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二択の選択
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1.二択の選択 (現在)
きらびやかないくつものライトの中で、またあるときはたった一つのスポットライトの下で、またあるときはたった一つのカメラの前で、私は口角を上げ、口を動かす。今日、五万人が入っているこの会場で、私だけを見に来た人、グループ全体を見に来た人、中には興味がないがたまたま来た人もいるだろう。
その全員を満足させるパフォーマンスをする。それが私たちの仕事だ。
いつどんなときにどのように観られているか分らない。だからこそ私たちは完璧を目指し続けなくてはならない。
「それでは、今日のラストの曲になります」
チハルがそう告げると、会場からは「えーーー」という声が飛ぶ。
ということは、アンコールをいれて後二曲。十五分といったところか。
一瞬暗転し、ここ最近歌番組などで何度も披露した最新曲のイントロが流れる十五秒間。私はただ突っ立ったまま、周りのメンバーが踊り続ける。
歌いだし、私のソロ歌唱から始まるこの曲のCDは発売初日に百万枚売れたらしい。
ここに来て今日初めてのフルサイズでのダンスパフォーマンスが流石にこたえているのか、メンバー達はきつそうだが、なんとか笑顔で踊り続けている。
最後の決めポーズのところでウィンクをすると、会場が沸いた。
一度形だけのサヨナラをいい、舞台裏へはける。数分後にアンコールを受け、再び舞台へ上がるために着替えをする。
段々とざわざわしだしてきた会場の音を聞きながらTシャツのすそを延ばしていると、隣にスタンバイしているチハルの息が上がり、顔色が悪いことに気が付いた。「大丈夫?」と声をかけると。
「何とか、でもラストのMCも私なんだよね」
ファンの前で見せている笑顔とは違うあいまいな表情を浮かべていた。
「分った。私がやるね」
そう応え、スタッフの合図を受け、真っ暗なステージに出て行く。
一列になってお辞儀から始まるこの歌は、だいたいライブのラストで歌う。とくに振り付けもダンスも無いので、メンバーが散り散りになってファンサービスをする。
ステージに出てからチハルはいつもの笑顔だったが、心配だったので私は常にチハルの後ろを歩いた。
案の定、一番の終わりあたりで気が付いたが、右足が少し痙攣しているようだ。歌が終わる時にはメインステージに戻っていなくてはいけないので、遠くのファンの方へいこうとしているチハルをなんとなくメインステージの方へ誘導する。
メンバーみんなが集まり、歌も終わった。本来ならここで話し始めるのはチハルなのだが、私が第一声をかける。
「皆さん、楽しんでいただけたでしょうか?」
観客が歓声で応える。メンバーが少し戸惑っているようなので「今日はチハルに頼んで、私が締めの挨拶をさせていただくことになりました」と説明し、メンバー何人かに感想を聞く。
途中に状況が分っていないメンバーがチハルに話を振ったが、グループ最年少のスズカが変な間を生むこと無く割り込んでチハルにしゃべらせること無くすんだ。
最後にもう一度全員でお礼をし、三日間、のべ十五万人へのライブが終了した。
はけるときに、なるべく観客には見えないようにチハルの右腕に手を添えた。微量だが体重をかけてくる。MCの間、ステージから最前列の観客が心配そうにチハルを眺めていたが、ばれてしまっただろうか。チハルも必死に表情は作っていたけれど。
スタッフは流石に気が付いたようで、ついに過呼吸気味になっているチハルは、紙袋を口に当てながら、すぐに担架で救護室に運ばれた。
控え室に向かう道の途中で、メンバーがコメント撮りをしている。後ろを通る際、無意識に表情を作る。ピントは合っていないだろうが念のため。画角から外れれば元に戻す。この三日間で流石に私も疲れた。
控え室の一番隅の方へ行き、三時間ぶりにまともな椅子に座った。タオルを頭にかけて机に突っ伏していると、スタッフが入ってきて、チハルは笑顔で大丈夫と話しているが、大事を取って病院に行くことになったと告げた。
あのときの選択は最善だっただろうか。もしかしたらアンコール後に出ないほうが良かったのではないか。辛い思いをさせてしまったかもしれない。
しかし、三日間続いたライブの最終日、そのラストに彼女がステージにいないのはしっくり来ないし、本人も納得がいかなかっただろう。
一体どちらが正解だったのか。この仕事をし始めてから、すべてのことが二択問題のように感じてしまう。
スマホを取り出し、頭にかかっているタオルの隙間から画面をのぞき、チハルにメッセージを送る。
「無理させてごめん。ゆっくり休んで」
数分間待ったが既読はつかなかった。
集まれるスタッフとメンバーでお疲れ様の乾杯をし、記念写真を撮ってから私服に着替える。希望者はこの後食事に行くようだが、参加しない旨を伝えて控え室を出た。
体の火照りを拭うかのように冷房が効いた車のシートに座り、窓側にもたれかかる。発車して窓から見える景色の角度が変わると、楽しそうにバスに乗り込むメンバー達が見える。五年間を共にしたあの子達は年上もいるが愛おしく思えてしまう。
心からの笑みを浮かべて目を閉じる。ライブ後はいつもそうだが、静かな環境が整うとなぜか耳の中が騒がしくなる。
その音の中で今日のライブを振り返る。私自身のパフォーマンスは完璧だったはずだ。表情は曲に合わせてしっかりつくれていたし、ユニット曲やソロ曲の生歌の部分もしっかり音程が取れていたはず。
しかし十二曲目のとき、マナミの立ち位置ミスが防げなかった。リハーサルでも何度かミスをしていたので、フォローしてあげなくてはならないことは頭に入っていたはずだ。疲れは言い訳にはならない。反省しなくては。
そしてなんといっても本編終了後のチハルへの対応だ。そもそももっと早くに気が付き、スタッフに報告して休ませるべきだったかもしれない。
目を開き、揺れる車内でスマホを取り出す。SNSアプリを開き、チハルの名前でサーチする。今日のライブでの彼女を賞賛する書き込みの中に、いくつか異変を察知しているような書き込みがあった。最前列の観客だろうか。
やはりステージに立たせるべきではなかった。あの段階では私しか彼女の状態を知らなかったし、彼女の性格を考えて判断すべきは私だった。
そして、観客に悟られずに完璧なフォローをすることも出来なかった。今回のライブの一番のマイナス点だ。
次のライブでは気を引き締めなくては。来月には全国を回るツアーが始まる。区切り区切りの最終日は自分もメンバー達も疲労困憊している。
それに、今日とは環境が違うことになっているだろう。
ツアーの直前に私の引退が発表されているはずだ。
停車した車から出ると日中に溜めるだけ溜めた熱気を徐々に放出しているアスファルトのせいで息が詰まりそうだった。
ホテルのドアをノックする音で目が覚める。時計を見ると二十二時を回っていた。ホテルに着いてからシャワーを浴び、ベットに横になったところで眠ってしまったらしい。ショートボブの髪が少し湿っている。
スリッパも履かずにドアのほうへ歩いていく。開くと立っていたのはメンバーのスズカだった。
「寝てた?」
困ったような表情でたずねてくる。グループ最年少らしい可愛らしさが彼女の持ち味だ。しかしメディアではそこばかりフューチャーされがちだが、しっかりと信念を持っていて、頭も回る。
「大丈夫。入って」
私がドアを抑える腕の下を通ってスズカが部屋を入る。
私が引退を決めた一年前から彼女の能力を見込み、様々なことを指南している。運営関係のスタッフには私の後釜はスズカだとそれとなく公言している。そのせいか、最近は雑誌の取材などで二人で仕事をすることが多くなっている。
着々と裏では私の引退準備が進められているわけだ。
「ヒト。パスタとから揚げ持って帰ってきたけど食べる?」
スズカがサイドテーブルの上でビニール袋をがさがささせながら聞いてきた。
「うん。ありがとう」
プラスチックのフォークでパスタをまきながらスマホを確認する。一時間ほど前にチハルから着信とメッセージが入っていた。「身体はぜんぜん異常なしだったよ。もうホテルに戻ってるところ。こっちこそ迷惑かけたね。ありがとう」異常がないという言葉に安堵する。
「チハル、問題ないってね」
「うん、食事会のスタッフさんにも連絡が来て、みんな良かったって言ってた」
コップに二人分の水を注ぎ、こちらに歩きながらスズカが言う。サイドテーブルを挟んだ向かい側に座ったタイミングで切り出す。
「今回のライブはどうだった?」
何の変哲も無い言葉のようだが、空気が変わる。毎回のライブ後にこの会話をする。スズカが今回のライブの中での出来事にどれだけ気づいているか、対処しているかを確認する。この言葉はその会話が始まった合図なのだ。
私がいるこのグループは私がいなくなっても進んでいかなくてはならない。私もそう望んでいる。だから私がいるちにスズカを育てなくてはならない。このグループが進んでいくには私の役割は必ず必要だ。
「うん。全体的に盛り上がってたけど、中盤、お客さんが少し息切れ気味だったかも」
「そうだね。今回のライブはユニット曲もポップな曲が多くて盛り上がったけど、メンバーはもちろん、お客さんにもちょっと負担かかっちゃったかな」
ライブは出演者の私たちにしか分らない「感覚」というものがある。その「感覚」で感じたことを今後の活動に活かしていかなくてはならない。現在、それを意見するのはセンターである私が多い。
「メンバーの動きはどうだった?」
「まず、初日の三曲目でユウナがはける方向を間違えたこと」
「そう、スズと同じ方向にはけなきゃいけないところを私と同じ方向に来ちゃった。すぐに教えて裏からそっちに移動できたからライブに支障は出なかった。リハーサルではミスをしてなかったから未然に防ぐことは出来なかったけど、全員の出るところと入るところを覚えておけば、そんな時もいち早く対処できる」
「うん。ヒトに言われてから全員分覚えてる。あと、十二曲目にマナミが立ち位置ミスをして」
「そう、そこはごめんなさい。私が直前に注意してあげなくちゃいけなかった」
「でも、すぐに私が直してあげたから」
「ありがとう。それと、ラストのチハルのことに関しても私の判断ミス。スズはよくフォローしてくれたね」
「ううん。体調が悪そうなのはMCが始まってすぐ気が付いてたから」
「うん。あと、今日の七曲目のスズも参加しているユニット曲でミオが羽のブレスレットを忘れてたのは気が付いた?」
「え、ミオが?気が付かなかった」
「細かいところだけど、衣装さんが世界観を考えてつくってくれたものだから、小物もしっかり身に着けてステージに上がってもらわないとね」
「うん、今度から気をつける」
こんな感じの反省を一年前までは一人で行っていた。
スズカは小さなノートに一生懸命書き込んでいる。一年前に比べてずいぶんたくましくなったな。と、自然に笑みがこぼれる。
「今回はこれくらいかな。スズは良くやってる。私のほうがしっかりしないとね」
会話に夢中になり、一口も食べずにまわし続けていたパスタを口に入れる。胃を刺激したからか、急に空腹感を感じもくもくと食べていると、スズカが隣に座り、私の肩に顔を寄せて聞いてきた。
「本当に引退するの?」
どれだけたくましくなっても、まだ高校生の最年少だ。声が少し震えている。
だからといってもちろん撤回することは出来ない。
「うん。もういろんな人が動いてくれてるし、限界だから。それに、一年前からスズにグループとしての私の立場を伝授してるでしょ?あのときに言ったよね?グループとして高みを目指すのは大事だけど、全員が私みたいになる必要は無い。でも、このグループに、私の役割は絶対必要なの。それを引き継ぐのはあなただと思ってる」
私はスズカのほうを見たが、スズカはこっちを向かなかった。私にもたれかけている頬とは反対の頬はオレンジ色の間接照明の光が反射していた。
スズカが自分の部屋に戻ってからすぐに私も部屋を出た。向かった先はチハルの部屋だ。
一度だけノックをして返事が無ければ無理に起こさず帰ろうと思ったが、意外にもすぐにドアが開いた。
「お疲れ様。大丈夫?」
「ぜんぜん。軽い脱水症状だよ。病院に着いたときにはもう普通だったし。どうぞ入って」
部屋のテーブルにはコンビニで買ったであろうサラダとおにぎり、スポーツドリンクが置いてあった。
「部活みたいなセットでしょ?私はお茶がいいって言ったんだけど、マネージャーさんがスポーツドリンクにしろって」
「そのほうがいい」
そう言って自分の部屋から持ってきた栄養ドリンクをその隣に置いておく。
チハルは元陸上部で強豪校出身ということもあり、ストイックでまじめだが、疲れや限界に鈍感なところがある。
甘い香りを鼻腔に感じ振り向くとチハルがチョコレートを差し出していた。私はそのまま口で受け取る。
「ごめんね。迷惑かけて」
「私のほうこそ、あの時止めてあげるべきだった」
「止められても出てたと思うよ。ヒトのせいじゃない、私の体力不足。最後まで突っ走れると思ったんだけどね。歳かな」
「まだそんな歳じゃないでしょ」
女性アイドルの寿命はとてつもなく短いが、周りを安心させる包容力のあるチハルには、なるべく長くこのグループに在籍して欲しい。
ふと、チハルが遠くを眺めるように話し始めた。
「五万人。満席。すごかったね。結成当時は夢にも思わなかった。素人の子達がいろんな地方から集まって、年齢はばらばらだけど思春期真っ盛りの子達が多かったからトラブルもあったし。あの時は五年後にこんなステージに立ってるなんて考えられなかった」
確かに他の人には想像もできなかっただろう。それまで万単位の人に感動を与えたことのある人など私を含め、あの場所には誰一人いなかった。
「でも、ヒトはあの時から言ってたよね。初めてのイベントのとき。一週間前からグループばらばらで、最年長の私も何も出来なくて。ヒトに相談したら即答で「絶対成功する」って、「アイドルのトップになるんだ」って」
「でも、あの時の私はまだ未熟で、必死だったから大事なことに気が付いてなかった」
結成当時のことを思い出すと懐かしさで胸が苦しくなる。夢が実現すると信じてがむしゃらに前だけを向いて突っ走れた。その過程で何かを失うことや、目標を達成した後に何が待ち構えているかなど微塵も考えぬまま。
チハルがお姉さんらしく私の頭をぽんと撫でる。その微笑に今まで何度も救われたが、今日ばかりはチハルから元気を吸い取ってはいけない。
時計に目を向けると二十三時を回っていた。そろそろ部屋に戻ろうと立ち上がる私に二つ目のチョコレートを差し出すチハル。
「チョコもいいけど、ちゃんとご飯も食べなね」と言い、部屋を去った。
きらびやかないくつものライトの中で、またあるときはたった一つのスポットライトの下で、またあるときはたった一つのカメラの前で、私は口角を上げ、口を動かす。今日、五万人が入っているこの会場で、私だけを見に来た人、グループ全体を見に来た人、中には興味がないがたまたま来た人もいるだろう。
その全員を満足させるパフォーマンスをする。それが私たちの仕事だ。
いつどんなときにどのように観られているか分らない。だからこそ私たちは完璧を目指し続けなくてはならない。
「それでは、今日のラストの曲になります」
チハルがそう告げると、会場からは「えーーー」という声が飛ぶ。
ということは、アンコールをいれて後二曲。十五分といったところか。
一瞬暗転し、ここ最近歌番組などで何度も披露した最新曲のイントロが流れる十五秒間。私はただ突っ立ったまま、周りのメンバーが踊り続ける。
歌いだし、私のソロ歌唱から始まるこの曲のCDは発売初日に百万枚売れたらしい。
ここに来て今日初めてのフルサイズでのダンスパフォーマンスが流石にこたえているのか、メンバー達はきつそうだが、なんとか笑顔で踊り続けている。
最後の決めポーズのところでウィンクをすると、会場が沸いた。
一度形だけのサヨナラをいい、舞台裏へはける。数分後にアンコールを受け、再び舞台へ上がるために着替えをする。
段々とざわざわしだしてきた会場の音を聞きながらTシャツのすそを延ばしていると、隣にスタンバイしているチハルの息が上がり、顔色が悪いことに気が付いた。「大丈夫?」と声をかけると。
「何とか、でもラストのMCも私なんだよね」
ファンの前で見せている笑顔とは違うあいまいな表情を浮かべていた。
「分った。私がやるね」
そう応え、スタッフの合図を受け、真っ暗なステージに出て行く。
一列になってお辞儀から始まるこの歌は、だいたいライブのラストで歌う。とくに振り付けもダンスも無いので、メンバーが散り散りになってファンサービスをする。
ステージに出てからチハルはいつもの笑顔だったが、心配だったので私は常にチハルの後ろを歩いた。
案の定、一番の終わりあたりで気が付いたが、右足が少し痙攣しているようだ。歌が終わる時にはメインステージに戻っていなくてはいけないので、遠くのファンの方へいこうとしているチハルをなんとなくメインステージの方へ誘導する。
メンバーみんなが集まり、歌も終わった。本来ならここで話し始めるのはチハルなのだが、私が第一声をかける。
「皆さん、楽しんでいただけたでしょうか?」
観客が歓声で応える。メンバーが少し戸惑っているようなので「今日はチハルに頼んで、私が締めの挨拶をさせていただくことになりました」と説明し、メンバー何人かに感想を聞く。
途中に状況が分っていないメンバーがチハルに話を振ったが、グループ最年少のスズカが変な間を生むこと無く割り込んでチハルにしゃべらせること無くすんだ。
最後にもう一度全員でお礼をし、三日間、のべ十五万人へのライブが終了した。
はけるときに、なるべく観客には見えないようにチハルの右腕に手を添えた。微量だが体重をかけてくる。MCの間、ステージから最前列の観客が心配そうにチハルを眺めていたが、ばれてしまっただろうか。チハルも必死に表情は作っていたけれど。
スタッフは流石に気が付いたようで、ついに過呼吸気味になっているチハルは、紙袋を口に当てながら、すぐに担架で救護室に運ばれた。
控え室に向かう道の途中で、メンバーがコメント撮りをしている。後ろを通る際、無意識に表情を作る。ピントは合っていないだろうが念のため。画角から外れれば元に戻す。この三日間で流石に私も疲れた。
控え室の一番隅の方へ行き、三時間ぶりにまともな椅子に座った。タオルを頭にかけて机に突っ伏していると、スタッフが入ってきて、チハルは笑顔で大丈夫と話しているが、大事を取って病院に行くことになったと告げた。
あのときの選択は最善だっただろうか。もしかしたらアンコール後に出ないほうが良かったのではないか。辛い思いをさせてしまったかもしれない。
しかし、三日間続いたライブの最終日、そのラストに彼女がステージにいないのはしっくり来ないし、本人も納得がいかなかっただろう。
一体どちらが正解だったのか。この仕事をし始めてから、すべてのことが二択問題のように感じてしまう。
スマホを取り出し、頭にかかっているタオルの隙間から画面をのぞき、チハルにメッセージを送る。
「無理させてごめん。ゆっくり休んで」
数分間待ったが既読はつかなかった。
集まれるスタッフとメンバーでお疲れ様の乾杯をし、記念写真を撮ってから私服に着替える。希望者はこの後食事に行くようだが、参加しない旨を伝えて控え室を出た。
体の火照りを拭うかのように冷房が効いた車のシートに座り、窓側にもたれかかる。発車して窓から見える景色の角度が変わると、楽しそうにバスに乗り込むメンバー達が見える。五年間を共にしたあの子達は年上もいるが愛おしく思えてしまう。
心からの笑みを浮かべて目を閉じる。ライブ後はいつもそうだが、静かな環境が整うとなぜか耳の中が騒がしくなる。
その音の中で今日のライブを振り返る。私自身のパフォーマンスは完璧だったはずだ。表情は曲に合わせてしっかりつくれていたし、ユニット曲やソロ曲の生歌の部分もしっかり音程が取れていたはず。
しかし十二曲目のとき、マナミの立ち位置ミスが防げなかった。リハーサルでも何度かミスをしていたので、フォローしてあげなくてはならないことは頭に入っていたはずだ。疲れは言い訳にはならない。反省しなくては。
そしてなんといっても本編終了後のチハルへの対応だ。そもそももっと早くに気が付き、スタッフに報告して休ませるべきだったかもしれない。
目を開き、揺れる車内でスマホを取り出す。SNSアプリを開き、チハルの名前でサーチする。今日のライブでの彼女を賞賛する書き込みの中に、いくつか異変を察知しているような書き込みがあった。最前列の観客だろうか。
やはりステージに立たせるべきではなかった。あの段階では私しか彼女の状態を知らなかったし、彼女の性格を考えて判断すべきは私だった。
そして、観客に悟られずに完璧なフォローをすることも出来なかった。今回のライブの一番のマイナス点だ。
次のライブでは気を引き締めなくては。来月には全国を回るツアーが始まる。区切り区切りの最終日は自分もメンバー達も疲労困憊している。
それに、今日とは環境が違うことになっているだろう。
ツアーの直前に私の引退が発表されているはずだ。
停車した車から出ると日中に溜めるだけ溜めた熱気を徐々に放出しているアスファルトのせいで息が詰まりそうだった。
ホテルのドアをノックする音で目が覚める。時計を見ると二十二時を回っていた。ホテルに着いてからシャワーを浴び、ベットに横になったところで眠ってしまったらしい。ショートボブの髪が少し湿っている。
スリッパも履かずにドアのほうへ歩いていく。開くと立っていたのはメンバーのスズカだった。
「寝てた?」
困ったような表情でたずねてくる。グループ最年少らしい可愛らしさが彼女の持ち味だ。しかしメディアではそこばかりフューチャーされがちだが、しっかりと信念を持っていて、頭も回る。
「大丈夫。入って」
私がドアを抑える腕の下を通ってスズカが部屋を入る。
私が引退を決めた一年前から彼女の能力を見込み、様々なことを指南している。運営関係のスタッフには私の後釜はスズカだとそれとなく公言している。そのせいか、最近は雑誌の取材などで二人で仕事をすることが多くなっている。
着々と裏では私の引退準備が進められているわけだ。
「ヒト。パスタとから揚げ持って帰ってきたけど食べる?」
スズカがサイドテーブルの上でビニール袋をがさがささせながら聞いてきた。
「うん。ありがとう」
プラスチックのフォークでパスタをまきながらスマホを確認する。一時間ほど前にチハルから着信とメッセージが入っていた。「身体はぜんぜん異常なしだったよ。もうホテルに戻ってるところ。こっちこそ迷惑かけたね。ありがとう」異常がないという言葉に安堵する。
「チハル、問題ないってね」
「うん、食事会のスタッフさんにも連絡が来て、みんな良かったって言ってた」
コップに二人分の水を注ぎ、こちらに歩きながらスズカが言う。サイドテーブルを挟んだ向かい側に座ったタイミングで切り出す。
「今回のライブはどうだった?」
何の変哲も無い言葉のようだが、空気が変わる。毎回のライブ後にこの会話をする。スズカが今回のライブの中での出来事にどれだけ気づいているか、対処しているかを確認する。この言葉はその会話が始まった合図なのだ。
私がいるこのグループは私がいなくなっても進んでいかなくてはならない。私もそう望んでいる。だから私がいるちにスズカを育てなくてはならない。このグループが進んでいくには私の役割は必ず必要だ。
「うん。全体的に盛り上がってたけど、中盤、お客さんが少し息切れ気味だったかも」
「そうだね。今回のライブはユニット曲もポップな曲が多くて盛り上がったけど、メンバーはもちろん、お客さんにもちょっと負担かかっちゃったかな」
ライブは出演者の私たちにしか分らない「感覚」というものがある。その「感覚」で感じたことを今後の活動に活かしていかなくてはならない。現在、それを意見するのはセンターである私が多い。
「メンバーの動きはどうだった?」
「まず、初日の三曲目でユウナがはける方向を間違えたこと」
「そう、スズと同じ方向にはけなきゃいけないところを私と同じ方向に来ちゃった。すぐに教えて裏からそっちに移動できたからライブに支障は出なかった。リハーサルではミスをしてなかったから未然に防ぐことは出来なかったけど、全員の出るところと入るところを覚えておけば、そんな時もいち早く対処できる」
「うん。ヒトに言われてから全員分覚えてる。あと、十二曲目にマナミが立ち位置ミスをして」
「そう、そこはごめんなさい。私が直前に注意してあげなくちゃいけなかった」
「でも、すぐに私が直してあげたから」
「ありがとう。それと、ラストのチハルのことに関しても私の判断ミス。スズはよくフォローしてくれたね」
「ううん。体調が悪そうなのはMCが始まってすぐ気が付いてたから」
「うん。あと、今日の七曲目のスズも参加しているユニット曲でミオが羽のブレスレットを忘れてたのは気が付いた?」
「え、ミオが?気が付かなかった」
「細かいところだけど、衣装さんが世界観を考えてつくってくれたものだから、小物もしっかり身に着けてステージに上がってもらわないとね」
「うん、今度から気をつける」
こんな感じの反省を一年前までは一人で行っていた。
スズカは小さなノートに一生懸命書き込んでいる。一年前に比べてずいぶんたくましくなったな。と、自然に笑みがこぼれる。
「今回はこれくらいかな。スズは良くやってる。私のほうがしっかりしないとね」
会話に夢中になり、一口も食べずにまわし続けていたパスタを口に入れる。胃を刺激したからか、急に空腹感を感じもくもくと食べていると、スズカが隣に座り、私の肩に顔を寄せて聞いてきた。
「本当に引退するの?」
どれだけたくましくなっても、まだ高校生の最年少だ。声が少し震えている。
だからといってもちろん撤回することは出来ない。
「うん。もういろんな人が動いてくれてるし、限界だから。それに、一年前からスズにグループとしての私の立場を伝授してるでしょ?あのときに言ったよね?グループとして高みを目指すのは大事だけど、全員が私みたいになる必要は無い。でも、このグループに、私の役割は絶対必要なの。それを引き継ぐのはあなただと思ってる」
私はスズカのほうを見たが、スズカはこっちを向かなかった。私にもたれかけている頬とは反対の頬はオレンジ色の間接照明の光が反射していた。
スズカが自分の部屋に戻ってからすぐに私も部屋を出た。向かった先はチハルの部屋だ。
一度だけノックをして返事が無ければ無理に起こさず帰ろうと思ったが、意外にもすぐにドアが開いた。
「お疲れ様。大丈夫?」
「ぜんぜん。軽い脱水症状だよ。病院に着いたときにはもう普通だったし。どうぞ入って」
部屋のテーブルにはコンビニで買ったであろうサラダとおにぎり、スポーツドリンクが置いてあった。
「部活みたいなセットでしょ?私はお茶がいいって言ったんだけど、マネージャーさんがスポーツドリンクにしろって」
「そのほうがいい」
そう言って自分の部屋から持ってきた栄養ドリンクをその隣に置いておく。
チハルは元陸上部で強豪校出身ということもあり、ストイックでまじめだが、疲れや限界に鈍感なところがある。
甘い香りを鼻腔に感じ振り向くとチハルがチョコレートを差し出していた。私はそのまま口で受け取る。
「ごめんね。迷惑かけて」
「私のほうこそ、あの時止めてあげるべきだった」
「止められても出てたと思うよ。ヒトのせいじゃない、私の体力不足。最後まで突っ走れると思ったんだけどね。歳かな」
「まだそんな歳じゃないでしょ」
女性アイドルの寿命はとてつもなく短いが、周りを安心させる包容力のあるチハルには、なるべく長くこのグループに在籍して欲しい。
ふと、チハルが遠くを眺めるように話し始めた。
「五万人。満席。すごかったね。結成当時は夢にも思わなかった。素人の子達がいろんな地方から集まって、年齢はばらばらだけど思春期真っ盛りの子達が多かったからトラブルもあったし。あの時は五年後にこんなステージに立ってるなんて考えられなかった」
確かに他の人には想像もできなかっただろう。それまで万単位の人に感動を与えたことのある人など私を含め、あの場所には誰一人いなかった。
「でも、ヒトはあの時から言ってたよね。初めてのイベントのとき。一週間前からグループばらばらで、最年長の私も何も出来なくて。ヒトに相談したら即答で「絶対成功する」って、「アイドルのトップになるんだ」って」
「でも、あの時の私はまだ未熟で、必死だったから大事なことに気が付いてなかった」
結成当時のことを思い出すと懐かしさで胸が苦しくなる。夢が実現すると信じてがむしゃらに前だけを向いて突っ走れた。その過程で何かを失うことや、目標を達成した後に何が待ち構えているかなど微塵も考えぬまま。
チハルがお姉さんらしく私の頭をぽんと撫でる。その微笑に今まで何度も救われたが、今日ばかりはチハルから元気を吸い取ってはいけない。
時計に目を向けると二十三時を回っていた。そろそろ部屋に戻ろうと立ち上がる私に二つ目のチョコレートを差し出すチハル。
「チョコもいいけど、ちゃんとご飯も食べなね」と言い、部屋を去った。
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