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SIDE リュウエン
しおりを挟む私は幼い頃から父上に疎まれているものとばかり思っていた。
母上にしてもそうだ。セグウェイとは普通に接しているのに、私に対してはそうではなかった。私が顔を出すと側仕えが眉を顰め、母上は困ったように笑むだけだった。
腫れ物を扱うという表現では足りない。私は嫌悪されているのを感じていた。
『私が何か嫌われるようなことをしたのだろうか?』
そう訊くと、ラオは眉を下げて笑んだ。
『殿下は優れた力をお持ちですゆえに仕方がないのです。理解できないものを怖れるのが人というものですから。しかし御安心を。私は殿下のことを誰より理解しております。いつまでもお側で支えます。どうかそれで納得していただけませんか?』
両親と顔を合わせた記憶は数える程しかない。
病床に就いた父上の見舞いにすら行ったことがない。
父上はお会いにならないだろうと私の周囲にいる皆が口を揃えて言った。セグウェイや母上は行っているのに。何故か私だけは行くことを許されなかった。
そのうち私は、家族に会いたいと望むのを止めた。
疎まれることを怖れ、ラオや世話係以外とは関わらなくなった。
もっと家族に会いに行き話をしていれば、ラオの偽りの優しさに騙されることはなかったかもしれない。いや、それでも駄目だったのか。
結局のところ、私が動けばラオもついてくるのだから。
今にして思えば、父上と母上は、私に対してではなくラオに警戒心を抱いていたのだと思う。ラオに懐いている私をどうすべきかと苦悩されていたのだろう。
気づけずにいた自分が呪わしい。
というような話をセイジ殿に聞いてもらった。セイジ殿が出した、帆も櫂もないのに進む、金属で造られた摩訶不思議な船の上でだ。私たちは今、大海原の上にいる。
釣り竿の使い方を教えてもらったが、魚がかからないので暇なのだ。それでつい恨み言というか、皇帝としてあるまじき愚痴を口に出してしまった。
するとセイジ殿はぼうっと水平線の彼方を見つめて「そうか」と一言。その後で大欠伸をされ、私に向かって左手の人差し指を突き出された。
「リュウエン。お前には足りないものがある」
「足りないもの、ですか?」
「ああ、そうだ。この指を握ってみろ。そうすればわかる」
「セイジ殿の指を握る?」
「一々訊き返すんじゃない。握るか握らんかすぐ決めろ。自分でだ」
私はハッとした。判断を人任せにしてきたことを指摘されたのだと思った。セイジ殿は自分で決めるという責任を教えて下さったのだ。
そうか、それこそが私に足りないものなのだ。
「握ります!」
「よし! いい返事だ! だが決意表明は必要ない! 時間がない早くしろ!」
「はい!」
私はセイジ殿の人差し指を握った。するとセイジ殿の尻からブバホッという大きな音がした。ツナギのお尻が一瞬膨らんでいた。
私は驚きのあまり「うわあっ!」と声を上げ、肩を跳ねさせてしまった。
「ぬははははは! どうだリュウエン! おじちゃんの屁は悲鳴を上げるくらい大きいだろう! 臭いも大したもんだぞ! 嗅いでみろ! ほら!」
この人は何を言っているのだろう?
頭が真っ白になり、体の力が抜けた。途端に息ができないくらいに可笑しくて可笑しくてたまらなくなった。甲板に四つん這いになり、私は笑い続けた。
「リュウエン、お前に足りないのは笑うことだ。おじちゃんが子供の頃はな、友達とこんな下品な馬鹿をやって笑い転げたもんだ。笑え笑え。愚痴るのは早い」
笑い過ぎて涙が出てきた。一国の皇帝に屁の臭いを嗅がせようとするなど正気の沙汰ではない。セイジ殿は『命知らず』という二つ名をお持ちと聞いたが間違いないな。
「腹を抱えて笑える話ってのは、いいもんだぞ。あのときは楽しかったな、可笑しかったなってな。そういう話を誰かにしてやれ。セグウェイとか母ちゃんとかな」
「せ、正室は、そのような、下品な、ぶふぅっあはははははは」
「ん? やべ。あとで下着を確認しとこう。ミが出てるかもしれんからな。ぬおあっ!? 引いてる引いてる! リュウエン釣り竿をしっかり持て! 絶対に離すな!」
「は、はい!」
セイジ殿に釣り竿を手渡される。受け取った直後、ぐんっと強い力で海に引き込まれそうになる。それをセイジ殿が後ろに回り込み止めてくれた。
私は鼓動が激しく脈打つのを感じた。一瞬、胸の奥がキュッと縮こまった。
「あ、危なかった」
「偉いぞリュウエン! よく離さなかった! あとは釣り上げるだけだ! まずは一匹目だ! 皆で食う為にたくさん釣るぞ! お前が民に振る舞うんだ!」
「私が、民に?」
「そうだ! 飢えた農民を見て、お前は自分の所為だって悲しんだよな! そんなもん、食わせてやりゃいいだけなんだよ! ほら竿を引いてリール回せ!」
セイジ殿は、飢えて命を落とした民のことは言わなかった。
生きている者を優先するのは当然のことだとばかりに。
確かにそうだ。私が悔いている間にも時は過ぎる。
亡くなった者たちとその家族への詫びはまた後で考えよう。
今はただ──。
「私が、民の為にいいいいい!」
リールという装置を回して糸を引き寄せていく。セイジ殿も手を添えて巻くのを手伝ってくれるが、私一人だと回らないくらい強い。
「いいぞリュウエン! その調子だ! このラインはそうそう切れやしねぇ! 力いっぱい回せ! くだらねぇことは考えるな! 全部出し切っちまえ!」
「うぎぎぎぎぎぎ!」
歯を食いしばって力を込める。ほとんど、セイジ殿が回してくれている。でも腕がパンパンになってくる。なんてすごい力なんだ。だらだらと汗が流れてくる。
「リュウエン見ろ! 上がってきたぞ! 大物だ!」
真っ青な海にぬらりと大きな影が見えた。私より遥かに大きい。
「セ、セイジ殿、あれはなんという魚ですか!?」
「なんとなくマグロっぽいがわからん! でけぇなおい二メートルはあるぞ!」
「こ、これをどうするのですか!? どうやって船に?」
「俺が持ち上げる! リュウエン、目一杯船に寄せるぞ!」
「は、はい!」
数分の戦いの末、マグロなる魚が脱力し船の側面に当たった。
するとセイジ殿が縁から身を乗り出し、マグロの口に手袋をした手を突っ込んでぐいっと持ち上げ、「よいしょお!」という声を上げて船の甲板へと放り込んだ。
「リュウエンよくやった! どうだ、楽しいか!?」
汗を煌めかせて笑うセイジ殿を見て、私は体が震えるのを感じた。
「はい、楽しいです!」
楽しいに決まっている。生まれてきて、今日ほど楽しいと思った日はない。
父上とも、こんな風に楽しめた日々があったかもしれない。
そんな後悔の念があるからか、少しだけ涙がこぼれた。
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