【完結】地上で溺れる探偵は

春泥

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PART III

08 戦慄のポルカ

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 シニア向け分譲マンション・ポノレカ鷹羽の三階ミニシアターのスクリーンに映し出されるハタケヤマノボルは、シニア向け分譲マンション・ポノレカ鷹羽の三階ミニシアターのスクリーン前に立っている。そのスクリーンの中のスクリーンにもスクリーン前に立つハタケヤマノボルが映っており、合わせ鏡のように、だんだん小さくなるノボルと映画スクリーンが入れ子状態で無限に連なっている。
「このメロディーが、不快な記憶と結びついているからですよ」
 もう一度ノボルは言い、小首を傾げた。スクリーンの中のスクリーンの中の更にその中の……無数のノボル達も一斉に小首を傾げ、声が微かに割れて気色の悪いエコーを響かせる。
 俺は吐き気を催して目を細めた。子供の頃、テレビで流行っていたオカルト番組を見たいのだが怖くて目を細め、ブラウン管の画面の端っこを見つめていたように。
「重度の認知症でも、全てをきれいに忘れ去る、なんてことはできないんですよ。彼らは確かに、新しいことを覚えるのはほぼ不可能だ。昼ごはんを食べたかどうかさえ覚えちゃいない。でも、そんな状態でも、勤務態度のなっていない介護職員や介護に疲れた家族から罵倒されたり虐待を受ければ、その時の嫌な、不快な記憶は、残るんです。だから、認知症患者でも、虐待する職員の顔を見ただけで、拒絶反応を示したりする。嫌悪・恐怖する対象は、ヒトとは限らない。ほら、そんな風に」

 リ・リ・リ・リル・リル・レ・レ・レ・クイェー

 ユキがまた、二拍子のBGMに合わせて同じフレーズを口ずさんだ。
 肘掛椅子に拘束された老人達は、口から泡を吹き、涎を垂らしながら暴れている。激しく身をよじる彼らの四肢を拘束しているストラップが今にも引きちぎられそうな悲痛な音を発している。この状態だと、骨折したとしても何も感じないのだろうか。
「やめろと言ってるんだ!」
 俺はユキの横っ面を強めにひっぱたいた。
「なにすんの」
 頬を手で押さえて俺を見返すユキは、非常に幼く見えた。
「お前の鼻歌が、爺さん達を怯えさせているんだ。やめてくれ」
「鼻歌? 何のこと?」
 ユキの怪訝そうな顔に、俺は最初に会った日にも、本人には鼻歌を歌っている自覚がなさそうな反応を示したことを思い出した。
「おやまあ、サカイさんともあろう人が、子供に暴力を振るうなんて」
 スクリーンの中でだんだん小さくなるノボル一人一人が、大袈裟に首を振っているのが薄目でぼやけた視界の端に映りこみ、俺は目を背けた。
「その子は、不快な記憶を消去することで、現実に抗っているんです。それでも、そのメロディーだけは消し去れなかった」
「この子に何をしたんだ」
「俺は何もしていませんよ」
「自分は直接手を下していないと言いたいのか。お前の手下達は、この子やこの施設の老人達に、一体何をした」
「俺は、何も。何も、できなかった」
 ノボルの声の調子が一転した。俺は目を見開いてスクリーンを見た。
「こちらのミニシアターでは、懐かしの名作日本映画や超話題作などを上映しています」
 ノボルは営業用のスマイルを顔に貼付けて言う。いつのまにか、元の企業CMに切り変わっている。スクリーンの中のスクリーンには何も映っていないので、ノボルの姿は一人きりだ。
「入居者のご要望も考慮し、毎週上映プログラムを更新。現在の一番人気は、『ハタケヤマノボルの生涯』です」
 スクリーン内のスクリーンに、白黒画面に白抜き文字で『ハタケヤマノボルの生涯』というタイトルが映し出された。「ポルカ・ポルカ・ポルカ」――これは冥途カフェで流れていたヘヴィメタバージョンだ――が大音量で流れ出した。
「きぃいいいいいいいいいええええええええええ!」
 老人達が一段と騒がしくなった。白目を剥いて叫ぶ者もいる。真っ赤に熱せられた焼き鏝を皮膚に押し当てられたらあんな風に叫ぶかもしれないという、耳を覆いたくなるような悲痛な叫びだ。ユキが耳を塞いでうずくまった。やせ細った老人四人がこの鼓膜を破りそうな大騒音の源だとは全く信じ難い。
 老人達を黙らせないと、あの重厚なドアからでも音が漏れてジョージの注意を惹いてしまう恐れがあった。だが、原因はシアター内に響き渡る映画のOP曲「ポルカ・ポルカ・ポルカ」だ。どうすればこの映像――いや、映像はどうでもいいのだが、音響を止められるのか。俺は暗がりを裂くようにスクリーンの対面の高い位置から伸びる光源を見た。
 あそこが映写室か。
「かああああああああああああああ!」
 めりめりという実に嫌な音に次いで何かが弾けたような、ばちんという音がした。老人達の一人――白髪の上品そうな老婦人だったモノが、椅子から立ち上がっていた。
 拘束ストラップを引き千切りやがった、と考えたのは大きな間違いであったことがすぐにわかった。ストラップは千切れていなかったし、革製の頑丈そうなそれは、老婦人の両の手首をがっちりと固定したままだった。立ち上がった老婦人の両腕の肘より少し下の辺りから、へし折れて先が尖った白い骨が露出していた。勿論、ものすごい出血だ。
「嘘だろう」
 耳を押さえて下にうずくまっているユキには何も見えていないであろうことが不幸中の幸いだった。老婦人が腕を振り回すたびに顔に生温かいものがふりかかってきたが、気にしている暇はなかった。
 ばちん、ばちんと、立て続けに骨のへし折れる音がして、シートに座って居た四人全員が立ち上がって、骨の露出した腕から血をまき散らしていた。
 突然、背後で派手な爆発音がした。咄嗟に俺は床に身を投げ出し、ユキの体に覆い被さった。
 鍵などかけても重装備した元ヤクザの前にはどうせ無駄な抵抗だと思い、ドアストッパーを外して扉を閉めたものの、敢えて施錠はしなかったというのに、あの野郎。
 鍵がかかっているかどうか確認する手間さえ省いて、いきなりドアを吹き飛ばしやがったな。
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