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坂神尚人 42歳 無職
転落
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東京にある大手製薬会社に勤めていた俺は順風満帆な人生を過ごしていた。妻の恵美と2人の子どもに恵まれ昨年には、少し背伸びをしたが都内に新築マンションも買った。
もうすぐ上の子が小学校に入学する頃、連日残業が続きその日も深夜に退社して列車に乗るとすぐにウトウトしてしまった。
「や・・、・・です」
誰かの声が聞こえる、話しかけられているのか?
俺の意識がはっきりしてくる、声は一層大きくなり俺の耳をつんざく。
「「やめて、痴漢です!」」
その声は俺のすぐ横に座る女性からだった。いつから俺の横に女性が?
と思うと突然手首を掴まれ、女性の素振りに合わせて引っ張られる俺の腕は他人から見ると女性の下半身を弄っているように映るだろう。
呆気にとられている俺を横目に女性はさらに力を込めて俺の手を下半身に押しつけようとしてくる。
やっかいな人に絡まれてしまったと思い、冷静に女性を諭そうと手を引こうとした時、ななめ向かいの座席から2人の女性が立ち上がり俺の方に歩いてくる。俺は何もしていないし、車内も閑散としていたので潔白を証明してくれのではと期待したが、その望みは一瞬で消え去った。
「あなたが横の女性を触っているの、私達ずっと見ていました」
少ない乗客のざわめきが大きくなってくる。なかにはスマホのカメラで撮り始める人もいた。
歩み寄ってきた2人女性の口元はこぼれそうになる笑みをこらえるかのように波打ち、俺の手首を掴んでいる女性は俯いていて表情がわからない。
乗客のざわめきの中にははっきりと「痴漢」や「かわいそう」「あの人が」などと聞こえる。
最悪だ、ここで俺が何を言っても周囲は下劣な痴漢としか思わないだろう。
列車が駅に着き俺は駅事務室に連行されてから警察の聴取を受けた。無実を訴える説明も虚しく、被害女性と目撃者2人の供述により俺は拘留されてしまった。
翌朝面会に来た妻の目には涙があふれていた。その姿を見て目頭が熱くなるのを感じる。
「苦労をかけるが俺は絶対に痴漢をしていないし、俺そして家族の名誉のためにも認めることはできないと思ってる」俺は俯きながら言うと涙が頬を伝った。
「名誉も大事だけど生活はどうするの?子ども達の事や仕事も。私はあなたを信じてる。この件で周りがどう言おうが私は味方です」俺の目を真っ直ぐに見つめ無理に笑顔を作る。
俺は頷き「ありがとう」と応えて面会は終わった。その後妻は家に帰ること無く忽然と姿を消した。
妻が帰った後、俺は丸一日考えてから名誉を捨て釈放された。予想していたが職場では犯罪者として後ろ指をさされ親しくしていた同僚や、ご近所さんとの付き合いも露骨に避けられるようになり、以前の生活とは全てが違っていた。
妻の失踪から1年が経つ頃俺は人生に意味を持つことが出来なくなり仕事を辞めた。マンションを売り、子ども達は実家に預けた。
マンションを売ったお金で子ども達の生活は困らないだろう。妻の実家からは俺が原因で失踪したのだと罵倒され連絡をする事も許されていない。
警察や興信所にも頼んで妻の捜索を行っているが足取りはつかめない。家出をする者は多くの場合事前に現金を手元に置き、賃貸情報やアルバイト先を検索する様だがそういった痕跡も無い。
俺は無意識に妻の姿を求めて日々街を徘徊するようになっていた。
薬物が蔓延している事はニュースで知っていたが、仕事に追われていた時は自分に関係の無い世界と思い見ぬふりをしてきたが今は違う。繁華街の雑居ビル、夜は飲み屋などで賑わう一方、昼は仕入れ業者などが出入りする程度なので買った薬物をすぐに使い、冷たい廊下に横たわりキマっている者やゾンビのように立ったまま上半身はくの字に曲がり両手はだらしなく垂れたまま動かない者が多くいる。トイレや物陰では薬物を買う金欲しさに性を売る者も多く、行為が終わってから2人でゾンビになっている事も珍しい事ではなかった。
この辺で出回っている安価なフェンタニルは10代の子どもから年金暮らしの高齢者まで実に簡単に入手する事ができ、売人によっては身元をつかんだ上で1回目は金を取らずに試すことも出来ると宣伝する者もいた。
もちろん、1回使えばリピート確定と売人も自信があるのだろう。
俺が手を出したきっかけは、金欲しさの薬物中毒女と廃れた商店街の路地裏で性交した後に女から勧められたのだ。女の背格好が妻に似ていたこともあり心を許した俺は、女のアパートに行きキマっている時以外は寝る間も惜しみ女の体を貪っていた。それから3日ほど女と過ごした俺は眠気や疲れは感じないが、鏡に映る自分の顔がひどくやつれている事に気付く。
髭は伸び頬はこけ目の下のクマもはっきりと荒んだ生活を物語っている。最後の食事がいつだったかも覚えていない。足下に全裸で横たわる女に、食事とクスリを買ってくると伝えると、女も馴染みの売人がいるからと2人で行くことになった。
売人は2ブロック離れたコインパーキング周辺を縄張りとしていて、女の姿を見つけると辺りを見回して接近してきた、少し離れた場所に居る俺には気付いていない様だ。売人は近づくなり女の腰に手を回そうとするがその手をやんわりと解き、女は手に持った現金を握らせる。売人はすこし驚いたようだが近くに止まっている車に合図を出した。
売人は上部組織から監視されていて、女はこれまでも売人に性を提供する代わりにクスリを手にしていたのだろうとその時理解した。
それからコンビニに立ち寄り弁当、菓子、酒を購入して店を出た所で店員に呼び止められる。俺は無意識に立ち止まったが女は俺の手を引っ張り「やばい逃げるよ」と駆けだしたので慌ててついて行くが、何日も食事と睡眠をしていない体で思うように動けず、2人ともあっという間に店員に取り押さえられてしまった。
コンビニの事務室に連れて行かれると女の鞄から買った記憶の無い商品がいくつも出てきたのを見て、万引きをしていたことを知った。そのほかに買ったばかりのクスリもあったので、警察に通報されてしまい俺の社会生活は終わりを迎えた。
警察署に連行され薬物反応が出たことから逮捕された、その時に警察官が言っていたことを思い出す。「最近法律が変わって薬物犯は全員終身刑の島送りだ」「島の管理は国が行うが運営は受刑者の自由だ」「あんたはまだまともだ、島でうまく生きろ」
人生に意味を持たない俺に最後の言葉は的外れだ、しかし過去を忘れようとしてもこの街は思い出が多すぎる。
いっそ悲しみを忘れてしまうようなどこぞの島で暮らすのも悪くないと思うと、少し心が晴れた気がした。
もうすぐ上の子が小学校に入学する頃、連日残業が続きその日も深夜に退社して列車に乗るとすぐにウトウトしてしまった。
「や・・、・・です」
誰かの声が聞こえる、話しかけられているのか?
俺の意識がはっきりしてくる、声は一層大きくなり俺の耳をつんざく。
「「やめて、痴漢です!」」
その声は俺のすぐ横に座る女性からだった。いつから俺の横に女性が?
と思うと突然手首を掴まれ、女性の素振りに合わせて引っ張られる俺の腕は他人から見ると女性の下半身を弄っているように映るだろう。
呆気にとられている俺を横目に女性はさらに力を込めて俺の手を下半身に押しつけようとしてくる。
やっかいな人に絡まれてしまったと思い、冷静に女性を諭そうと手を引こうとした時、ななめ向かいの座席から2人の女性が立ち上がり俺の方に歩いてくる。俺は何もしていないし、車内も閑散としていたので潔白を証明してくれのではと期待したが、その望みは一瞬で消え去った。
「あなたが横の女性を触っているの、私達ずっと見ていました」
少ない乗客のざわめきが大きくなってくる。なかにはスマホのカメラで撮り始める人もいた。
歩み寄ってきた2人女性の口元はこぼれそうになる笑みをこらえるかのように波打ち、俺の手首を掴んでいる女性は俯いていて表情がわからない。
乗客のざわめきの中にははっきりと「痴漢」や「かわいそう」「あの人が」などと聞こえる。
最悪だ、ここで俺が何を言っても周囲は下劣な痴漢としか思わないだろう。
列車が駅に着き俺は駅事務室に連行されてから警察の聴取を受けた。無実を訴える説明も虚しく、被害女性と目撃者2人の供述により俺は拘留されてしまった。
翌朝面会に来た妻の目には涙があふれていた。その姿を見て目頭が熱くなるのを感じる。
「苦労をかけるが俺は絶対に痴漢をしていないし、俺そして家族の名誉のためにも認めることはできないと思ってる」俺は俯きながら言うと涙が頬を伝った。
「名誉も大事だけど生活はどうするの?子ども達の事や仕事も。私はあなたを信じてる。この件で周りがどう言おうが私は味方です」俺の目を真っ直ぐに見つめ無理に笑顔を作る。
俺は頷き「ありがとう」と応えて面会は終わった。その後妻は家に帰ること無く忽然と姿を消した。
妻が帰った後、俺は丸一日考えてから名誉を捨て釈放された。予想していたが職場では犯罪者として後ろ指をさされ親しくしていた同僚や、ご近所さんとの付き合いも露骨に避けられるようになり、以前の生活とは全てが違っていた。
妻の失踪から1年が経つ頃俺は人生に意味を持つことが出来なくなり仕事を辞めた。マンションを売り、子ども達は実家に預けた。
マンションを売ったお金で子ども達の生活は困らないだろう。妻の実家からは俺が原因で失踪したのだと罵倒され連絡をする事も許されていない。
警察や興信所にも頼んで妻の捜索を行っているが足取りはつかめない。家出をする者は多くの場合事前に現金を手元に置き、賃貸情報やアルバイト先を検索する様だがそういった痕跡も無い。
俺は無意識に妻の姿を求めて日々街を徘徊するようになっていた。
薬物が蔓延している事はニュースで知っていたが、仕事に追われていた時は自分に関係の無い世界と思い見ぬふりをしてきたが今は違う。繁華街の雑居ビル、夜は飲み屋などで賑わう一方、昼は仕入れ業者などが出入りする程度なので買った薬物をすぐに使い、冷たい廊下に横たわりキマっている者やゾンビのように立ったまま上半身はくの字に曲がり両手はだらしなく垂れたまま動かない者が多くいる。トイレや物陰では薬物を買う金欲しさに性を売る者も多く、行為が終わってから2人でゾンビになっている事も珍しい事ではなかった。
この辺で出回っている安価なフェンタニルは10代の子どもから年金暮らしの高齢者まで実に簡単に入手する事ができ、売人によっては身元をつかんだ上で1回目は金を取らずに試すことも出来ると宣伝する者もいた。
もちろん、1回使えばリピート確定と売人も自信があるのだろう。
俺が手を出したきっかけは、金欲しさの薬物中毒女と廃れた商店街の路地裏で性交した後に女から勧められたのだ。女の背格好が妻に似ていたこともあり心を許した俺は、女のアパートに行きキマっている時以外は寝る間も惜しみ女の体を貪っていた。それから3日ほど女と過ごした俺は眠気や疲れは感じないが、鏡に映る自分の顔がひどくやつれている事に気付く。
髭は伸び頬はこけ目の下のクマもはっきりと荒んだ生活を物語っている。最後の食事がいつだったかも覚えていない。足下に全裸で横たわる女に、食事とクスリを買ってくると伝えると、女も馴染みの売人がいるからと2人で行くことになった。
売人は2ブロック離れたコインパーキング周辺を縄張りとしていて、女の姿を見つけると辺りを見回して接近してきた、少し離れた場所に居る俺には気付いていない様だ。売人は近づくなり女の腰に手を回そうとするがその手をやんわりと解き、女は手に持った現金を握らせる。売人はすこし驚いたようだが近くに止まっている車に合図を出した。
売人は上部組織から監視されていて、女はこれまでも売人に性を提供する代わりにクスリを手にしていたのだろうとその時理解した。
それからコンビニに立ち寄り弁当、菓子、酒を購入して店を出た所で店員に呼び止められる。俺は無意識に立ち止まったが女は俺の手を引っ張り「やばい逃げるよ」と駆けだしたので慌ててついて行くが、何日も食事と睡眠をしていない体で思うように動けず、2人ともあっという間に店員に取り押さえられてしまった。
コンビニの事務室に連れて行かれると女の鞄から買った記憶の無い商品がいくつも出てきたのを見て、万引きをしていたことを知った。そのほかに買ったばかりのクスリもあったので、警察に通報されてしまい俺の社会生活は終わりを迎えた。
警察署に連行され薬物反応が出たことから逮捕された、その時に警察官が言っていたことを思い出す。「最近法律が変わって薬物犯は全員終身刑の島送りだ」「島の管理は国が行うが運営は受刑者の自由だ」「あんたはまだまともだ、島でうまく生きろ」
人生に意味を持たない俺に最後の言葉は的外れだ、しかし過去を忘れようとしてもこの街は思い出が多すぎる。
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