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日記

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 俺は情けない声を上げて飛び起きた。そして、すぐに窓を見た。

 そこには、赤くて細かい点々が幾つかついていた。血飛沫だ。震え上がった。

 俺はおばさんが喀血したと思って慌てて表に出た。

 もし、おばさんが離れ屋の側で倒れていたら、俺は自分の馬鹿の所為で、二度も見殺しにしたことになる。冷や汗、脂汗がどっと噴き出すくらいに気が急いていた。

 外に出て離れ屋の周辺をぐるりと見て回ったが、おばさんはいなかった。代わりに、窓の下の方に、血肉のついた骨と、茶色い毛皮があって、蝿がたかっていた。

 おばさんが見当たらなかったことで安堵するはずだった俺の心は、おぞましさに襲われた。近くに人家はないし、放っておいても良かったのだが、臭いし、気分の良いものでもないので処理することにした。

 とはいえ、手で掴むのは気が引けた。それで、母屋に道具を借りに行ったら、丁度、親父が表にいた。

「お前、どうしたその顔は」

 俺の顔を見るなり親父がそう言うもんで、何かついているのかと触ったら、

「真っ青になっとるぞ。何があった。そんな、化け物でも見たような顔して」

 と眉根を寄せて言われた。

 化け物という言葉を聞いて、俺はまたまた怖ろしくなった。その怖さも手伝って、俺は親父に昨晩のことをすべて話した。

 すると、親父が血相変えて母屋に駆け込み爺さんを呼んだ。間もなく出てきた爺さんに親父はことのあらましを話し、何だかよく分からないうちに、俺は二人と一緒に離れ屋に戻ることになっていた。

 爺さんの頭は白髪がかなり増えていた。仕事着姿も活気が薄れているように見えた。親父と違って男前なのと、小柄で痩身なのは変わらないが、明らかに老けていた。老いを知らない人だと思っていただけに、急な老け込みにかなり驚いた。

 最後に会ったのは六日なので、二週も経っていない。たったそれだけの間に、こんなにも衰えるものなのかと心配になり、どこか具合が悪いのでは、と訊こうとして親父を見たら少し痩せていた。

 考えてみれば今は夏だ。暑さで参っていてもおかしくないと気づいた。余計なことを言うと、またどやされる気がしたので、口を開くのをやめておいた。

 離れ屋に着くと、爺さんは周囲を巡ってから、件の死骸の前で足を止めた。

「こりゃ、野鼠のでかいやつだな」

 爺さんは顔をしかめてそう言って、頭に巻いていた手拭いをその死骸に被せた。それから、その手拭い越しに死骸を持って林に向かった。

 流石爺さん、頼りになる。そんな風に思いながら、何となくついていこうとしたら、親父に手を引っ張られて止められた。

「爺さんに任せておけ」

 親父がそう言うので、黙って爺さんの背を見ていた。爺さんは林の前に立つと、手にしていた野鼠の死骸を手拭いごと林の中に投げ入れた。それが済むと、手を払いながら、こちらに戻ってきて、うんざりした様子で言った。

「良一郎、死骸のあった場所は、水を撒いて汚れを延ばしておけ。臭いに釣られて獣が寄りつくようになったら危ない。蛇くらいなら構わんが、熊やら猪なんかが出たら離れ屋の壁がもたんかもしれんからな」

 それから、俺に薬局のおばさんのことを訊いてきたので話したら、難しい顔で溜め息を吐いて、

「ああ、その人は彼の世に行けんかったんだ。良一郎、お前には散々言ってきたから大丈夫だと思うが、この山には入るな。林の中にもだ。その、薬局の女みたいに、彼の世に行けんまま、此の世をうろつくことになるぞ。もし、他に行けるとこがあるならしばらく厄介になれ。必要なら金も出してやるからな」

 と、怖ろしいことを言って親父と一緒に帰っていった。

 二人が帰った後、俺は窓の血を雑巾で拭き取り、爺さんの言う通り、死骸のあった場所に水を撒いて血の汚れを延ばした。

 が、不安感が一向に引かない。これを書きながらも、びくびくしている。

 ついさっき、風でガラスがちょっと鳴っただけで尻が浮いた。誇張ではない。どちらかと言えば、抑えた表現だ。跳んだと言っても構わんと思う。もし、誰かが見ていたなら、失笑を余儀なくされただろう。

 心臓がきゅっと縮んで、あっと思って尻がぴょんっと上がって、どしん。あいたっ、となったから、俺なら笑う。

 この臆病者、と笑ってくれる人がいてくれたらどんなに良かったか。などと思いながら、また物音に身を縮める。心臓に悪くていけない。

 一瞬、鼓動が止まったように感じるが、そのうち、うっかり心臓が動くのをやめてしまうんじゃなかろうかと心配になる。

 死因は臆病。やめてくれ。ここにいない方が良さそうなことも言われたし、一人でいるのも心細いので、今日は、事情を言って女の家に泊まらせてもらうことにする。
 
 
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