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第四話

秘密

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「なんか面白いものでもあったかい?」
「ないわ、マム。荒野が続いてるだけ」

 座っているソファから身を乗り出すようにして訊いたイリーナだったが、ソニアの返答を聞くと大きく伸びをしてまたソファに身を預けた。

「はぁ、そりゃ残念。魔物でもいりゃあ、気晴らしになるんだけどねぇ」

 ノルトエフの運転する装輪式の大型十輪装甲カーゴは後部の荷台車両に居住施設が積載されている。内部は寝室が二つ、格納庫、リビング、小型のシャワールーム、水洗式トイレがあり、リビングには窓の代わりに外部を確認できるモニターと中型の情報端末、快適な生活を送る為の家具類が置かれている。

 ソニアとイリーナはそのリビングでテーブルを挟んで置かれたソファに対座し、互いに下着だけの姿で自由にくつろいでいた。

「ねぇ、マム。この辺りって魔物はいないの?」
「いるよぉ。たまーに地面からメタルケイファが出てくるしねぇ」
「メタルケイファ、金属製のカブトムシね」
「カブトムシ? なんだいそりゃあ?」
「大昔にあった国の言葉よ。メタルもそうだし、ケイファもそう。共通語だとイージャニリヒエルなのに、誰もそう呼ばないのよね」

 ソニアが軽く首を傾げるのを見て、イリーナが噴き出す。

「あっはっは。イージャニリヒエルってメタルケイファの学名じゃないか。学者でもない限りはそんな呼び方しないよぉ。しっかし、あんたよく知ってたねぇ」

「図鑑で見たから。でもそう言うマムも学名って知ってるじゃない」

「愛するダディが教えてくれたのさ。あの人そういうの好きだろぉ? 何が面白いんだかアタイにゃさっぱりわかんないけどさ」

「でも覚えてるってことは、マムも少しは興味があったんじゃないかしら?」

「ないない」

 イリーナが苦笑し、顔の前で手を大きく振る。

「アタイはダディが得意気に話してたのが可愛くって覚えてただけさ。賞金首の面とか魔物の俗称ならまだしも、学名なんてこれ一つしか知りやしないよぉ。そんなもん覚えたって、一文の足しにもなりゃしないんだもん」

「マムは現実主義者よね。実利主義や拝金主義とも言えるけど」

「まぁねぇ。でもダディだってそうだよ。じゃなきゃこんな仕事なんてしてないさ。それにアタイらが理想主義者だったら、あんたは産まれてなかったよ」

 イリーナがソニアのおでこを指で軽く弾く。ソニアは「痛い」と軽く頬を膨らませておでこをさすり、イリーナに飛びかかってじゃれついた。

 ソニアは日本人であった前世の記憶を有している。

 物心つく前から転生者として覚醒しているが、特例で案内人は付けられていない。また特に明かす必要もないので、転生者であることも黙っている。

 現在はオルトレイと呼ばれる所謂フリーワーカーとして生計を立てる両親の手伝いをしながら日々を淡々と過ごしている。まるで焦りを隠すように。

 置かれた環境について不満に感じたことはない。むしろ行動範囲の広さは有り難く思っている。ただ、だからこそ焦りを感じるところもあった。

 転成してから既に九年。すべてを捨ててフェリルアトスと引き合わせた彼について、何の手掛かりも得られていないことがソニアの焦りの原因だった。

(『分の悪い賭けになる』とはよく言ったものだわ)

 そのフェリルアトスの言葉通り、たとえ転生する時代を合わせてもらえても、世界の広さを考えれば、特定の一人と巡り合う可能性は限りなく低い。
 それはわかっていたはずなのに、ちりちりと体を焼くようなもどかしさが消えることがない。早く彼を見つけろと、心が急かすのである。

 二十歳までに彼と巡り会わなければ夢が終わる、と。

(『理想主義者だったら、産まれてなかった』ね。私は理想を追う為に産まれたんだから、皮肉よね。それでも結局、先にあるのは利なのだけれど)

 考えていることは子供らしくないが、していることは子供のそれ。退行する心を感じながら、不安を紛らわせたくてイリーナにしがみつく。

 ソニアはそうする度に前世の家族を思い出す。自分の名前は覚えていないのに、家族のことは忘れたくても忘れられない呪いのように記憶に刻まれていた。

 前世の母は冷たかった。それは自分が母に似ていたからなのか、それとも母に似てしまったのか。いずれにせよ、近親憎悪はあっただろうとソニアは思う。

 前世の父はほとんど家に帰ってこなかった。単身赴任と嘘を吐いて、もう一つの家庭との二重生活をしていた。それが露見してからは、まったく家に帰ってこなくなった。

 それはまだ前世のソニアが小学生の頃のことだった。

 前世の母は、そのどうしようもない男との間にできた子が憎かったのだとソニアは思う。人生を棒に振ったと前世の母が言ったことがあった。

 あんたの所為でこうなった。産むんじゃなかった、と。

 前世の母親が家に男を連れ込み好き放題し始めるまでさして時間は掛からなかった。一度目は虐待を受ける日々だった。近所の人が通報してくれて前世の父に引き取られたが、そこでも愛人とその娘からの虐待を受けた。

 二度目は返り討ちにして更生するよう言い聞かせたが、その努力も意味がなかった。変わらないのだ。どう足掻いても。敵意が大きくなるばかりで、何も。

 だから十七歳のときに殺して自分も終わらせた。全員、大勢に迷惑をかけた上で碌な死に方をしないということをフェリルアトスから聞いていたし、魔物狩りで殺しは慣れていたので心置きなく殺せた。そちらの方が世の為だとも思った。

 罪悪感はなかった。でもわだかまりは残り、気は晴れなかった。されたことを覚えている限り、この呪いはずっと続く。清算されないのだ。苦しみは。

 ソニアは愛情に飢えていた。イリーナは無償でそれを与えてくれる。ノルトエフもまた前世の父とは違い家族を愛しているのがわかる。
 それはまるで、かつて彼に与えられた救いのようで、ソニアは懐かしさに胸が熱くなる。そしてこう思わずにいられなくなるのだ。

 あの日々を取り戻すことができれば、きっとそれ以上に──と。
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