上 下
17 / 55
第三話

名もなき少年(4)

しおりを挟む
 
 
「だあ、もう無理。休憩」

 喉が渇いていたが、これまでしてきたように川の水をそのまま飲む気にはなれなかった。生肉と同じく危険だからだ。とはいえ、欲求は引き下がってはくれない。それでも飲みたいという思いに駆られる。

(こんなに澄んでるし、これまでも大丈夫だったから、いいだろ)

 悪魔の囁きに葛藤しつつも、腹を下しただけでも窮地に追い込まれる現状、我慢するしかないと、どうにか欲求を振り払う。

(あっぶねぇ、自分も敵かよ。考えてみたら今んとこ敵しかいねぇじゃねぇかアホ臭ぇ。人生ハードモードどころじゃねぇよ、ふざけんなよ)

 不貞腐れ気味に石を手放し、大の字になって寝転がる。他の場所よりも木々の間隔が広く枝葉の重なりが少ない為、空がよく見えた。

「晴れてんなぁ……」

 呟いてすぐ、盛大に腹が鳴った。渇きも空腹も癒えていない。

(太陽は見えない、か。でも、夕暮れまでは時間がありそうだな。急ごう)

 水を飲みたいと思ったことが、必要な作業の多さに気づくきっかけになった。

 少年は解体を中断し、石を並べて小さな囲いを作った。それから地面と低木から葉と枝を集め始めた。低木から千切った葉は肉を置いたり包んだりする為に使い、枝は肉を刺す串に使う。地面に落ちていた枝葉は火を起こすのに使う為、なるだけ乾燥しているものを選んで拾った。

 少年は低木からとった枝葉を口にくわえると、残りの拾得物を先に作った石囲いに入れた。風で飛ばされないように、上にもいくつか石を置く。

(さて、やるか)

 解体は最低限で終えるつもりでいた。

 日が暮れる前に火をおこし、朽ち木を削って器を作ろうと考えていた。煮沸は器に汲んだ川の水に、焚き火で熱した石を放り込めばいい。

 少年が頭の中を整理しながら解体を進めていると、背後で草を搔き分ける音がした。

 さっと振り向く。

(マジか!)

 音はかなり近かった。少年は記憶が追加される以前から、生物の気配にだけはかなり敏感だった。虫や鼠などの小さなものは別だが、犬や人などのそれなりに大きなものであれば、本来ここまでの接近を許すことはない。だからこそ生き延びてこれたのだという自負心を抱えるに見合うだけの技量もある。

 そんな少年が、気配にまるで気づかなかった。

(いくら作業に集中していたとはいえ……)

 ここまで気づかないものかと僅かに狼狽えつつも、少年はくわえていた枝葉を吐き捨て、川を背に身構える。舌と口に違和感がないことを確かめながら、解体に使っていた石を握りしめ、揺れる茂みを睨む。

(とりあえず即効性の毒はなかったみたいだ。あとは茂みから出てくる奴次第だな)

 枝葉に毒性があった場合、肉を刺したり包んだりするのに適さない。それで少年は口にくわえて毒の有無を確認していたのだが、それが浅慮であったと後悔した。

 わかったことは毒の有無ではなく即効性がないということのみ。その事実に気づき少年はげんなりした。遅効性の毒があったときのことは深く考えていなかった。口に含んでいる時間もそう長くないから大丈夫だろうという程度である。

 しかしそれは、飽くまで敵対者と遭遇しない前提で考えられたものだった。

 もし何か近づいて来ても、早い段階でその気配に気づいて逃げ出せるという自惚れがあったことも否めない。その油断に、今は追い詰められている。

 ただ只管ひたすらに、茂みから現れる存在が友好的であることを願う。

(頼むから野盗とか熊とかは勘弁してくれよ。犬も嫌だけど、肉を捨てるのと比べれば……でも葉っぱに毒がありましたよってオチもあるんだよなぁ)

 獲物を置いて身を隠し、闖入者ちんにゅうしゃの様子を見るという手もあったが、少年はそれをしたくなかった。解体途中でなければ一目散に逃げていたであろう少年が、である。

 賢い選択ではないとわかっている。だが苦労を無駄にされることを考えると、茂みを揺らす者と相対せずにはいられなかった。

 もっとも、言語能力を得ていなければ、そういった選択はしなかっただろう。拙いながらもこちらの言語を理解している。話せばわかる。少年はそこに賭けていた。

 やがて、目の前の茂みが掻き分けられ、薄汚れたフードローブを羽織った青年が姿を現した。下に着ているのは、中世西洋風のチュニックとズボン。

 着衣は地味だが不格好ではなく、上背はあるが細身で荒くれ者のようには見えない。金の髪、白い肌、青い瞳。どちらかと言えば、高貴な印象を抱かせる。

 青年は少年を見て一瞬目を見開くが、すぐに表情を綻ばせる。

「ああ、いたいた、探したよ」

 青年の口から出た言葉に、少年は驚愕の余り思わず大声で返す。

「日本語⁉」
「うん、日本語」

 青年は微笑んで言いながら、肩から下げている鞄に手を入れ赤い果実を取り出す。

「ずいぶんと警戒させてしまったみたいだね。大丈夫、私は敵ではないよ。お近づきの印に、これをあげよう。この辺りではそうそう手に入らない物だよ」

 そう言うと、青年が果実を優しく放った。少年はそれを受け取り、まじまじと見る。

「これって、林檎ですか?」
「そうだよ。君の知ってる林檎より味が落ちるかもしれないけれどね」

 少年は湧き出す唾液で喉を鳴らす。果汁で喉を潤すという方法もあったのだと、林檎を見てようやく気づく。腹も満たせて一石二鳥だ。

(森で食べられる果物を探す方が、川の水を煮沸するより遥かに楽だよな。なんで思いつかなかったんだろ。本当、俺ってそういうとこあるよな……)

「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」

 少年は苦笑する。心で自嘲していた。果汁のこともそうだが、林檎を受け取る際に石を落としたこともである。失敗だと思ったが、拾い直しはしなかった。

 相手は犬ではなく人なのだ。それも、自分と同じく日本語を話せて、この世界のことを知っていそうな大人だ。
 そんな相手を石程度の武装でどうこうできると思うほど馬鹿ではない。少年にできることは、青年の気分を害さないように努めることだけだった。

「それで、あなたは? 俺と同じ、という認識でいいですかね?」
「君と同じ、というと?」
「その、日本の記憶を持っている、というか」
「んー、そう思われても仕方ないけど、違うね。私はラフィ。案内人だよ」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

【完結】無意識 悪役公爵令嬢は成長途中でございます!ー新たなる王室編ー

愚者 (フール)
恋愛
無意識 悪役公爵令嬢は成長途中でございます! 幼女編、こちらの続編となります。 家族の罪により王から臣下に下った代わりに、他国に暮らしていた母の違う兄がに入れ替わり玉座に座る。 新たな王族たちが、この国エテルネルにやって来た。 その後に、もと王族と荒れ地へ行った家族はどうなるのか? 離れて暮らすプリムローズとは、どんな関係になるのかー。 そんな彼女の成長過程を、ゆっくりお楽しみ下さい。 ☆この小説だけでも、十分に理解できる様にしております。 全75話 全容を知りたい方は、先に書かれた小説をお読み下さると有り難いです。 前編は幼女編、全91話になります。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈 
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

転生少女の暇つぶし

叶 望
ファンタジー
水面に泡が浮上するように覚醒する。どうやら異世界の知識を持ったまま転生したらしい。 世界観や様々な物は知識として持っているものの、前世を生きていたはずの記憶はこれっぽっちも残っていない。 リズレット・レスターはレスター辺境伯爵家の長女だ。異世界の知識を持つリズレットは娯楽がろくにない世界で暇を持て余していた。 赤子なので当然ではあるもののそれは長い時間との戦いだ。時間を有意義に楽しく過ごしたい。その思いがリズレットを突き動かす原点となった。 ※他サイトにも投稿しています。

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

処理中です...