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芽生え~彼此繋穴シリーズ短編~
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しおりを挟むど、どこ?
僕は視線を巡らせた。ゆらり、と池の中を赤い影が潜行しているのが見えた。僕は総毛立つのを感じて父にしがみついた。
「いやー、それにしても危なかったねぇ」
父の能天気な笑い声に、僕は更に怯えた。
「父さんは、僕が魅音に食べられても良かったんですか?」
「んー? 百鹿、勘違いしてるね。魅音は人間を食べないよ」
「え、でも」僕は父を見上げて言う。「さっき食事になるって」
「それは言ったけど、魅音に食べられるとは言ってないよ?」
父が宥めるように言う。
「いいかい、百鹿? 魅音は人間で遊ぶのは好きだけど、風海月しか食べないんだ。人間を食べるのは風海月の方。今からそれを見せてあげる」
父は側に置いてあった大きなバッグのファスナーを開けた。中には裸の若い男が寝ていた。酷《ひど》く血色が悪く、少し臭った。生き物の持つ命の温もりが感じられず、得体の知れない暗い恐怖に襲われた僕は悲鳴を上げて父の背中に隠れた。
「大丈夫」父は僕を優しく引き剥がす。「ここで待っているんだよ?」
父は軽々とバッグを抱えて歩いていき、池の側に着くとひっくり返した。
ごろり、と男が池の縁に転がって仰向けになる。父が戻ってきて僕の隣に立ち、片手を挙げて指を鳴らした。すると、池の水面が爆ぜたような音と飛沫を上げた。
僕は驚いて顔を背けた。その途端、父が僕の頭を掴んで素早く顔を寄せた。
「よく見ておくんだ」
父は聞いたことのない怖ろしい声で言う。
「魅音は豹変の見本だ。人間も突然こうなる」
僕は抗えなかった。震えながら池の方に目を向ける。
魅音が悦楽に耽るように妖しく囀りながら男の体を弄んでいた。
お腹を裂いて、腸を引き抜き、手足をもぎ取って、首を引きちぎる。
目玉を抜き取って、鼻をもぎ、耳を削いで、肉を抉り取る。
指を切り落とし、臓腑を刻み、辺りに黒ずんだ血肉をばら撒く。
それらは、ぼたぼたと床に落ちた。溶け出した血脂で、水辺が滲んだ。風海月が男の破片に集まっていき、熟れた血肉の色に染まっていく。
地下室に仄暗い赤が群れた。蠢くように波打つ水面は、死んだ血の光に照らされた。僕は、心の大樹が枯れて崩れていくのを感じながら、父の嬉々とした声を聞いた。
「ごらん、これが百鹿の生きる世界だよ」
父は、大仰な手振りをつけて言った。
「人はね、個人差こそあれ、此の世に生じてしばらくは魂の還る場所との繋がりがあるんだ。いつでもそこに還れるようにね。だけど、それは必ず切れる。器に魂が馴染むんだ」
そこから記憶が始まる。感情が現れる。あらゆる苦痛を伴うようになる。
「百鹿はね、それが特別強いんだ。魂も器も神に近いんだよ。神聖なんだ。それ故に、愛が深い。自己の存在を認識すると、此の世のあらゆる生命に対して憐れみが生じる。愛着を持つ。とめどなく溢れてくる」
でもそれは神のものだ。と父は言う。
「幾ら近い血筋にあるとはいえ、人の身には重すぎる。だから百鹿はそれを還さなくてはいけないんだ。生きるために」
「生きるためには、僕の愛と憐れみは重すぎる……」
「そう。そんなものを抱えていては、此の世に生まれたすべてのものに憐憫の情を感じて、いずれ狂い死んでしまうからね。そうならないように、過分な愛を還すんだよ」
心をほんの少しだけ壊して神を抜き取るのさ。
魅音はね、そのためにいるんだ。
あれは彼此だから、半分しか此の世のものじゃない。
要するに、憐れみも半分で済むんだよ。
「心を丁度良い具合に壊せるから都合がいいんだ」
心を壊す。丁度良く壊す。神を還すために壊す。
「それに、何と言っても人魚は美味しいんだよ」
これからは百鹿が世話係だよ。
今日は、そのお勉強も兼ねていたんだ。
家畜の世話は毎日がお勉強だよ。
「なぁに、そう難しくはない。言葉を教えてあるから訊けば具合が分かるし、基本的には父さんが用意した風海月の餌を池の側に運ぶだけで良い。手本は見せたから大丈夫だね?」
食べる? 家畜?
「ああ、それとね、百鹿は父さんの跡継ぎなんだから、体をしっかり作ってもらわないと困るんだ。だから、もう今日みたいな好き嫌いはしちゃいけないよ?」
清澄だって、食べてもらえないと悲しむよ。
あんなに仲良くしていたじゃないか。
父さんが捌くところも見ていただろう?
ハハハハ、覚えてる訳ないか。
でも食べると不老不死になるから、百鹿にはまだ早いかもしれないね。
父さんは頭がおかしくなっているから少し気が急いていたみたいだね。
五歳で成長が止まるのはまずいよね。食べなくて良かったよ。
「とにかく、食肉用の家畜は食べるために育ててる。育ったら食べる。魅音もそうするしかないんだからね。食べれなくても解体は見ないと駄目だよ? だけど困ったなぁ。魅音で神抜きが終わらなかったらどうしよう。生け簀にあるのはあれが最後だからなぁ。またとって来ないといけないかなぁ」
ぼくは訊き返さなかった。
父はそうするしかないと言った。
だとしたらそうするしか――。
僕は薄氷が割れる音を聞いた。
瞬間。
胸から神が抜けていった。(了)
***
【あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は、普通に書いても面白くないから色々と試してみようという考えで書いたものでした。
内容に関しては、かなりややこしく面倒なものにしてあります。
整理していくとかっちり嵌まるようには作ったつもりです。
拙い作品ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。
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