【完結】地上で溺れる探偵は

春泥

文字の大きさ
上 下
4 / 53
PART I

04 告白

しおりを挟む
「死んでますか」
 背後から声がしても俺は振り返らなかった。ノボルは俺の横に来て、水の入ったグラスを差し出した。俺は黙って受け取ると、一気に飲み干した。
「これは、誰なんでしょうか」
 ノボルは抑揚のない声で呟いた。自分の部屋に人が倒れているのに随分呑気なことだ。座り心地抜群のソファぐったりとに体を預け、俺はノボルに訊いた。
「お前がやったんじゃないのか」
「やったって、何を」

 ノボルはうつぶせの男の体を上に向けた。
 男の顔にはアザや傷ができていたが、親でも見分けがつかないというほどの損傷ではなかったので、ガラス玉のような瞳を天井に向けている男が、またしても自分であることは否定のしようがなかった。ノボルは男の手首をとって生命の兆候を探していたが、首を振った。

「死んでる」
「お前なのか、俺を――そいつを殺したのは」
「なんで俺が」
 ノボルは挑むような目をこちらに向けてきた。ノボルが握っている男の手に防御創ができているのが確認できた。ノボルが手を離すと、男の手は毛足の長い絨毯の上にぽとりと落ちた。
「だってここは、お前の部屋だろう」
「自分が殺した奴の死体が転がっているとわかっているところへ、あなたを連れてきたりしませんよ」

 それは確かにそうだが、どこか腑に落ちないことがあった。

「だが、前の現場でもお前は目撃されている」
「さっき、ここへ来る前に言っていたことですか。顔に傷のある男。でも俺の顔には傷なんて」
 俺はこめかみを指先でぐりぐりと押した。考えがまとまらなかった。何かがおかしかった。
「写真」俺は部屋の中を見回して、言った。自分の声が遠くから響いて聞こえた。
「家族の写真とか、ないのか」
「俺には家族なんていませんよ」
 冷ややかにノボルが言った。
 だが、あの優しそうな夫婦は。俺は暗いところに意識が滑り落ちていくのを感じた。


 みんな必死だった。施設の子供というのは、できるだけいい家族にもらわれていきたいという剥き出しの欲望を隠そうともしない。「来客」があると職員から通知された時は、皆戦闘モードに入る。「きちんとするように」などというお達しがなくても、みんな精一杯とりつくろった身なりや振る舞いで、俺たちを品定めにやってきた客に媚びを売る。
 俺とノボルだけは、それに参加しなかった。ノボルは施設に来て三年が経過してもまだ母親がいつか迎えに来てくれるという希望を捨てられず、それを生きる糧にしていた。俺は反抗期のまっただなかだった。要するに、ノボルよりも遥かにガキだったのだ。俺は大抵の場合、客から話しかけられても返事もせず、部屋の隅で顔を背けていた。
 誰がどう見ても俺は可愛げのないガキだった。性格を抜きにしても、外見が。目つきが鋭く小狡そうで、「不機嫌そう」と怒っていない時でも言われた。お前のように不細工な子供は誰も貰いたがらない、と俺にぶん殴られた職員が大勢で俺を押さえ付けて報復する時に笑いながら言っていた。確かにそうだ、と俺は思った。あの連中が欲しがるのは、できる限り世の中の手垢に染まっていない幼子か、ノボルのように見るからに大人しそうな、守ってやりたくなるようないたいけな様子をした、子供らしい子供だった。
 だがノボルは客に対しては、頑なに拒絶する態度をとっていた。あの夫婦がやって来た時も。

「人は見かけじゃわからないんですよ、サカイさん」
 遠くの方から声がした。

 その夫婦は、子供たち全員に声をかけていた。決して若くはないが、上品そうな身なりから裕福であることが見て取れた。皆が俺の大嫌いなアニメのキャラクターのように身をくねらせて上目遣いに媚びを売っている間、俺は部屋の隅で漫画を読んでいた。

「何を読んでいるの」

 振り向く前からふわりといい匂いがした。化粧をしていない首の白さが目に飛び込んできた。きれいに整えられた顔はまともに見ることができなかった。
「別に」
 俺はそっぽを向いて、引き続き漫画に没頭しているふりをした。女性は更に二つ三つ俺に質問をした。俺は全て下を向いたまま一言で回答を済ませた。男の方もやってきて、
「あっちの端っこに居る子は、どういう子かな」と訊いてきた。男が指さしているのはノボルだった。
「あいつ、泣き虫だけど、素直でいい奴だよ。俺と違って、勉強も得意だ。ここの職員も手がかからなくていい子だって言ってる。おばさんたち、貰うんならああいう奴にしなよ」
 男はうっすらと笑みを口元に浮かべ「そうか、ありがとう」と言った。
 夫婦がノボルの方に行きかけたので、俺は緊張を解いて今度こそ本当に漫画に集中しようと思った。その時

「あなた、この傷はどうしたの?」

 再度いい匂いがふわっと漂って、女の指が優しく俺の頬に触れた。俺は驚いて女の手を力いっぱい払いのけた。思った以上にでかい音が響いた。
 目を吊り上げた職員が小走りにこちらにやって来るのが見えた。また反省室に閉じ込められるのか、と俺はげんなりした。暗闇で食事も水も与えてもらえないのだ。毎度のことだが、あれは相当なダメージを受ける。
 しかし女は笑顔で職員を制した。
「私ったら、ごめんなさい。勝手に触れるなんて、ルール違反もいいところだわ。本当にごめんなさいね」
 その女――夫婦は、結局ノボルを選んだ。よい選択だ、と俺は思った。あんな夫婦の家に貰われていくのなら悪くないんじゃないか。だが、俺のような跳ねっ返りにはそんな幸福はやって来ない。それは子供心によくわかっていた。


「あの二人が親でも幸せになれなかったというのか。こんな豪勢な部屋で暮らしてるっていうのに。俺の夢を壊すなよ」

 自分の声がどんどん遠ざかっていく気がした。

「人は見かけによらない、って言ったでしょ。サカイさん、あの二人と施設で初めて会った時、俺になんて言ったと思います?」

 さあなあ。俺は目頭を押さえて首を振った。頭が重かった。
「あそこにいる頬に傷のある子は、どうしてけがをしたのかって。あの子はどういう子かって。俺は、あの子は乱暴者だって答えたんだ。喧嘩ばかりして、施設の鼻つまみ者だって」

 俺は目を閉じたまま低い声で笑った。ノボルの言う通りだったからだ。

「俺はあせった。あの人たち、あんたを引き取るつもりだって思った。だから俺、腕の火傷の痕を見せて、あんたにやられたって言ったんだ。ここから出たいんだってすがり付いた」
「ちびの癖になかなか賢いじゃないか」俺は笑った。
「笑い事じゃない!」

 急にノボルが怒りを爆発させたので、俺は目を開いた。

「それであんたの人生は、台無しになった。俺が嘘をついて、あの夫婦を騙したから。俺の傷は職員にやられたものだったし、あんたの頬の傷は、その俺を職員から助けようとして殴られた時のものだったのに。俺は――」
「そんなこと、俺は覚えちゃいない」
 俺はノボルの目を見て言った。
「それに、勝手に人の人生を台無し呼ばわりするな。浮気調査が専門だからって、馬鹿にするな」
「俺を庇ってくれたのはあんただけだったのに。俺はまんまと嘘をついてあの人達の子供になった。だけど、人はみかけじゃ、わからないんだ」
 ノボルはがっくりとうなだれて、死んでいる俺の方に目線を落とした。
「その年になってまだ甘ったれたことを言っているのかお前は。さすがにもう面倒見切れないぞ」
 俺はそっと上着の内ポケットに手を伸ばした。
「あいつらは、人間の皮を被った悪魔だった。本当なら、あいつらの餌食になるのは、あんたのはずだったのに。あいつらは、最初あんたに目をつけていた。体が頑丈そうで、生意気そうだったから。その方が楽しめるって、あいつらは思っていたんだ。それなのに」
「まさか、そんなことが利点になるとは思わなかったなあ」
 俺は左手で顎を撫でさすりながら言った。伸びた髭が指先でざらついた。
「あんたが、悪いんだ」

 ノボルが飛びかかって来たのと俺がポケットからピストルを取り出したのとほぼ同時だったが、酒を飲み過ぎた影響で、俺の動作は普段より緩慢だった。
手からピストルが弾き飛ばされ、俺は床の上に引き倒された。両腕で必死に防御したが、何発かはまともに顔面にくらった。しかし所詮、ノボルのような温室育ちのボンボンは、俺みたいな野良猫の敵ではなかった。
 俺はノボルの攻撃をかわして横っ腹に膝蹴りを加えると、相手がひるんだ隙に顔面に強烈な右をくらわせた。声も出さずに、ノボルの体が横に倒れた。俺は奴の体の下から抜け出し、立ち上がって部屋の隅に転がっていたピストルを拾い上げた。
 ノボルの左頬に傷ができていた。しかし、受けたダメージは俺の方が酷かった。俺はハンカチを取り出し鼻血を拭った。唇も切れていた。
 伸びているノボルと、死体の男を交互に見比べた。傷の具合から見て、この部屋で死んでいる男――どう見ても俺――の死因は撲殺、ということになるのだろうか。XXXの俺の部屋で殺されていた俺とは明らかに死因が異なる。俺がユミだかルミだかから依頼されたのは、俺の部屋に転がっていた男のことであり、だったら俺はナイフが胸に刺さっていた男の事件を負うべきだ、とふらつく頭で俺は考えた。
 ノボルはどちらの殺しもやってないと言っていた。それが本当かどうか、俺にはわからない。ノボルの言う通り、ひとは変わるものだし、見た目ではわからないものだ。
 だが、先の殺しで、俺は事件の手がかりと思しきブツを入手していた。死体が手に握っていたものと、玄関に落ちていたもの。とりあえずは、それらを追ってみることにしよう。
 俺はノボルが息をしていることを確認してから部屋を出た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

The Last Night

泉 沙羅
ホラー
モントリオールの夜に生きる孤独な少女と、美しい吸血鬼の物語。 15歳の少女・サマンサは、家庭にも学校にも居場所を持てず、ただひとり孤独を抱えて生きていた。 そんな彼女が出会ったのは、金髪碧眼の美少年・ネル。 彼はどこか時代錯誤な振る舞いをしながらも、サマンサに優しく接し、二人は次第に心を通わせていく。 交換日記を交わしながら、ネルはサマンサの苦しみを知り、サマンサはネルの秘密に気づいていく。 しかし、ネルには決して覆せない宿命があった。 吸血鬼は、恋をすると、その者の血でしか生きられなくなる――。 この恋は、救いか、それとも破滅か。 美しくも切ない、吸血鬼と少女のラブストーリー。 ※以前"Let Me In"として公開した作品を大幅リニューアルしたものです。 ※「吸血鬼は恋をするとその者の血液でしか生きられなくなる」という設定はX(旧Twitter)アカウント、「創作のネタ提供(雑学多め)さん@sousakubott」からお借りしました。 ※AI(chatgpt)アシストあり

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

兄になった姉

廣瀬純一
大衆娯楽
催眠術で自分の事を男だと思っている姉の話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...