ヤジキタは四つめの街で

御厨 匙

文字の大きさ
上 下
35 / 57
道の肆区

三十四哩(もう弥次でも喜多でもねえよ)

しおりを挟む

     無免許運転の中三
     タクシーと衝突死
 十八日午前六時三十五分ごろ、横浜市保土ヶ谷区初音ヶ丘の交差点で、市内の中学三年の男子生徒(14)が乗ったバイクが、右折しようとしたタクシーと出合い頭に衝突。男子生徒は道路に投げ出され、まもなく死亡した。保土ヶ谷署は、タクシーを運転していた横浜市都筑区中川、運転手善養寺ぜんようじさだむ容疑者(59)を業務上過失致傷容疑で現行犯逮捕、のちに容疑を同致死に切り替えて事故原因を調べている。
 現場は信号機のある交差点。善養寺容疑者は「気がついたらバイクがすぐ目の前に来ていた」などと話しているという。男子生徒は無免許で、ヘルメットを着用していなかった。バイクは家族所有のものではなく、同署が調べを進めている。

     ♂

光りつつ震える車体傍らにもう帰らない街を見ている

     ♂

 ぼくの新しいクラスは三年D組。担任教師は海老原晋だった。エビセンはうるさいことはいわず、ただいたわるようにぼくの肩を叩いた。
「おかえり」
 一階の裏庭に面した教室。新しいクラスメイトに知った顔が何人か。小泉沙織・大久保弥生・萩山大輔・杉俣孝作・清水俊太もいた。
「なんていっていいかわかんないけど、北浦が帰ってきてよかった」
 そういうと清水は友達のところへ行ってしまった。変に構われないのがありがたかった。
 ぬるくなったポカリスエットを手に、ぼくは芝賢治のことを考えた。あいつは死んだ。ヘルメットのせいだ。きっと、芝賢治にも、あの蝶のヘルメットは小さかったんだ。だから脱いでしまったんだ。ぼくが我慢してかぶっていれば、あいつは死ななかったかもしれない。
 唯一、救いがあるとすれば、あいつが死んだのが朝だったことだ。夜には死にたくないと、あいつはいっていた。曇ってはいたけれど、夜じゃなかった。あいつは光のなかで死んだ。
 それとも、あいつは自分が黒い煙につつまれるのを見たんだろうか?
 肩を叩かれた。制服姿の矢嶋健は、銀の歯列矯正器を見せた。
「ずいぶんサボってくれたじゃないか。《スプリングソナタ》は最初からやりなおしだ。覚悟はできてるだろうな」
 あゝ、こいつはぼくじゃなくて、ピアノの心配をしてたのか。ぼくはペットボトルを矢嶋の頭上へ持っていって、ひっくり返した。ほとんど口はつけていない。約一四九ミリリットル。みるみる濡れそぼってゆく、やつの上半身。そのポカリスエットくさい胸を、ぼくは突き飛ばす。二、三歩よろめく矢嶋。呆然自失の三白眼。ぼくは静かに低い声で告げる。
「おれはてめえのピアノ弾き人形じゃねんだよ。おれは芝の頭つぶれた死体、見てんだぞ。そっとしといてやろうって思わねえのかよ。どうして、おまえは他人のことを考えてやれねえんだ。おまえのそういうところが、おれはでえっきれえだよ。そんなに練習したきゃ、てめえだけでやれ。何が《スプリングソナタ》だ、何がラガーディアハイだよ。てめえは、そうやって一生ひとりで日の当たるとこ歩いてろ。てめえの相棒なんざ願いさげだ。二度と話しかけんじゃねえ」
 空のペットボトルを投げつける。やつの怒肩に跳ね返って床にころころ転がった。
 矢嶋は物いわぬ亡霊のように佇んで、やがていなくなった。絶対に何かしら反撃してくると思ってたのに。まあ、いい。面倒な手間が省けた。せいせいした。いい気味だ。ざまあみろ。
 そう思いながらも、なんでだか、何かをまちがえたような気がしてならなかった。

     ♂

撫肩のペットボトルに砕け散りべられている光の一種

     ♂

 春の小糠雨の夜。保土ヶ谷駅東口の斎場。右近中の制服の群れ。中途半端なダックブルーは、葬式にはそぐわない感じがする。芝賢治のクラスメイトだった元二年C組のやつらと、たぶん不良仲間。目につくカラーリングされた頭。
 「ヤンキー率高いね」
  清水がつぶやいた。ぼくは無言でうなずく。
 目黒とユーヒもいた。会うのは卒業以来。二人はリーゼントじゃなく、オールバックにしてた。別々の高校の制服。以前より落ちついた雰囲気に見えるのは、そういう外見的なもののせいだけじゃないんだろう。むこうも気づいたみたいだ。ぼくは会釈した。目黒たちはうなずいた。清水がいう。
「北浦の家出中、矢嶋にシバケンの番号きかれたんだ。北浦はケータイ持ってないから。あいつ、何度も電話したけど、出てくれないって心配してたんだよ」
 清水はケータイの着信履歴を見せた。たしかに四月六日に矢嶋健からの通話記録。あのしつこい非通知着信は、芝安吾じゃなくて矢嶋だったのだろうか。ぼくはかえって腹立たしい気分になった。清水はとりとめもなく話す。
「小二くらいまでは、シバケンとはよく遊んだんだ。休み時間に自由帳に絵を描きあったりして。あれ、きっと、まだどっかに残ってるよ」
 シバケンが何枚も描いたぼくの肖像を思った。スケッチブックはぼくの部屋に置きっぱなしだ。ぼくはあれをどうしたらいいんだろう。
 前の人の真似をして、ぼくはお焼香をすませた。髙梨与一と行き会った。
「なんで、てめえだけ生きてんだ。くそっ」
「ヨイチ」
 小早川瑞乃が制して、首を振る。ほんとに、なんで生きてるんだろう、と思った。
 不協和音のような音楽がきこえた。悲しげなヴァイオリン。たゆたう管弦楽。グロッケンシュピール。この曲、知ってる。野太い声明が始まった。あゝ、黛敏郎《涅槃交響曲》だ。葬式でこんな曲を流すなんて、ずいぶん変わってる。
 人の頭越しに、花でいっぱいの祭壇。遺影の芝賢治はクソ中の制服を着て、幼い顔で笑ってる。きっと、入学まもないころのものだろう。髪も染めていないし、眉毛も剃ってない。撮られたとき、これが遺影になるなんて、あいつは想像すらしなかったはずだ。鼻を掠める、ほのかに甘い線香のにおい。
  じいちゃんの葬式を思いだす。十一月、小春日和の昼さがり。じいちゃんの家での、小ぢんまりした催しだった。家族は、父とぼくだけ。参列者は、つきあいのあった近所の人と、かよっていたデイケアの仲間くらい。このたびはお悔やみ申しあげます、と大人たちは挨拶した。ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー、とお坊さんが木魚を叩いてお経を唱えた。
 式はすぐに終わり、じいちゃんのお棺は霊柩車で火葬場へ運ばれた。火葬用のかまどの前で、お棺の蓋があけられた。家族のかた、最後のお別れを、とスタッフがいった。ぼくはお棺を覗いた。心筋梗塞は象に踏みつけられるように苦しいという。苦しんだはずなのに、じいちゃんは穏やかな顔をしていた。眠っているみたいだった。ぼくはじいちゃんに触ってみた。じいちゃんの頬はやわらかく、冷えきっていた。父さん、安らかに、と父はいった。何をいっていいのか、ぼくはわからなかった。お棺に蓋がされ、スタッフが木釘を打った。お棺が載ったカートが押され、竈へおさめられた。重たい音をさせ、竈の扉がしまった。父は、泣いていた。ぼくは、泣けなかった。扉のむこうで、炎が轟いた。父と大人たちは、そこから離れていった。ぼくは、その場を動けなかった。燃えるじいちゃんを思った。関東大震災の猛火をくぐりぬけた、じいちゃん。太平洋戦争も生き抜いて、ぼくのじいちゃんになってくれた。もう、じいちゃんには会えない。ようやく、ぼくは泣いた。父が戻ってきて、ぼくの手をひき、控え室に連れてった。
 一時間ほどで、じいちゃんは焼けた。じいちゃんの骨は、ほとんど原形をとどめていなかった。そして、ところどころピンクや緑の染みがあった。ずっと血圧の薬を飲んでいたから、こうやって色がついたんだ、と父は説明した。それが、なぜか印象に残った。
  これから芝賢治の亡骸は燃やされて、骨になるのだ。じいちゃんみたいに。芝賢治の骨は、まっ白だろうか。砕けた頭蓋骨は。眩暈がして、ぼくはしゃがみそうになった。粛々と続く《涅槃交響曲》の首楞厳しゅりょうごん神咒しんじゅ
 祭壇と同じ遺影をかかえた芝安吾は、疲れたように無表情だった。こんなやつでも、弟が死ねば悲しいのだろうか。やつの不良仲間三人、ルイがシバゴに耳打ちする。シバゴは、薄ら笑った。首楞厳神咒の声明が爆発した。
 ぼくはシバゴへ近づいた。シバゴは不審げに見やる。弟と同じ色の虹彩。でも、似ても似つかない。
「芝の尻にって書いたの、あんただろ」
 シバゴは、笑った。「バカじゃなくて、って書いてやりゃよかったな」
 再び、声明が爆発した。ぼくはやつの胸ぐらをつかんだ。ゴッと顔に頭突きした。遺影が落ちてガラスが割れる。女の悲鳴。ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ……額がやつの鼻血で濡れた。それでも、ぼくはやめなかった。
 シバゴの仲間が、ぼくをひき剝がそうとする。目黒とユーヒも加勢した。よせ、葬式だぞ、ケン坊を静かに逝かせてやれ。目黒はいった。ぼくは手を放さなかった。鼻血をだしながら、シバゴは薄く笑ってる。きききききわけろ! ユーヒはどもりながら怒鳴った。ぼくは手を離した。
 目黒がぼくをひきずって、会場の外へ連れだした。小糠雨の軒先、目黒はおっかない顔で、ぼくの肩を揺さぶった。
「おまえっ、相手わかって喧嘩売ったのか? シバだぞ。堕天のアタマだ。保土ヶ谷じゅうの族を敵に回したも同然だぞ」
 重おもしい管弦楽と、高まる声明。あゝ、ぼくの頭んなかで鳴ってるんだ、と気づいた。

     ♂

火葬場の竈の扉おごそかに閉じて瞼は閉じられぬまま
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

山本さんのお兄さん〜同級生女子の兄にレ×プされ気に入られてしまうDCの話〜

ルシーアンナ
BL
同級生女子の兄にレイプされ、気に入られてしまう男子中学生の話。 高校生×中学生。 1年ほど前に別名義で書いたのを手直ししたものです。

俺の小学生時代に童貞を奪ったえっちなお兄さんに再会してしまいました

湊戸アサギリ
BL
今年の一月にピクシブにアップしたものを。 男子小学生×隣のエロお兄さんで直接的ではありませんが性描写があります。念の為R15になります。成長してから小学生時代に出会ったお兄さんと再会してしまうところで幕な内容になっています ※成人男性が小学生に手を出しています 2023.6.18 表紙をAIイラストに変更しました

カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある? たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。  ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話? ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。 ※もちろん、フィクションです。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

男色官能小説短編集

明治通りの民
BL
男色官能小説の短編集です。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...