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1‐1 正木誠司、目覚める(前編)

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 微睡みを繰り返したような気怠さと体の重みを感じた。
 ぼんやりとした意識で薄く片目を開けると、白い天井と柔らかな光を放つ照明がぼやけて見える。

 んあ? なんで明かりが……消し忘れたか。今何時だ?

 惰性に流されるように瞼を閉じて寝返りを打つ。そのまま手探りでスマホを探そうとして、伸ばした右手が何かにぶつかる。

「あだっ。なんだよ……」

 壁だった。どうしてこんなところに壁があるのか。

 というか寝具も違う気が──。

 痛みで反射的に引っ込めた右手を振りながら半身を起こす。すると、六帖ほどの広さの白く清潔感のある部屋が目に映る。
 天井にフラットな照明と小さなエアダクト。壁に機械的なスライド式の扉が二つあるだけの静かな部屋。

 間違いなく、俺の住んでいるアパートの部屋ではない。

「何処だよここ?」

 白いシーツの敷かれたシングルベッドの上で、しばらく呆然とする。

 思い返してみれば帰宅した記憶がない。仕事を終えて、勤め先の工場から軽自動車で自宅に向かうところまでしか思い出せない。
 自分が運転する車のライトに照らされた、夜の二車線道路が流れていくだけの退屈な光景が、まるでテレビの電源を落としたように途中で突然闇に変わる。

 事故、か?

 意識を失うと、その直前の記憶が曖昧になる。
 趣味でよく観る護身術や武器の取り扱いなどを紹介する配信動画の中で、専門家が実体験としてそんな話をしているのを聞いた覚えがあった。

 交通事故に遭い、病院に救急搬送されたのだとすれば、そのときの記憶がないことも頷ける。それを踏まえて部屋を見れば、確かに病院の個室に見えなくもなかった。

 だが、どうにも腑に落ちない。

 もし仮に入院したのであれば、患者が着用するような衣服を着ているはずだ。しかし、跳ね除けた布団の向こうから現れたのはツナギ。くすんだ青色の作業着だ。
 入院患者にこんなものを着せる総合病院なんてあるだろうか?

 何より、俺は自分が怪我をしているとは思えなかった。どこにも痛みがなく、ガーゼや包帯の感触もないからだ。
 それに心電図モニターや呼吸器などの医療機器も部屋に置かれていないし、ベッドに落下防止柵すら付いていない。

 一応、ファスナーを下ろしてツナギの上半分を脱ぎ、インナーを捲ってみる。が、やはり治療の痕跡は見当たらない。
 裾も捲ってみたが結果は同じ。
 痣どころか軽い擦過傷すら見つけられなかった。

 絶対に病院じゃないな。一体ここは何処なんだよ本当に。

 そう思いつつ、頭を掻いたところで違和感を覚える。

 どこにも痛みがない?

 怪我の確認に気を取られて気づくのが遅れた。
 痛みがないこと自体がおかしい。慢性的な鈍痛さえもない。

 三十代の半ばに差し掛かった頃から延々と長患いしていた悩みの種である肩凝りと腰痛がすっかりと消えていた。

 俺は立ち上がって、肩や腰を回して可動域を確かめた。

「おお、すげぇな。どうなってんだこりゃ」

 腰を反らすとそのままブリッジできた。若い頃でもここまで柔軟な動きができたことはない。軽い筋トレや運動は継続していたが、だからこそ年々体が思うように動かなくなっているのを実感していた。そんな俺からすると、これは明らかな異常事態だった。

 嬉しさのあまり大いにはしゃいでしまったが、知らない場所で目覚めた上に体に劇的な変化があるというのは、とても怖ろしいことではないだろうか?

 まさか、人体実験でもされたんじゃ?

 脳裏に悪の組織に改造された変身ヒーローの姿が過ぎる。
 馬鹿馬鹿しいと鼻を鳴らしはしたものの、体に変化が起きていることは事実。変身ヒーローはさておき、何かが自分の身に起きていることは認めざるを得ない。
 その何かというのが誘拐と人体実験以外に考えられないのが痛いところ。
 段々不安になってくる。

 手術痕がないってことは、違法な新薬治験ってとこか。
 でも薬だけで体がこんなんなるってのもなぁ。現実味が薄いよなぁ。

 そんなことを考えながら腕組みして唸っていると、プシュッという音と共に部屋の扉がスライドし、ツナギ姿の幼女が姿を現した。
 三歳くらいだろうか。西洋系の顔立ちで、外跳ねした赤い髪と小麦色の肌が活発そうな印象を与える。
 
 
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