【完結】地上で溺れる探偵は

春泥

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PART III

06 コードX発動

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 非常停止したエレベーターの扉をこじ開けようと躍起になっている俺に対し、ユキは冷ややかだった。
「こういう時は、大人しく救出されるのを待つもんでしょ?」
「それは、平和な緊急時の場合だ。地震やエレベーターの故障とかいう不可抗力的理由で停止しているのならばな」
「これは、違うっていうの?」
 訝し気な顔をするユキの疑問に応えるかのように、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。

 ――緊急事態、緊急事態。コードX発生。繰り返す。緊急事態。コードX発生。金蔓を速やかに自室に避難させ、待機させること。エレベーターは停止中。命が惜しかったら、外に出るなってジジババに申し付けて!

 非常事態を告げる緊急アナウンスの声は、インターホンの女の声と同じだった。余程慌てている証拠に、「金蔓」だの「ジジババ」だの、普段胸の内に抱えている鬱屈した声がダダ漏れになってしまっている。
「どういうこと?」
「ジョージ爺さんは呆けちゃいるが、たまに正気に返る時がある。いや、『正気』というのは正しくないな。昔を思い出すと言った方がいいか。お前もその片鱗を見ただろう。もしも、抗精神病薬の副作用のせいで身体がハイパーアクティブになったジョージ爺さんに、現役時代の凶暴極まりなかった過去の一部が甦り、その目の前に、鍵のかかってない武器庫の扉が開かれていたとしたら、どうだ?」
「鍵をかけて来なかったの?」と咎めるような顔をするユキに
「そんな時間はなかった」と言いわけをした。
「そういう危険人物があの、なんだかごちゃごちゃとよくわからないけどヤバそうな武器を持ち出してマンション内を徘徊してるっていうの? だったら尚更、のこのこ出歩いたりしないでここに隠れてる方がよくない?」
「だからそれは、『平和な緊急時の場合』の対処法だ。あの部屋には、こんな扉ぐらい楽に貫通させられそうな機関銃があった。こんなエレベーターなんか箱ごと吹っ飛ばすことさえ可能なロケットランチャーもな。ここが直接襲われなかったとしても、派手にぶちかませば火災が発生して煙に巻かれるかもしれない。エレベーターの箱を吊り下げているロープを切られて一階まで落下するかもな。ここは四階から三階に向かう途中らしいが、一番下の地下二階まで落下したら、軽傷で済むとは思えんな。命が惜しかったら、手を貸せ」
 俺はピッキング用の道具を扉の合わせ目に刺し込み、指をねじ込んで、力いっぱい引っ張った。ユキも加わったことで、隙間はゆっくりと広がっていった。
 どうにか箱の扉を開けると、エレベーターは、外側の扉の三分の一を通過したあたりで停止していた。外側の床は、エレベーターの床より一メートルほど下ということになるだろう。しゃがんだ姿勢で更に外側の扉と格闘し、体を横にすればすり抜けられるほどの隙間を開けた。
 俺は首だけ外に出してエレベーターホールが無人であることを確認すると、素早く這い出して飛び降りた。次いでユキがそろそろと横向きに足から降りてくるのを下から受け止めた。どうにか、二人とも無事に脱出することに成功だ。しかし、問題はここからだ。
「こっから――」
 ユキの唇に指を押し当てて黙らせると、俺は耳を澄ませた。
 ここは三階のはずだが、エレベーターホールから階段へと通じる扉はここでも閉ざされ、ロックされていた。扉に耳をつけてじっとしていると、微かにたたたたた、と乾いた音が聞こえた。それにかぶさる悲鳴。静寂。たたたたた。上の階のどこかで既にドンパチが始まっているらしい。俺は舌打ちをした。
 ユキがしかめ面でこちらを見ているのに気づき、俺は
「エレベーターが動かない以上、危険でも階段を使うしかない。しかし、まず鍵を開けないと」
 凄まじい悲鳴がドアの向こう側で起こり、一瞬大きくなって通過すると、どしんと下の方から響いた。それに被さるように、たたたたたと銃弾が連続して発射される音も、先程より生々しく、はっきりと聞こえた。
 びくりと身を震わせ「何あれ」と怯えるユキの腕を掴んで、ドアの近くから引き剥がした。
「離れろ!」
 俺はユキの手を引きながら走った。ユキが片足を引きずっていることに気付いたが、今は流れ弾に当たらないように逃げる方が先だった。
 エレベーターホールから伸びる廊下の様相は、ジョージの部屋がある十二階とは違っていた。この階は居住区ではないらしい。
 廊下を進んでドアを一つ発見したが、その向こうには滑らかに壁が続く。広い部屋のようだ。重そうな観音開きの扉の左側が開きドアストッパーで固定されていた。
中は暗い。話し声が聞こえるが、どこか人工的な響きがあった。
 俺は先に入ってユキを手招きし、ストッパーを外して静かにドアを閉めた。中は暗いが、何も見えないというほどではない。こぢんまりとしたシアターだ。俺達は、客席の後方に立っていた。
 床のカーペットのふかふかした感触を踏みしめながら、右側の通路を進んでいく。照明は落ちているが、正面のスクリーンに映写機からの光が投影されているため、内部の様子は見てとれた。横七席縦七列で配置された座席はいかにも贅沢で、アームレスト付きの一人掛けソファといった感じだった。
 客席には四名の老人がてんでばらばらに座っていた。全員このマンションの住人なのだろう。弛緩しきった顔で前方のスクリーンを見つめる虚ろな瞳には何も映っていないようだった。それでも、ノボリベツジョージと同じく、皆上品で値が張りそうな衣服に身を包んでいる。
「おい、あんた達。申し訳ないが、上映会は中止だ。さっき、アナウンスがあっただろう。緊急事態なんだよ。部屋に戻って大人しくしてな。だが、上には行かないほうがいい。可能であれば――」
 俺は言葉を切った。老人達は、俺のだみ声に一切反応を示さなかった。傍らのユキが飛び上がったほどの声量だったというのに。
 スクリーンでは、本編開始前の企業宣伝が流れている。無表情にそれを凝視していた老人たちが、一斉に息を呑んだ。
「老後も子供達の世話にはなりたくない。独立した、自分らしい生活を送りたいとお望みですか? そのような、自立志向の高いシニアにお勧めなのが、シニア向け分譲マンション・ポノレカです」
 スクリーンに映し出されているのは、見覚えのある顔だった。髪を七三に撫でつけ、スーツ姿で笑みを浮かべていた。
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