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第三話

名もなき少年(2)

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(ああ、そうだ。俺、つきさっきまでコンビニに……)

 気怠けだるそうにレジに立つ若い男の店員に番号を伝え、煙草を買った。その包みを剥がしてゴミ箱に捨て、自動ドアを踏み越えて外に出た。
 それから、とばりが落ちた空を見て、ずいぶんと日が落ちるのも早くなってきたな、と思った直後に真っ白な光に呑まれた。

(そう、光だ。間近に雷が落ちたみたいだった。それから、真っ暗闇になって、目を開けたらこうなってたんだ。てことは、やっぱりあの光が原因だよな。もしかして俺、雷が直撃して死んだのか? いや、雨は降ってなかったよな。ああ、馬鹿か俺は。雨が降ってなくても雲があれば雷は落ちるだろ。でも……)

 少年は腕組みして小さく唸る。あのとき雲はなかった。

(となると、何らかの爆発に巻き込まれたか。ガス漏れとか、テロ……はないだろ。まぁ、わかったところでどうなるもんでもない、か。それより今は……)

 ついさっき、という時間の感覚がおかしいことに意識を向ける。コンビニにいたという事実と、犬を殺したという二つの事実が重なるようにして存在している。

 前世の記憶が蘇ったというのが最もしっくりくる。それ以外にもいくつかの推測は立つものの、それらは飽くまで推測に過ぎず、また仮に的を射ていたとしても、先に考えていたことと同様に今の自分にとって有利に働くわけでもないと少年は思う。

(そういや、名前)

 ふと名前が思い出せないことに気づく。思考を巡らせることで冷静になれていた。名前が無くても困ったことはないが、知識を得た以上、いつまでも名無しの浮浪孤児でいる気はなかった。

 この世界がどのような体系を用いているかはわからない。だが、貧民街をぐるりと囲う掘や壁を見れば、自ずと理解できることもある。

 造りは、外壁、貧民街、水堀、内壁の順。明らかに防衛を意識している。
 また、水路らしきものが内壁から外に伸びており、水堀を越えた先にある穴へと落ちている。そこを流れるのは汚濁した水で酷く臭う。つまり下水だ。

 防衛設備と生活排水。これらは、内壁の向こうで暮らす者がいることを示している。ただ、懸念される点もあった。それは、少年が門を見たことがないという事実である。
 人が住んでいるとすれば内壁外壁ともに門があるはずだが、少年は一度も目にしたことがなかった。しかしそれは置かれている環境の所為だと判断した。

 少年は、物心ついた頃には既に貧民街の浮浪孤児だった。最初に学んだことは、誰もが縄張りを持つということ。知らずに他の孤児たちの縄張りをおかし、手痛い目に遭わされるという意図しない勉強形式だったが、そのお陰で理解できた。

 周りは敵だらけ。迂闊に行動範囲を広げても命を危険に晒すだけだと。

 以来、少年は狭く小さくを心掛けて生きてきた。門を見ていなくても仕方がない。

(んー名前、名前。あと少しで思い出せそうなんだけど……)

 まず間違いなく、内壁の向こうには街があると少年は思う。そこで暮らせば、手っ取り早く生活水準を上げられるだろうとも。
 だが、それが容易ではないこともまた想像できた。

 貧民街との区分がある以上、それなりの仕組みが構築されていてもおかしくはない。入街税や通行税はともかく、身分証明は必要な気がした。
 何もわからない現状、結局は偽ることしかできないのだが、なんとか名前だけは思い出そうとしていた。自分でつけた名前を名乗る未来を想像すると、気恥ずかしさで鳥肌が立ったからである。とはいえ、それも開き直るまでの間だけだったが。

(出生と年齢はどうしようもないにしても、名前くらいは……あー、やめたやめた。まったく思い出せん。クソ、使い回そうと思ったのに)

 思惑が外れ、少しばかり残念に思ったところで、ブン、という聞き覚えのある音が耳を掠めた。親指ほどの大きさがある虻のような黒い虫が数匹飛んでいるのが目に留まり、少年は慌てて耳元を払う。

 いつの間にか、犬の死骸に虫や鼠がたかり始めていた。

「うわ、もう、やめろ」

 掠れた声で日本語を発し、群がる虫や鼠を乱暴に追い払う。不衛生なことを嫌う記憶が追加されても当たり前のように行えた。浮浪孤児として生きている現在の価値観が優先されているのかもしれない、と少年は思う。

 事実、そこまで嫌悪感はなかった。むしろ、鼠どころか虫さえも平然と食糧として見れている自分に危うさを感じた。虫はともかく鼠は獲るべきだったかもしれないとさえ思う。そのまま食らいつく記憶が当たり前のようにあった。

(複雑だ。こいつらの味も食感も知ってるってのがまた……)
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