山賊の女房 ※R18/BL※

御厨 匙

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山賊の女房

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  十三夜の月下、十一じゅういちは息を殺した。一帯の笹籔ささやぶが、山が真っ黒なバケモノじみてざわめく。初めて夜の山に入った日は、小便をちびるかと思った。今はそんなことはない。いや、今でも少しおっかない。けれど、そんなそぶりを見せようものなら、笑われる。斜めまえに相棒の夷虎いとらがいる。風よりも微かにささやく。
「来たぜ」
 じゃん、じゃん、じゃん……どこかできいたかねの音。月よりも眩しい提灯ちょうちん。二つの灯影ほかげが、竹林の道をやってくる。折り目正しい草鞋わらじ跫音あしおと……二、三、四、五人。山路やまじに慣れたやつらだ。檜笠ひのきがさ法衣ほうえ、たずさえた錫杖しゃくじょうの金環が鳴る。
「坊主だ」
「そりゃいい、やっちまえ」
 夷虎はいうやいなや飛びだした。月に光る乱刃みだれば。ばっさばっさと二人を斬って捨てた。先頭とっぱしの提灯が悲鳴をあげて駈けだす。十一は肩から尻までさばいた。あかりが潰れた。血が臭う。あと二人。
 坊主の一人が、錫杖を上下に割った。刃のきらめき。仕込刀だ。夷虎は間合をとって、刀身をかざす。
「でけえのは、おれがやる。その小せえのやれ」
「逃げろ」
 坊主が最後尾しんがりの提灯にいった。灯影がよろよろと後ずさる。
 夷虎が斬りかかった。赤い火花が散って、仕込刀が折れる。裂けた顔面から血を噴いて、坊主は倒れ伏した。
 提灯が駈けだす。十一は斬った。寸前、灯影がけた。ひゃあ、と女みたいな悲鳴。地に落ちた提灯の油紙がめらめらと燃え、相手を照らす。編笠の切れめから白い細面ほそおもてみひらいた涙目。数えで十五のおれよりも若そうだ。
「何やってる、早く斬れ」
 夷虎が進みでて、血塗まみれの刃を突きだした。十一は相棒の肩を押さえた。
「いや、待て。よく見ろ。美僧だ」
 あゞ? と夷虎はれ笠をはいだ。あらわになる玉のような頭、ほっそりした鼻梁と、ふくよかな唇。まつ毛を伏せたまま、声もなく泣いている。
「たしかにアマみてえなつらだ」
 夷虎はにたりと下卑た笑みを浮かべ、小僧の衣に手をかける。この場で犯して殺す気だ。十一は肩を引っぱる。
「待て、待て。まずはお頭に進上しよう。あにぃらもよろこぶ」
「おれらに回ってこねえじゃねえか」
「ばかか。めぼしいモンはおれらがいただいちまって、こいつだけ差出しときゃいいんだ」
「なるほどな」
 夷虎は納得したのか、死人しびとの荷をあばきはじめた。十一はしゃがみこんで、小僧にいいきかせる。
「おとなしくついてくりゃ、命まではとらねえ。だが、逆らうと、あゝなる」
 十一は切先きっさきで四体のを示す。小僧は泣き濡れた頬で、こっくりと頷く。

 相模さがみくに鎌倉を縄張とする〝ふくろう〟一味の根城は、武相ぶそう国界くにざかいの峠だった。足をくじいた小僧をおぶって、十一は夜更けの峠路とうげじを急いだ。背中が温かい。故郷さとで弟のおりをしていた頃を思いだす。
「山賊の背で寝るたぁ、ふてえタマだぜ」
 夷虎があくびまじりにぼやいた。小僧の首がこっくり、こっくりとゆれる。旅の疲れがでたのだろう。ずり下がる躰を、十一は跳ねるように引きあげた。
 峠の越の掘建ほったて小屋ごやだった。漏れくるほの明りと、男たちの大笑たいしょう。もう出来あがっているようだ。夷虎が間口のすだれを捲った。
「ただいま戻りやした」
 灯台の暗い火。それぞれ手酌で呑んでいた烏帽子えぼしの三人が、いっせいに睨む。
「こんどは空手じゃねえだろうな」
 百舌もずがぎょろりと右目をむいた。左目のあるべき箇所は、れた傷跡だ。
「こいつが獲物でさ」
 十一は横向きに背の小僧を見せた。小太りの牙良げらがばか笑いした。奥のぶ厚い畳のうえ、おかしら銀鴟ぎんじが盃をあおった。
「おれぁ坊主はきれえだといったろう」
「それが小利口なつらしてやしてね、おれらの代わりに下働きをさせたらいいんじゃねえかと……」
「話がさっきとちげえだろ。美僧だから進上するっつったじゃねえか」
 夷虎が口を挟んだ。余計なことを。銀鴟がゆらりと腰をあげる。男の影が壁を、天井を覆った。丈六尺に届かんばかりの大男だ。十一はつい後ずさった。銀鴟の彫りの深い顔は陰になって、感情が読めない。
「起こせ」
 おい、おいっ、と十一は背の小僧をゆすった。小僧が身じろぎして、きょろきょろと頭を振った。十一は小僧を土間へおろした。足首を痛めた小僧は、すとんと尻もちをついた。銀鴟が問う。
「おめえ、おれらがなんだかわかるか」
 細い震え声。「……緑林りょくりんの徒、でしょうか」
「そんなところだ。おめえはどこのモンだ」
「……安房あわくに玄應寺げんのうじの者です。本山の極聖寺ごくしょうじへ遊学に――」
「極聖寺! 畜生め」
 不意の怒声に、小僧は身を震わせた。
「おめえの名は」
「……天翰てんかんと申します」
「字は?」
 わずかながあった。破落戸ごろつきに字がわかるのか、と。「……天地の天に、書翰しょかんの翰」
「あゝ、名づけ親は天鵞てんがだろう」
 ぱっと顔をあげる。「猊下げいかを、ご存じなのですか」
「知りたいか。なら脱げ」
 銀鴟は袈裟けさをつかんだ。天翰はおのが肩を抱いた。銀鴟は頬をぶった。
「脱げといったんだ。早くしろ」
 いまにも泣かんばかりの天翰は、袈裟を脱いでたたもうとした。
「誰が畳めといった」
 銀鴟がまた頬を張った。天翰は涙を呑みつつ右足で立ちあがり、墨染の直裰じきとつ・灰色の単衣ひとえ・白い襦袢じゅばんを脱いで落とし、銀鴟の顔をうかがってからふんどしいた。ほとんど無毛の花奢きゃしゃな裸が、目に痛いほど白い。十一は、さっと目を背けた。
「十一、見とけ」
 銀鴟は天翰の後ろ首をつかんで引き寄せた。とっさに天翰は両の手を突っぱったが、大の男に敵うべくもない。天翰の唇に、無精髭の顎が食いついた。顔を背ける天翰の顎をつかんで、無理やり口をひらかせる。銀鴟の太い舌が小さな唇を犯す。胃から喉まで裏返る気が十一はした。目を背けても、見ろと命じられる。天翰は顔を赤くしてせた。それでも銀鴟はやめない。しだいに天翰はぐったりとして抗わなくなった。
 銀鴟は畳の座に戻り、胡坐の膝に天翰を乗せた。天翰の膝の裏をかかえて、おまけみたいな魔羅まら陰嚢ふぐりを四人に見せつけた。ちっせえの、と百舌があざけった。牙良と夷虎が笑った。銀鴟が三つ指で魔羅をつまんでしごいた。親指ほどのそれが、足の親指ほどに腫れあがる。天翰は顔をうつむけて声を殺すも、息の乱れは隠せなかった。灯台の暗がりにも、肌に差す血の気が明らかだ。十一は褌が張るのを感じた。となりの夷虎は口が半びらきだ。天翰は仔犬のように鳴いて、あっけなく果てた。細面の忘我の色と、薄い胸に照り光る精水。十一は身震いした。銀鴟は手につばきを吐いた。それを菊門に塗りたくって、指を押しこんだ。天翰の目が驚愕にみはられる。
「色白の美童との姦淫が、天鵞の道楽なのさ」
 天翰はかぶりを振る。「うそ、です。猊下が、そんな……」
 色不異空空不異色色即是空空即是色……と銀鴟は経をそらんじてみせた。「おれの昔の名は天鵠てんこくといったよ。天鵞の左腕さわんを見てみるがいい。おれがつけてやった刀傷があるだろうよ。あのとき、あの狒々ひひじじいを仕留められなかったことが、おれの今生こんじょうの悔恨だ」
 いや、いやあ、と天翰は泣き騒いだ。銀鴟は袴の紐を解いて、たぎった魔羅を菊門にあてがった。
「恨むなら、天鵞を恨め」
 十一は目をつむった。たれたくぐいのように悲しい声をきいた。
 灯台の火をかすめたひむしが、燃えつつ墜ちた。つかのまの明るさののち、嫌な臭いが立ちこめる。
 男と小僧のつるむ影が、土壁に映じていた。うつぶせに高く突きだした天翰の尻に、ぬめぬめと出入りする魔羅。ひたすら長さの限りに引き、深さのきわみに沈める。おぞましいと思いながらも、十一は目を逸らせなかった。最奥までえぐられるたび、天翰は顔をゆがめて苦しい息をする。褌のうちで張り詰めたおのれの魔羅、おれにもケダモンの血が流れているのだ。
 銀鴟は虎のごとくえ、天翰の内奥に注ぎこんだ。息を整えると天翰を投げだし、つまらなそうに酒を呑みはじめる。天翰は背を丸め、唸るようにしゃくりあげた。
 だが、悲しみに浸るまもなく、牙良に抱き寄せられる。牙良は天翰にのしかかり、十ぺんも突いたかと思うと、痙攣ひきつけのごとく震えて果てた。
「ったく、情味がねえ」
 百舌が舌打ちし、天翰を奪いとった。
「よぉし、よし。こわくねえぞぉ」
 泣き濡れた頬を舐めまわし、百舌は天翰におのが腰を跨がせた。面構えこそこわいが、百舌はを手荒にあつかうことはしない。時間をかけて、じっくりと交合まぐわうのが好みだった。あまりに悠長すぎて、仲間のきょうぐこともしばしばだが。
 赤子でもあやすかに、百舌はごくゆったりと動いた。肩口に額をつけて天翰は呻いていたが、徐々に声の調子が高くなった。
「おっ。よくなっちまったか、坊主?」
 むずかるかに天翰は首を振った。百舌は天翰の背をむしろに横たえた。その棒切れじみた足を左右に高くあげさせて、小さく丸い尻を、魔羅を呑んだ菊門をさらす。天翰の魔羅は真っ赤に腫れ、甘露をしとどに滴らせている。
「よしよし、極楽へつれてってやるからな」
 拡がった菊門につばきを塗りこみ、百舌は天翰の魔羅をつまんだ。やわやわと揉みしだきながら、変わらずゆったりと腰を前後させた。天翰の声が、やがて……はっきりとつやをおびた。顰めた眉根・虚ろな目・喘ぐ唇・濡れた前歯。知らず十一は息が、胸が早くなり、褌の股間をぎゅうっと握った。夷虎はすでに手を褌に突っこんでしごいていた。
「銀鴟のお頭。おれらもやっちまっていいでしょう」
 銀鴟はすがめで睨んだ。「烏帽子も小童こわっぱぁせんずりこいてな」
 夷虎は首をすくめて、股間の手を止めた。
「そうとも、おめえらには十年早い」
 百舌がにやりとして、天翰の胸乳むなちをきつく吸った。天翰の背が弓なりに反りかえって、法悦の声が峠の夜に響いた。

 夜明けの青さと寒さが、掘立小屋に忍びこんだ。男たちのてんでないびき。丸まった裸の天翰を、十一は見おろした。夜っぴて牙良と百舌にとりらされて、花奢な躰は精と土埃まみれだ。涙の乾いた寝顔。ほんのわっぱだ、と思った。十一は墨染の直裰を天翰にかけてやった。そして、気がつく。天翰の左の足首に、腫れが兆していた。
「十一」
 銀鴟の声。ぎくりとして、十一は身構えた。
「その小僧の世話を焼いてやれ」
 畳に半身を起こし、銀鴟は薄く笑った。酒の残りを、すべて盃に注ぐ。天翰は生かされる、しばらくのあいだは。
「ただし手はつけるな。ましてや逃がそうなんて考えるなよ」
 すべて見透かしたような、銀鴟の凄涼せいりょうたる目。ぐっと奥歯を食いしばって、十一は頷いた。
「へい」
 日が昇ると、烏帽子の三人は消えた。小屋には夷虎と十一と、天翰ばかり。眠る美童に、夷虎はにたりとする。
「やっちまわねえか」
「手をつけるなといわれた」
「口止めさえすりゃ、わかりゃしねえさ」
 いや、銀鴟にはわかるだろう。鬼神のように勘の鋭い人だ。十一は銚子と盃をありったけ洗桶に揃えて夷虎に押しつける。
「それを洗って、水を汲んでこい」
「おめえも手伝え」
「こいつを見張らにゃなんねえ」
「なら、おれが見張ろう」
「世話を焼けといわれたのは、おれだ」
 夷虎は不服の色を濃くしたものの、桶をかかえて出ていく。近くに沢があるのだ。
 天翰を見ぬようにしつつ、十一は炉端で燧石ひうちいしを叩いた。十何べんめかの火花で、鳥の羽毛が燃えてちぢれる。小枝を組みあげ、火が育ったらたきぎをくべた。
 人目の気配に顧みる。天翰が横たわったまま、じっと見ていた。
「躰は平気か」
 ばさりと直裰で顔を隠した。十一は溜息をつく。
「左足のことだ」
 天翰は目ばかり覗かせた。手を左の足首に伸ばす。きゅっと眉根が寄る。昨夜きぞの艶態がよみがえり、十一は目を背けた。
天かん丶丶丶といったな。おめえは運がいい。いっぺんもてあそんだら始末されるやつもいるんだ」
「始末」
 細い声、怯えた目。十一は炉の灰を掻いた。
「女は売られちまう。男は……さあ、どこに埋まってんだろうな」
虞淵ぐえんどのは……」
ぐえん丶丶丶?」
「兄弟子です、太刀を抜いて斬られた。どこに埋めましたか」
「籔んなかで野ざらしさ。そのうちケダモンが喰っちまう」
「どこの籔ですか」
「きいて、どうする」
 天翰は強情な目で黙っている。かちゃかちゃと磁器のぶつかる気配がして、簾が捲られた。夷虎は洗桶を置き、十一と天翰を交互に見やる。
「どうかしたか」
「いや」
 十一は銚子の水を桶に注ぎ、麻の布巾を絞った。天翰へ膝行いざりよる。
「躰をふいてやる」
 天翰は直裰を抱いて、幼子のようにいやいやする。十一はかまわず天翰の肩をつかみ、背をふいた。天翰の細い声。
「あの、ほかの衣は」
「お頭が持ってっちまった。あとで代わりを探してやる」
 十一は天翰の胸をふきにかかった。汚れの落ちた肌の生白なましろさ。点々と散った赤い痕。百舌がつけたのだろう。何かむしゃくしゃして、つい布巾に力がこもった。天翰の乳首が、ぷつりと尖る。十一は直裰をはいで、腫れ具合を見るつもりで左足を持った。
「待って、あっ……」
 天翰の泣きそうな声。うりゅうりゅうりゅ……と音を立てて菊門から昨夜きぞの精がこぼれでる。
「うえ、汚ねえ」
 夷虎が罵った。十一はむっと口を結んで、天翰に濡れ布巾をつかませた。
「そこはてめえでやんな」
 天翰は真っ赤になって涙ぐんで、こそこそと直裰で隠しながら尻をぬぐう。

 日が高くなった頃、烏帽子の三人が小屋に戻る。どこかで奪ったのか、あるいは奪った銭であがなったのか、大荷物だ――牝鶏、根菜、塩やらひしおやらの壺、酒甕。当面は籠る気なのだろう。
 銀鴟が唐棣色にわうめいろの衣を天翰に投げる。
「そいつを着な」
 坊主頭にかぶさった絹衣きぬごろもをはがして、天翰は瞬きする。はなやかな孔雀羽に桐紋様。
「これは、おなごの衣では」
「文句ねえだろう、おめえはだ」
 銀鴟の母は、蕃人ばんじんの血を引いた白拍子しらびょうしときいた。白昼の光のもと、銀鴟の目玉は殆ど黄金こがね色に見える。天翰は目を伏せた。あの眼光を正視できる者など、まずいない。
「十一、着せてやれ」
 銀鴟は襦袢とかつらを投げた。十一は受けとめ、襦袢を天翰に羽織らせた。
「あの、褌は」
「女は褌はしめねえ」
「私は男です」
「お頭が女だといったら、女だ」
 天翰は唇を結んで、襦袢に袖を通した。
 つややかな女の鬘と衣の天翰に、ほうと十一は息をついた。やんごとないおひいさんみてえだ、と思った。夷虎はぽかんと口をあけて見とれていた。百舌がいう。
「そのなりで天翰丶丶てえのもなんだな。なあ、銀鴟」
 銀鴟は口をゆがめる。「おめえは今から日羽ひわだ。お日羽。わかったら返事だ」
「いやです」
 凜たる声に、十一ははらの底が冷えた。天翰は唇を震わせつつも、銀鴟をまっすぐに見すえた。
「あなたがたは私の兄弟子たちをあやめ、私に狼藉を働いただけではあきたらず、名まで奪おうというのですか」
 銀鴟は薄笑いを浮かべ、顔を天翰の顔に寄せる。
「おれぁ山賊のかしらだ。奪えるモンはなんだって奪う。銭だろうが、女だろうが、名めえだろうが、命だろうがな」
「天鵞さまの左腕さわんには、たしかに刀傷がおありでした。忘恩負義の謗法者ほうぼうものに斬られたのだと」
 天翰は妙に静かな顔つきをしていた。銀鴟の目が細くなる。
「おれがうそをついたとでも」
「わかりません。なれど、あなたの怒りは、うそではない。それはわかります。なればこそ、あなたはの者に対し、このような行いをくりかえしている。ちがいますか」
さかしらぐちをきくな。ここでは、おれが掟だ」
 銀鴟の右足が飛んだ。鳩尾みぞおちの衝撃、十一はくの字にせぐくまった。まるきり油断して、腹に力を入れることもしていなかった。酸っぱい虫唾むしず。十一は這いつくばって呻いた。背にふれる天翰の手のひら二枚。
「十一どのっ」
「おめえが楯突くたびに、そいつは痛え目を見る。それでも、いやだというか」
 天翰は睨んだ。「好きな名で呼ぶがいい。私は二度と口をききません」
 銀鴟は笑った。「その依怙地いこじがいつまでもつだろうな」

 小屋の炉の鍋を、山賊五人が囲んだ。煮汁にとろける猪肉ししにくと脂。鳩尾の鈍痛のせいで、十一は箸が進まなかった。
 女装の美童は蓮花坐れんげざを組んで暝目したきり、微動だにしない。いや、唇が小さく動いている。経を唱えているのだ。椀によそった猪汁には手をつけていない。十一はささやく。
「食わねえと、もたねえぞ」
 天翰はきこえぬかのようだった。
 鍋を空にした四人は、大甕から酒を汲んでは呷った。十一もひかえめに呑んだ。酒は好きではなかった。呑めばのむほど正気を失い、けだものに近づくと思えた。
「なんだ、十一、ちっとも呑んでねえじゃねえか」
 百舌が盃につごうとする。十一は手で拒んだ。
「もう、酔っちまいやして」
 銀鴟がいう。「十一、夷虎。呑み競べしろ。勝ったほうは、お日羽を好きにしていいぞ」
「ほんとですね?」
 夷虎は前のめりになった。きこえているだろうに天翰は、変わらず蓮花坐で瞑目している。十一はいっぺんに酔いが醒めた。あの美童を、このばかにだけは好きにさせるもんか。
「はじめ」
 銀鴟がいった。夷虎の盃に牙良が、十一の盃に百舌が酒をついだ。ふたりは同時に、一息に飲みほす。銀鴟がいう。
「ひとぉつ」
 漆の盃につがれる酒は、天翰の精水のような淡い白だ。なまめかしい連想を振り払い、十一はそれを呷る。くわっと喉が焼ける。
「ふたぁつ」
 夷虎は炯々けいけいたる目で、十一を見すえている。根っからの勝負好きなのだ。端折った裾から覗く褌がしっかりと張っていて、十一はむかついた。
「みぃっつ」
 杯を重ねるごとに、躰の芯がほてってくるようだった。しかし、反対に頭は深閑と冴えていった。十一は変わらぬ呑みっぷりで、淡々と盃を空けた。おれは案外いける口なのかもしれない。
 対して、夷虎は猿公えてこうじみた赭顔あからがおになり、しきりにもぞもぞと足を組みかえては目をこすった。盃を口に運ぶ仕草も鈍くなる。
「八十八」
 十一は一息に呷った。夷虎の手は止まったきりだ。牙良がいう。
「ほら、早う呑め」
 夷虎は眉間をしわめつつ、どうにか呑みほした。すかさず盃が満たされる。十一は一息に呷った。
「八十九」
 夷虎は盃を落とした。筵にみいる諸白もろはく、むっと鼻を突く酒の気。夷虎はふらふらと小屋を出た。反吐もどす気配。銀鴟がにやりとする。
「勝負あったな」
 十一は一礼した。すっくと立ちあがり、瞑想する美童へと近づいた。酔ってないと思っていたが、ふわふわと雲を踏む心地がした。天翰を背から抱きすくめ、頭を肩にもたせかける。さすがの天翰も、びくりと身を硬くした。そのまま十一は目をとじて、じっと動かなかった。ただ、天翰の温もりを感じ、あどけない香を嗅いだ。銀鴟の声。
「どうした。好きにしていいんだぞ」
「へい。ですから、こうして好きにしておりやす。こりゃあ極楽でござんすね」
 一瞬の沈黙。三人の大笑が轟いた。百舌の声。
「銀鴟、一本とられたな。こりゃあ傑作だ」
 天翰の肩から、力が抜けた。十一はぎゅっと両の腕に力をこめて、うつらうつらと舟をこいだ。

 天翰の足首は、茄子紺に腫れあがった。洗桶で布巾を絞って、十一は患部に巻きつけた。筵に横たわった天翰の虚ろな目。そのまろやかな額に、十一はふれる。微かに熱っぽい。
「食いてえモンはあるか。おれがとってきてやる」
 天翰は首を小さく振った。もう五日も何も口にしていない。生来の細面がさらにこけて、頬に陰が浮く。死相のごとく思えて、十一は両の拳を握った。
「おめえは死にてえのか」
 天翰は目をとじて、答えなかった。
「そんなに死にたきゃ、今、おれが殺してやる」
 天翰が目をあけた。十一は太刀をとり、すらりと抜く。幾人もの肉を裂き血を吸った白刃しらは。切先を地へ向け、どすりと突き刺した。天翰は目をむいて、刃から首を反らした。口を薄くあけ、はあはあと息を乱す。十一は、ぐっと顔を寄せた。
「ほら、おめえは死にたくねえんだ。なんでもいいから、食いてえモンをいえ。いわねえと、ほんとうに殺す」
 天翰は半身を起こし、柱に靠れた。「……ひと思いに斬ればいいものを。なぜ、生かすのです。あのときも、今も」
「死んだらおしめえだからさ。極楽浄土? 無間むけん地獄? 坊主のうそ八百だ。極楽も地獄も、この世のモンだ」
「えゝ、そうですとも。今、私は地獄にいる。虞淵どのが、兄弟子たちが、賊に斬られるのを見ているしかできなんだ。その賊に、死ぬよりもつらい辱めに遭わされて……なれど、それも御仏みほとけおぼし召し。よもぎが、食いとうござりまする」
 天翰はうっすら笑って、目をとじた。

 よもぎの時季だった。南の日当たりの好い土手に、青々と艾の葉はいくらでも蔓延はびこっていた。十一はやわらかい若芽を選んで、手籠一杯につんだ。おっかあが生きていた頃は、こいつで草餅をこさえたものだった。熱々の餅に蜂の蜜をからめて、きな粉をまぶすと、たまらなくうまいのだ。そうだ、あした、市で米を買ってきて――
 根城の掘立小屋に、天翰の姿はなかった。十一は手籠を投げて、表手おもてへ飛びだした。這いつくばって、地べたに目を凝らす。天翰の素足の跡は、西へと向かっていた。まさか、と思った。天翰の兄弟子を斬ったのは、山の西だった。
 十一は獣道けものみちを抜け、山路を駈けた。あの腫れあがった足では、そう遠くへは行けまい。
 案のじょう、半里も行かぬうちに、衣の唐棣色が見えた。十一の跫音に、天翰が顧みた。必死に足を引きずって逃げる。十一は追って、追って、追い越して、天翰のまえに背を向けてしゃがんだ。
「乗れ。ぐえん丶丶丶のところへ行ってやる」
 ためらいのごとき一瞬ののち、熱い躰がおぶさってきて、両の手がおずおずと首に回った。すっかり軽くなった天翰を、十一は跳ねるように引きあげた。
「あなたは、私の心が読めるのですか」
 十一は笑った。「読めたら困らねえんだがな。先にいっとくが、埋めてやるこたできねえぞ。道具がねえから」
「遠いでしょうか」
「なに、四半刻しはんときもありゃ着くさ」
 夕べの竹林の笹籔を、十一は躰で掻き分けた。飛び発つ鴉。糞尿じみた腐臭。たったの十日で、四体の仏は土色に腐り果て、無数の蠅や蟻がびっしりとたかっていた。やわらかい目玉と臓腑はらわたは虫やけだものに喰われ、手や足を持っていかれた者もいる。十一にはどれがどれやら皆目かいもくだった。けれども、天翰はいう。
「あゝ、あの背の高いのが虞淵どのです。その右が隆福りゅうふくどの。左が珍雲ちんうんどの。いちばん左が清然せいねんどの」
 あゝ、おれが殺めた者たちにも、あたりまえに名があり、生があったのだ。あえて見ぬふりをしてきたものが――夜の山よりも真っ黒な腐塊ふかいが、いっぺんになだれかかってきた。それはうずたかく十一の胸をし潰さんとする。おれは何人、十何人、何十人を殺した?
「十一どの」
 天翰の白い顔がにじんでいた。むせび泣きそうになるのを、口を押さえて止めた。なぜ、おれが泣くのだ。泣きたいのは、兄弟子を亡くした天翰のほうだ。
「私が経をあげます。どうか十一どのも手を合わせてください」
「……いまさら赦しを請うて、なんになる」
「われらは御仏の弟子です。御仏の教えを、人々にひろむるが使命。もし、そなたが御仏の教えを一偈いちげでも心に持つならば、かれらは命をもっ仏種ぶっしゅを――仏となるべきしょうたねしゅうせしめたことになる。さすれば、大いなる功徳くどくとなり、かれらは次の世でとうと境涯きょうがいるでしょう。それはかえって、十一どのの功徳となるのですよ。ならば、さあ」
 十一の右手を天翰がとって、対の左手を添えて合掌させた。十一の手をつつんだまま、天翰は朗々と経をあげた。我淨土不毀而衆見燒盡憂怖諸苦惱如是悉充滿是諸罪衆生以惡業因緣過阿僧祇劫不聞三寶名。天翰の凜然たる面差おもざし――あゝ、観音菩薩だ。十一はこうべを深く垂れて、生まれて初めて御仏に祈った。我常知衆生行道不行道膸應所可度爲說種種法毎時作是念以何令衆生得入無上道速成就佛身。
 山が赫々あかあかと暮れなずんだ。天翰をおぶって峠路を行きながら、十一の足は鈍った。この貴いお人を、あんな悪党の根城に戻しちゃなんねえ。でも、今から深沢ふかざわの極聖寺は……いや、近場の光触寺こうしょくじなら……十一はせっせと足を動かした。天翰の心細げな声。
「十一どの、どこへ行くのだ。早う戻らぬと、日が暮れてしまう」
「光触寺に行く。そこで助けてもらって、安房あわの寺にけえれ。おめえは修行して、えれえ坊さんになれ」
「そなたはどうなるのだ」
 十一は返事をしなかった。おそらく惣追捕使そうついほしに捕えられて、地獄谷じごくだにの刑場で首を斬られる。もし捕えられなくても、銀鴟に半殺しの目に遭う。それでもいいと思った。月のない宵に、山犬の遠吠え。
「のう、腹がすいた。よもぎを食べていない」
「寺で食わせてもらえ」
「そうだ、小屋に忘れものを」
「諦めろ」
「それはできなんだ。虞淵どのが写した経本なのだ」
「おめえは坊主だろ。物に執着しゅうじゃくしねえんじゃねえのか」
「僧であるまえに私は人ぞ。大事なものを大事にするは当然のこと」
「あとで届けてやるから」
「のう、十一どの。ひとりにするな」
 ぎゅうっと両の手足でしがみつく。思わず、十一は歩を止めた。
「ばかか。おれぁ山賊だぞ。おめえの兄上とちげえんだ」
 がさり、籔がゆれた。けだものの唸り声。底光りする双眸。大きな山犬だ。毛並は荒れ、涎を垂らし、たかぶった様子でうろつきまわる。尋常ではない。十一は総身の毛穴がひらいた気がした。
「十一どの」
「騒ぐな。目を離したら、喰われる」
 十一はゆっくりと後ずさった。何もないはずの道で、何かにぶつかった。天翰が息を呑む気配。
「おい、十一」銀鴟の声。「死にてえか」
「死にたくねえです」
「なら、そいつに小便をかけろ」
 半信半疑で十一は、片手で魔羅をひっぱりだし放尿した。ひゃんひゃんと山犬は悲鳴をあげ、籔の奥へ逃げて行った。十一はその場にへたりこみそうになった。
 いつからけていたのだろうか。銀鴟は無表情に子分と人質を見おろす。
「おめえらが里に下りたら、斬ってやろうと思っていた」
 どんな釈明もむだに思えて、十一は黙りこんだ。銀鴟は背を向けた。
けえるぞ」
 へい、と十一は頷いた。頷くよりほかなかった。

 天翰は大鍋で米をたっぷりと煮て、艾粥をこさえた。そのあおいどろどろを十一は味見して、顔をしかめた。
「山賊の飯ぁ精進料理じゃねえんだ。肉を入れろ、肉を。源家げんけは肉を食ってたから平家に勝てたんだぞ」
 銀鴟の請売うけうりだった。十一は粥に塩漬けの猪肉ししにくをたっぷり放りこみ、くつくつと煮た。掘立小屋の土間に、えもいわれぬ匂いがただよう。十一は椀によそって、天翰に突きだす。
「食え」
 沙弥さみの戒律が肉食にくじきを禁じているのは知っていた。天翰は肉粥を見つめていたが、五日の空腹には勝てず啜った。ぱっと顔が輝く。
「おいしい」
 にかっと十一は笑った。「だろう。もっと食え」
「おっ、うまそうなモンがあらぁ」
 簾を捲って、百舌が顔を出した。十一は天翰の鬘をぽんと撫でる。
「こいつが煮たんでさ。で、そいつは?」
 百舌は町人風体のわらべをつれていた。年の頃は十二、三と見えたが、頬はやつれ、唇は荒れ、手はあかぎれだらけで、酷いなりだ。それでいて、始終にこにこと笑みを浮かべるので、かえって薄気味悪かった。
「名めえは喜々須きぎすってことにしてやれ」
 百舌はいった。喜々須は椀ごと丸呑みする勢いで粥を平らげた。お代わりは? と天翰が尋ねると、こくこく頷いて椀を差出した。
 山賊どもが続々と戻り、肉粥にありついた。大鍋はあっというまに底をついた。きょうの夕餉ゆうげは妙にうまかったと、みな口を揃えた。夷虎がいう。
「お日羽の汁は天下一品だな」
「あっちの汁もな」
 百舌が茶化した。天翰は耳を染めて顔を伏せた。
 山賊五人は盃を傾けつつ、新参にあることないこと吹きこんだ。夷虎の法螺まじりの武勇伝。牙良が棟梁の手を金槌で潰して大工をやめた顛末。百舌が片目を失くした因縁話。銀鴟の白拍子との痴話――話がシモがかってくると、牙良が天翰を抱き寄せた。
「おゝ、ちょうどいいところにがいたぜ」
 銀鴟が牙良を張り倒して、天翰をさらった。唐棣色の衣を捲りあげ、天翰の魔羅と陰嚢を新参に見せた。さすがに喜々須もにこにこをやめて、ほうけたふうになりゆきを見ていた。
 膝立ちの美童の背に添うように、銀鴟は押入った。毎夜のことに、天翰はもう泣きも喚きもしなかった。ただゆさぶられながら、せつない目で十一を見つめた。十一は見つめかえした。銀鴟は天翰の首をねじって、唇をねっとりと吸った。
 百舌が膝行いざって、天翰の衣をほどいた。妖しく白い肌に、ぷつりと尖った乳首と、赤く熟れて蜜を滴らせた魔羅。ごくり、誰かが生唾を呑んだ。百舌が美童の乳首を吸って、もう一方を捏ねた。あゝ、と天翰が身をよじる。おのれの魔羅にふれようとして、百舌にひょいと両手を押さえられる。
「お日羽。おれは教えたよな。それはおめえのだが、おめえのじゃねえんだ。勝手にさわっちゃなんねえ。そういうときは、どうするんだ?」
 天翰は泣きそうに十一を見てから、顔をうつむける。そのあいだも、銀鴟が容赦なく腰をたたきこみ、百舌がくびからわきから胸乳をねぶる。天翰はぶるぶると腿を震わせて、とうとう口にする。
「……ま、魔羅を、……てくださ……」
「魔羅が、なんだ。はっきりいってみな」
「……魔羅を、しごい……てください」
「そうだ、よくできたな」
 百舌は口づけをくれると、三つ指で天翰のそれをつまむ。妙枢みょうすうを隈なく責められて、天翰は身をくねらせ、おゝん、おゝん、と高く咆える。盛りのけだものじみた、凄絶な声。きいいいいっと胸が引き攣れる気が十一はする。十一は手酌で呑む。まるで呑み競べのように淡々と、ひたすら呑む。
 淫らな三つ巴に牙良が加わり、四つ巴になり完成する。銀鴟の腹のうえで撞木反しゅもくぞりの天翰、その胸乳を牙良がねぶり、魔羅を百舌がしゃぶる。恍惚の美童はしかし、ときおり正気に返ったかに十一を見つめる。十一は、ただ酒を呷る。おれには、あいつを救えねえ――
「おい、十一。おめえはひとりで甕を空にする気か」
 夷虎にいわれたのはおぼえている。だが、そのあとのことは、おぼろげだった。十一は、初めて正体を失くした。

 山賊どもの大いびきのなか、朝の鳥が鳴いた。割れそうな頭の重さに、十一は呻いた。十一の手を、天翰の手がとった。昨夜きぞの痴態がうそのように、天翰はきちんと鬘と衣を着ていた。
「これを」
 薄墨色の紙包を、十一はひらいた。褐色の粉末。
「なんだこりゃ」
四苓散しれいさんだ。じゅつ沢瀉たくしゃ猪苓ちょれい茯苓ぶくりょう。二日酔いにはこれが一番だと和尚さまがおっしゃっていた」
「生臭坊主かよ」
 十一はつまんでめた。うげえ、と思わずいった。苦い。天翰は白湯の椀をわたした。十一は粉薬を含んで、鼻をつまんで白湯で飲みくだした。しばらくすると小便がでて、頭痛はかなりましになった。
 朝靄が晴れて、日が照った。四照花やまぼうし木蔭こかげで天翰は、経本を押頂おしいただいてからひろげた。九十九つずら折りの黄紙に、鮮やかな楷書の墨痕。ほうと十一は息をついた。
「きれいなだな」
「虞淵どのは寺でも指折りの能筆であった」
ぐえん丶丶丶︎は、どんなやつだった」
 野の陽炎かげろうを見るかに天翰は、遠い眼差まなざしをした。
「優しい兄のような。私には親も兄弟もない。赤子の時分、寺の門前に棄てられていたのだそうだ。そんな私に、虞淵どのはよく目をかけてくれた。もし兄がいたならばこんなふうだろう、といつも思っていた」
 十一は経本を手にとった。漢文の経は、十一にはとんと読めなかった。きっと、優秀な僧だったのだろう。
「おれぁ数しかわからねえ。このは読める。あと、おめえのの字も読める。天かん丶丶丶かん丶丶は、どんな字だ」
 天翰は小石を拾って、地べたをひっかいた。天翰丶丶
「うん、むずかしい字だな。おれのは、やさしい」
 十一も小石で地べたをひっかいた。十一丶丶
「十一どのの名はおもしろい」
 十一丶丶のとなりに、天翰は書く。
「これはもののふ。立派な男という意味だ」
「なるほど。だが、おれはこっちだろう」
 の下に十一は書く。。天翰は笑う。
「私がで、そなたがなるか。おもしろい」
 天地丶丶、と天翰は書いた。なるほど、と十一は思った。
「十一どのの名は、慈悲心鳥のことか」
「じひしんちょう?」
十一丶丶十一丶丶と鳴く鳥がいるだろう。あれを寺では慈悲心丶丶丶慈悲心丶丶丶とききなすのだ」
「そんなありがてえ鳥じゃねえ。十一番目の子だから、十一だ。百姓ぁ子だくさんだから」
「十一人兄弟であったか」
「いゝや、六人兄弟さ。赤ん坊のうちに死んだり、里子に出したりしてな。おっ母が生きてりゃ、もっと多かったかもな。おっ母は弟の十二とおじを産んだときに死んじまった。十二の面倒は、おれが見たんだ。その十二も死んじまった。寛喜かんぎ三年に大旱おおひでりんときにな」
 飢饉ききんの年が続いたのちの大旱魃だいかんばつだった。大地が干割ひわれ、作物が枯れ、川が干あがり、井戸も涸れた。渇きを癒すには、生木をかじるよりしかたなかった。
「お水くんろ、お水くんろ、ってさ。十二は赤ん坊だから、ききわけがねえ。おれは井戸の底に少し残った泥水を掬ってきて飲ませた。そしたら、急に苦しみだして、吐いて、くだして……あっというまだった。兄弟が目のまえで死ぬのは、初めてじゃなかった。けど、それは勝手に死んだんだ。なかば寿命さ。でも十二は、おれが死なせた。おれが、殺したんだよ」
「十一どの」
 花奢な手が袖をつかんだ。十一は微笑した。
「十二が死んでも、おっとうもおにいらも、けろっとしたもんだった。むしろ、口減らしになってよかったってな肚なんだ。生きるのがあんまり苦しいと、人は人でなくなっちまう。ケダモンになっちまうのさ。おれは生きるのが心底いやになった。それで、夜の山に入った」
 死に場所を探していた。なのに、風に草木そうもくが騒ぐたび、夜のとりが啼くたびに、小便をちびりそうな気持ちがした。泣きながら母を、弟を呼んだ。
「死にきれなくてさ、山を何日もさまよった。そんなとき、銀鴟のお頭に拾われた」
 死んだらしめえだ、地獄も極楽もこの世のモンだ、と銀鴟はいた。奪ってでも生きろ、地獄も極楽も味わいつくせ、それでこそ人生だ、と。
「そうでなきゃ、おれは今ごろ舎利こうべ丶丶丶丶丶さ。だから、おれにとっちゃお頭は、親よりも大事な人だ。つまらねえ話をしたな」
 天翰は首を振って、経本の偈を指差した。
「私がまず唱えるから、十一どのも唱和してほしい。そなたの母上と、十二どののために」
 ふたりの声が合わさって、朗々と響いた。衆生見劫盡大火所燒時我此土安穩天人常充滿園林諸堂閣種種寶莊嚴寶樹多花果衆生所遊樂諸天擊天皷常作衆伎樂雨曼佗羅花散佛及大衆。まるで意味のわからぬ響きが、それでも美しく感ぜられたのは、かたわらの小僧のせいかもしれなかった。

「あっしがいたのは、柳楽屋なぎらやってえ酒屋でさ」
 木蔭の光の豹紋にまみれ、喜々須はにこにこといった。この数日、たらふく食べたおかげで、まともな見てくれになってきた。小屋の裏手、山賊どもは首を突きあわせていた。喜々須は枝で地べたをひっかく。間取図だ。
「これが小町こまちたな。間口四けん、奥行三けん。人は二階で寝起きしやす。亭主と女房と、下郎が五人。これが酒室さかむろ。間口四けん、奥行六けんってとこでしょうか。冬に仕込んだ酒甕が、ざっと九十、秋には飲み頃だ」
「九十も運べねえだろ」
 夷虎がいった。百舌のあきれ声。
「おめえは酒池肉林でもしようってか? とおもありゃたくさんだ」
 牙良がばか笑いした。銀鴟がいう。
「いっぺん下見に行かにゃなんねえな」
「そうですね。けど、あっしは面が割れてるんで」
 喜々須は一同を見まわす。銀鴟は尋ねる。
「おめえは誰が行けばいいと思う」
「銀鴟のお頭と百舌の兄ぃは目立ちすぎる。夷虎の兄ぃは……」喜々須は困り顔。「まあ、アレです」
「アレたぁなんだ」
 夷虎は嚙みついた。十一は頭を指差す。
「ここがたりねえ、といいてえんだろ」
 あゞ? と夷虎が睨んだ。喜々須はいう。
たなを下見に行くなら牙良の兄ぃと、十一の兄ぃが適当でしょう。牙良の兄ぃは大工あがりだから建物たてモンに強そうだし、十一の兄ぃはまともに見える」
 銀鴟は百舌に頷いた。使えるやつだ、と。喜々須がいう。
「この女房が見栄っぱりで、衣に草履にかんざしにと、とにかく金を食う。亭主もばくち狂いで、借財をごまんとかかえてる。銭をちらつかせりゃ、いうこときくでしょうよ。ところで、いざ柳楽屋を襲うとなったら、たなの者はどうしやす」
「朝まで気づかれねえのが一番だが、気づいて騒ぐなら殺す」
 銀鴟はいった。喜々須はにこにこする。
「できたら皆殺しがいい。それがだめなら、亭主と女房だけ殺すんでもいい。殺すのは、あっしがやりやす」
「機会があればな。勝手はするな」
 銀鴟は笑わない目で釘を刺した。牙良がいう。
「下見はいいとして、盗みの当日はどうする。六人で行ったら、誰がお日羽を見てるんだ」
 夷虎がいう。「おれが残ろう」
「だめだ」
 銀鴟と十一が同時にいった。十一はいう。
「おめえはすけべなことしやがるからだめだ」
「十一、おめえもだ。また妙な気を起こされちゃ困る」
 銀鴟がいった。天翰をおぶって寺に行こうとした件のことだろう。喜々須がいう。
「いっそ、つれていっては?」
「それもだめだ」
 十一はいった。天翰に悪事の片棒など担がせるもんか。
「ひとりで留守番させりゃいい。おい、お日羽」
 銀鴟が呼ばった。小屋から天翰が転げでた。夕餉の支度をしていたのか襷掛たすきがけで、手に里芋の皮がついている。
「近えうちに、おれらは留守にする。逃げようなどとゆめゆめ考えるなよ。おめえがいなくなったら、そのときは十一が死ぬ」
 天翰の澄んだ目の奥を、さまざまな情念が流れたかに思った。こいつを地獄に引きずりこんだのは、おれだ。たとえ天翰が逃げて、銀鴟に殺されるとしても文句はいえねえ。
 ふたりきりになったとき、天翰はささやいた。
「待ってろと、なぜいわぬのだ」
「おれがいえた義理じゃねえや」
 天翰は涙を溜めて、十一の衿をつかんだ。
「私が待たぬと思うのか」
 こつん、と額を肩に乗せてくる。きゅうっと胸が攣れて十一は、天翰の鬘に頬を寄せる。

 町に来るのは久しぶりだった。牙良のあとについて歩きながら十一は、小町大路おおじのにぎわしい市を眺めた。大路の両脇に茅葺かやぶきひさしがつらなり、老若男女が物を売りさばく。青物や根菜、鳥獣や魚介、反物や履物。売物の牛が尾をゆったりと振り、人足の父子おやこが荷車をいていき、隙を縫うように町人の子らが遊ぶ。娑婆しゃばだ、と十一は思う。
「よそ見するな。牛のくそふんじまうぞ」
 牙良はいって、ひとりで笑った。以前、実際に踏んづけたことがあった。十一はむっと口を結んで、少し先の地べたを見つつ足を動かす。
 町はずれの柳楽屋は、こぎれいな白漆喰の土倉どそうだった。水晶の屑でも混ぜてあるのか、漆喰壁がきらきらする。人がひっきりなしに出入りしている。酒をあがなう客、空の甕を運びだす下郎、御用聞きに来る商人あきんど。表手で様子をうかがったのち、十一たちは藍の暖簾のれんを分けた。喜々須のいったとおり、間口四けん、奥行三けんというところだった。座敷の奥に階段が見えた。烏帽子に小袖の若い男が揉み手する。
「へい、ご用でっしゃろか」
 牙良は満貫まんがん銭差ぜにさしを振って、銚子を突きだした。
「ここで一等うめえ酒をくんな。ほんとにうまけりゃ、次は甕ごと買おう」
「ほ、甕ごとどすか」
 亭主の吉蔵きちぞうであると男は名乗り、その場にあるだけの甕をひとつ一つ味見させた。
「同じ米、同じ甕で同じように仕込んでも、このとおり、まったく同じ味にゃならしまへん。酒は生きモンやさかい」
「たしかに。土倉の酒も見せてくれ」
 吉蔵は細い目をみひらいた。「おそれながら、あそこの出入はたなの者に限っとりまして」
「おれはここで一等うまい酒がほしいといったんだ。うまけりゃ、いくつでも甕を買ってやる。それとは別に礼もはずむが」
 牙良は満貫の銭を振った。吉蔵の目に欲の色。むこうで客を相手する女房をうかがい、揉み手して声をひそめる。
「しゃあないどすな。どうかご内密に」
 女狐みたいな男だ、と十一は思った。

「いや、うまかった。いい気持ちだぜ」
 帰りの大路、満々たる銚子をゆらして牙良は笑った。十一はいう。
「おれが来るまでもなかったですね」
「そうでもねえさ。その場を知ってると知らねえとじゃ、心構えがちげえ。十一、場数を踏め。ああ見えて銀鴟は、おめえを買ってんだぜ。ありゃ、でかく育つ、ってな」
 お頭が? 十一はつんのめりかけた。牙良が目をむく。
「どうした、くそふんだか」
「ちげえ。草鞋が」
 十一は右足をあげた。草鞋の鼻緒がもげていた。
 市の商人あきんどから、草鞋を六文であがなった。見世台みせだいにならんだ草履、下駄、板金剛いたこんごう。小ぶりな草履に目が留まる。天翰の足に合いそうだ。草色の鼻緒のそれに、十一は三十文を払った。
 牙良は苦虫を嚙み潰した顔。「やめとけ、やめとけ。おめえがアレをいじらしく思うのはわかるがな、そんななぁ今だけだぞ。じきに髭やら尻毛やらが生えて、男くさくなっちまう。そのうち女の尻を追っかけはじめる。おめえだって知れば女のほうがよくなるさ」
 だが、そんな天翰も、そんなおのれ自身も、十一はまるで思い描けなかった。
「まあ、そうなるまえに冬が来りゃ……」
 ついでのようにつぶやいて、牙良は黙った。
「冬が来れば……なんです?」
 牙良は苦笑し、大路の牛糞を跨いだ。

 十三夜の月下、十一は身震いした。耳が痛いほど深閑とした夜半よわの町中。月明に柳楽屋の漆喰壁がきらきらする。
 酒室の白漆喰の観音扉に、牙良はのみと金槌を使った。海老錠が繋いだ金具を、漆喰ごと削りとろうというのだ。半刻はんときほどで牙良はやってのけた。喜々須がつぶやく。
「すげえ」
「へへ、大工の腕は悪くなかったんだぜ」
 牙良は扉の片方からばきりと金具をもいで、あけ放った。銀鴟が顎で合図する。十一は踏みこんだ。高窓から差す月明り。ずらりと揃った常滑とこなめの甕。下見のとき目星をつけた甕の蓋には、偽名の木札が置いてある。山賊どもは一口いっこうずつかかえて、大路へと持ちだす。
「これで冬いっぱい呑めるぜ」
 十二口の甕をならべた荷車を牙良が牽き、百舌が押して運んでいった。
 がぢゃん、酒室で甕の割れる気配。がぼん、がぢゃん、と立て続けに音がする。この大ばかが、と夷虎の声。十一は駈けこんだ。砕けた甕からひろがる酒。
「潰れちまえ、こんなたな
 金槌を振りあげた喜々須は、夷虎に羽交い絞めにされた。銀鴟の声。
「おい、喜々須。人が来るぜ」
「来たら殺す」
 喜々須は嚙みつく勢いだった。いつかの狂った山犬のようだ。十一はいう。
「殺すほどの恨みなのか」
「亭主がたなの金をくすねてたのを、あの男、あっしになすりつけやがった。あっしに行き場がないのを知っていて。下郎に折檻されて、女房に飯を抜かれて、あっしは死ぬところだった。あんな男を親のように思ってたなんて。許せるわけがねえ」
 銀鴟の手が、太刀へ伸びる。とっさに十一は鞘ごとの刀を振るった。大甕が真っ二つになり、酒の波が草履の足を洗う。
「なら因果応報だ。そうでしょう」
 十一は銀鴟にいった。黄金こがねの目が細くなる。十一は固唾を呑んだ。おもむろに銀鴟は甕を持ちあげ、甕の列へ投げつけた。いっぺんに四つ砕けて、派手な音がむろを満たした。銀鴟はいう。
「みんな割っちまいな」
 夷虎は喜々須を手放して、片っぱしから甕を金槌で叩く。
「南無・阿弥・陀っと」
 誰ぞおるんか、と表手で人声。銀鴟は匕首ひしゅを喜々須に握らせた。
「それでんな」
 喜々須は頷いて、酒室を飛びだした。
 酒室の甕があらかた陶片と化したのち、十一たちは外へでた。庭のまんなかに下郎と吉蔵が伏せていた。影のように黒い血溜り。喜々須の姿はなかったが、誰も行方を探そうとはしなかった。山賊三人はてんでに夜に散った。全身が酒くさく、それだけで十一は酔えそうだった。

 夜明け前。峠の掘立小屋から、人影が転げでた。裸足の天翰は、何かを胸に抱いて飛びこんできた。十一はいったん抱きとめて、それから天翰の抱えたものを確かめた。小ぶりな草履、草色の鼻緒。天翰の泣きそうな目。十一はたまらなくなって、しゃにむに天翰を掻き抱いた。

 日が昇った頃、喜々須は血を浴びて帰ってきた。
たなに忍びこんで、持てるだけ持ってきやした」
 ふところからごろごろと満貫の宋銭そうせんがでてくる。銀鴟は勘定して、者どもの働きに応じて分配した。十一のぶんは、夷虎よりも一貫多かった。夷虎の不満の色。
「その一貫はお日羽のだ。あめえ瓜でも買ってやれ」
 かたじけのうござる、と十一は懐に収めた。天翰が喜々須の血をふいて、着替えさせた。銀鴟がいう。
「喜々須、これで晴れておめえは〝梟〟の一味だ。こんどは銭に免じて見逃すが、もし次に手前勝手なことをしやがるなら」
 銀鴟はさっと太刀を振った。鞘ごとのそれが喜々須の頸に当たる。
「わかったな」
 へい、と喜々須は頷いた。銀鴟はにやりとした。
「おめえは十一につくんだな。こいつが甕を割らなけりゃ、とっくにおめえは首無しだ」
 ぶるり、と喜々須は震えて、銀鴟と十一にをさげた。

 天翰は甘い瓜よりも、書物を欲しがった。どんなものが適当かわからず十一は、大町おおまち書肆しょしで『竹取のおきな』をあがなった。天翰はよろこんで、十一に読んできかせた。十一は天翰の鬘を撫でた。
「おめえを拾ったのも竹籔だったな」
「そうであった」
「おめえも月にけえっちまうのか」
 天翰はうつむいて黙りこむ。帰りたい思いはあるのだろう。けれど、天翰のいない暮らしなど、考えたくもなかった。十一は天翰の鬘をはずし、じかに坊主頭を撫でた。わずかに伸びてきた髪の、ざらりとした手ざわり。
 夜な夜な、山賊どもは宴を催した。酒ならいくらでもあった。そして、烏帽子の三人は天翰をなぶった。女のように屈服する天翰を、十一は盃を片手に見つめるばかりであった。天翰は見つめかえした。それに気づくと銀鴟は、遮るかに天翰の唇を吸った。
 群れ来る蜻蜓あきつ。山の風に秋の気を感じた。峠の沢で十一は、天翰と喜々須とともに椀を洗った。二人が来てから、こなすべき日々の雑事はかなり楽だった。
「十一の兄ぃは、お日羽の姐さんにの字なんでしょう」
 だしぬけに喜々須がいった。十一は危うく銀鴟の銚子をとり落としかけた。天翰も目を丸くした。喜々須はにこにこと鍋の焦げつきをこすった。
「あゝ、その顔は図星ですね。お日羽の姐さんも、満更じゃねえんだ」
「何がいいたい」
「いいんですか、姐さんを好き勝手にされていて」
 いいはずがない。けれど、銀鴟たちに意見できるほど十一の立場は強くなかった。喜々須だってわかっているはずだ。このわらべは聡い。
「のう、喜々須どの。あまり十一どのを困らせるな」
「烏帽子を戴けばいいんでさ。一人前になりゃあ、お頭たちも十一の兄ぃを無下にはしがてえでしょう」
「烏帽子を」
 あの三人の誰かに、烏帽子親を頼めばいい。ただ、頼んですんなりきいてくれるだろうか。
 十一は小屋の裏手へと向かった。そこで烏帽子の三人はよく次の仕事の相談をしていた。
「始末するのは、いつでもいい。すっかり色気づいちまいやがって、おもしろくねえ。女房づらしやがるのも気に食わねえ」
 銀鴟の声に、十一は足を止めた。百舌と牙良がいう。
「だが、お日羽の飯はうまい。尻の塩梅あんばいもいい」
「たいしたよしもなく殺しゃ、十一はおめえを恨むぜ。いいのか」
「あれは知りすぎた。雪の頃に仕事なんざやってられっか。むだ飯食いはいねえに越したこたぁねえ」
 心の臓があばらを叩いた。十一は気配を忍ばせて、そこから離れた。
 沢まで走った。天翰は男たちの褌を、岩に叩きつけて洗っていた。血相を変えた十一を見て、腰をあげる。
「どうしたのだ」
 十一は抱きすくめた。小鳥みたいに温かい花奢な肩。腕をゆるめて、天翰の顔を見すえた。右頬に泥をなすった跡。秋空みたいに澄みきった明るい瞳。こいつを殺させるもんか。十一は告げる。
「天翰。頼みがある」

 秋の虫の音色。灯台の火と炉の火に、山賊どもの影がバケモノじみて伸び縮みする。宴が始まってすぐ、十一は銀鴟にむかって手をついた。十一の背後で、天翰も手をつく。
「お頭、おねげえがござります」
 銀鴟は眉を動かして、盃を呷った。「なんだ」
「おれと呑み較べしてくだせえ。もし、おれが勝ったら、そこの天翰を頂戴したい」
 山賊どもがばか笑いした。百舌がいう。
「なんだ、その坊主を女房にでもしようってか」
「へい。そうしようと思っておりやす」
 女房にしてしまえば、天翰をどうしようと十一の勝手のはずだった。ほとぼりが冷めたころに、離縁というかたちで安房の寺に帰してやれる。
 銀鴟は笑った。心から愉しそうに。「もし、おめえが負けたら、そのときはてめえでそいつの首をねろ。それなら勝負してやる」
 十一は天翰を顧みた。天翰は、ただ頷いた。
「ふん、そいつのほうが肚が据わってら。おい、夷虎、喜々須、甕ごと持ってこい」
 手つかずの甕が二つならんだ。喜々須が蓋をとり、柄杓で銚子にそそいだ。百舌が銀鴟に、牙良が十一に酒をつぐ。両者は一息に呷った。夷虎が声を張る。
「ひとぉつ」
 満々とつがれる酒。これは水だ、ただの水だ、と十一は念じた。あらかじめ天翰の酔いざましの薬は呑んでおいたものの、どれほど効くかは計れなかった。天翰は十一の背に手を置いて、小声で読経した。
「百八」
 杯を重ねても、銀鴟は変わらなかった。この人が酒で乱れるのを見たことがない。その底知れなさに、十一は寒くなった。
「あゝ、まどろっこしい。盃はやめだ」
 銀鴟は喜々須から柄杓を奪い、甕からじかに呑んだ。十一は惑ったが、水甕の柄杓をとってきて、銀鴟にならった。
「二百十四」
「おい、次の甕を持ってこい」
 銀鴟が拳で口をぬぐった。夷虎と喜々須がそれぞれ甕を持ってきて、蓋をとった。ときおり外へ小便を垂れにいくほかは銀鴟も十一も、ただ淡々と汲んでは呑んだ。
「三百三十六」
 天翰の読経は続いた。その涼やかな細面を見ると十一は、正気に戻れる気がした。おれは人だ、ケダモンじゃねえ。
「四百五十九」
 それは唐突だった。柄杓の酒を呑みほしながら銀鴟は、白目をむいてひっくりかえった。
「銀鴟!」
 百舌と牙良が叫んだ。助け起こそうとする二人を、銀鴟はうるさそうに払った。
「畜生め」
 銀鴟はくっくと笑った。十一と天翰は手をついた。
「お頭。約束です。天翰を頂戴します」
「畜生め」銀鴟は大きな手で、おのれの顔を撫でた。「よし、おれがおめえの烏帽子親んなってやる。ついでに祝言もあげちまえ。ただし、お日羽を逃がすんじゃねえぞ。そいつは知りすぎてる。二度とよそで暮らせねえようにするんだ。それだけは譲れねえ」

 約束どおり、銀鴟は十一の烏帽子親になり、十一は蒼鴞そうきょうという烏帽子名をもらった。
 峠の小屋には戸がつき、床板がかれた。牙良の計らいだった。山賊どもの根城は、また別にもうけられた。歩いて四半刻もかからぬ距離だ。
 ふたりで過ごす、ふたたびの冬。烏帽子を戴いた十一は、かたわらの天翰を撫でた。天翰の髪は肩まで伸び、禿かぶろのようだ。女の衣を着ていれば、男とは誰も思うまい。紅梅色の衣に、十一は手をかけ、紐を解いた。衣摺きぬずれ。
 天翰の白い背に、淫慾魔羅観世音丶丶丶丶丶丶丶という入墨すみ。これが銀鴟がつけた条件だった。天翰は僧侶にも堅気にも戻れなくなった。ただ、山賊の女房として生きるほかはない。十一は入墨を撫でた。うぶ毛のなめらかな肌。
「おれを、恨んでいるか」
「えゝ、恨んでいますとも」
 天翰は躰ごと振りかえり、十一の頸に両腕をかけた。清水のように澄みきった目で、紅を差したかのごとき唇で、嫣然えんぜん一笑する。
「生涯かけて償ってくださいまし」
 天翰は口づけた。幼い女房を蒲団ふとんに横たえながら、地獄に堕ちてもいいと十一は思った。
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