【完結】イスカソニア前日譚~風と呼ばれし不羈のイスカと銀の乙女と呼ばれしソニアが出会う遥か前の物語~

月城 亜希人

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第五話

転生の自覚

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 俺は森の川辺で旅人らしき青年と対峙していた。今手にあるのは青年から受け取った林檎だけ。不覚にも林檎を受け取る際に石を落としてしまった。

 かといって石を拾う気はない。多分、生殺与奪権は青年にある。迂闊なことをして敵対意思があると見做されるのはまずい。

 現状、俺の最善手は、青年の機嫌を損ねないよう慎重に話を進めることだけだろう。
 穏便に済むことを願いながら、俺は口を開いた。

「それで、あなたは? 俺と同じ、という認識でいいですかね?」
「君と同じ、というと?」
「その、日本の記憶を持っている、というか」
「んー、そう思われても仕方がないけど、違うんだ。私はラフィ。案内人だよ。ほら、お腹が空いてるんだろう? 林檎、食べていいよ」
「あ、はい、いただきます」

 毒を疑ったが、結局のところ食べる以外の選択肢はない。飢えと渇き、そして諦めに任せて紅く艶めく林檎をかじる。果肉に歯が食い込む音が聞こえると同時に、口の中に果汁が流れ込み舌と頬が軽く痺れたようになる。
 毒ではない。酸味だ。唾液があふれ出る。咀嚼を止められない。ジャクジャクと小気味よい音が耳の奥で鳴り続ける。懐かしさに目頭が熱くなる。

「色々と説明したいところだけど、まずは目の前のことを処理していこうか。日が暮れると手間だし、解体しながらでも話はできるしね」

 俺は林檎を食べながら「はい」とだけ返事をして頷いた。涙をこらえたり鼻をすすったりして余裕がなかった。ラフィは黙って待ってくれていた。
 林檎はすぐになくなった。思わず顔を顰める程に酸っぱいし、腹を満たすには全然足りなかったが、渇きは十分癒やされた。

「ふぅ、林檎、ご馳走さまでした。美味しかったです」
「それは良かった。さて、何から話そう?」
「そうですね、さっきラフィさんが言ってた案内人ってなんですか?」
「ああ、案内人っていうのはね」

 ラフィ曰く、案内人とはこの世界に転移転生した者が独り立ちできるまで指導する役目を与えられた者のことを指すらしい。親切にも「ゲームでいうところのチュートリアルガイドのようなものだよ」という例えまで付けてくれたが、俺は気がそぞろになっていた。ラフィにその役目を与えた存在が俺をそうさせた。

 確かにラフィは言った。「フェリルアトス様に役目を与えられた」のだと。

 フェリルアトス。聞き覚えのある名前に心臓が大きく脈打ち胸がざわめく。

 女子生徒の悲しげな笑顔。真っ白な世界で行われた子供の悪戯。鮮血に染まった茶会。退屈な日常を送っていた十七歳の頃に見た悪夢の記憶が蘇る。

 あれは夢ではなかった? あのときの記憶は鮮明なのに、その後が曖昧だ。

 確か、気づいたら病院にいて、医者からノイローゼだって診断を受けて、俺はしばらく学校を休んだんだったか? そういや入院もしたな。

「あ──」

 不意に思い出す。白い部屋と着衣に怯えて暴れた俺のこと。男性職員に二人がかりで無理やりベッドに拘束されたこと。ぼやけた視界に映る薄暗い天井と電灯のこと。俺が部屋の白さを怖れるからと、常にカーテンで光を遮られていたこと。

 そうだ、あのあと俺は精神科で投薬治療を受けてたんだ。悲しげに微笑む女子生徒の頭が破裂する瞬間が夢に出て、錯乱するようになったから。

 治療後も、あの白い世界を想起させるものを見ると発作が起きた。それで迷惑を掛けるからと遠慮して人付き合いを避けるようになった。

 お陰で孤独の楽しみ方を知ったところもあるし、三十歳を過ぎてからはむしろ発作を盾に面倒事を避けるというトラウマの有効活用法を見出していたが、とにかくあの一件が俺の人生を変えたのは間違いない。

「俺の現状に、フェリルアトスが関わってるんですか?」
「関わっているも何も、君はフェリルアトス様の手によってこの世界に転生したんだよ。あの方は堕ちたとはいえ、この世界の神だからね」

 フェリルアトスが俺をこの世界に転生させた? それであいつはこの世界の神? 堕ちたってなんだ? 目的は? 頭から煙が出るぞこりゃ。

「あの、ラフィさん、ちょっと情報過多で手が進まないんですが」
「それは良くないね。食事時にでもゆっくり話そう」

 ここで会話が途切れるかと思ったが、ラフィがほっとしたように息を吐いて続けた。

「それにしても、君を見つけることができて良かったよ。肩の荷が下りた気分だ。捜索を命じられてから約十年、全然見つけられなくて途方に暮れてたんだ。苦労したよ」

「この場合、お手数おかけしましたと言うべきですかね?」

「いや、必要ないよ。こっちは仕事でやってることだし、君もそれを言う義理がないと思っているだろうしね。それとね、口調は無理に畏まったものにしなくて大丈夫だし敬称もいらないよ。ラフィって気軽に呼んでくれると助かるかな」

「俺がフェリルアトスに敬称を付けてないからですか?」

「あ、あはは、そこはほら、想像に任せるよ」

 こうした他愛のないやり取りを交えつつ、俺はラフィと共に犬の解体を行った。ラフィが犬の解体方法を説明しながら俺と一緒にやってくれた形だ。

 その犬についてだが、俺は犬だと思っていたし、今更呼び方を変えるつもりはないが、どうも普通の動物ではなかったらしい。

 ラフィが言うにはストレーダーグという群れで生活する魔物なのだとか。これは英語のストレイドッグが訛ったものらしく意味は同じく野犬や野良犬とのこと。

 この世界には魔物なんてものがいるのかと興味を惹かれたが、よくよく話を聞くとやはり犬。結局は犬なんじゃねぇかという言葉は呑み込んだ。

 とはいえ、大気組成に組み込まれた魔素というものの影響で姿形や能力になにかしらの変異があるらしいので、やはり俺の知る犬とは違うらしい。そもそも犬というもの自体、この世界には存在しないのだとか。
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