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第三話
名もなき少年(4)
しおりを挟む「だあ、もう無理。休憩」
喉が渇いていたが、これまでしてきたように川の水をそのまま飲む気にはなれなかった。生肉と同じく危険だからだ。とはいえ、欲求は引き下がってはくれない。それでも飲みたいという思いに駆られる。
(こんなに澄んでるし、これまでも大丈夫だったから、いいだろ)
悪魔の囁きに葛藤しつつも、腹を下しただけでも窮地に追い込まれる現状、我慢するしかないと、どうにか欲求を振り払う。
(あっぶねぇ、自分も敵かよ。考えてみたら今んとこ敵しかいねぇじゃねぇかアホ臭ぇ。人生ハードモードどころじゃねぇよ、ふざけんなよ)
不貞腐れ気味に石を手放し、大の字になって寝転がる。他の場所よりも木々の間隔が広く枝葉の重なりが少ない為、空がよく見えた。
「晴れてんなぁ……」
呟いてすぐ、盛大に腹が鳴った。渇きも空腹も癒えていない。
(太陽は見えない、か。でも、夕暮れまでは時間がありそうだな。急ごう)
水を飲みたいと思ったことが、必要な作業の多さに気づくきっかけになった。
少年は解体を中断し、石を並べて小さな囲いを作った。それから地面と低木から葉と枝を集め始めた。低木から千切った葉は肉を置いたり包んだりする為に使い、枝は肉を刺す串に使う。地面に落ちていた枝葉は火を起こすのに使う為、なるだけ乾燥しているものを選んで拾った。
少年は低木からとった枝葉を口にくわえると、残りの拾得物を先に作った石囲いに入れた。風で飛ばされないように、上にもいくつか石を置く。
(さて、やるか)
解体は最低限で終えるつもりでいた。
日が暮れる前に火をおこし、朽ち木を削って器を作ろうと考えていた。煮沸は器に汲んだ川の水に、焚き火で熱した石を放り込めばいい。
少年が頭の中を整理しながら解体を進めていると、背後で草を搔き分ける音がした。
さっと振り向く。
(マジか!)
音はかなり近かった。少年は記憶が追加される以前から、生物の気配にだけはかなり敏感だった。虫や鼠などの小さなものは別だが、犬や人などのそれなりに大きなものであれば、本来ここまでの接近を許すことはない。だからこそ生き延びてこれたのだという自負心を抱えるに見合うだけの技量もある。
そんな少年が、気配にまるで気づかなかった。
(いくら作業に集中していたとはいえ……)
ここまで気づかないものかと僅かに狼狽えつつも、少年はくわえていた枝葉を吐き捨て、川を背に身構える。舌と口に違和感がないことを確かめながら、解体に使っていた石を握りしめ、揺れる茂みを睨む。
(とりあえず即効性の毒はなかったみたいだ。あとは茂みから出てくる奴次第だな)
枝葉に毒性があった場合、肉を刺したり包んだりするのに適さない。それで少年は口にくわえて毒の有無を確認していたのだが、それが浅慮であったと後悔した。
わかったことは毒の有無ではなく即効性がないということのみ。その事実に気づき少年はげんなりした。遅効性の毒があったときのことは深く考えていなかった。口に含んでいる時間もそう長くないから大丈夫だろうという程度である。
しかしそれは、飽くまで敵対者と遭遇しない前提で考えられたものだった。
もし何か近づいて来ても、早い段階でその気配に気づいて逃げ出せるという自惚れがあったことも否めない。その油断に、今は追い詰められている。
ただ只管に、茂みから現れる存在が友好的であることを願う。
(頼むから野盗とか熊とかは勘弁してくれよ。犬も嫌だけど、肉を捨てるのと比べれば……でも葉っぱに毒がありましたよってオチもあるんだよなぁ)
獲物を置いて身を隠し、闖入者の様子を見るという手もあったが、少年はそれをしたくなかった。解体途中でなければ一目散に逃げていたであろう少年が、である。
賢い選択ではないとわかっている。だが苦労を無駄にされることを考えると、茂みを揺らす者と相対せずにはいられなかった。
もっとも、言語能力を得ていなければ、そういった選択はしなかっただろう。拙いながらもこちらの言語を理解している。話せばわかる。少年はそこに賭けていた。
やがて、目の前の茂みが掻き分けられ、薄汚れたフードローブを羽織った青年が姿を現した。下に着ているのは、中世西洋風のチュニックとズボン。
着衣は地味だが不格好ではなく、上背はあるが細身で荒くれ者のようには見えない。金の髪、白い肌、青い瞳。どちらかと言えば、高貴な印象を抱かせる。
青年は少年を見て一瞬目を見開くが、すぐに表情を綻ばせる。
「ああ、いたいた、探したよ」
青年の口から出た言葉に、少年は驚愕の余り思わず大声で返す。
「日本語⁉」
「うん、日本語」
青年は微笑んで言いながら、肩から下げている鞄に手を入れ赤い果実を取り出す。
「ずいぶんと警戒させてしまったみたいだね。大丈夫、私は敵ではないよ。お近づきの印に、これをあげよう。この辺りではそうそう手に入らない物だよ」
そう言うと、青年が果実を優しく放った。少年はそれを受け取り、まじまじと見る。
「これって、林檎ですか?」
「そうだよ。君の知ってる林檎より味が落ちるかもしれないけれどね」
少年は湧き出す唾液で喉を鳴らす。果汁で喉を潤すという方法もあったのだと、林檎を見てようやく気づく。腹も満たせて一石二鳥だ。
(森で食べられる果物を探す方が、川の水を煮沸するより遥かに楽だよな。なんで思いつかなかったんだろ。本当、俺ってそういうとこあるよな……)
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
少年は苦笑する。心で自嘲していた。果汁のこともそうだが、林檎を受け取る際に石を落としたこともである。失敗だと思ったが、拾い直しはしなかった。
相手は犬ではなく人なのだ。それも、自分と同じく日本語を話せて、この世界のことを知っていそうな大人だ。
そんな相手を石程度の武装でどうこうできると思うほど馬鹿ではない。少年にできることは、青年の気分を害さないように努めることだけだった。
「それで、あなたは? 俺と同じ、という認識でいいですかね?」
「君と同じ、というと?」
「その、日本の記憶を持っている、というか」
「んー、そう思われても仕方ないけど、違うね。私はラフィ。案内人だよ」
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