31 / 82
日記
20
しおりを挟む俺は情けない声を上げて飛び起きた。そして、すぐに窓を見た。
そこには、赤くて細かい点々が幾つかついていた。血飛沫だ。震え上がった。
俺はおばさんが喀血したと思って慌てて表に出た。
もし、おばさんが離れ屋の側で倒れていたら、俺は自分の馬鹿の所為で、二度も見殺しにしたことになる。冷や汗、脂汗がどっと噴き出すくらいに気が急いていた。
外に出て離れ屋の周辺をぐるりと見て回ったが、おばさんはいなかった。代わりに、窓の下の方に、血肉のついた骨と、茶色い毛皮があって、蝿がたかっていた。
おばさんが見当たらなかったことで安堵するはずだった俺の心は、おぞましさに襲われた。近くに人家はないし、放っておいても良かったのだが、臭いし、気分の良いものでもないので処理することにした。
とはいえ、手で掴むのは気が引けた。それで、母屋に道具を借りに行ったら、丁度、親父が表にいた。
「お前、どうしたその顔は」
俺の顔を見るなり親父がそう言うもんで、何かついているのかと触ったら、
「真っ青になっとるぞ。何があった。そんな、化け物でも見たような顔して」
と眉根を寄せて言われた。
化け物という言葉を聞いて、俺はまたまた怖ろしくなった。その怖さも手伝って、俺は親父に昨晩のことをすべて話した。
すると、親父が血相変えて母屋に駆け込み爺さんを呼んだ。間もなく出てきた爺さんに親父はことのあらましを話し、何だかよく分からないうちに、俺は二人と一緒に離れ屋に戻ることになっていた。
爺さんの頭は白髪がかなり増えていた。仕事着姿も活気が薄れているように見えた。親父と違って男前なのと、小柄で痩身なのは変わらないが、明らかに老けていた。老いを知らない人だと思っていただけに、急な老け込みにかなり驚いた。
最後に会ったのは六日なので、二週も経っていない。たったそれだけの間に、こんなにも衰えるものなのかと心配になり、どこか具合が悪いのでは、と訊こうとして親父を見たら少し痩せていた。
考えてみれば今は夏だ。暑さで参っていてもおかしくないと気づいた。余計なことを言うと、またどやされる気がしたので、口を開くのをやめておいた。
離れ屋に着くと、爺さんは周囲を巡ってから、件の死骸の前で足を止めた。
「こりゃ、野鼠のでかいやつだな」
爺さんは顔をしかめてそう言って、頭に巻いていた手拭いをその死骸に被せた。それから、その手拭い越しに死骸を持って林に向かった。
流石爺さん、頼りになる。そんな風に思いながら、何となくついていこうとしたら、親父に手を引っ張られて止められた。
「爺さんに任せておけ」
親父がそう言うので、黙って爺さんの背を見ていた。爺さんは林の前に立つと、手にしていた野鼠の死骸を手拭いごと林の中に投げ入れた。それが済むと、手を払いながら、こちらに戻ってきて、うんざりした様子で言った。
「良一郎、死骸のあった場所は、水を撒いて汚れを延ばしておけ。臭いに釣られて獣が寄りつくようになったら危ない。蛇くらいなら構わんが、熊やら猪なんかが出たら離れ屋の壁がもたんかもしれんからな」
それから、俺に薬局のおばさんのことを訊いてきたので話したら、難しい顔で溜め息を吐いて、
「ああ、その人は彼の世に行けんかったんだ。良一郎、お前には散々言ってきたから大丈夫だと思うが、この山には入るな。林の中にもだ。その、薬局の女みたいに、彼の世に行けんまま、此の世をうろつくことになるぞ。もし、他に行けるとこがあるならしばらく厄介になれ。必要なら金も出してやるからな」
と、怖ろしいことを言って親父と一緒に帰っていった。
二人が帰った後、俺は窓の血を雑巾で拭き取り、爺さんの言う通り、死骸のあった場所に水を撒いて血の汚れを延ばした。
が、不安感が一向に引かない。これを書きながらも、びくびくしている。
ついさっき、風でガラスがちょっと鳴っただけで尻が浮いた。誇張ではない。どちらかと言えば、抑えた表現だ。跳んだと言っても構わんと思う。もし、誰かが見ていたなら、失笑を余儀なくされただろう。
心臓がきゅっと縮んで、あっと思って尻がぴょんっと上がって、どしん。あいたっ、となったから、俺なら笑う。
この臆病者、と笑ってくれる人がいてくれたらどんなに良かったか。などと思いながら、また物音に身を縮める。心臓に悪くていけない。
一瞬、鼓動が止まったように感じるが、そのうち、うっかり心臓が動くのをやめてしまうんじゃなかろうかと心配になる。
死因は臆病。やめてくれ。ここにいない方が良さそうなことも言われたし、一人でいるのも心細いので、今日は、事情を言って女の家に泊まらせてもらうことにする。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
開示請求
工事帽
ホラー
不幸な事故を発端に仕事を辞めた男は、動画投稿で新しい生活を始める。順調に増える再生数に、新しい生活は明るいものに見えた。だが、投稿された一つのコメントからその生活に陰が差し始める。
黒の解呪録 ~呪いの果ての少女~
蒼井 くじら
ホラー
夏休み目前の三連休。高校生除霊師・黒宮宗介(くろみやそうすけ)は、同じく除霊師である御堂光(みどうひかる)と共に、除霊の依頼があったT県細入村(ほそいりむら)へと赴く。
そこで待ち受けていたのは、醜く変わり果ててしまった一人の少女・佐々村美守(ささむらみもり)だった。彼女の容体は深刻で、あまり猶予は残されていない。彼女に起こった異変は『呪い』が原因であると判断した宗介は、すぐに呪いの元凶を探り始める。
その過程で、宗介たちは細入村に伝わる『オワラ様信仰』の存在を知る。かつて細入村の村人たちを苦しめたジゴクマダラという蜘蛛の化け物。その化け物を退治し、村に平和と繁栄をもたらしたオワラ様。宗介はその民話に呪いを解く鍵が隠されているかもしれない、と睨む。
しかし、解呪への糸口が見えた矢先に、宗介自身も子供の亡霊から呪いをもらってしまう。呪いは徐々に宗介を蝕み、身体の変調や幻覚などの症状をもたらし始める。だが、それでも調査を続けた宗介は、オワラ様が除霊師と対をなす呪術師だったこと、かつて細入村に『間引き』の風習があったこと、そしてオワラ様は間引く予定の子供を使って呪術の研究を行っていたことを突き止める。
けれど、ここまで調べたところで、宗介は呪いの影響で昏睡状態に。
残された光は、宗介に代わって呪いの元凶を見つけ出すことを決意。佐々村家の使用人である下山乃恵(しもやまのえ)の助けもあり、光は山中にあった祠から呪いの元凶である呪物を見つけ出す。
これで全てが解決したと思いきや、全ては美守に呪いを掛けた張本人・下山乃恵の策略だった。
呪いから復活した宗介は、乃恵を『凶巫(まがなぎ)』という呪われた巫女の末裔だと見抜き、本当の除霊を開始。抗えぬ宿命に対し「もう死んで終わりにしたい」と願う乃恵に、宗介は自らの宿命――更に深い闇を見せることで無理やり彼女に生きる気力を植え付ける。
リバーサイドヒル(River Side Hell)
グタネコ
ホラー
リバーサイドヒル。川岸のマンション。Hillのiがeに変わっている。リーバーサイドヘル
川岸の地獄。日が暮れて、マンションに明かりが灯る。ここには窓の数だけ地獄がある。次に越してくるのは誰? あなた?。
雷命の造娘
凰太郎
ホラー
闇暦二八年──。
〈娘〉は、独りだった……。
〈娘〉は、虚だった……。
そして、闇暦二九年──。
残酷なる〈命〉が、運命を刻み始める!
人間の業に汚れた罪深き己が宿命を!
人類が支配権を失い、魔界より顕現した〈怪物〉達が覇権を狙った戦乱を繰り広げる闇の新世紀〈闇暦〉──。
豪雷が産み落とした命は、はたして何を心に刻み生きるのか?
闇暦戦史、第二弾開幕!
ホラフキさんの罰
堅他不願(かたほかふがん)
ホラー
主人公・岩瀬は日本の地方私大に通う二年生男子。彼は、『回転体眩惑症(かいてんたいげんわくしょう)』なる病気に高校時代からつきまとわれていた。回転する物体を見つめ続けると、無意識に自分の身体を回転させてしまう奇病だ。
精神科で処方される薬を内服することで日常生活に支障はないものの、岩瀬は誰に対しても一歩引いた形で接していた。
そんなある日。彼が所属する学内サークル『たもと鑑賞会』……通称『たもかん』で、とある都市伝説がはやり始める。
『たもと鑑賞会』とは、橋のたもとで記念撮影をするというだけのサークルである。最近は感染症の蔓延がたたって開店休業だった。そこへ、一年生男子の神出(かみで)が『ホラフキさん』なる化け物をやたらに吹聴し始めた。
一度『ホラフキさん』にとりつかれると、『ホラフキさん』の命じたホラを他人に分かるよう発表してから実行しなければならない。『ホラフキさん』が誰についているかは『ホラフキさん、だーれだ』と聞けば良い。つかれてない人間は『だーれだ』と繰り返す。
神出は異常な熱意で『ホラフキさん』を広めようとしていた。そして、岩瀬はたまたま買い物にでかけたコンビニで『ホラフキさん』の声をじかに聞いた。隣には、同じ大学の後輩になる女子の恩田がいた。
ほどなくして、岩瀬は恩田から神出の死を聞かされた。
※カクヨム、小説家になろうにも掲載。
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
おシタイしております
橘 金春
ホラー
20××年の8月7日、S県のK駅交番前に男性の生首が遺棄される事件が発生した。
その事件を皮切りに、凶悪犯を標的にした生首遺棄事件が連続して発生。
捜査線上に浮かんだ犯人像は、あまりにも非現実的な存在だった。
見つからない犯人、謎の怪奇現象に難航する捜査。
だが刑事の十束(とつか)の前に二人の少女が現れたことから、事態は一変する。
十束と少女達は模倣犯を捕らえるため、共に協力することになったが、少女達に残された時間には限りがあり――。
「もしも間に合わないときは、私を殺してくださいね」
十束と少女達は模倣犯を捕らえることができるのか。
そして、十束は少女との約束を守れるのか。
さえないアラフォー刑事 十束(とつか)と訳あり美少女達とのボーイ(?)・ミーツ・ガール物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる