【完結】地上で溺れる探偵は

春泥

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PART II

05 手がかり

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 一人になった俺は、手早く仕事にとりかかった。手始めに、扉が開いたままになっているロッカールームに侵入――いや、ジムへの入会を検討している者として見学させてもらうことにした。

 縦長のロッカーが並ぶ狭苦しい部屋だ。床やベンチの上には爺さんが脱ぎ捨てていったと思われるトレーニングウエアや靴が散らばっていた。昔ながらの銭湯のように、平べったい鍵を差し込めば解錠、鍵の横についているでっぱりを押し込めば施錠され鍵を取り出すことができる。
 ジムの利用者は爺さん一人だったし、殆どのロッカーに鍵が差し込まれたままになっている中で、鍵のついていないものがいくつかあった。銭湯と同じく、鍵を持ち帰ってしまう質の悪い客がいるのか、あるいは――
 脱ぎ散らかした衣類に鍵が入っていないか確認してもよかったが、爺さんの汗をたっぷり吸い込んだそれに手で触れる気になれなかったし、爺さんを追って行った会長がいつ戻ってくるかわからない。

 俺はコートの内ポケットから道具を取り出した。いかに腕が落ちたとはいえ、このような原始的な鍵だ。ものの十秒で解錠することができた。施錠されていたロッカーの一つ目と二つ目は空、三つ目には無造作に突っ込まれた衣服と鞄が入っていた。取り出して広げてみると年配の男性の物と思われるシャツやセーター、スラックス等だった。小さいサイズ。あの爺さんの私服だろう。生地が柔らかく上物であることに俺は少し驚いた。失礼ながら、金を持っていそうには見えなかったからだ。シャツの裏に縫い付けた布に、マジックで名前と住所、それに電話番号が記してあった。迷子になった時のための用心であることは容易に想像できた。全裸で徘徊を始めた場合には役に立たないにしても、爺さん、家族から案外大事にされているらしい。
 しかしその連絡先に、俺はおや、と思った。「ポノレカ鷹羽」とあったのだ。俺は素早く住所と電話番号を頭に叩き込んで、中身を元のロッカー内に突っ込むと、ロッカールームを出た。

 隣に女性用ロッカールームがあったが、少し考えてそこには手をつけないことにした。最悪捕まった場合に、女性用ロッカーを荒らしていた変態のレッテルを張られるのだけは避けたかった。信用第一の商売なのだ。そもそも、俺は中身は好きだが下着やドレス、ストッキングや靴といった物には何の興味もない。化粧品や香水の匂いだって、それに付随する魅力的肉体がなければ、ただの香害だ。
 だが、それで俺の探偵としての職業倫理はどうなる、重要な証拠が隠されているかもしれないのにという心の葛藤と戦う俺の視界の端で、僅かに蠢くものがあった。素早く周囲を見回したが、爺さんも会長もまだ戻って来ておらず、相変わらずジム内は無人だった。

 しかし、もう一度ゆっくりと視線を巡らせると、何が俺の気を引いたのか、わかった。
 クスリのせいでスーパーアクティブになった老人が破壊したサンドバッグ。おやじがタオルを詰めて穴を塞いだものの、隙間から漏れ出る砂の作る細い線が、僅かに揺れていた。それというのも、サンドバッグ自体が生き物のようにうねうねと蠢いているからだ。まるで、瀕死の獣が血を流しながらもだえ苦しんでいるかのように。

 俺は無人のリングの向こう側にあるそれに足早に、しかし音を立てないように近づいて行こうとしたが、ワックスで磨き上げられた床は、どう歩いてもきゅっきゅきゅっきゅと音が鳴る。仕方なしに諦め、素早く大股で近づいた。
 誰かが中に閉じ込められている。うねうねと蠢く様子を見て俺はそう思った。

「袋を斬り裂くから、怪我したくなかったらじっとしてろ」

 中にいる誰かに聞こえたのかどうかわからないが、俺はポケットナイフを取り出した。タオルで塞がれた穴の下部からナイフの刃を差し込み、体重をかけて一気に下へ斬り裂いた。勢いよく流れ出た砂と一緒に転げ落ちてきた肌色の人間――砂まみれになっていたが、それは素っ裸で手足を縛られたユキだった。

 ジムの床の上できつく目を閉じたまま動かないユキの手足のロープを切り、猿轡を外した。それでも呼吸をしないので、顔を横にし、口をこじ開けた。中から大量の砂が吐き出されたが、更に指を突っ込んで可能な限りかきだした。げほっと咳をした拍子に更に砂を吐き、俺の指を噛んだユキが激しく咳き込んだので、俺はジムの片隅に置かれた自販機からスポーツ・ドリンクを買って飲ませてやった。

「一体何をやっていたんだ」

 俺は下腹を斬り裂かれた死体のように中身をあらかた吐き出してへしゃげたサンドバッグに目をやり、訊いた。
「狭い所じゃないと眠れないんだ」
 とユキは口から零れ落ち胸の谷間へ筋をつけながら流れる液体を手で拭いながら言う。
「お前は猫か」

 中身の抜けたサンドバッグの内部を確認してみたが、ユキの衣服や鞄などは入っていなかった。俺は男子ロッカールームに戻り、爺さんの衣服一式を拝借してきた。床に脱ぎ捨てられていたトレーニングウエアではなく、ロッカー内の普段着の方だ。
 あられもない格好で床にぺったり座り込みペットボトルからがぶ飲みしているユキに無言で服を放ってやると、体についた砂を精一杯払ってから素肌の上に直接シャツを羽織ってボタンを閉めた。
 ユキが身支度をしている間、俺は別のサンドバッグの表面を撫でまわしたり少し小突いたりして調べていた。

「それは、触らない方がいい」

 老人用のシャツにセーター、スラックスは、胸の辺りが若干窮屈そうなのを覗けば、小柄なユキに概ねフィットしていた。靴はマジックテープで着脱が楽なやつだ。
「自分さえ助かればいいのか?」
 サンドバッグに耳をつけると、砂の軋む音と、僅かに押し返してくる感触があった。
「そいつは、引きこもり歴三十年、仕事もせずゲーム三昧で年老いた親を奴隷みたいに殴ったり蹴ったり、とうとう親から見放されたって屑だから」
「ロクデナシだからってサンドバッグに詰めてぼこぼこにしてもいいって法はないだろう」
「ドメスティックな問題は法律では解決しないことも多いでしょ」

 老人の服なんか着たせいか、随分と分別臭いことを言いやがる、と俺は鼻を鳴らしたが、老人をとっ捕まえたジムのおやじがいつ戻って来るかわからない逼迫した状況であることを思い出した。

「ずらかるぞ」

 返事を待たずにさっさとドアに向かう俺に、ユキは黙ってついてきた。階段に差しかかった時に、上昇してきたエレベーターが停止するのが見えた。俺は急げとユキに合図して、階段を下りた。
 エレベーターのドアが開く音に次いでジムの会長が
「大人しくしなよ、爺さん。警察に捕まったらあんたの家族が恥をかくんだぜ。まったく、俺がこんな風に羞恥心を亡くした時は、さっさと始末してもらいたいもんだね」
 と毒づいているのが聞こえてきた。
 俺はコインパーキングに停めた車の助手席にユキを押し込むと、料金を支払い、車をスタートさせた。


 ここまで来れば大丈夫だろう、と俺はコンビニの駐車場に車を停めた。
「シャワー浴びたいな。漫画喫茶に連れてってくれない?」
ユキの言葉を無視し、ポケットから名刺大のカードを取り出し、彼女に渡した。
「なにこれ」
「深夜営業の平仮名の『ぽるか』って店で最初に会った時、お前に見せただろう。それを見てお前は、ポルカという店は平仮名片仮名漢字ローマ字アルファベット、五軒あると言った」
「そんな大昔のこと、覚えてないよ」
 そっぽを向くユキに、俺は言った。
「ここに書かれている、『わたしに会いたいなら、ポルカって店で』というメッセージ。『ポルカ』じゃなくて、『ポノレカ』なんじゃないのか」

 カードのメッセージは横書きだった。
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