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第七話
ラスコール(1)
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*
GS社、社長室。社長のラスコールは大型の高級事務机の上で組んだ手に額を載せていた。深い溜息の理由は、ソウルカードのメッセージ機能を利用した提示連絡。その中にあったノルトエフからのメッセージに心当たりがあったからである。
(杞憂に終わらなかったか……)
GS社製の調度品は洗練されているが温もりがないと世間で言われている。鉱物由来の家具は木製品と比べると無機質に感じられるというのがその理由だ。
だがラスコールは実用性と機能美こそがGS社製品の真価であり、そこに温もりなどという曖昧な表現を加える余地はないと信じていた。装飾を施そうが丸みがあろうが性能に差が出なければ経費の無駄。そもそも温もりある外観の印象が売りではない。
故に評判をナンセンスな言いがかりとしか捉えず、気にもしていなかった。
しかし、今は違った。冷たいのだ。心が。GS社製の調度品が揃う室内で、ラスコールは自分が部屋の一部になったかのような錯覚を覚え、世間の印象を実感していた。
「まさか、ここまで簡単に決断できるとはな。この会社の頭なだけはある、か」
皮肉を呟き、ラスコールは凪いだ心を自嘲した。弟のノルトエフと違い、理想主義的でどこか甘いところがあると自覚していた為に、動じることなく冷酷な決断を下せる自分を薄情だと感じたのである。処罰する相手が、実の娘だというのに、と。
ラスコール・グッドスピードは準男爵家の次男として生を受けた。家督は長男が継ぐ為、その補佐をするよう幼い頃から言われ続けてきた。だが貴族主義的な思想を持つ長男と反りが合わず、高等教育を修了した十六歳のときに生家を出た。
その後、独学で経営について学びながらオルトレイとして活動。二年後には低資金でGS社の前身であるラスコール商会を起ち上げ、その経営に勤しんだ。
二十五歳で元パーティーメンバーの女性と結婚し、翌年には父になった。幸せの絶頂に至ったが、妻となった女性は産後の肥立ちが悪く、娘を遺して亡くなった。
ラスコールは悲嘆に暮れながらも、産まれた娘を妻とよく似た緋色の髪からスカーレットと名付け、あらん限りの愛情を注いだ。欲しいと言った物は与え、やりたいと言ったことはさせた。危険なことを除き、スカーレットが望むほぼ全ての願いを叶えた。
しかし、それは愛として受け取られていなかった。
「お父さん、私家を出るわ」
高等教育を修了した日の夕食時、スカーレットが言った。奇しくも、自分と同じ十六歳で生家を出ると言い出したのだ。理由は『多くを与えられたが、愛されていると感じたことがないから』というものだった。家にいると息が詰まるという。
男手ひとつ、会社経営をしながらの育児は無理があり、使用人を雇い任せていた。スカーレットには不自由のない生活を与えたつもりだったが、本当に望んでいたのは父娘の時間だったとラスコールはこのとき初めて知ることになる。
ラスコールはスカーレットの申し出を受け入れた。反対が意味をなさないことがわかっていたからだ。監禁でもしない限りは、止めることなどできはしない。かつての自分がそうであったように、勝手に出て行くだけのことなのだから。
ノルトエフたちが訪れたのはこの頃だった。腹違いとはいえ、兄よりも気が合い頼りになる弟は、生家の勧めを固辞して自分を頼ってきた。
ラスコールはそれを慰めとして仕事に打ち込んだ。優秀な弟夫婦との仕事はスカーレットとのことを忘れさせてくれた。ソニアが産まれるまでは。
姪の誕生を祝う為にノルトエフの住む社宅を訪れたラスコールは、ベッドの上でイリーナに抱かれる赤ん坊のソニアを見て涙した。十七年前、亡くなった妻がスカーレットを抱いていた記憶が重なったのだ。そして、ようやく気づいた。
妻を失った喪失感から逃れる為に仕事に逃げていたのだと。妻を愛していたが故に思い出すことを恐れ、妻によく似た娘と向き合うことをしなかったのだと。
「なぁ、ノルトエフ。俺は、どうすれば良かったんだろうな?」
「それを知ったところで過去は変わらんよ。正解もない」
「偉い坊さんならもう少し配慮があってもいいんじゃないか?」
「あのなぁ、兄さんはやれるだけのことをした。これは確かだ。こう言っちゃなんだが、兄さんの娘は贅沢が過ぎるぞ。六歳で隣国に出された俺と比べてみろよ。どんだけ甘ったれてるかわかるだろう。あと俺はもう坊さんじゃない。元だ、元」
ラスコールは相談する相手を間違えたと思ったが、ノルトエフの言葉には説得力があった。確かに、自分が生家で暮らしていた頃よりスカーレットの待遇は遥かに良い。
家を出た理由も、兄との折り合いが悪くもう二度と戻らないという覚悟があった自分とは違い、駄目だったら帰ってこれば良い程度のものでしかない。
ラスコールは悩むのをやめた。気が済めば帰ってくるだろうと気持ちを切り替えた。関係の修復は、反抗期が終わった後でいくらでもできるだろうと考えて。
三年後、ノルトエフが妻と共に退職を申し出た。やっかみの恐ろしさをよく知っているラスコールは今後も良い関係を続けることを条件に退職を認め支援を約束した。
そして、苦悩の日々が始まった。
「ねぇ、お父さん、悪いんだけどさ、GS社で雇ってくんない?」
弟家族と入れ替わるようにして帰ってきたスカーレットは、開口一番そう言った。縁故採用を頼みに来たとは思えないような派手な格好と傲慢な態度に、ラスコールは開いた口が塞がらず、サングラスとガムを注意するのが精一杯だった。
だが、娘がこうなった責任は自分にもある。そう思ったラスコールはスカーレットの要求を呑んだ。関係の修復はもちろんのこと、社会人として責任ある行動が取れるようにと厳しく躾け人格の矯正に努めた。それが親の責務だと言わんばかりに。
しかしスカーレットは変わらなかった。むしろ知恵を得る毎に厄介になっていった。表向きは社内規則に従う優秀で蠱惑的な美人社員だが、裏では非正規ルートの開拓、廃棄品の横流し等の社内不正に手を染めていた。立派な犯罪である。
ラスコールはスカーレットに監視を付けていた為、早い段階でその事実に気づけたのだが、悪事を行ったのは腐っても社長の娘。その肩書が醜聞の的になるのは疑いの余地がなく、表立って処分を下すことができなかった。それだけならまだしも──。
GS社、社長室。社長のラスコールは大型の高級事務机の上で組んだ手に額を載せていた。深い溜息の理由は、ソウルカードのメッセージ機能を利用した提示連絡。その中にあったノルトエフからのメッセージに心当たりがあったからである。
(杞憂に終わらなかったか……)
GS社製の調度品は洗練されているが温もりがないと世間で言われている。鉱物由来の家具は木製品と比べると無機質に感じられるというのがその理由だ。
だがラスコールは実用性と機能美こそがGS社製品の真価であり、そこに温もりなどという曖昧な表現を加える余地はないと信じていた。装飾を施そうが丸みがあろうが性能に差が出なければ経費の無駄。そもそも温もりある外観の印象が売りではない。
故に評判をナンセンスな言いがかりとしか捉えず、気にもしていなかった。
しかし、今は違った。冷たいのだ。心が。GS社製の調度品が揃う室内で、ラスコールは自分が部屋の一部になったかのような錯覚を覚え、世間の印象を実感していた。
「まさか、ここまで簡単に決断できるとはな。この会社の頭なだけはある、か」
皮肉を呟き、ラスコールは凪いだ心を自嘲した。弟のノルトエフと違い、理想主義的でどこか甘いところがあると自覚していた為に、動じることなく冷酷な決断を下せる自分を薄情だと感じたのである。処罰する相手が、実の娘だというのに、と。
ラスコール・グッドスピードは準男爵家の次男として生を受けた。家督は長男が継ぐ為、その補佐をするよう幼い頃から言われ続けてきた。だが貴族主義的な思想を持つ長男と反りが合わず、高等教育を修了した十六歳のときに生家を出た。
その後、独学で経営について学びながらオルトレイとして活動。二年後には低資金でGS社の前身であるラスコール商会を起ち上げ、その経営に勤しんだ。
二十五歳で元パーティーメンバーの女性と結婚し、翌年には父になった。幸せの絶頂に至ったが、妻となった女性は産後の肥立ちが悪く、娘を遺して亡くなった。
ラスコールは悲嘆に暮れながらも、産まれた娘を妻とよく似た緋色の髪からスカーレットと名付け、あらん限りの愛情を注いだ。欲しいと言った物は与え、やりたいと言ったことはさせた。危険なことを除き、スカーレットが望むほぼ全ての願いを叶えた。
しかし、それは愛として受け取られていなかった。
「お父さん、私家を出るわ」
高等教育を修了した日の夕食時、スカーレットが言った。奇しくも、自分と同じ十六歳で生家を出ると言い出したのだ。理由は『多くを与えられたが、愛されていると感じたことがないから』というものだった。家にいると息が詰まるという。
男手ひとつ、会社経営をしながらの育児は無理があり、使用人を雇い任せていた。スカーレットには不自由のない生活を与えたつもりだったが、本当に望んでいたのは父娘の時間だったとラスコールはこのとき初めて知ることになる。
ラスコールはスカーレットの申し出を受け入れた。反対が意味をなさないことがわかっていたからだ。監禁でもしない限りは、止めることなどできはしない。かつての自分がそうであったように、勝手に出て行くだけのことなのだから。
ノルトエフたちが訪れたのはこの頃だった。腹違いとはいえ、兄よりも気が合い頼りになる弟は、生家の勧めを固辞して自分を頼ってきた。
ラスコールはそれを慰めとして仕事に打ち込んだ。優秀な弟夫婦との仕事はスカーレットとのことを忘れさせてくれた。ソニアが産まれるまでは。
姪の誕生を祝う為にノルトエフの住む社宅を訪れたラスコールは、ベッドの上でイリーナに抱かれる赤ん坊のソニアを見て涙した。十七年前、亡くなった妻がスカーレットを抱いていた記憶が重なったのだ。そして、ようやく気づいた。
妻を失った喪失感から逃れる為に仕事に逃げていたのだと。妻を愛していたが故に思い出すことを恐れ、妻によく似た娘と向き合うことをしなかったのだと。
「なぁ、ノルトエフ。俺は、どうすれば良かったんだろうな?」
「それを知ったところで過去は変わらんよ。正解もない」
「偉い坊さんならもう少し配慮があってもいいんじゃないか?」
「あのなぁ、兄さんはやれるだけのことをした。これは確かだ。こう言っちゃなんだが、兄さんの娘は贅沢が過ぎるぞ。六歳で隣国に出された俺と比べてみろよ。どんだけ甘ったれてるかわかるだろう。あと俺はもう坊さんじゃない。元だ、元」
ラスコールは相談する相手を間違えたと思ったが、ノルトエフの言葉には説得力があった。確かに、自分が生家で暮らしていた頃よりスカーレットの待遇は遥かに良い。
家を出た理由も、兄との折り合いが悪くもう二度と戻らないという覚悟があった自分とは違い、駄目だったら帰ってこれば良い程度のものでしかない。
ラスコールは悩むのをやめた。気が済めば帰ってくるだろうと気持ちを切り替えた。関係の修復は、反抗期が終わった後でいくらでもできるだろうと考えて。
三年後、ノルトエフが妻と共に退職を申し出た。やっかみの恐ろしさをよく知っているラスコールは今後も良い関係を続けることを条件に退職を認め支援を約束した。
そして、苦悩の日々が始まった。
「ねぇ、お父さん、悪いんだけどさ、GS社で雇ってくんない?」
弟家族と入れ替わるようにして帰ってきたスカーレットは、開口一番そう言った。縁故採用を頼みに来たとは思えないような派手な格好と傲慢な態度に、ラスコールは開いた口が塞がらず、サングラスとガムを注意するのが精一杯だった。
だが、娘がこうなった責任は自分にもある。そう思ったラスコールはスカーレットの要求を呑んだ。関係の修復はもちろんのこと、社会人として責任ある行動が取れるようにと厳しく躾け人格の矯正に努めた。それが親の責務だと言わんばかりに。
しかしスカーレットは変わらなかった。むしろ知恵を得る毎に厄介になっていった。表向きは社内規則に従う優秀で蠱惑的な美人社員だが、裏では非正規ルートの開拓、廃棄品の横流し等の社内不正に手を染めていた。立派な犯罪である。
ラスコールはスカーレットに監視を付けていた為、早い段階でその事実に気づけたのだが、悪事を行ったのは腐っても社長の娘。その肩書が醜聞の的になるのは疑いの余地がなく、表立って処分を下すことができなかった。それだけならまだしも──。
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