っこしたまま停車している電車へと歩く。
「ママー。輪っか。輪っか」
私は一度おろした娘を再び抱っこし、吊り革を握らせた。
「満足した?」
「なに?これ」
娘は今、なにこれ星人だ。
「なんだと思う?」
「んー、シャボン玉のやつ!」
「ブブー。電車が揺れた時に掴まるの」
「届かないよ?」
「すぐ届くようになるよ」
ドアが閉まり、静かな揺れと共に電車は発進した。娘はキョロキョロと周りの人や移りゆく景色の青々とした木々をまんまるな瞳に映していた。
この子もこれから、電車と共にたくさんの思い出と感情を手にしてゆくのだろう。そのうちのどれくらいを共にできるのかな?
「ねえ、おじいちゃんてどんな人?」
窓が少しだけ空いている電車はやわらかい風が吹き抜けて、思わず深呼吸をした。
今日のこの時だって、大事な思い出だ。
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