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4巻

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 第一章 転生令嬢は、領地へ帰還する。


 まだまだ寒さが厳しいある朝のこと、いつもの日課であるヨガを終えて着替え、階下へ降りるとなんだか慌ただしい雰囲気だった。

「……? 何かしら、朝から皆忙しそうね」

 ここは、ラスフェリア大陸内で大国と名高いドリスタン王国の王都。その中でも高位の貴族が住まう区画にあるエリスフィード公爵邸である。
 そのエリスフィード公爵の長女が私、クリステア・エリスフィード、十歳だ。
 前世が日本人だった私は、何故か異世界であるこの世界に転生した。
 それがわかったのは八歳のある日、領地の街中まちなかのとある屋台でオクパル――前世のたこ焼きによく似た料理を食べたのがきっかけだった。……そんなことで前世を思い出すとか、どんだけ食いしん坊なのよ私……ってちょっと落ち込まなくもなかったけど。
 だけど、前世の記憶を取り戻した私にとって、この世界の料理はなんというか……美味しくなかった。コテコテでギットギトの料理に、前世が日本人の私が耐えられるわけがないよね?
 そこで前世で料理好きだった私は、なんとかして美味しいごはんを食べようと奮闘したのだ。けれど、この世界では家畜の飼料だったお米を料理に使ったり、一般的には普及していない食材を使ったりした結果、「悪食あくじき令嬢」という二つ名を付けられてしまった。
 幸い、お父様やお兄様の揉み消し(?)や王族の皆様のとりなしもあり、それは鎮静化しつつある。ところが今度は、お兄様のご学友で、王太子のレイモンド殿下の婚約者候補として王族の皆様に目をつけられてしまった。
 我がエリスフィード公爵家は、ドリスタン王国でも名門中の名門。しかも両親が国王陛下ご夫妻と学園時代からの旧友ということもあり、私が生まれてすぐの頃にもレイモンド殿下の婚約者としてどうかと打診があったらしい。だが、幼い私は魔力量が多く、魔力制御ができなかった。そのため周囲に危険を及ぼす可能性があるとして、お父様は私を領地に引きこもらせ、婚約者候補を辞退したのだ。
 ……という話だけど、本当のところは娘馬鹿のお父様がそれを理由にてい良くお断りしたのだと私は確信している。学園時代、お父様は陛下にかなり振り回されたみたいで「私の可愛い娘が、やつ義娘むすめになるなど許しがたいッ!」と息巻いているのを聞いたことがあるし。
 私としても王太子殿下の婚約者なんてのは正直お断りしたい。だってそれって、将来的には王太子妃……いや王妃になるってことでしょ? 何それ? ギャグなの?
 前世は下町暮らしの庶民OLだった私が、貴族の令嬢に生まれ変わったってだけでもびっくりなのに、王族の仲間入りとかそんなの無理無理無理ィ!
 前世の記憶が戻る前のクリステアの記憶があるからなんとかやっていけてるけれど、前世の庶民感覚も残っているので、普通の貴族の令嬢とはかなりズレているんじゃないかと思う。そんな私だから、貴族に嫁ぐのだって苦労するだろうに、王族に嫁ぐなんて荷が重いよ……
 幸いお父様もお兄様も「公爵家ここにずっといればいい!」と言ってくれているので、もしかしたらお嫁に行かなくてすむんじゃないかな~なんて希望を抱いている。とはいえ、お兄様がお嫁さんをもらったら、小姑こじゅうとなんて邪魔なだけだろうし、ゆくゆくは領地のどこかに土地をもらって、宿屋やレストランでもやりながら、真白ましろ黒銀くろがねたちとのんびり過ごせたらいいなと考えている。
 あ、真白と黒銀というのは、私と契約してくれた聖獣で、真白はホーリーベア、黒銀はフェンリルだ。それから魔獣の輝夜かぐやとも契約している。
 ちなみに、聖獣は強大な力を持っていて、契約すればその主人を護り抜くという。
 実は、聖獣と契約していることがおおやけになると非常にまずい。
 この国の建国に聖獣が関わっているせいか、国は聖獣と契約した者を取り込むために様々な手を使うと聞いている。政略結婚もそのひとつ……てなわけで、現在は契約していることを秘密にしている。バレるのは時間の問題だろうけれどね。
 お父様の話によると、この春に入学する予定のアデリア学園に入りさえすれば、しばらく時間稼ぎができるはずとのこと。学園は生徒の自由を守ることを第一にしているからね。そのため在学中に周囲の状況をうかがいつつ対策を練ろうということになっている。それまでなんとか隠し通したい。
 とにかく、当座の目標は王太子の婚約者候補を回避することと、日々の美味しいごはんのためにもっともっと料理をすること。
 美味しいごはんのために食材探しや料理をするには、王太子の婚約者なんてなっている暇はない。
 王太子妃になるための教育を受ける時間があるなら、その時間で料理したいもんね。
 うん、頑張ろう!
 それと、この春に入学する学園で、友達百人なんて贅沢ぜいたくは言わないから、せめてぼっちになりませんように! ……と少し前までは思っていたのだけれど。
 新年に開かれた王宮のパーティーで知り合った男爵令嬢のマリエル・メイヤーちゃんが、なんと同じ日本からの転生仲間だということが判明し、先日もお泊まり会をして親交を深めたところだ。
 うふふ、初めてできた女友達が転生仲間って、すごくない? しかもこの春からは同じ学園に通う同級生なのだ。ああ、春が待ち遠しい! いやっふーい!
 私はウキウキと軽い足取りで朝食をとるべく食堂へ向かった。


「クリステア、急ですまないが領地に戻ってもらうことになった」
「……えっ?」

 朝食の席でお父様が突然そう言ったものだから、思わず聞き返してしまった。
 だってまだお茶会とか色々予定が残っているから、少なくともあと一週間は王都にいる予定だったはずだ。お母様を見ると、こくりと頷いただけで何も言わない。

「昨夜、ティリエから至急相談したいことがあると連絡があったのだ。其方そなたも同席してほしいそうだ」

 ティリエさんは、エリスフィード領にある冒険者ギルドのギルドマスターで、お父様の友人だ。
 そのティリエさんの相談……私まで連れていくってことは、おそらく王都に来る前に作った燻製くんせいがらみなんだろうなぁ。
 ああ、せっかく転生仲間を見つけたのに……しかも転生してから初の女友達だよ?
 お茶会をしたり、お出かけしたりして、もっともっと仲良しになろうと考えていたところへこれだよ。はあ、残念だけど仕方ない……

「かしこまりました。すぐに支度いたしますわ」
其方そなたの侍女には昨夜伝えておいた。すでにそのために動いているはずだ」

 あ、そうなんだ。それで朝からなんだか屋敷の中が慌ただしい感じだったのね。じゃあ有能な侍女であるミリアにおまかせして、私は朝食を堪能するとしよう。


「どうせ春には学園に通うんだから、ずっとここにいたらいいのに……」

 お兄様は、転移部屋へ向かう私の隣を歩きながら残念そうに言った。けれど、我が家の燻製くんせい工房で作り、領地の冒険者ギルドが専売することになったベーコンを始めとした燻製くんせい事業は、私のやらかしが発端なので放置するわけにいかないからね。
 まあ、春に控えた学園入学の準備のために、遠からずこっちに戻るんだけど。

「お兄様、春までなんてあっという間ですわ。マリエルさんという友人もできたことですし、早めに戻りますから」

 私は寂しそうなお兄様をなだめつつ、転移陣のある部屋ヘ向かった。
 今回は急ぎということで、お父様から特別に転移陣の使用許可が下りた。お父様と私、真白と黒銀、そして私付きの侍女であるミリアが領地に戻る予定だ。
 あ、輝夜はミリアが抱えているバスケットの中なのでご心配なく。
 まだお茶会の予定が残っているお母様やその他随従ずいじゅうしてきたシンたちは、後日馬車で領地に戻ることになっている。
 馬車で戻るのには理由がある。行き同様、帰りの道中でも貴族の役割として途中の街にお金を落としていかなくてはならないからだ。
 ティリエさんが呼んでくれなかったら、私も馬車に乗って帰る羽目になってたのよね。馬車だとめちゃくちゃ腰が痛くなるのに……マリエルちゃんと遊べないのは残念だけど、馬車に乗らないですむのは嬉しい。ありがとうティリエさん!
 それに、我が家の転移陣を使うのは初めてなので密かに楽しみだったりする。
 王都と領地の自室にマーキングをしてあるから、転移魔法を使って自力で行き来することは可能だけど、転移陣なんてこんな機会でもないと使わないから、ちょっとウキウキしてしまう。

「クリステア、領地に戻ったら大人しくしているのですよ?」

 控えの間まで見送りに来てくれたお母様は、私が何かしでかさないかと心配の様子。

「大丈夫ですわ、お母様。ちゃんといい子にしてますわ」

 にっこり笑っていいお返事をしたにもかかわらず、お母様は「どうだか……」とため息まじりだ。
 ……私って信用ないなぁ。過去のやらかしを思えば仕方ないのかもしれないけど。

「クリステア様、お忘れ物はございませんか? 気軽に取りに戻れる距離ではございませんからね」
「大丈夫よ、ミリア」

 必要なものは、ミリアがまとめてくれた荷物と一緒に収納魔法のインベントリに収納済みだし、いざとなれば転移魔法があるのだから。

「では転移部屋へ参るぞ」
「はい」

 お父様にうながされ、転移陣が設置された部屋へ移動する。
 ドアの前に、使用人の皆が見送りのためぎっしりと並んでいるのが見えた。
 転移部屋には許可された者以外は入れないので、皆とはここでお別れだ。
 ……料理長がものすごい顔で泣いているように見えたのは気のせいだよね?
 隣でシンがなだめているようにも見えたけど……戻ってきたら聞いてみよう。
 遅くとも春には戻ってくるんだし、今生こんじょうの別れじゃないんだから泣かなくてもいいのにねぇ。
 転移部屋に入ると、王宮にあったものより幾分大きな転移陣があった。
 王宮では防犯上、人の移動を最小限にするために小さくしているのだが、我が家の転移陣は人や荷物を少ない回数で転移できるように大きくしているのだそう。
 その代わり、魔力の消費量も多くなるから、魔力量の多い者や魔石の補助が必要なんだって。だろうねぇ……

「消費魔力については、私と其方そなたで問題なかろう」

 お父様はそう言って私の手を取り、転移陣へ進む。その後に皆が陣の中に入る。それからお父様とミリアの荷物。私の分の荷物は全てインベントリに格納済みなのでほぼ手ぶらだ。インベントリって本当に便利。

「私の合図で同時に魔力を流すのだ、いいな?」
「ええ、わかりましたわ」

 私はお父様を見てしっかり答える。

「うむ。皆、転移陣の中へ入ったな? ……では、行くぞ」

 お父様が頷くと同時に、魔力を流し込む。すると転移陣がパアッと光り、私は眩しさに目をつぶった。


「……クリステア、着いたぞ」

 お父様の声でそっと目を開けると、先程までいた転移部屋とは明らかに異なる場所にいた。

「……領地に着いたのですね?」
「ああ。荷物を置いたらひとまず休憩しよう。じきにティリエが来るはずだ」

 お父様はそう言うと、転移部屋から出ていった。

「……本当に領地の館に着きましたね。お城で転移した時も驚きましたが、あっという間にあれだけの距離を移動してしまうものなのですね……」

 呆然としているミリア。そうか、ミリアは転移を体験するのはこれで二度目とはいえ、前は王城の中を移動しただけだったもんね。こんな長距離をあっさり移動してしまったなんて、にわかには信じがたくて呆然としちゃうだろうな。転移に慣れた私だって、あまりの呆気なさにびっくりだよ。
 こんなに簡単に長距離移動できるのなら、馬車なんかに乗らなくてもいいじゃないの……と恨めしく思うけれど、各地域にお金を落とすという貴族の義務ノブレスオブリージュを思い出し、ため息を吐いた。

「くりすてあ、へやにもどろ?」
「そうだな。少し休むといい」

 入学時の馬車移動を考えて遠い目をしていた私に、真白と黒銀が気遣うように声をかけてくれた。

「ええ、ありがとう。でもあまり魔力を使わなかったように思うのだけど……もしかして手伝ってくれたの?」

 人数も荷物も多かったのに、今の私は特に魔力を使いすぎたとは感じていない。
 むしろ「え? こんなもんでいいの?」程度しか流していない気がする。だから、私に触れていた黒銀たちが手伝ってくれたのではないかと思ったのだ。

「ああ。あるじの魔力を、転移陣に流すなどもったいないであろう? ならば我が代わりとなり、その時使う予定だった分のあるじの魔力を我が受け取れば無駄がない」
「だよね」

 ……要は美味しい魔力を転移陣なんかに使うくらいなら自分が代わりに流すからその分ちょうだいってこと?

「なんにせよ助かったわ。このあとティリエさんとも会うことになっているし、魔力不足でフラフラしていたら大変だったかもしれないもの。お礼に、あとでブラッシングしてあげるわね」
「うむ」
「たのしみ」

 そうして私は上機嫌な二人とミリア、そしてバスケットから抜け出した輝夜とともに自室へ向かった。


「うーん、いいわぁ。やっぱり我が家がいちばんね!」

 自室へ戻り、インベントリから荷物を取り出してミリアに片付けを頼むと、大きく伸びをする。
 王都の館も一応我が家だけど、長年住み慣れた領地の館が断然落ち着くわね。

『我はあるじと共にいられるのであれば、どこでも構わんがな』
『おれも。くりすてあといっしょならどこでもいいよ?』

 聖獣の姿に戻った二人が嬉しいことを言ってくれる。

『アタシは美味うまいモンが食えるんなら付いていってやってもいいけどねぇ』

 窓際で顔を洗いながら答える輝夜。元は黒豹のような姿の魔獣だった彼女は、すっかり黒猫の姿と家猫暮らしに馴染なじんでいる。
 ミリアによると、私の飼い猫として周知された輝夜は、王都の屋敷でも自由気ままに過ごし、使用人たちに強請ねだってはおやつをせしめていたらしい。
 ……あまり見かけないと思ってたらそんなことしてたのか。

「ねぇ輝夜? 貴女、最近丸くなってきたんじゃない? その、体型が……」

 人と生活するようになってすっかり野性を失ってしまった輝夜は、性格も丸くなったようで、それはいいことなんだけど……身体まで丸くなる必要はないんだからね?

『ンなッ!? 何言ってんだい! あああアタシは太っちゃいないよ!? これは、そ、そう! 冬毛だからさッ!』

 ビクッと身体を震わせ、慌てて居住まいを正した輝夜のシルエットは、明らかに以前よりふくよかになっている。どう見ても冬毛だけのせいじゃないと思う。
 我が家の使用人たちはそれなりにいい家柄の子女もいるので、おやつとともにちゃっかり魔力をいただいているのではないだろうか。毛並みにしたって、ミリアや私による日々のブラッシングを差し引いてもツヤツヤだ。
 まあ、出会った当初は飢えてガリガリだった輝夜が、今や誰かを傷つけることなく美味しいものを食べて穏やかに暮らしているというのはいいことなんだけど。
 このままだと人型になった時が心配だよね……

『いや、おぬし明らかにえておるぞ』
『かぐや、おでぶ』

 あっ……容赦ない追撃が。

『うるさいうるさーい! アンタたちだって、美味うまいモンばっか食ってんだからアタシのこと言ってる場合じゃないだろ!?』
『おれは、せいちょうきだから、もんだいない』
『我はあるじを守る使命がある故、常に鍛錬をおこたらぬ。定期的に狩りもしておるしな。よって太ることなどない』
『おれもー』
『うぐぐ……』

 そうだね。黒銀と真白は人の姿でも私を守れるように、護衛の訓練にたまに参加している。黒銀の場合、むしろ稽古をつけてあげているような状態だそうだけど。
 真白にしても剣技はまだまだとはいえ、見た目に似合わぬ力業ちからわざで皆を投げ飛ばしたりしているらしい。
 そういう経緯があって、二人は私の護衛として申し分ないどころか、二人さえ付いていればお出かけしてもいいとお許しを貰えたのだから本当に棚ボタだったわ。
 二人を連れてきてくれた神獣の白虎びゃっこ様にはありがたいの一言に尽きるけど、感謝の意を伝えるとドヤ顔で謝礼という名のごはんを要求されそうなので、黙っておこう。
 そうそう、白虎様の契約者であるセイに領地へ戻ったことを知らせないとね。
 それはさておき。それなりに運動している黒銀や真白と違って、のんびりまったりと過ごしている輝夜。
 今まで生きてきた中で一番穏やかで幸せな時なんだろうけど、このままにしておくわけにはいかない。

「輝夜、明日からせるために頑張ろうね?」
『……は? え? ……まさか』
「しばらく輝夜はおやつ禁止! ……とまではいかないにしても、控えめにするからね。それと、使用人の皆にもおねだり禁止。その旨通達しとくから」
『ちょっ! そりゃないだろ!?』

 ギニャー! と抗議する輝夜を放置し、ヘルシーおやつとして何を作ろうかと思案するのだった。
 べ、別に私も王都で食べすぎて太ったからとかじゃないからねっ!
 私も成長期なんだからっ!


 お父様に呼ばれて応接間サロンでのんびりとお茶をいただいていると、ティリエさんがやってきた。

「クリステアちゃああぁん、おかえりなさあぁい!」

 メイドに案内されて部屋に入ってくるなり、ティリエさんは私に抱きつこうと駆け寄ってくる。けれど、私の前に立ちはだかった人型の黒銀が寸前で阻み、勢いがついていたティリエさんはそのまま黒銀に抱きついてしまった。あ、危なかった。

「ああん、意地悪ぅ! ……でもまあ、これはこれで役得ね、うふふふふ」

 エルフにしてオネェなティリエさんは抗議しつつも、しっかり黒銀を撫でまわしている。
 ……実はそれが狙いだったんじゃあるまいな? あやしい……

あるじに気安く触れるのは許さん。もちろん我にもだ」

 黒銀は不快そうな顔を隠さず、ティリエさんをペイッと放った。

「あん、もう! 残念」

 ……ティリエさん、乙女座りでしなを作るのはどうかと思うの。

「おいティリエ、お前が用があると言うからわざわざ戻ってきたのだぞ? くだらない真似をするだけなら帰れ!」

 お父様はティリエさんが私を抱きしめようとしたせいで、すっかり不機嫌になっている。ビシッと扉を指して帰るよううながした。

「やあねぇ、ちょっとした挨拶じゃないの。余裕のない男は嫌われちゃうわよぉ?」
「お前に好かれたいとは思わん! もういい、帰れ!」

 きゃらきゃらと笑うティリエさんを、お父様はこめかみに青筋を浮かべ睨みつけた。

「んもう、わかったわよ」

 ティリエさんはブツブツと文句を言いながらソファに座り、メイドがれてくれた紅茶を取り、香りを楽しんでから口に含んだ。

「はあ、美味しい。……あのね、早速本題に入るのだけれど、ベーコンの件でちょっとお願いがあるのよ」

 うん、ですよね。ティリエさんの急用っていったらベーコンのことしか思いつかない。

「ベーコンがどうした。すでに冒険者ギルドで販売しているのではなかったのか?」

 そうよね、確か私たちが王都へ行く前に焼き印だの燻製くんせい小屋の増築だの、準備が整っていたし、燻製くんせい作りについても既に職人の指導が終わっていた。当然、私たちが領地に戻るのを待たずに稼働しているはずよね。

「ええ。それで、クリステアちゃんから聞いてた試食っていうの? あれを兼ねてギルド内の酒場で出してみたんだけど、これがすごい反響で……またたく間に売れてしまったのよねぇ」
「えっ」
「焼くだけでも美味しいし、野菜炒めやポトフなんかもクリステアちゃんからもらったレシピで出してみたら大好評で、近くで営業してる酒場の店主もベーコンを使ってみたいって買いにくるしで……一日一人ひとつまでって制限をつけても、毎日朝のうちに売り切れちゃう始末なのよ」

 ひええ……そこまで食いつかれるとは。

「それでね、はじめは公爵家の使用人がギルドまで届けてくれていたんだけど、道中襲撃されでもしたら危ないってことで、最近ではうちの職員が加工用のオーク肉を納品するついでに引き取りに行ってるの」

 なんと。そんなことになっていたとは。

「あまりにも品薄状態が続くから、もう少し納品数を増やしてほしいんだけど……ダメかしら?」
「ええと、職人たちは今作る分で手一杯なんですよね」

 職人の手間と燻製くんせい小屋のキャパシティを考えても増産は無理があると思うんだ。
 ……あれ、ちょっと待って。毎日って……まさか、職人たちは休みなしで働いてるんじゃないよね? 前世で言うところのブラック企業じゃあるまいし、そんな無茶な働かせ方は許しませんぞ!

「お父様、職人の皆はちゃんとお休みを取れていますか? まさか休みなしで働かせているなんてことは……」

 慌ててお父様に確認する。

「ああ、それについては問題ない。今のところ料理人たちが下ごしらえを手伝ったりして上手く回しているようだ」

 ホッ。良かった。でもこのままの状態じゃ納品数を増やすなんて無理があるよねぇ?

「ティリエさん、数を増やそうにも職人を確保しないことには……」
「わかってるわ。だから相談しに来たの。人を増やすなら雇ってほしい子がいるのよ」

 ティリエさんはウィンクしながら言う。

「雇ってほしい子……?」

 ティリエさん直々の推薦なんて、どんな人だろう? 料理人かな?

「どこかで料理の修業をなさっていた方ですか?」
「あら、いいえ。そうじゃないの。料理人じゃなくて、ちょっとワケありの子なのよねぇ」

 困ったように笑うティリエさん。
 ……ワケありとは穏やかじゃないね?

「おい、ティリエ。言っておくが、我が公爵家では紹介状もない得体の知れん者は雇わんからな」

 基本的に、貴族の館で働く使用人は身元がしっかりしていて、かつ信頼できる人からの紹介状がある人しか雇わない。
 さらに雇う際は守秘義務についての魔法契約を交わすのが普通だ。貴族は腹の探り合いが多いからね。他の貴族に弱味を握られるわけにはいかないのだ。
 まあシンという特例はいるけれど、それは私の必殺泣き落としと熱意ある説得の賜物たまものだ。普通ならそういうことはしない。あの時はシンが日本によく似たヤハトゥールの食に関する唯一の手がかりだったから、そりゃもう必死だったなぁ……

「わかってるわよ。身元の保証と紹介状はワタシが責任持つわ」

 ……てことは、ティリエさんの身内なのかな? まさかエルフさん?

「紹介したいのは、獣人族の子なのよ」
「えっ!? 獣人!?」


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