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懇願
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「こんなライブ、私のライブじゃないわ」
「落ち着いて、美奈子。みんなが君のために一生懸命考えたライブなんだ」
「私の十周年記念ライブなのよ?こんなセットリストと演出でファンが満足するわけないわ!」
振り上げた拳でテーブルを強く叩いた瞬間、目が覚めた。
そこにはお馴染みの枕があり、横たわっている場所はセミダブルのベッド。日光が差す角度もいつも通り、ただ違うのはまだそれほど暑い季節でもないのに、かなりの汗をかいていることだ。
ウォーターサーバーから水をグラスに出し、一度うがいをしてから一気に飲み干す。
嫌な夢を見た。幽霊に追いかけられる夢や、迫りくる壁に押しつぶされる夢よりも、過去の自分の未熟さを振り返る夢の方がよっぽど怖い。
私の姿をぼやけて写すシンクに突っ伏して、何度も深呼吸を繰り返す。
五、六回目でようやく落ちついた。バスルームへ移動してシャワーを浴びる。ぬるめのお湯を浴びてようやく意識がはっきりしてきた。夢で見た過去の自分と、現在の自分が重なる。声を荒げるだけで自分の意見を通そうとしていた自分と。そうして一度、私の周りからは人が離れていった。
ベランダの方がチラチラと眩しい。その正体はヤグルマギクの葉についた水滴だった。
「信頼は上品に…」
電子ケトルに水を入れてセットする。今日のモーニングティーはレディー・グレイに決めた。戸棚から青色の缶を取り出す。
沸騰したお湯をポットとカップに注ぎ温める。一度お湯を捨て、缶を開ける。鼻腔にフルーティーな香りが一気に舞い込む。ティースプーン二杯分の茶葉をポットに入れお湯を入れると綺麗な青色の花びらがまるで万華鏡のように舞った。
「西條さん、お話というのは?」
その日、私は運営スタッフを緊急で集めて会議の場を設けた。イベントまでもうすぐ一ヶ月を切ってしまう。これ以上長引かせるわけにはいかなかった。
「お集まりいただきありがとうございます。早速本題に…」
全員の視線が集まるのを感じながら、ゆっくりと頭を下げた。
「皆さんの方が専門的な知識や経験があるのは承知しております。しかし、今回のシングルのセンターは、是非、古屋瞳にさせてください」
人は偉くなればなるほど頭を下げる数が減るものだ。しかし、下げるべき回数はさほど変わらない。逆手にとれば、頭を下げるだけで誠意を伝えることができる。
会議室はしばらく重い沈黙が流れた。すると手前に座っていた烏末が立ち上がった。
「実は、僕もあの曲にはヒトミちゃんがあっていると思っていたんです。あの歌詞、意思の強さとか、迷いを切り捨てる潔さ、そして孤独さ。それを一番表現できるのはヒトミちゃんなんじゃないかなって。それに、近頃は王道アイドルの席はかなり混み合ってます。だったら見てみたくないですか?「鬼才、西條美菜子」が作る唯一無二のアイドルを」
まるでテレビショッピングのように烏末がプレゼンする。だが、本家より胡散臭さとウザさが感じられないのは彼の人柄だ。
その間も私はずっと頭を下げ続けた。
「しかし、運営としてはリリカのセンターが見たいんです」
「そこはご安心ください。おそらく西條さんがリリカ用に書き下ろした素晴らしいカップリング曲を作ってくれるでしょう。ですよね?西條さん」
振られた私はようやく顔を上げ「え…あっ…はい!」と返事をした。
実を言うと、もし押し切られてリリカがセンターに決まった場合の曲を既に作ってあった。メッセージ性は控えめに、明るくフレッシュなザ・アイドルソングを。古屋瞳のセンターを諦めかけていたわけではない。ただ、社会人としての当たり前のリスクヘッジだ。
一度、私達を蚊帳の外にして運営スタッフ達が話し合っている。その間に目があった烏末は片側の口角を上げ、下手くそなウィンクをした。
数分後、意見がまとまったのか一人が立ち上がり、話し始める。
「分かりました。その熱意に負けましたよ。これ以上決定を遅らせるわけにもいきませんし、今回のセンターは古屋瞳で決めましょう」
「ありがとうございます。絶対に後悔はさせません」
外に出ると、まだ所々湿っているアスファルトから水分を搾り取るように攻撃的な太陽光が降り注ぐ。
すぐにでもレッスン場にいるスタッフにヒトミを呼び出してもらい話をしたいが、その前に大通りでタクシーを拾おうとしている烏末に駆け寄る。
「あ。西條さん」
私に気がついた烏末は上げていた左腕をおろして振り返った。
「烏末。あの…ありがとう」
「どういたしまして」
この少し照れたような微笑みが、彼の同世代の女子には母性本能がくすぐられるのだろう。私はもうそんなに若くはない。
「しかし、綺麗なお辞儀でした。もっと多用したらどうです?」
「茶化すな」
そう言いながら後ろにある自販機で冷たい缶コーヒーを買って烏末に渡す。彼も「ありがとうございます」と素直に受け取る。たった百三十円だがお互い急いでいる今出来る最大限の感謝の印だ。
「おっ。来た来た。じゃあ行きますね」
空席のタクシーが来たのを確認して再び左手を上げた。車は後部座席のドアを烏末の目の前ぴったりに止まった。
ドアが空いてから烏末は再び振り向いた。
「はやくメンバー達に知らせてあげてください。妥協したくないからとはいえ、我々裏方のせいでスケジュールを詰めなくてはいけなくなりました。ここからは一秒も無駄にできません」
「うん」
「それでは」
体をかがませて車に乗り込む。太陽光を乱反射している眩しい世界へ発進いていった車を見送りながら、感謝の思いを反芻した。
「落ち着いて、美奈子。みんなが君のために一生懸命考えたライブなんだ」
「私の十周年記念ライブなのよ?こんなセットリストと演出でファンが満足するわけないわ!」
振り上げた拳でテーブルを強く叩いた瞬間、目が覚めた。
そこにはお馴染みの枕があり、横たわっている場所はセミダブルのベッド。日光が差す角度もいつも通り、ただ違うのはまだそれほど暑い季節でもないのに、かなりの汗をかいていることだ。
ウォーターサーバーから水をグラスに出し、一度うがいをしてから一気に飲み干す。
嫌な夢を見た。幽霊に追いかけられる夢や、迫りくる壁に押しつぶされる夢よりも、過去の自分の未熟さを振り返る夢の方がよっぽど怖い。
私の姿をぼやけて写すシンクに突っ伏して、何度も深呼吸を繰り返す。
五、六回目でようやく落ちついた。バスルームへ移動してシャワーを浴びる。ぬるめのお湯を浴びてようやく意識がはっきりしてきた。夢で見た過去の自分と、現在の自分が重なる。声を荒げるだけで自分の意見を通そうとしていた自分と。そうして一度、私の周りからは人が離れていった。
ベランダの方がチラチラと眩しい。その正体はヤグルマギクの葉についた水滴だった。
「信頼は上品に…」
電子ケトルに水を入れてセットする。今日のモーニングティーはレディー・グレイに決めた。戸棚から青色の缶を取り出す。
沸騰したお湯をポットとカップに注ぎ温める。一度お湯を捨て、缶を開ける。鼻腔にフルーティーな香りが一気に舞い込む。ティースプーン二杯分の茶葉をポットに入れお湯を入れると綺麗な青色の花びらがまるで万華鏡のように舞った。
「西條さん、お話というのは?」
その日、私は運営スタッフを緊急で集めて会議の場を設けた。イベントまでもうすぐ一ヶ月を切ってしまう。これ以上長引かせるわけにはいかなかった。
「お集まりいただきありがとうございます。早速本題に…」
全員の視線が集まるのを感じながら、ゆっくりと頭を下げた。
「皆さんの方が専門的な知識や経験があるのは承知しております。しかし、今回のシングルのセンターは、是非、古屋瞳にさせてください」
人は偉くなればなるほど頭を下げる数が減るものだ。しかし、下げるべき回数はさほど変わらない。逆手にとれば、頭を下げるだけで誠意を伝えることができる。
会議室はしばらく重い沈黙が流れた。すると手前に座っていた烏末が立ち上がった。
「実は、僕もあの曲にはヒトミちゃんがあっていると思っていたんです。あの歌詞、意思の強さとか、迷いを切り捨てる潔さ、そして孤独さ。それを一番表現できるのはヒトミちゃんなんじゃないかなって。それに、近頃は王道アイドルの席はかなり混み合ってます。だったら見てみたくないですか?「鬼才、西條美菜子」が作る唯一無二のアイドルを」
まるでテレビショッピングのように烏末がプレゼンする。だが、本家より胡散臭さとウザさが感じられないのは彼の人柄だ。
その間も私はずっと頭を下げ続けた。
「しかし、運営としてはリリカのセンターが見たいんです」
「そこはご安心ください。おそらく西條さんがリリカ用に書き下ろした素晴らしいカップリング曲を作ってくれるでしょう。ですよね?西條さん」
振られた私はようやく顔を上げ「え…あっ…はい!」と返事をした。
実を言うと、もし押し切られてリリカがセンターに決まった場合の曲を既に作ってあった。メッセージ性は控えめに、明るくフレッシュなザ・アイドルソングを。古屋瞳のセンターを諦めかけていたわけではない。ただ、社会人としての当たり前のリスクヘッジだ。
一度、私達を蚊帳の外にして運営スタッフ達が話し合っている。その間に目があった烏末は片側の口角を上げ、下手くそなウィンクをした。
数分後、意見がまとまったのか一人が立ち上がり、話し始める。
「分かりました。その熱意に負けましたよ。これ以上決定を遅らせるわけにもいきませんし、今回のセンターは古屋瞳で決めましょう」
「ありがとうございます。絶対に後悔はさせません」
外に出ると、まだ所々湿っているアスファルトから水分を搾り取るように攻撃的な太陽光が降り注ぐ。
すぐにでもレッスン場にいるスタッフにヒトミを呼び出してもらい話をしたいが、その前に大通りでタクシーを拾おうとしている烏末に駆け寄る。
「あ。西條さん」
私に気がついた烏末は上げていた左腕をおろして振り返った。
「烏末。あの…ありがとう」
「どういたしまして」
この少し照れたような微笑みが、彼の同世代の女子には母性本能がくすぐられるのだろう。私はもうそんなに若くはない。
「しかし、綺麗なお辞儀でした。もっと多用したらどうです?」
「茶化すな」
そう言いながら後ろにある自販機で冷たい缶コーヒーを買って烏末に渡す。彼も「ありがとうございます」と素直に受け取る。たった百三十円だがお互い急いでいる今出来る最大限の感謝の印だ。
「おっ。来た来た。じゃあ行きますね」
空席のタクシーが来たのを確認して再び左手を上げた。車は後部座席のドアを烏末の目の前ぴったりに止まった。
ドアが空いてから烏末は再び振り向いた。
「はやくメンバー達に知らせてあげてください。妥協したくないからとはいえ、我々裏方のせいでスケジュールを詰めなくてはいけなくなりました。ここからは一秒も無駄にできません」
「うん」
「それでは」
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