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日記

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 靴を脱ごうとしたとき、びっくりした所為か、急に目眩がしてふらついた。

 すると、すかさずイツ子さんが肩を支えてくれた。

 イツ子さんは、一年前にこの家に来た。爺さんが行きつけの飲み屋から連れてきた寡婦だ。歳は俺の七つ上。この家に来るまで、大変な思いをしてきたそうだ。

 他人の過去だが、少しだけ知っていることを書いておく。

 七年前、イツ子さんは恋愛結婚した。名家のお嬢さんだったから、紆余曲折あったらしいが、どうにか幸せを手にすることができたそうだ。

 ところが、散々苦労して手にしたその幸せはすぐに失われた。

 イツ子さんが嫁いですぐに真珠湾攻撃があったのだ。

 それを皮切りに、太平洋戦争が始まった。

 間もなく、旦那が召集令状を受けて戦地に出向することになった。必ず帰ってくる、と言って出て行ったそうだが、五年前にソロモン諸島で戦死したとの知らせが届いた。

 旦那が亡くなる少し前に、イツ子さんも、空襲で家と家族を失っていた。それからは東京の親戚を頼って生活していたが、三年前の大空襲でついに何もかもを失った。

 天涯孤独になったイツ子さんは、この田舎に流れてきて、飲み屋で働き出した。そこで爺さんと知り合い、気に入られ、家で家政婦として働くことになったという訳だ。

 俺はその頃、既にこの離れ屋で暮らしていたので、イツ子さんが母屋に来たときのことは知らない。

 だからこれはすべて好恵から聞いた話だ。又聞きなので、どこまで正確なのかは分からないが、大体は聞いた通りに書けていると思う。

 イツ子さんは、それから住み込みの家政婦としてこの家で働いている。人当たりが良いので、親父以外は家族同然に扱っている。

 しかし、家政婦さんというのは表向きの話で、内実、爺さんのお妾さんだったりする。親父はそれを知っていて、面白くないのだろう。

 二人は、家に来る前からそういう関係だったらしい。

 本来、これは書くべきことではないのだが、実のところ、俺も関係を持っている。だからそういう話を知っている。イツ子さん本人から聞いたのだ。

 イツ子さんは、まだ二十七と若いから、爺さんじゃもの足りなかったのだろう。

 俺の存在を知ると、人目を忍んでここに来た。そして薬局のおばさんのように俺に色目を使った。

 器量が良いから、俺は喜んで誘いに応じた。言い訳になるが、そのときはイツ子さんが爺さんの妾だということを知らなかったのだ。

 ことが済んでから明かされて、血の気が引いてひっくり返ってしまった。

 大変なことをしたと思ったが、覆水盆に返らずと開き直って今でも関係は続いている。

 そういう訳で、玄関で肩を支えられたとき、少々気まずかった。

 見詰め合って、

「すいません」

「いいえ」

 なんて、接吻できるくらいの距離で、好い仲だと言わんばかりのやり取りを、お袋の前でしてしまったからだ。

 イツ子さんもはっとしたようだったが、お袋は別段気にした様子もなく、

「どうしたんです、急に」

 なんて苦笑いしながら言って、俺を表座敷に招き入れた。
 
 
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