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PART II
06 ポルカ・ポノレカ・ポノレノク
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ユキはカードを自分の膝の上に放り出し、相変わらずそっぽを向いて窓の外を眺めている。そこはコンビニの駐車場の壁で、何もないのに。
「ポノレカじゃなくて、ポノレノクかもしれないな。何しろ、大急ぎで走り書きしたらしいから、判読は難しい。いずれにせよ、お前は知っていたんじゃないのか。それが意味するのは、ポルカではないということを」
ユキは膝の上からカードを拾い上げたが、ろくすっぽ見もしないで蠅でも追い払うように振り回した。
「私にわかるわけないじゃん、こんなへたくそな字。おじさんが勝手に読み間違えたんでしょう。ポルカ、ポノレカ、ポノレノク……どうとでも読める。ポルカで正解かもしれないし、不正解かもしれない」
ユキはカードを投げてよこした。俺はカードをポケットにしまった。
「これは、お前が書いたんじゃないのか。俺の部屋……XXXの四〇四号室の前に立っていたお前を、大家が目撃している。その部屋の男は、殺されていた」
「あたしは、誰も殺してない」
「バイト先のお前のロッカーから転がり出てきた死体も、身に覚えがないっていうのか」
「わざわざ真っ先に自分が疑われる場所に死体を隠す馬鹿はいない」
「それじゃあ、ポノレカ鷹羽について教えてもらおうか」
ユキの顔が強張った。
「俺は、XXXX……お前の呼び方ではハヌキ、あのバツが四つの雑居ビルに行く前に、ポノレカ花の宮に寄って来たんだ。そこ張ってた刑事と話したよ。お前、相当やばいことに首を突っ込んでるんじゃないのか」
ユキは黙って窓の外を見ていたが、俺の目の奥に、ある光景が浮かんできた。
要塞のようなマンション。ポノレカ花の宮と非常によく似た外観をしているが、これは鷹羽にある雑居ビルXXXXからほど近い、ポノレカ鷹羽だ。エントランスの自動ドアを抜けると、そこに更にもう一枚ドアがあり、オートロックを解除しなければ中には入れない。
ユキはインターホンで誰かと話している。しばらくして、オートロックが解除されたドアを通り、広々としたホールを抜け、エレベーターに乗り込むと、ボタンを押す。
停止した階で降りて、迷いのない足取りである部屋のドアの前に立つ。迎え入れたのは、ナースの格好をした中年の女。コスプレではない、本物の看護師だ。廊下を通ってリビングに案内されたユキは、上着を脱いで鞄と一緒にソファの上に放り出す。
あまり興奮させないように。今日は血圧が高いからやめとくように言ったんだけど、聞かなくって。そう看護師から言われ、ユキは白い錠剤二錠と水の入ったグラスを受け取る。
だって、こっちは眠ってるんだよ。どうしろっていうの?
肩をすくめる看護師にグラスを返し、あくびをしながらバスルームに行く。シャワーを浴びてからバスタオル一枚で寝室へ行く。ベッドサイドランプが灯っているだけで、室内は暗いが、ベッドの中にまだ誰もいないのはわかる。老人がやって来るのは、彼女が眠りについてからだ。
あくびを連発しながら手触りのいいシーツの中に滑り込む。バスタオルはベッドの横に落ちている。目を閉じて三つ数える前に暗闇に飲み込まれた。
「とんだ川端康成だな」
俺はこめかみを揉みながら言った。
「なに?」と眉間に皺を寄せたユキに
「そういう小説があるんだ」
「ヘンタイ金持ち老人が睡眠薬で眠らせた若い女の体を弄ぶ小説? その人、SM作家?」
「まあ、そんなもんだ」
いつまでもコンビニの駐車場に停車しているわけにもいかないので車を出そうとすると、ユキがウエットティッシュが欲しいと言い出した。金を渡してついでに食べ物を買ってくるように頼んだ。
そのままずらかる気かもしれないという考えが頭をよぎったが、俺は深い疲労感に襲われ、座席を倒して目を閉じた。逃げるつもりなら、走っている車から飛び降りてでも逃げるだろう。じゃじゃ馬を無理に繋ぎ止めておくことは俺にはできない。それよりも、これからどうするかだ。
俺はルミの依頼で動いていることを思い出した。ノボルが手掛けるシニア向け分譲マンションの入居老人による未成年買春のことや、ノボルの自殺のことは、本筋ではない。末端の悪事を暴いて明るみに出したところで、どうなるものでもない。小遣い稼ぎか生活のためか、身売りしていた少女達は収入源を失い、一時的に矯正施設のようなものに送られるかもしれない。だが、それで何か変わるのか。
何も。
俺はタクシー・ドライバーではないから、悪の巣窟に颯爽と乗り込んで行って派手な打ち合いの末に美少女売春婦を救出することはできない。懐に忍ばせているのはペッパースプレー液入りのおもちゃの銃なのだから。
だが、ルミの捜している男が本件に絡んでいるとしたら。男はXXXXで時々仕事をしていたという。未成年売春婦が素っ裸で縛り上げられサンドバッグに詰め込まれるような場所で時々発生する仕事とは、一体なんだ。
結局、XXXXに戻るしかないという結論に達した。俺はまだ何も仕事をしていない。素っ裸の爺さんが街へ飛び出していくのを、諸手を挙げて見送った以外は。
目を開くと、ユキが助手席に座っていた。ウエットティッシュでシャツの下やらズボンの中やらを拭って砂を取り除いている。
「おじさん、眠ってた」ユキは俺の方を見ずにそう言った。
「目を閉じていただけだ。考えごとしてたんだ」
ユキがレジ袋から取り出して差し出した唐揚げに首を振って、かわりにペットボトルのお茶を飲んだ。
「アル中なの?」
「なんでそう思う?」
「ママの彼氏にそういう奴がいたから」
俺は無言でエンジンをかけた。
「どこに行くの?」
俺の分の唐揚げを頬張りながらユキが訊く。
「XXXXに戻る。お前は、ここで降りてもいい。金がないなら、少し用立ててやる」俺はふと思い出して「そういえば、冥途カフェの客のすだれ頭が、あっちの件は片づけたから大丈夫だとキヨコに伝えてくれと言っていた」
「だから、すだれじゃわかんないんだよ。大体みんなすだれだから」
ユキは溜息をついた。
「でもそういうことなら、バイトに行かなきゃ。もう何日も無断欠勤してる」
「なら、俺も冥途カフェに行こう。この前は、店長からゆっくり話を聞くこともできなかったからな」
大人しくシートベルトを締めるユキに、俺はふと思い立って
「なんでバツ、またはエックスが四つで『エンジェル』になるんだと思う?」と訊いてみた。
「テンが四つだからでしょ」
「ああ?」
「Xは十でしょ。リチャード三世の三は、アルファベットの I が三つ(III)。四はIV、五はV、六はVI、十はX」
ユキは面倒くさそうに言った。「ヴ」の発音で下唇を噛むのが癪に障った。言葉を失った俺は、無言でXXXXに向けて車を走らせた。
「ポノレカじゃなくて、ポノレノクかもしれないな。何しろ、大急ぎで走り書きしたらしいから、判読は難しい。いずれにせよ、お前は知っていたんじゃないのか。それが意味するのは、ポルカではないということを」
ユキは膝の上からカードを拾い上げたが、ろくすっぽ見もしないで蠅でも追い払うように振り回した。
「私にわかるわけないじゃん、こんなへたくそな字。おじさんが勝手に読み間違えたんでしょう。ポルカ、ポノレカ、ポノレノク……どうとでも読める。ポルカで正解かもしれないし、不正解かもしれない」
ユキはカードを投げてよこした。俺はカードをポケットにしまった。
「これは、お前が書いたんじゃないのか。俺の部屋……XXXの四〇四号室の前に立っていたお前を、大家が目撃している。その部屋の男は、殺されていた」
「あたしは、誰も殺してない」
「バイト先のお前のロッカーから転がり出てきた死体も、身に覚えがないっていうのか」
「わざわざ真っ先に自分が疑われる場所に死体を隠す馬鹿はいない」
「それじゃあ、ポノレカ鷹羽について教えてもらおうか」
ユキの顔が強張った。
「俺は、XXXX……お前の呼び方ではハヌキ、あのバツが四つの雑居ビルに行く前に、ポノレカ花の宮に寄って来たんだ。そこ張ってた刑事と話したよ。お前、相当やばいことに首を突っ込んでるんじゃないのか」
ユキは黙って窓の外を見ていたが、俺の目の奥に、ある光景が浮かんできた。
要塞のようなマンション。ポノレカ花の宮と非常によく似た外観をしているが、これは鷹羽にある雑居ビルXXXXからほど近い、ポノレカ鷹羽だ。エントランスの自動ドアを抜けると、そこに更にもう一枚ドアがあり、オートロックを解除しなければ中には入れない。
ユキはインターホンで誰かと話している。しばらくして、オートロックが解除されたドアを通り、広々としたホールを抜け、エレベーターに乗り込むと、ボタンを押す。
停止した階で降りて、迷いのない足取りである部屋のドアの前に立つ。迎え入れたのは、ナースの格好をした中年の女。コスプレではない、本物の看護師だ。廊下を通ってリビングに案内されたユキは、上着を脱いで鞄と一緒にソファの上に放り出す。
あまり興奮させないように。今日は血圧が高いからやめとくように言ったんだけど、聞かなくって。そう看護師から言われ、ユキは白い錠剤二錠と水の入ったグラスを受け取る。
だって、こっちは眠ってるんだよ。どうしろっていうの?
肩をすくめる看護師にグラスを返し、あくびをしながらバスルームに行く。シャワーを浴びてからバスタオル一枚で寝室へ行く。ベッドサイドランプが灯っているだけで、室内は暗いが、ベッドの中にまだ誰もいないのはわかる。老人がやって来るのは、彼女が眠りについてからだ。
あくびを連発しながら手触りのいいシーツの中に滑り込む。バスタオルはベッドの横に落ちている。目を閉じて三つ数える前に暗闇に飲み込まれた。
「とんだ川端康成だな」
俺はこめかみを揉みながら言った。
「なに?」と眉間に皺を寄せたユキに
「そういう小説があるんだ」
「ヘンタイ金持ち老人が睡眠薬で眠らせた若い女の体を弄ぶ小説? その人、SM作家?」
「まあ、そんなもんだ」
いつまでもコンビニの駐車場に停車しているわけにもいかないので車を出そうとすると、ユキがウエットティッシュが欲しいと言い出した。金を渡してついでに食べ物を買ってくるように頼んだ。
そのままずらかる気かもしれないという考えが頭をよぎったが、俺は深い疲労感に襲われ、座席を倒して目を閉じた。逃げるつもりなら、走っている車から飛び降りてでも逃げるだろう。じゃじゃ馬を無理に繋ぎ止めておくことは俺にはできない。それよりも、これからどうするかだ。
俺はルミの依頼で動いていることを思い出した。ノボルが手掛けるシニア向け分譲マンションの入居老人による未成年買春のことや、ノボルの自殺のことは、本筋ではない。末端の悪事を暴いて明るみに出したところで、どうなるものでもない。小遣い稼ぎか生活のためか、身売りしていた少女達は収入源を失い、一時的に矯正施設のようなものに送られるかもしれない。だが、それで何か変わるのか。
何も。
俺はタクシー・ドライバーではないから、悪の巣窟に颯爽と乗り込んで行って派手な打ち合いの末に美少女売春婦を救出することはできない。懐に忍ばせているのはペッパースプレー液入りのおもちゃの銃なのだから。
だが、ルミの捜している男が本件に絡んでいるとしたら。男はXXXXで時々仕事をしていたという。未成年売春婦が素っ裸で縛り上げられサンドバッグに詰め込まれるような場所で時々発生する仕事とは、一体なんだ。
結局、XXXXに戻るしかないという結論に達した。俺はまだ何も仕事をしていない。素っ裸の爺さんが街へ飛び出していくのを、諸手を挙げて見送った以外は。
目を開くと、ユキが助手席に座っていた。ウエットティッシュでシャツの下やらズボンの中やらを拭って砂を取り除いている。
「おじさん、眠ってた」ユキは俺の方を見ずにそう言った。
「目を閉じていただけだ。考えごとしてたんだ」
ユキがレジ袋から取り出して差し出した唐揚げに首を振って、かわりにペットボトルのお茶を飲んだ。
「アル中なの?」
「なんでそう思う?」
「ママの彼氏にそういう奴がいたから」
俺は無言でエンジンをかけた。
「どこに行くの?」
俺の分の唐揚げを頬張りながらユキが訊く。
「XXXXに戻る。お前は、ここで降りてもいい。金がないなら、少し用立ててやる」俺はふと思い出して「そういえば、冥途カフェの客のすだれ頭が、あっちの件は片づけたから大丈夫だとキヨコに伝えてくれと言っていた」
「だから、すだれじゃわかんないんだよ。大体みんなすだれだから」
ユキは溜息をついた。
「でもそういうことなら、バイトに行かなきゃ。もう何日も無断欠勤してる」
「なら、俺も冥途カフェに行こう。この前は、店長からゆっくり話を聞くこともできなかったからな」
大人しくシートベルトを締めるユキに、俺はふと思い立って
「なんでバツ、またはエックスが四つで『エンジェル』になるんだと思う?」と訊いてみた。
「テンが四つだからでしょ」
「ああ?」
「Xは十でしょ。リチャード三世の三は、アルファベットの I が三つ(III)。四はIV、五はV、六はVI、十はX」
ユキは面倒くさそうに言った。「ヴ」の発音で下唇を噛むのが癪に障った。言葉を失った俺は、無言でXXXXに向けて車を走らせた。
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